吸血鬼がおうち時間を過ごそうとしたら勘違いで大変な事になりそうです

鱗青

第1話

 ・狙っている後輩から「一緒におうち時間を過ごしませんか?」と言われました。貴方はどうしますか?

 ・後輩も貴方も男性です。

 俺の答え───YES。


 なんの変哲もない二階建て鉄骨アパートの角、9畳の1K。

 それが俺の牙城。文字通りの意味でだが。

 いつもなら寝て起きて軽いをするだけの空間。それが今日に限っては一味違う。

 俺が狙っている獲物が訪問しているからだ。

「一人暮らしなのに全然散らかってないんですねえ!」

 バン健造ケンゾウ。この春から俺の職場であるコンビニに勤め始めたアルバイトの後輩は、途中コンビニで買ってきたらしいビニール袋を丁寧に一つきりのテーブルに降ろすと、常に絶やさぬ爽やかな笑顔で振り向いた。他の人間どもが生活費や学費を稼ぐために汗水垂らしているのに比べ、ミッション系の大学に通いつつダイビングサークルの活動資金を稼ぎに来ているこいつはお坊ちゃん丸出し。古参バイトの俺様が睨みを利かせなけりゃ、早晩イジメに遭って辞めていただろう。

洲竹スタケさんの事だから、きっとダンベルとかローラーで足の踏み場もないと思ってた」

 俺…洲竹実スタケミノルは「それにプロテインとかトレーニング雑誌か?」と返す。伴はそうですと一層晴々とした表情になる。細身の体つきと人懐こく愛らしい顔立ちで、コイツがレジにいるときは女性客が増えている。

「ところで洲竹さん、カーテン開けません?良い天気なんですし」

「だから閉めてんだよ」

「へえ?じゃ、早速始めます?ツマミが冷めないうちに」

「…それファミチキガーリックだろ。他店の売上に貢献か?」

「正解!凄い嗅覚‼︎」

 俺は小さく呟いた。

「そりゃ命に関わる問題だからな」

 袋から出された紙箱。脂の匂いと共に立ち昇るのは、俺にとっての劇物臭。

 狭い部屋の中には椅子が一つだけ。その対面にはベッド。毛布すら無い事に伴は小首を傾げ、だが気にせずに椅子をベッド側に引き寄せて座り、俺を手招く。

 鏡が一枚もない部屋の中、俺の姿を映しているのは伴の大きな瞳だけ。そこには髪を短く刈り込み筋骨盛り上がった上半身と、切株からさらに根っこが生えたような下半身の下着姿の男がいる。頑丈な、いかにもドイツ系らしい体格。つまり、俺だ。

「洲竹さんはワインとビールどっちにします?ここはやっぱりビール?」

「そこはもう、お前の」

 危うく言いかけて口元を押さえた。いかん。せっかくこの獲物が向こうから飛び込んできてくれたんだ。事を成すまでボロを出すわけには…

「僕の?」

「…好きな方を選べ」

 伴は割と長時間悩み、ベッドに腰を下ろした俺にビールの方を差し出した。

 彼の中性的で細い手首。産毛の生えた皮膚の奥、橈骨動脈のうねりを感じ、空腹の俺は頭がガンガンするほど欲求の昂まりを覚える。

「わー!良い飲みっぷり。喉乾いてたんですか?」

 ああ、こんな冷えたビールなんかより、温かなお前の血を飲み干したい。

 一気に空にした缶を片手で易々と握り潰し、部屋の片隅の屑籠にシュート。一発でイン。伴は嬉しそうな声を上げて拍手。

「で…何の用事だったんだ?」

 これは釣り文句。俺は自分の隣に来いとばかりベッドを叩く。俺の獲物は警戒もなく小ぶりのワインの瓶を持って、俺の右側に静かに並んで座る。

「僕は大学のサークルと課題で、洲竹さんもバイトが忙しくて、なかなか一緒に遊べないでしょ?ちょうど今日は休みだって聞いたから、これはもうチャンスだ!今しかない!…て思って」

 ということは、バイト先から直行して来たということか。手を出すと俺が疑われるだろう。すぐに足がつくのは賢くない。それなら。

「…そんなに俺に会いたかったのか…?」

「え、ええ…まあ」

 肩に腕を回す。抵抗も、嫌悪して見せる素振りもない。ここまで信頼されきっているのは久方ぶりの幸運だ。

 催眠にかけ、骨抜きにしてやろう。毎日自ら進んで血液を寄進する魂の奴隷にしてくれる。

「悩みか?それなら相談に乗ってやるぜ…?」

 俺は酔ったふりで伴の体をさらに引き寄せる。半分俺にもたれかかる姿勢になった相手はワインのせいか、首元から上がほんのり桜色に染まっている。

「相談に…そうですね…僕の悩みを聞いてくれたら…」

「普段から他のバイトに怖がられてる俺を、入ったばかりの頃から慕ってくれてるのはお前だけだ。可愛い後輩の悩みならなんだって力になってやる」

 いいのか?こんな簡単に獲物にありついて。

 俺は内心の歓喜を押し隠しながら、顔を相手に寄せた。うなじ後毛おくれげから健康で若い、かんばしいホルモンたっぷりの血液の気配が香ってくる。

 人間の血液は俺のかて。それも若ければ若いほど、健やかであればあるだけ滋養じようとなる。

 たいようを嫌う一族。人をして吸血鬼ヴァンピーロと呼ばしめた存在───その末裔なのだ。

 今、この大学生は何も知らない内に自分を捕食する相手の、吸血鬼のこの俺様の懐に飛び込んで来てしまったのだ。無事に帰すつもり?さらさらない。見逃す義理?そんなもの犬にでも喰われちまえ。

