想い旅行
添野いのち
思い出計画
「・・・暇だな。」
深夜3時、静かな部屋の中。今日の分の宿題を早々に片付けた僕は、ベッドに横になっていた。しかし全く眠くない。ここ最近は溜まっていた宿題を一気に片付けようとして、朝6時まで宿題、7時就寝、昼1時起床という医者が聞いたら呆れそうな生活をしていた。そのせいで生活リズムが完全にイカれてしまったらしい。
僕はムクっと起き上がり、ベッド横にあるデスクと向かい合った。デスクの棚には旅行関係の雑誌が並び、デスクの上には自分で作った旅行の計画書がずらっと並べられている。今ここにある計画書は全て、高校の休校期間中に作り上げたものだ。
感染症流行の影響で高校が休校になってから2ヶ月。旅行好きな僕は、家で旅行の雑誌を読み漁り、計画書を練りまくって暇な時間を潰していた。楽しいことには違いないのだが、やはり実際に旅行に行っている時の楽しさには到底及ばない。練り上げた計画書の数はもう両手では数えられなくなった。この全ての旅行に行こうと思うと、一体何ヶ月、いや何年かかるのだろうか。そう思うと気が遠くなる。だから最近は、ほとんど計画を練ることはしなくなった。しかし棚に並ぶ雑誌も、休校期間中に全て読み終えてしまった。2、3周読んだものも多くある。“暇”なのはそのためだった。
1つ大きなため息をついて、僕はキッチンに向かった。湯を沸かし、戸棚から茶葉を取り出し、ポットに茶葉とお湯を入れ、蓋をして自分の部屋に運ぶ。最近の深夜のルーティーン、それは紅茶を飲むことだ。普段なら朝、高校に行く前に飲むことが多いが、最近は深夜、宿題を片付けるときの眠気覚ましとして飲むことが多かった。まあ、今日は眠気さましではなく暇潰しに飲むのだが。
蒸らし終わった紅茶をカップに注ぎ、ベランダのドアを開けて外に出た。少し肌寒い空気が僕の体を包んだ。
深夜、さらに外出自粛が呼びかけられているときである。街中に人などいるはずがない。遠くの方の大通りからトラックらしき車の音が微かに聞こえてくるだけで、大通りの手前にある駅周辺の繁華街からも、音は聞こえてこない。街の光もほとんど消えていた。ああ、本当に人はいないんだなと思ったその時、70メートルほど先のマンションのベランダに人影が見えた。あの部屋は、もしかして!
僕は部屋に駆け込み、スマホを手に取った。ちょうどその時、スマホに着信があった。
〈着信
どうやら恋花も、僕に気づいていたらしい。通話のボタンを押し、再びベランダに出た。
「もしもし」
「もしもし、
可愛い声がスマホを通して聞こえてきた。久しぶりに聞いた。というのも、休校期間に入ってから毎日、恋花と2、3時間電話で駄弁っていた僕らだったのだが、勉強の時間を潰して駄弁る時間を入れてしまったので宿題が溜まりに溜まって、2週間ほど前ついに母親に叱られてしまったのだ。恋花にそれを言ったところ、恋花も宿題を溜め込んでいたらしく、僕とほぼ同じタイミングで母親に叱られていたそうだ。恋花は成績優秀なので、聞いた時は本当にびっくりした。僕らは宿題が片付くまでは電話をしない、という約束を結び、宿題の片付けに力を入れることにしたのだった。
「電話をかけてきたってことは、恋花は宿題片付いたのか?」
「うん、ついさっき全部片付け終えたから電話したの。元弥くんは?」
「こっちはあらかた片付けたって感じだ。後は毎日ちょっとずつやれば大丈夫そうな量だから、そろそろ電話しようかと思ってたとこ。」
「なら良かった。元弥くんのことだから本気出しすぎて、3日徹夜した末に1週間寝込んで『ほとんど出来てない』とか言うと思ってたよ。」
可愛い声なのに、言ってる内容がおかしい。〈3日徹夜して1週間寝込む〉なんて発想どうしたら思いつけるのだろうか。でも、徹夜や夜更かしで体を壊しがちな僕からしたら普通なのかもしれないが。こうして僕をからかってくれるところも、いつもの恋花らしくて落ち着いた。僕は紅茶を飲み、ふぅ、と1つため息をついてから言った。
「そういえば、恋花は休校期間中、何をして過ごしてるの?」
「うーん、大体の時間はゲームしてるけど、それ以外は・・・フラワーアート、とかかな。」
「フラワーアート?」
「うん、暇だから何か楽しいことないかってお母さんに訊いたら勧められてね。それからハマっちゃって。私の名前“恋花”だからさ、それをイメージしてるとどんどんアイデアが出てくるんだよね。元弥くんは何してるの?」
「旅行が好きだから旅行雑誌読んだり、旅行の計画立てたりして過ごしてた。」
「あー、元弥くん旅行好きだもんね。去年の冬休み、徹夜の後に旅行に行ったら帰ってきた後で倒れて、始業式来れなかったんだっけ。」
出たな、恋花節。
「・・・僕としては掘り返して欲しくない思い出。」
「へへっ、ごめんごめん。」
