妹がDiscordの設定をしてくれと言うのでやっていたら妹の彼氏が凸ってきた。

kattern

第1話

「お兄ちゃん、Discordの使い方って分かる?」


「……できるよ」


 たぶん。

 一度も使ったことないけれど。


 大学二年の春休み。バイトが休みだったので自室でごろごろしていた俺の所に妹の優芽がやってきた。


 ここ最近なんだか綺麗になった妹。

 彼女は返事を聞いてすぐにえへへとはにかむ。

 手に持ったノートパソコンを俺の机に置き、彼女はお願いと手を合わせた。


「あのね、自分でやったけどよく分からないの。悪いけど使えるように設定してくれないかな? ふわふわのパンケーキ作ってあげるから! お願い、お兄ちゃん!」


 妹にお願いされると兄貴は弱いよな。

 ずぶりと優芽にお兄ちゃん心を射貫かれた俺は、紋切り型のように「しょうがないな」と言って、ノートパソコンを引き取った。


 それと一緒に――俺は一枚の紙切れを渡される。

 見れば大学ノートの切れ端。書かれているのはユーザー名らしい。


「この人と通話したいの?」


「そう!」


「誰? 学校の友達?」


「えへへ、私の彼氏」


 彼氏?

 え、彼氏いたの、優芽ちゃん?

 初耳なんですけれど?


「ほら、外出自粛で家とか行きづらいでしょ? だから、Discordでチャットしようって」


「へ、へぇ。けど、それなら別にLINEでも」


「LINEだと友達に見られたらひやかされるでしょ! もうっ!」


 幸せそうな顔をして、ぽかりと俺の肩を叩く優芽。


 あ、やばい、これガチ恋の奴や。

 今から俺が入ってかき乱す余地のない奴や。


 最近綺麗になったと思ったら原因はそれか。


 いろいろと複雑な感情が湧いてきたが、男女の仲をとやかく言うなんて野暮だ。それでなくても、妹の恋路の邪魔しちゃいけない。

 俺は無言で頷き、優芽の依頼を引き受けた。


「それじゃぁ、設定お任せするね? 私、コンビニでおかし買ってくるから」


 おうちデートの準備ですかね。

 俺を残して優芽は鼻歌交じりに部屋を出て行く。


 とほほ。まぁ、いずれこういう日も来るだろうとは思っていたよ。

 けど唐突だな。


 しかし、まさか妹と彼氏のためにDiscordの設定をするなんて。


「まぁ、いいけれどさ」


 そう呟いて俺は優芽のパソコンを開いた。


 妹のパソコンを弄ること数十分。

 Discordをインストールして、アカウントの設定も完了した。

 備え付けのマイクとカメラのチェックもOK。


 あとは実際に通話してみないと分からないかな。


「こういう時、気軽に通話できる相手がいるといいんだけれど……」


 ふと、優芽の彼氏のアカウントが書かれた紙が目に入った。


 彼とやりとりできれば一番てっとり早い。

 だが、無理だよな。


「まぁけど、アカウントの登録だけはしておくかな……」


 どうせ優芽が帰ってきたらすることだし。

 その時、ちょっとした親切心が俺の中でうずいた。

 解説ページの手順に従い、優芽の彼氏のアカウントをフレンドに追加する。


 しばらくして、画面に彼のアカウントが表示される。

 うまく行ったようだ。


 その時だ。

 スピーカーから「ポコリ」という音が響く。


 画面を見ると、優芽の彼氏のアカウントのアイコンに赤いマークがついている。


「……え? これ、メッセージを送ってきたの?」


 なんてタイミングだ。

 というか、レスポンス早いな。

 優芽の彼氏くん、けっこうマメなんだな。


 甲斐甲斐しい反応にちょっと俺の心が雪解けする。

 少なくとも優芽のことを大切にはしてくれているみたいだ。


 ただ、安心と共に、先ほど胸に浮かんだ興味も首をもたげる。


「事情を話して、通信確認をつきあってもらおうかな」


 それは建前。

 大切な妹の彼氏がどんな男か気になった。


 少しの葛藤の後、興味が勝った。

 俺は優芽の彼氏のアカウントをクリックする。


 なに、ちょっとビデオ通話をするだけ。

 どうせ後で紹介されるのだ。


 そう思っていたのだが――。


「……『優芽ちゃん、今日のパンツ何色』だと?」


 優芽の彼氏が送ってきた、彼女に送ったとはとても信じられないメッセージに俺は思いがけず絶句することになった。


 え? どういうこと?


 今時の高校生はチャットアプリの挨拶でパンツの色を確認するの?


