これから

 夏の暑い日だった。

 今、絃羽いとは美紀子みきこさんは役場に行っていて、俺はその帰りを悶々と待っているのだった。一緒に行くと行ったのだが、これは私がしなきゃいけない仕事だから、と絃羽に断られてしまったのだ。

 今日は、絃羽が両親の失踪を役所に届出する日。即ち、法的に絃羽の両親の死亡が確定する日なのである。

 結局、彼女の両親はあのまま見つからなかった。海外で失踪した事が理由かはわからないが、通常より少し早く裁判所により失踪の宣告がされた。裁判所によって失踪が宣告されれば、申立人(この場合は絃羽)はその失踪を役場に届出なければならないのである。

 そして、届出の手続きが終われば……絃羽の両親は、法律上死亡したものとみなされる。親族に身寄りがない彼女は、本当に独りになってしまう日でもあるのだ。

 絃羽が心中どんな気持ちか、全く察する事ができない。彼女は一体、この届出をする時にどんな気分なのだろう。手続きを終えた瞬間、どんな気持ちになるのだろう。想像もつかないだけに、胸が千切れそうになった。

 日が傾き始め、夕刻になり始めた。遅いな、と思っていた時、外で車が止まる音がした。エンジン音から、美紀子さんの車だというのはすぐにわかった。

 慌てて階段を駆け下りて、玄関で彼女を出迎える。段差が激しい階段なので転げ落ちそうになったが、何とか踏ん張った。

 しかし、玄関の引き戸を開けたのは、美紀子さん一人だけだった。


「おかえりなさい。思ったより時間かかりましたね」

「役所も慣れない仕事だからか、遅くてね。結構時間かかっちゃったのよ。まあ、帰りに絃羽がペイシアに寄りたいって言ったのもあるんだけどね」


 今日はご馳走作りたいんですって、と美紀子さんは四年前と変わらない笑みを向けた。

 ペイシアとは、地方展開している大型スーパーだ。食料品、衣料品、生活用品とすべてがワンフロアに収まっていて、地方住民にとっては必要不可欠な場所でもある。

 ペイシアは役所からそう遠くない場所にあるので、普段手に入らない食材を買いたかったのだろう。絃羽はきっと、悲しい気持ちにならない為に、美味しいものを作って皆で食べたいのだ。彼女らしい発想だった。


「それで、その絃羽は?」

「ああ、絃羽なら……あそこに寄りたいって言ってたから、置いてきちゃった。迎えに行ってあげてくれない?」

「ああ、あそこですか……了解です」


 美紀子さんのその言葉だけで、どこにいるのか察した俺は、溜め息を吐いて靴を履いた。


「鍵、持ってく? 荷物下ろさなきゃいけないけど」

「いえ、歩いて行きます。もう日差しもそんなに強くないですし。それに、車のシートが海水でびしょびしょになるかもしれませんよ?」

「それは遠慮願いたいわね」


 美紀子さんとそんな軽口を交わして、俺は桐谷家を出た。既に歩き慣れた坂を下って降りて、海岸へと向かって行く。

 こうして絃羽をあの海岸まで迎えに行くのは、随分久しぶりだな、と思う。前に行ったのは、高校の卒業式の日だった。絃羽にとってあの場所はお気に入りなようで、よく学校帰りに寄っていたのだ。

 坂を下って海岸沿いを歩くと、すぐに岬が見えてきた。〝旅立ちの岬〟だ。


       *


 海岸の岬に、一人の女の子が両腕を翼の様に広げて立っていた。白いドレス風のワンピースを身に纏っている、白銀の髪を持つ女の子だ。

 長い銀髪が夏の潮風に流され、夕陽がその髪を幻想的に照らしていた。彼女の銀髪は恐ろしい程白い服が似合う。まるで白い天使でも舞い降りてきたかのように、神々しくなるのだ。


 ──まるでデジャブだな。


 俺は心の中でそんな事を考えながら、岬へと歩を進めた。

 聞き慣れた夏の海の音が心を落ち着けてくれて、嗅ぎ慣れたはずの潮の香りも、今日はやけに心地良かった。

 岬に着き、危険防止の柵の手前に立ってみたが、彼女は変わらず、翼のように腕を広げたままだった。


 ──久しぶりに見るな、絃羽がこうしてるの。


 彼女と再会したあの日の夕方。俺が〝正解にしたかった夏〟が始まりを告げた、あの瞬間と同じ光景だった。

 しかし、彼女の背中からあの日のような寂寥感は感じない。それはきっと、左手の薬指に光る指輪の御蔭だろうか。


 ──全く、反則だよな。


 その光景を見て、俺は心の中で愚痴った。

 目の前に五年前ぶりに再会した子がいて、その子はとても綺麗になっていて。でも、とても寂しそうで、守ってあげたくなった。そして、目の前で海に飛び込まれ、自分も飛び込む──そんな劇的な経験を経て、恋に落ちないわけがないのだ。