「けど、旅行の計画立てれば立てるほど行きたい旅行が増えるからさ、これ全部行くのかって思うと気が遠くなって。だから最近はやってないんだよね。」
「計画は立てられるけど、実際には今は行けないもんね。」
「そういうこと。」
「今どれくらい計画立てたの?」
「もう両手では数えられない。」
「そんなに⁉︎確かに、休みの間に行こうと思っても数年はかかるね。それだけ、元弥くんが倒れる回数も増えるってことだしね。」
また出た。
「一言余計だ。」
「はい、ごめんなさい。」
「素直でよろしい。つーことで、暇を潰す方法を別で考えたいんだけど、中々思いつかなくて困ってるってわけ。」
「ふーん。」
ここで紅茶を一口、口に流した。体全体にスッと澄み渡っていく感じがした。
「計画した旅行に行ってるところを想像して楽しんだりはしないの?」
「やってみたんだけど、何て言うか、どうしても本当の旅行の楽しさには叶わないんだよね。全身で周りの環境を感じてこそ旅行って勝手に思っちゃってるから。」
「そりゃ困ったね。」
その後、スマホから音が聞こえなくなった。恋花も一緒に考えてくれているのだろうか。代わりに、右の方にある線路から音が聞こえてきた。まだ空は薄明るいので、貨物列車が来たのかと思っていたが違った。来たのは電車だった。確か旅行雑誌で1回見たことがあるような・・・。あっ、思い出した。
「寝台特急。」
「うん、何て言った?」
どうやらスマホを耳に当てたままつぶやいてしまったらしい。
「ああ、今横の線路を通った電車のこと。旅行雑誌で見たことがあったから。寝台特急って言って、一晩かけてお客さんを目的地に運ぶ電車。」
「え、そんな電車あるんだ。寝泊まりできるってことだよね。」
「そう言うこと。」
「へぇ、なんか乗ってみたくなっちゃった。あの電車。あっ、そうだ!」
恋花は何か思いついた様子で、声を張って言った。
「元弥くん、2人で旅行行かない?寝台特急に乗ってさ。」
「え?それは、もちろん、良いよ。」
ちょっと慌ててしまった。
「あ、計画は元弥くんが立ててね。計画立てるのは元弥くん慣れてそうだし。」
「お、おう。任せとけ。でも僕、今まで1人旅行の計画しか立てたこと無いんだけど。」
僕が計画する旅行は、1人、つまり自分だけの、日帰りの旅行ばかりだった。2人で1泊以上する旅行の計画は立てたことが無いので、一抹の不安が残っていた。
「えっ、そうなの?意外。家族との旅行とかの計画も立ててるのかと思った。」
「家族の旅行は大体父さんが計画立ててくれるからな。」
「じゃあ、休校期間中に立てた計画も全部・・・」
「お察しの通りだよ。1人旅行ばっかり。」
「でも、旅行の計画なんか立てたことない私よりは絶対いい計画立てられるって。そうだ、これから休校期間が終わるまでは、私と2人で行く旅行の計画立ててみるのはどう?2人の旅行の計画は1つも無いんでしょ?」
「そりゃそうだけど・・・また計画立てすぎて、やめちゃいそうな気がする。恋花との旅行は楽しそうだけど、あまり立てすぎるとほら、全部行くのに何年もかかりそうだし。」
「え?何年かかってもいいじゃん。だってさ・・・」
恋花は少し間を置いてから、こう続けた。
「私たち・・・ずっと一緒でしょ?」
(・・・!)
思わず顔が赤くなった。慌てて紅茶を飲んだが、少し冷めた紅茶よりも僕の体の方がずっと熱かった。
僕はハッとした。僕は心のどこかで恐れていたのかもしれない。恋花との関係が変わったり、終わってしまうことを。
恋花はさらに続けた。
「だからさ、気が遠くなるくらいいっぱい作ってよ。私たちの、思い出の計画書。」
「うん、分かった。ありがとう、そして、ごめんなさい。」
「えっと・・・どう言う意味?」
「ありがとうは、僕の休校期間中の趣味を作ってくれたことに対しての感謝。ごめんなさいは、僕が勘違いしてたことに対しての謝罪。心のどこかで、恋花は本当は僕のこと好きじゃ無いのかな、もしそうだったらどうしようって思ってたから。」
「ちょっと、何その勘違い。そんなわけないじゃん。そんな心配をしないといけない時なんて、来ないって私は思ってるのに。」
「そうだよな。本当にごめん。」
「いいよ。」
「じゃあ、今から立ててみようかな、まずは寝台特急に乗る旅行から!」
「ぶっ通しでやって、倒れないようにね。」
「ご忠告どうも。」
「じゃ、私はそろそろ寝ようかな。じゃあね。」
「うん、おやすみ。」
そこで電話は切れた。部屋に戻った僕は、計画書が並べられたデスクに向かい合った。ルーズリーフとペンを取り、計画を立て始めた。
今までで一番楽しい〈おうち時間〉を過ごせた。
想い旅行 添野いのち @mokkun-t
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