 しないよね。


 おかしいよね。


「……え、なに? 優芽の彼氏って、変態なの?」


 凍りつく指先。荒くなる呼吸。

 Discordの画面に表示された文字列がやけに痛々しい。


 最近春めいてきたなと思っていたのに急に鋭い寒さが俺の身体を襲う。


 どうすればいいのか。

 このまま見なかったことにするべきだと、生存本能が告げていた。

 なんだったらDiscordをアンインストールして「ごめん、うまく設定できなかたよ」と、誤魔化すべきだとも。


 けれど、気づくと俺はキーボードをタイプしていた。


「金色だよぉ💗 ラメの入ったエロい奴💗😊💗」


 書き込んだのは俺が考えた最高にエロい下着。


 どうしてそんなことをしたのか。

 自分でもよく分からない。


 いや、「妹の彼氏がこんなど変態だなんて。許せない。もっと情報を引き出して、妹に本性を暴露してやる」と、思ったのは間違いない。


 けれどそれがなんでドスケベパンツに繋がったのか分からなかった。


 いや、テンパるでしょこんなん。

 どう回答しろっていうんだ。


 ど変態すぎるんだよ。

 プレイの難易度が高すぎるよ。


 しかし、俺の変態性の方がこの時は上回ったらしい。

 優芽の彼氏は、そのやりとりの後、書き込み中と無反応を何度か繰り返した。次にどんな言葉を返せばいいのか迷っているようだ。


 ざまぁないな。

 文面から、変態だがこいつ間違いなく童貞だろうと思ったが当たりのようだ。この程度のことで狼狽えるとは、所詮高校二年生よのう。


 また「ポコリ」という音。


「なにっ『じゃぁ、写メで自撮り送ってよ』だと⁉ 彼女の下着を信じられないというのか、こいつ!」


 だったらこうだ。

 俺は「悟(彼氏の名前)くんも、穿いてるパンツを教えてくれたらいいよ」と感情の赴くままに返した。


 別に野郎のパンツなんて見たくない。

 だが、ノリと勢いで返した。


 というか流石にもう童貞には返信できまい――。


「なにぃっ⁉ 『桃色でレースが入った奴』だと⁉ 馬鹿な、男なんだろう⁉」


 男はそんなパンツ穿かないだろ。

 どういうことだ悟くん。

 変態なのか、悟くん。


 ますます深まる優芽の彼氏への疑念。

 そこに、追い打ちのようなメッセージが入る。


「なになに『姉さんのお下がりを穿いたら癖になって』? ならんわ! というか、ナチュラルに女モノのパンツ穿くなよ、悟くん!」


 やっぱり妹の彼氏は変態なのか。

 姉のパンツ穿いちゃう系男子なのか。


 嫌だよ、そんな妹の彼氏。

 お付き合いの時点でノーサンキューだよ。

 家に遊びに来た時点でクーリングオフだよ。


 ゲボすぎるわ!


「マジかよ優芽。こんな奴のいったいどこに惚れたっていうんだ」


 そして、当然のように『言ったんだから見せてよ。そうだビデオチャットでもいいよ』という、悟くんからの催促。


 どれだけ優芽の下着姿が見たいんだ。


 けどいいぜ。

 お前がその気なら、とことん行ってやるよ――。


『じゃぁ、ビデオチャットで見せあいっこしようよ?』


 毒を喰らわば皿まで。俺はまたしても童貞を殺す一撃を放った。

 優芽の彼氏は、これに『いいよ』と軽く答える。


 だが、これは罠!

 変態を殺すための狡猾な罠!


「くはは、かかったなボケが! 貴様が裸になった所を、写メに撮って淫行の証拠にしてくれるわ! 少年刑務所で悔いるがいい! この早熟のど変態さんが!」


 そう、この誘いを出した時点で、どう転んでも詰み。

 そうとは知らず、のこのことビデオチャットを開始する悟くん――。


 さぁその汚え面を拝んでやるぜ。


 その前に、一言文句は言わせて貰うがな。


「てめぇか! うちの可愛い妹に手を出したクソヤリ○ン男は! なーにがパンツ何色じゃ! お姉ちゃんのパンツでも風呂場で漁ってマスかいてろ、このクソガキ!」


「貴方ね! ウチの可愛い弟くんにちょっかいかける○ッチは! 言われてほいほいパンツなんか見せて! 貴方みたいな娘に、悟は譲らないんだから!」


 表示されるビデオチャット画面。

 それと共に飛び交う罵声。

 映し出される女の顔。


 黒髪ロングで前髪ちょっと長め。少し陰気な感じこそするがそれをかき消すくらいにグラマラスなお姉さんが、妹のノートパソコンの画面に現われた。


 なんで、どうして。

 呪いのウイルスに感染したのか。

 新手の貞子か。


 いや、違う――これは。


「……あれ?」


「……うん?」


 ビデオチャットの相手が思っていた人と違うのだ。


 いや、うん、なるほど、そういうことね――。


 俺たちは唐突に理解した。

 高校生と違い、人生経験のある大学生の俺たちは、自分たちの置かれた恥ずかし勘違いの状況を一瞬にして理解した。


 顔を真っ赤にしながらも、お互い必死に理解した。


「……どうもはじめまして。私、優芽の兄の橋本啓介といいます」


「……は、はじめまして。悟の姉の祥子と申します」


「すみません。妹のアカウントを設定していたんですが、そちらからメッセージが来たのでつい出来心で」


「いえ、私も弟に頼まれてパソコンを設定していたんですが、フレンド申請が突然来て同じように……」


「……えっと? とりあえず、このログ見られると誤解されるので消しません?」


「あ、そうですね。すみません、やりとりするのに啓介さんのDiscordのアカウントを教えていただいてもいいですか?」


「……LINEのIDじゃダメですかね?」


 半年後。

 優芽と悟くんが、やっぱり恋人はしっくりこないと友人に戻ったのは、この時、弟妹の貞操を守ろうと躍起になった俺たちの想像の及ばないことだ。


 そして、さらに一年後。

 俺と祥子さんにベイビーが出来て学生結婚することになるなんてことも、まだ童貞時代の終焉に少し早い俺には想像のできないことだった。


 あと祥子さんがピンク色でレースが入ったパンツを好んで着ていることも。


【了】

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妹がDiscordの設定をしてくれと言うのでやっていたら妹の彼氏が凸ってきた。 kattern @kattern

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