おうち時間?

おうち時間……って何?


―――


「はぁ~……暇だなぁ。パパもママも最近来ないし、やってたゲームも全部クリアしちゃったし。」

 そう言って私、楠木琴羽はあーあと欠伸した。そして辺りを見回す。白い壁に白い天井。そしてほのかに香る消毒液の匂い。私は部屋の真ん中に陣取るベッドに横になってもう一度大欠伸をした。


 私はある病気で入院中である。ある病気というのは精神病の一種で、双極性障害というらしい。気分に波があり、元気な時と落ち込んだ時の差が激しくて時々自分でも制御できなくなるくらい情緒が不安定になる症状だ。私はその病気のせいで学校にも通えずにこうして隔離されているという訳である。まぁ、隔離なんて言ったって病室の外には自由に出られるし、病院の敷地内だったら散歩くらいは許されていたが。しかしここ数ヶ月は世界中に蔓延しているウイルスのせいでその唯一の散歩も出来ずにいる。


「絵でも書こうかな……」

 呟きながら起き上がって、側の台に置いてあった画材道具をベッドの上の机に並べる。そして鉛筆を取って真っ新な画用紙に適当に絵を描いていった。

 絵は私の趣味で、そんなに上手くはないが描いている間だけは嫌な事や余計な事を考えずに済む。しばらく集中して絵を描いていたらトントンとドアを叩く音がして看護師が顔を覗かせた。


「琴羽ちゃん、お母さんとお父さんが来てくれたわよ。」

「えっ?ママとパパが?やったーー!」

 私は喜びの余り、鉛筆を持ったまま万歳をする。最後に二人の顔を見たのは二か月前の事だから当然の反応だ。ウキウキしながら待っていたが、いくら待っても入ってくる気配がない。不思議に思って首を傾げていたらカーテンの向こうに影が出来て、懐かしい声が聞こえてきた。


「琴羽?元気にしてる?」

「うん、元気だよ。今、絵描いてるの。見る?っていうか、何で入ってこないの?」

「ごめんね。先生に言われてるの。面会はカーテン越しにして下さいって。ほら、ウイルスが流行ってるでしょ?」

「えーー……」

「でも少しだけなら顔を見てもいいってさ。マスク着用でだけどな。」

 パパのそう言う声が聞こえた瞬間、二人の顔がカーテン越しにチラッと見えた。


「元気そうだな。安心した。」

「パパもママも元気?」

「あぁ。自粛期間中に怠けてたらちょっと太ったかも知れないけどな。」

「昼間からビール飲んだりね。」

「おいおい、それは日曜日限定だろ?平日はちゃんとリモートで仕事してたぞ。」

「あれ、そうだっけ?」

 惚けた顔でそう言うママを見て私が吹き出すと、パパも笑顔を見せた。


「それにしてもコロナのせいでおうち時間が増えたわね。でもそのお陰で家の中の掃除とかが出来て良かったけど、暇な時もあるからね。そういう時、琴羽みたいに趣味があるといいわね。私も何か始めようかしら。」

 ママが頬に手を当てながら考える仕草をする。それを見てパパも頷いた。

「おうち時間?最近よくテレビで言ってるけど、それって外に出られないから家にいる時間が増えてる事だよね?やっぱりパパもママも暇な時とかあるんだ。」

「そりゃそうよ。でもそういう時はパパと色んな話が出来て夫婦としてのコミュニケーションが取れるから良い事もあるけどね。」

「そうだな。」

 パパとママはそう言って顔を見合わせて微笑んだ。それを見た私は俄に不機嫌になる。


(何よ、二人してズルい……私なんかずっと一人でいるのに。)


 でもそう文句を言ったところでここから出て家に帰れる訳じゃない事は重々承知している。私はグッと言葉を飲み込んだ。


 そう、私には『おうち時間』なんて関係ない。だって外に出られないのが当たり前なのだから。

 朝は起床時間きっかりに起きて、朝ご飯を食べる。その後はゲームをしたり絵を描いたりして過ごしてお昼になればお昼ご飯を食べる。食べた後は眠くなるから30分くらいお昼寝して、またゲームか絵を描いたりして夜まで時間をつぶして夜ご飯。で、9時には就寝。それの繰り返し。だけど週に3回は作業療法士さんが来て、体操をしたりパズルをしたり運動をしたりするからその時だけは時間が早く過ぎる。だからその日は朝からワクワクするのだ。今日はどんな事をするのかな、って。


「じゃあ、そろそろ帰るか。」

「そうね。」

 パパが腕時計を見ながらそう言うと、ママも同意する。私は思い切り顔を歪ませた。

「もう帰るの?まだいてよ。」

「面会は15分くらいでって先生が言うから。そろそろ時間だわ。」

「15分?短いよ~……」

「ごめんね。また来るから。」

「またっていつ?」

「う~ん……」

 ママが困った顔をする。チラッとパパを見るとパパも同じような顔になった。


「なるべく早く来るようにするから、ちゃんと先生や看護師さんの言う事を聞くんだぞ。」

「……はーい。」

「よし。良い子だな。」

 そう言って思わず伸ばした手を慌てて引っ込めるパパ。頭を撫でられると思って期待していた私はがっかりした。


「じゃあね。」

「元気でな。」

「バイバイ……」

 手を振る二人を私は直視できなかった。目を合わせてしまったら引き止めたくなる気がして。俯く私の様子をしばらく窺っていたパパとママだったが、頷き合うとそのまま病室から出て行った。


「コロナのバーカ……」


 私の呟きは白い天井に吸い込まれてやがて消えていった。




『おうち時間』?私の場合は『病院時間』だ。


 いいもん!早く病気を治してパパとママとおうち時間を満喫するんだから!



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おうち時間? @horirincomic

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