STAY・HOME~陰の者の優雅な朝~

於田縫紀

私の時代がやってきた

 朝風呂タイム開始。浴槽に足を踏み入れた瞬間は少し熱く感じるが、身体をお湯に入れ切って少し待てばちょうどいい温度。


 浴槽の両脇に肘をついて、両足を浴槽のふちへ上げ、身体をやや寝せて肩まで湯に沈ませる。髪は一応タオルで巻き巻きしてあるけれど濡らさないように注意。濡らすと乾かすのが面倒だから。


 以前なら今頃は満員電車。靴の底面積全てとつり革を握る右手で頑張っている時間。ただ体力的に耐えるだけではない。身長低めの私まで回ってくる空気は高山並みに薄くその癖生温くて気持ち悪いのだ。このストレスが体型維持に役立っているんだ。そう自分に言い訳して毎日誤魔化していた。


 でも今はもう自分を騙さなくてもいい。うーん、足を上に伸ばす。カモミールの精油を数滴垂らした風呂は電車とは全く違う爽やかさ。ややぬるめのお湯の感触も含めてもう極楽気分。


 スマホを手に取る。お風呂で使うつもりだったからカメラ2カ所にシールを貼ってある。水で剥がれないよな、そこを少し気にしつつネットサーフィン。ついでに動画サイトからお気に入りの音楽を拾って流せばなおいい感じ。


 以前のままでも早起きすればこうやって朝を優雅に過ごせたかな。そう思うけれど実際に出来るかと言うときっと出来ない。早起きなんで無謀だ。身体が社畜リズムに完全に染まっている。最低限の支度時間を残してあとは睡眠時間にあてるという効率的なスケジュール。お仕事で疲れるから仕方ない。


 そのせいで今も以前と同じ時間に起きてしまう。結果、時間がかなり余る。だから朝風呂を思いついた。ずっと憧れていたのだ。そんな訳で私の今の日課となってしまった朝風呂。控えめに言ってもう最高。


 お湯につかったままスマホで小説を1本読んで、湯がぬるくなったなとふと気づく。スマホの時間表示で見ると1時間経過。指を見るとふやけている。


 そろそろ出ないと。そう思うが身体が風呂からあがりたがらない。時間もまだ余裕がある。手を伸ばして差し湯スイッチON。まだまだ粘るぞ。


 更にスマホでネット小説を読んで時間経過。流石に時間もあるしふらふらにもなったしで諦めて浴槽から出る。でも上がる前にと洗面器と洗顔フォームのチューブを近くに引き寄せる。顔くらいは洗わないと。身体は洗う体力が残っていないので省略。


 顔を洗った後、一応念入りに流して名残惜しいが浴槽を出る。浴槽の蓋を外して、身体をざっとタオルで拭いて浴室の外へ。どうせこの部屋は私独り。見られるなんて事は気にしないでいい。パソコンのカメラも使う時以外はシールを貼ってある。


 服を着てささっとメイクして、気が付くと10時5分前。慌ててパソコンを起動し、カメラに貼ったシールをはがす。ブラウザのお気に入りから会社の仕事用を引っ張り出す。パソコンの時計は9時58分。よし、間に合った。


「おはようございます」

 支給品のヘッドセットをつけて画面に挨拶。


「おはよう。どうしたの、最近顔赤いけれど風邪?」

 まさか2時間風呂に入っていたとは言えない。


「いえ、ちょっと暖房を強くし過ぎたみたいです」

 そんな言い訳をしながら心の中で舌をぺろりと出す。


 世間は相変わらずコロナで大変だ。新型が発見された、感染者は今日何人だ、飲食業や観光業は真っ青だ。確かに皆さん大変らしい。私の会社だって利益は前年同月比で3割減と聞いた。

 だから不謹慎だと言われるかもしれない。でも私自身としてはこう思わずにいられない。ステイホーム、最高! 在宅勤務最高!


 大学時代も、場合によっては高校時代もコロナが流行ってこうなっていれば良かったのに。私は本気でそう思っている。勿論口には出さないけれど。不謹慎だと攻撃されそうだから。


 高校までの学校なんて所詮パリピの楽園。私みたいな引っ込み事案には地獄だ。話し掛けられるとそれだけで戸惑う。どう返答すればいいかと考えていくうちに人は離れていく。挙句の果てには仲間外れだのいじめだの。もう勘弁して欲しい。結局高校は中退して高認試験受けて大学入った。


 大学は理系だったせいか女子が少なくて楽だった。会話したくなければそれで済む。でも時にはサークル勧誘でなれなれしいのとか、学際サークルとやらの変なのにつきまとわれたりとかはした。だからお前らに全く興味はないんだ、勝手に好きな場所でパーリーピーポーやってろ! 


 社会人になって大分ましになった。分野の関係か私と同じ年度に同じ職種で採用されたのは理系男子しかいない。奴らは会話したくない時には放っておいてくれる。理系とヲタクは陰キャに優しい。


 ただ庶務とか経理とかには事務員採用の女子がいる。こいつらが煩い。やれ誰君はどうだの今度合コンやるだの。お前らは年中発情期か! 頭が常春の国〇〇〇〇か!


 しかしいわゆるコロナが流行って世界は一変した。外出は悪、密集は悪。そんな時代に。パリピ文化は滅び、宴会だの合コンだのは全滅。


 家から出なくてもいい。仕事以外の会話も付き合いもしなくてもいい。まさに私にとっては最高の環境だ。おお、ビバコロナ! そう言ったら被害者と称する皆さんにぬっ殺されそう。だけど本気で私はそう思っている。


 そう、いよいよ私の時代が来たのだ。これを機に陽キャとかパリピは滅んでしまえ。密してコロナに感染して。不謹慎だと言わないでくれ。これまで散々虐げられた恨みつらみという奴だ。


 ニューノーマルとか恰好いい言葉はいらない。でもこのまま今の生活様式が続いて欲しい。それが偽らざる私の本音だ。そんな私は珍獣なのだろうか。それとも同志が結構いるのだろうか。


「秋吉さん、何かいい事あったの?」

 画面の向こうで上司がそんな事を言う。


「えっ、何でしょうか」

「今、鼻歌が出ていたよ。マイクが拾ってる」

 OH! なってこったい。でもかまわない。聞かれたところで奴らは画面の向こうだ。問題ない。

 でも悔しいからひとつ指摘しておこう。


「鈴木リーダーこそ画面隅で猫さんが主張してますよ」

「えっ」

 彼が振り返る。

『おーい、里美、タマゴローちょっと向こうの部屋へ頼む』


 他の皆さんの失笑がイヤホンから小さく聞こえる。でも嫌な笑い方ではない。合コンとかで自分がモテる為に誰かをくさした時のような嫌な感じとは全く違う。


 うん。悪くない。おうち時間最高!

 そう思いながら私は自分の当座の案件を片づけ始める……

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