おうち時間廃絶計画!【KAC20211】

冬野ゆな

第1話

『おうち時間の充実に!』


 古い広告にでかでかと書かれた宣伝文句を、私はのったりとした目で見ていた。見たこともない女優が笑顔で商品を手にしている。おうち時間の準備ならもう皆十二分にしているだろうに、今更か。

 春の嵐がもうすぐ迫るという頃合い。私たちはいまだおうち時間の中にいた。テーブルに置いた茶を啜ると、廊下を勢いよく走ってくる音が耳に届く。その音は次第に近づいてきて、最後にバーンと勢いよくドアが開いた。


「これより、おうち時間廃絶計画を発動する!!」


 ババーンと効果音でも出しそうな勢いの兄の言葉に、私は表情ひとつ動かすことができなかった。


「……え? なに急に?」

「おうち時間廃絶計画だ! さあ、復唱したまえ!」

「おうちじかんはいぜつけいかく……」

「んんんん! 多少バカにされている気がするが、まあ良いだろう!」


 というより、突然なんの話だ。

 カタカタとカーテンの向こう側の窓が小さく震える。原因は目の前のバカ、もとい兄の勢いではなく、春の嵐だ。遠くのほうでサイレンが鳴り、早期の帰還を促している。

 兄はいつでも唐突である。

 そしていつでもハイテンションだ。

 常に振り回される身にもなってもらいたい。


 我が家のお兄様の考えることは毎度わけがわからないが、ここで相手をしておかないと後でうるさい。そもそも適当なことを言うと何をしでかすかわからない。とりあえずのっておくことにする。


「いやそもそも、意味がわからないんだけど」


 いきなり反発してしまった。


「だから貴様は愚妹なのだ! このおうち時間などという意味の無い時間が! 過ぎ去るのを! ただ黙って見ていろと!」

「いや、家でやることいろいろあるでしょ」

「かーっ! だから人類は! 愚かな人類は!」


 お前はどこの人類根絶組織の人間なんだ。


「そもそも何やるの。廃絶して外出るほうが危なくない?」

「よくぞ聞いてくれた。だがその前に俺様の質問に答えよ、愚かな人類よ」

「誰が愚かな人類だ、愚かな兄」

「愚かな愚妹よ」

「なんで言い直したの」

「貴様はこのおうち時間などという一見かわいらしい物言いに騙され、どれほどの時間を無駄にした!? 貴様はこのおうち時間とやらに何をした!?」

「いや、家事とか勉強とかゲームとか色々やってたでしょ」

「ふん。まったくもって無駄なことを!」


 なにが無駄だ。ぶん殴るぞ。

 おっとうっかり本音が。


「いいか。おうち時間などというのは、そもそも人類が新型ウィルスから逃れるために自粛せよというプロパガンダを、阿呆でも解るように柔らかーく言い直したものだ」

「いやそれは知ってるというか、プロパガンダの使い方間違ってない?」


 頭トンでるのか、この兄。


「それに、家にいろっていうのはもう対策がこれしかないってのがわかりきってるからでしょ」

「そうだその通りだ。だが家にいて何が変わった!? 我らはこの間に成すべきことを成さねばならなかったのではないか!?」

「はあ」


 そうっすか、という感想しか出ない。


「だから俺様は成すべきことを成す! いや、成した!」

「それおうち時間が無きゃできなかったのでは?」

「だが時間は無駄にしていない」

「あっハイ」


 窓が勢いよくガタガタと揺れた。

 思わず視線が其方を向くと同時に、愚兄が勢いよく立ち上がった。今度は視線が暗い窓の外から愚兄へと移動してしまう。


「よし行くぞ愚妹!!」

「えっ? ちょっ、どこに?」


 慌てて立ち上がる。

 駄目だ。春の嵐がここに来ている。


 愚兄は勢いよくドアを開けると、暗い廊下を突っ走った。


「おい!! どこ行くんだこの愚兄!!」

「大丈夫だマスクは作ってある!!」

「何の話だ!」

「さっさと貴様もこれを付けるのだ!」


 兄は廊下を走りつつ、そこにひっかけられた自称マスクをひったくった。そして後ろを走る私に向かってぶん投げる。私はそれをなんとかキャッチすると、何度か目の前にあるそれを見た。


「この無意味なおうち時間とやらを活用して作ったのだ! なぁに心配するな、性能は充分だ。俺様の科学力を舐めるな!!」

「いや、ちょっ……待っ……」


 カタカタと小さく建物が揺れている。


「そら来たぞ! 絶好のチャンスだ!」


 兄は走りながら廊下にひっかけてあった緊急用スーツを着込んで(どういう特技だ?)階段を駆け上がり、地上へ続く扉をブチ開けた。轟音が室内へと入り込み、兄が荒廃した街を見下ろす屋上へと抜けた。


「春の嵐だ! おいでになったぞ!!」


 外は轟々と黒い風が吹き荒れていた。

 黒い風を纏い、荒廃した街の間を、生きた人間を探して彷徨い歩く巨大な人型の暴風。すべてを飲み込み、屋内で耳を塞ぎ、過ぎ去るのを耐えるしかない巨大人型災害である暴風――またの名を春の嵐。

 いったい誰がそんなロマンのある名前をつけたのだ。

 周囲からは壊れかけたサイレンの音が響いている。


「ふはは! まったく、この巨体のどこがウィルスなのだ!!」

「いやウィルスは昔の話でしょ」

「さあ行くぞ愚妹! 奴を倒し、この無駄なおうち時間に終止符を打つのだ!」


 巨大な人型がこちらを向き、その深い虚無のような瞳がこっちを向いた。

 屋上にこれでもかと設置された謎のメカが、一斉に春の嵐へと向いた。


 失われた外時間を取り返すための戦いが始まった。

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