「あっ…息が…洲竹さん…」

「親密な仲になりてえんなら、苗字で呼ぶのはやめろよ…?」

 テノールが小さく細く、「みの…実、さん…」と呟く。もう俺様の術中だ。優しくベッドの真ん中に押し倒し、より良い吸血ポイントを露わにするため相手のパーカーに探りを入れた。

「んぎゃがぁぁっ⁉︎」

 悲鳴を上げたのは獲物の人間ではない。吸血鬼の俺の方。

 喩えれば焚火の中で真っ赤に焼けた石を、それと知らずに全力で握り込んでしまった激痛。

 慌てて服から手を引き抜く。掌が焼け爛れてしまっている。

「お、お前⁉︎その服の下に何を」

「どうかしましたか…?」

 どうかしたどころではない。さらに激しく脳天まで突き上げ続けるような痛み。俺はもんどり打ってベッドから転げ落ちた。

「え⁉︎実さん、もしかして僕のペンダントが刺さりましたか?大変、手当てしなきゃ───」

 そこで何を思ったか(単純に部屋が暗いからだろうが)伴は窓際に走ると勢いよくカーテンを引き開ける。

「───は…」

 俺は床の上に四角く輝きを作る太陽光を全身に浴びた。

「〻℃∞◇★◎♬∞♀∃∬‼︎」

「えっ⁉︎あれ⁉︎実さん⁉︎」

 咄嗟の防衛本能で床の上を転がり、そのまま脱兎の如くユニットバスに駆け込む俺。しゅうしゅうと音を立てて焼け焦げる皮膚のBGM。シャワーのコックをひねると冷たい水が呪わしい太陽の光を流してくれた。───たった数秒間の出来事。だが、それが俺には数十分の拷問のように感じられた。

「大丈夫ですか‼︎実さん⁉︎」

「な、なんでもない…平気だ!それより入ってくるな!」

 下着の上下がびちょびちょだ。壁に貼ってある鏡には俺の姿は映らないが…きっと火傷だらけになった俺様の顔面は、声を出すだけでもビリビリと痛んだ。

 それよりも。嗚呼、糞。それよりもだ!

「すみません…実さん、もしかして…」

 乱れた呼吸を整える。これは、バレたか…

 か。また土地を移らなければならないのか。名前を変え、役所の住民課の職員を催眠にかけ、苦労の末にやっと手に入れたねぐらだったのに。

 太陽に焼かれた体の表面はあっという間に治癒する。俺は力が抜けてバスタブの底にへたり込んだ。残ったのは己のしくじりへの憤りと、油断への後悔だけ…

「もしかしてアレルギー体質だったんですか?」

「…へ?」

「いや、あの、僕知ってます。ていうか心配だったんです。実さん夕勤か夜勤しか入れないでしょ?調べたんです、そしたら日光を浴びると命に関わる事になるアレルギーがあるって出てきたんです。…金属にもアレルギーがあるなんて知りませんでしたけど…」

 ドアが恐る恐る開く音がした。ニュッと突き出した指先に、大きなロザリオ型のペンダントトップががっている。そういえば大学がそっち系だったか…

 俺は心底安堵した。何度も大丈夫かと尋ねる相手の声が遠くなる。勘が鈍いというか唯物主義ここに極まれりというか…とにかく当面は助かった…

 一時間後。

「とんでもねえトコを見せちまったな」

 まだ短い頭髪から雫を垂らしながら、俺は腰巻きタオル姿で椅子に腰掛けていた。伴は首を振って笑い、乱れたベッドを丁寧に直している。

「今日はとりあえずこれで帰りますね。今度は実さんが休みの夜に会いましょう!店長にシフトずらせるか頼んでみます」

「ああ。助かる…」

 本心だ。もう今日はこれ以上何もできない。相手を催眠にかけるにも体力が必要なのだ。

 次の機会があるのなら、おあずけもしょうがあるまい…

 玄関に送り出しながら、俺はふと尋ねる。

「ところで本当の用事は何だったんだ?」

「ああ───」

 伴は照れ臭そうに鼻の頭を掻きながら言った。

「実さん、外国語に堪能って聞いたから。第二言語のドイツ語で僕ちょっと苦労してて…」

「何だ、そんなことか。…それならリモートでも良かったんじゃないか?」

「む。それじゃあ味気ないでしょ!」

「味気ない?どこがだ?」

「だから、それは、僕の方が───」

 伴は苛々いらいらと言い淀んでズボンの尻で手を拭き、もう片方の手は無意識なのだろう、服の下に忍ばせたペンダントを握りしめた。

「───まあ良いじゃないですか。とにかく少しずつです。これから一緒にたくさんおうち時間を過ごして、仲良くなって…それから話します!」

 それは願ったり叶ったりだ。

 俺はアパートの階段を降りる伴の足音が消えるまで待ち、タオルを投げ捨てて裸になるとベッドに大の字に寝転んだ。

「ったく、とんでもねえ一日だったぜ!」

 まだ日が高い。今夜のシフトまで眠りにつくには充分だ。

「次の機会には…今度こそあいつの血を一滴残らず…」

 体を修復した疲労が満ち潮のように俺の意識を浸し、闇の一族特有の銀色の夢の中へと落ちていくのを感じる。

 そう、ここは俺の牙城。あいつは、それと知らずに捕食者の巣に片足を突っ込んだ哀れな獲物。

 まだまだ時間はあるのだ。

 血と阿鼻叫喚に彩られた、吸血鬼にふさわしい「おうち時間」というやつが…

 

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吸血鬼がおうち時間を過ごそうとしたら勘違いで大変な事になりそうです 鱗青 @ringsei

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