 そんな女の子に恋をしてしまったなら、自分の人生を賭してでも救いたい、何とかしたいと思ってしまう。もうこれは男としての宿命だ。そして、その宿命を全うすべく、俺は今ここに立っているのである。


「……立ち入り禁止って書いてあるけど、読めなかったのか? 絃羽」


 あの日と同じ高さの柵をひょいと乗り越え、あの日と同じ言葉を敢えて掛けてみた。

 絃羽は振り向いて、くすっと可愛らしい笑みを見せた。

 とても綺麗で可愛らしい笑顔。俺の一番大好きな笑顔だ。この四年間で何度も見てきた笑顔なのに、その光景と相まってドキッとしてしまう。


「……悠真さんも、柵越えちゃってるよ?」 


 彼女は悪戯な笑みを作って、あの日と同じセリフを返してきた。

 全く、色々不安になってくるから、あまり再現するのはやめてほしい。この年になって岬から飛び込みたくはない。


「また空を飛びたくなったのか?」

「飛ばないよ」


 絃羽はくすくす笑って、岬の先から柵まで戻ってきた。そして、腕を翼に見立てて広げる代わりに、俺の首根っこに腕を回して、ぎゅっと抱き付いてくる。


「だって……私が居たい場所は、ここだから」


 その言葉に応える様に、彼女の背中に腕を回して、抱き寄せた。俺の大好きな匂いと大好きな感触だ。


「……大丈夫か?」

「うん。もう慣れちゃった」


 そんなわけはない、とは思う。

 今まで、確かに両親は失踪していて、居なかった。しかし、法的に死者として扱うのは、実質的に死亡宣告も同じだ。ただ居ないというのと、死者として扱われるのでは、意味合いが全く異なる。


「確かに失踪の届出はしちゃったけど、死んだって明確に決まったわけじゃないから。実際にはどこかで生きていて、ただどうしても連絡が取れないだけかもしれないし、それでもし二人が生きていてくれるなら……それでいいかなって」


 きっと、それが絃羽の見つけた自分との折り合い。この日の為に、用意してきた心構えなのだろう。彼女がそう決めたなら、俺はその意志に従うまでだ。


「それにね……」


 絃羽は俺の首から腕を解いて、少しだけ後ろに下がって隙間を作った。


「私はもう、独りじゃないから」


 言いながら、左手に光る薬指を嬉しそうに見せて、撫でて見せる。

 そう……この日に備えて、俺達は事前に婚約をしていた。二人でずっと一緒に居る為に、俺達は本当の意味で家族になるのだ。


「ああ。一生懸けて、お前を幸せにするよ。それが俺の人生の……〝正解〟だから」


 俺も左手の指輪を彼女に見せてそう言うと、絃羽が少し首を傾けて、微笑んだ。その拍子で、浅葱色の瞳から涙が零れ落ちた。


「もう幸せだから、〝正解〟だと思うよ?」

「もっと、だよ」


 左手を頬に沿えて、指で涙を拭ってそう答えた。

 絃羽はその左手を右手で優しく包み込み、愛情に満ちた笑みを浮かべて、俺を見つめた。


「じゃあ、私も悠真さんを幸せにしなきゃ」

「それなら、絃羽は既に〝正解〟かな」

「ううん……二人とも、〝正解〟だよ」


 照れた笑みを交わして、俺達は互いに顔を近づけて行く。

 瞳を閉じる寸前──絃羽の後で、二羽の海鳥が互いを支え合うようにして飛んでいた。その海鳥は風に乗って、高度を上げて空へと舞って行く。

 どこまでもどこまでも、高く。それはまるで、俺達の想いを乗せて、空へと羽ばたいているようだった。


(了)

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5年ぶりに再会した銀髪の女子高生が崖下の海に飛び降りました。どうやらこの夏は人生の転機になりそうです。 九条蓮@㊗️再重版㊗️書籍発売中📖 @kujyo_writer

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