おうち時間

きょんきょん

休日について思うところ

 緊急事態宣言が続けて出る昨今、「おうち時間」というフレーズは耳にタコが出来るほど聴いたことだろう。

 今更だが、<おうちで><過ごす時間>をおうち時間という。そんなのわかってるわ、とツッコんでるそこのあなた。本当に理解しているかな?

 コロナ前をよーく思い出して欲しい。ほら、忘れたなんて言わないで脳細胞に活を入れて思い出してごらん。そんなに難しいことでは無いだろう?たかが一年やそこらの話だ。


 思い出したかな?

 さて、コロナ前の朝も夜もなくあくせく働いてきたあの懐かしい日々、忙しい忙しい、休みが欲しい休みが欲しい。と、呪詛のように繰り返し呟いてきた社会人は多いと思う。いや、多いはずだ。

 しかし、いくら叫んだところで日経平均株価は上がっても労働環境や賃金の改善はみられず、こんな会社やってられるかと退職届を上司の顔に叩きつけてやりたい衝動に駆られた社会人も多いことだろう。(え?いない?そんな馬鹿な)


 週四日、いや週三日休みがあればどれだけ自由な時間が生まれるか。そしたらあんなことやこんなこと、好きなことがいくらでも出来るのに。

 よだれを垂らしながらそんな夢想にふけて、目覚めると外はいつの間にか暗くなり、あの日曜日の国民的番組が流れていた……。悲しい現実に引き戻され、土日は惰眠を貪ることに費やしてしまうとお嘆きになるサラリーマンのなんと多かったことか。

 そんな世の大人達は一様にして同じ考えだったと思う。時間がないからなにも出来ない。時間がないからしょうがない。そのフレーズが、なにかを諦める常套句になっていることにも気がついていなかったのではないか。


 と、思っていたら、晴天の霹靂。

 新型コロナウイルスの魔の手によって、念願の休みができたではないか。(もちろん休みを望んでいない人も大勢いるが)

 ほら、世の大人達が長年渇望していた休みだ。

 これまで喉から手が出るほど欲したあの休みだ。

 それが手に入って、内心小躍りしたくなるほど嬉しかっただろう。


 そんな思いがけず手に入れた自由な時間をあなたは一体何に費やした?好きな読書?運動?ドライブ?家族サービス?(サービスと言う言葉は嫌いだが)

 答えは千差万別、いろいろあるだろうが、蓋を開けてみれば好きなことに時間を使えたのは実はほんの数日で、残りはすることもなくだらだらと無為な時間を過ごすばかり、そんな人が多いのではなかろうか。(もちろん忙しい人もいる)


 最近では退屈な休みを楽しむためにはどう過ごすか、なんて指南まで出てる始末。

 おい、何言ってるんだ。お前達休みをあれだけ欲しがっていたのに何言ってるんだ。

 あれ?おかいしいぞ?あれほど欲しがった休日が、小学生の夏休み末期のように苦痛になってるではないか。

 それどころか「休む」ことに罪悪感を感じ、「働かねば」という義務感が生れてきてはいやしないか?



 そんな矛盾した大人達をみてふと思った。

(ああ、あれだ、ほとんどの日本人が『休み』が欲しいのであって、休みを使って何かしたいことがあるわけではないんだ)と。

 休日がストレスになるなんて馬鹿げてると思ったが、特殊な国民性がそうさせるのか、どうやら日本人は口では休みたいと言いつつも、泳ぎ続けないと死んでしまうマグロのようなものなんだと理解するに至った。

 だって、おうちでの過ごし方なんて、勤勉な日本人は習っていなかったんだもん。知らなかったんだもん。

そして、それこそが日本社会の本質である。


 休日を楽しむ秘訣は、生きる楽しみを見つけること。それを知らない方はこれまで通り働いていた方が幸せなのかもしれない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

おうち時間 きょんきょん @kyosuke11920212

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