ぷうぷう
白里りこ
雨の日の朝のこと
今日という日に限って珍しくも豪雨が降るものだから、屋外ライブは中止になってしまった。一ヶ月間、この日のために練習してきたのに、残念なことだ。
私は他の部員に連絡を回すために電話をすると、自室に戻った。部屋の隅で不満そうに佇んでいる楽器ケースを見下ろす。
これは学校から借り受けているトランペットだ。本当は今日、太陽の元で輝くはずだった、バンドの花形の楽器。
まあ、こんな天気なら仕方ないけど。不可抗力だ。本番ならまだ他にもたくさんあるし、今日の予定が潰れたからってどうということはない。だが、高校生時代の貴重な一日が潰れてしまったと考えると惜しい気がした。
私はおもむろに楽器ケースを開けた。銀色をした安物の喇叭が顔を出す。
……やるか、音出し。
マウスピースのみを取り出して、唇に当ててぷかぷか鳴らした。それから楽器本体を取り付けて、ぱーっと音を出した。
ぱーりらるらるらら。ぱりらるらるりら。
「うるさいよ、
弟が隣の部屋から壁を蹴ってきた。
「朝から大きな音出さないでよー」
「むう」
私は膨れっ面をすると、楽器からマウスピースだけを取り出して、またぷかぷかやった。マウスピースだけで吹くのをバズィングといって、音色はその名の通りハエの羽ばたきみたいな音になるのだが、音量はぐっと抑えられる。
ぷかぷかぷか。ぷううう。
この音量なら、おうちでの練習には相応しい。それに、マウスピースだけで如何に正確に音を出すかが、上達の要なのである。
ぷっぷくぷー。
窓の外では暴風雨が荒れ狂い、街路樹のパームツリーがブンブンと頭を回している。風でどこぞの看板でも飛ばされてきそうな勢いだ。雨の音もひっきりなしに聞こえてきて、私のバズィングを邪魔しにくる。
ぷうっぷくぷううう!
私が負けじとマウスピースを吹き鳴らすと、また隣の部屋の壁が蹴られた。
「うるさーい!」
「うるさいのはそっちでしょ! あんたも少しは練習したらどうなの!」
弟は私と同じ高校のバンドで打楽器をやっている。今日の本番がなくなって、彼は不貞腐れているのだ。
「してるよ!」
「いっつも足でドンドコやってるだけじゃないの!」
ドン! ドン! ドン!
弟はふざけているのか何なのか、ドラムを鳴らすみたいにして壁を蹴り始めた。私は負けじと、弟のリズムに合わせてバズィングだけでマーチを奏でた。
ドン! ドン! ドン! ドン!
ぷくぷ、ぷくぷ、ぷくぷ、ぷくぷ!
ドッカン! ドッカン! ドッカン! ドッカン!
ぷうぷう、ぷうぷう、ぷうぷう、ぷうぷ!
「あんたら、いい加減にして朝ご飯を食べなさい!」
お母さんがリビングルームから怒鳴った。
「
弟はまるで駄々っ子のように、壁をひとしきりドカドカ蹴っ飛ばしてから、急に大人しくなった。私もめちゃくちゃに音階を奏でてから、トランペットを片付けた。
それから鼻歌混じりにダイニングに向かった。
「ふんふんふん」
暴風雨の休日の朝、せっかくの本番はなくなってしまったけれど、今のはなかなか悪くないセッションだったのではなかろうか? たまには家でふざけてみるのも楽しいものだ。
今日も騒がしい一日になりそうだな、と思いながら、私は棚からベーグルを取り出した。
ぷうぷう 白里りこ @Tomaten
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