練習
平 遊
第1話 練習
「あの・・・、さ。」
バレンタインも近くなってきた冬の寒い日。
隣を歩く先輩が、ちょっと口ごもりながら、こう切り出した。
見たい映画がある、と誘われての、先輩とのお出かけ。
全部奢ってくれるって言うのだから、断る理由は何も無い。
それに、先輩が観たいと言う映画は、大抵私の観たい映画。
・・・先輩と私の趣味は、時々驚いてしまうほどに、恐ろしく合致する。
「なに?」
「えっと・・・もうすぐ、バレンタインだね。」
別に、忘れていた訳じゃない。
町を歩けば、この時期はどこだって、バレンタインの文字がそこここに溢れかえっているのだから。
イヤでも、意識させられる。
「うん。」
「・・・誰かに、あげるの?」
「何を?」
「何をって、チョコだよ。」
「誰が?」
「誰って・・・俺は今、キミと話してるんだけど。」
「そんなの分かってるけど。」
私たちの会話は、大抵いつもこんな感じ。
ちょっとだけ頼りない先輩と、姉御肌だと言われる私の組み合わせじゃ、仕方ないのかもしれない。
それでも、高校の時は確かにちゃんと”先輩”に見えたのに、年を取ると、2歳くらいの違いなんて、全く差にはならないらしい。
高校で、たまたま同じ委員会に入って先輩と出会って。
高校卒業後も、たまたま同じ大学の同じ学部で同じサークルに所属して、先輩が大学を卒業するころにはすっかり、こんな感じになってしまっていた。
先輩は、一足先に社会人になっていて、今もちゃんとスーツなんか着ちゃっているけど、中身は全然変わってない。
頼りないというか、抜けているというか。
・・・押しが弱い、というか・・・。
「チョコあげるくらい好きな人がいるんなら、私の性格からして、今頃猛烈にアタックしてると思わない?少なくとも、今こうして先輩と一緒に出かけてるなんてことは、無いと思うな~。」
「・・・だよな。」
頭に手をあてて、先輩は苦笑い。
先輩のクセのひとつ。
苦笑するときは、いつも右手で頭を触ってる。
大学の時には、しょっちゅうこの仕草を目にしていた。
こんなに頼りないのに、サークルのリーダーなんてやってたから、困ることには事欠かなかったらしい。
ただ、不思議な事に、サークルのメンバーからの信頼は絶大で、先輩が困っている時には、必ず誰かしら助っ人を買って出ていた。
・・・かく言う私も、しかり。
きっと、放って置けないタイプなんだと思う。
ほんと、得な人だ。
「・・・じゃあ、さ。」
キタ。
と、思った。
去年も確か、このパターン。
『じゃあ、俺にくれよ。義理チョコでいいから、さ。』
男って、何て単純なんだろうと思う。
先輩は、本命チョコはいざ知らず、サークルの女子から、食べきれないくらいのチョコを毎年貰っているのに。
食べきれないからって、コッソリ私にくれたりするくらい。
なのに、男同士で競ったりして、さ。
義理のチョコの数競って、何がそんなに楽しいの?
と思いつつも、私もあげてしまうんだけれども。
毎年、先輩に義理チョコを。
「なに?」
どうせまた、義理チョコのおねだりだろう。
そう思っていた私は、次の先輩の言葉に、耳を疑った。
「・・・練習、させてくれない、かな?」
「練習?」
「うん・・・逆チョコ、の。」
一瞬、空白の時間が流れたような気がした。
目の前の先輩と私のいる空間だけが、真っ白い空間に放り込まれてしまったかのように。
「ダメ、かな?」
先輩の言葉に、やっと我に返る。
右手を頭に当てて、少し困ったような顔で私を見ている先輩に、私はつい言っていた。
「ううん、いいよ。なってあげる、練習台に。」
胸がドキドキしていた。
先輩と別れて部屋に帰ってからも、先輩の事が頭から離れない。
こんな事は、初めてだった。
(・・・先輩、好きな人、いるんだ・・・)
ドキドキし過ぎて痛いのか、それとも別の理由があるのか。
胸が痛くて、たまらなかった。
(逆チョコあげたいくらい、好きなんだ・・・)
拳で強く、胸を抑える。
別の理由があるのか、なんて。
とっくに気づいていた。
だけど、今さら気づきたくなんて、なかった。
「先輩の、バカ。」
小さく、口に出してみる。
でも、分かってる。
バカは、私だ。
「・・・好きでした。」
「何で過去形なのよ?」
「あ、そっか。」
たはは、と苦笑を浮かべる先輩。
右手は、いつものように、頭へ。
その手を取って、下ろさせながら、私は先輩の指導をする。
告白の仕方の、指導。
バレンタイン間近の、先輩の逆チョコの練習台。
こうなったらもう、やるしかない。
「はい、もう一回。」
「好きです。」
「ちょっと待って。いつから好きなの?」
「ん~・・・もう、結構前、だなぁ。」
胸に突き刺さる痛みを無視して、先輩へのアドバイス。
「じゃあ、”ずっと前から好きです”の方が、いいんじゃない?」
「そうだな。」
「うん。はい、じゃあもう一回。」
「・・・ほんと、変わらないなぁキミは。サークルの時と同じで、相変わらずキビシイ・・・」
「・・・文句があるなら、もうやめるけど?」
「いえ、お願いします!」
おどけて笑って見せたあと、先輩は表情を引き締めて、私と向かい合う。
練習台の、私と。
「ずっと前から、好きです。」
(どんな人なんだろうな。先輩の好きな人。)
先輩の目をまっすぐに見ながらも、心は遠くへ飛んでいた。
(こんな風に言われる人は、どんな人なんだろう、な・・・)
「なぁ。」
「・・・えっ?」
「こんな感じで、いいかな?」
「・・・うん、先輩にしては、上出来。」
「なんだよ、それ。」
拗ねた子供のように、先輩は口を尖らせる。
年には合わないその仕草も、先輩には全く違和感がない。
本当に、子供みたいに頼りない。
頼りなくて、放って置けない。
私はもっと、頼りがいがあって、包容力のある、大人の男性が好きなのに。
・・・好きなはずだったのに。
「なんだろうね・・・、ほんとに」
「は?」
「いえ、こっちの話です。」
「おい・・・・」
「はい、じゃあ練習続けるよ?で、続きは?」
「え?」
「え?って・・・ちょっと、”好き”って言って、それで終わり?それじゃ、言われた方は困っちゃうよ?」
「あ・・・そっか・・・そうだよな。どうしようか?」
「って、私に聞くなっ!」
「・・・だよなぁ・・・あはは。」
右手を頭に当てて。
先輩の、困ったような、笑顔。
(あと何回、見られるのかな・・・そのクセ。)
締め付けられるような胸の痛みを振り払い、私は少し乱暴に、先輩の腕を下ろさせた。
「ちゃんと自分で考えて。はい、続き、いってみよー!」
(上手くいったかな・・・)
2月14日。バレンタイン、当日。
運悪く、というか。ちょうど、というか。
今年のバレンタインは、日曜日。
先輩が告白する相手が誰なのか、最後まで聞けずじまいだったけど、きっと同じ会社の人なんだろうと思う。
大学のサークル仲間には、思い当たる人はいないし。高校の同級生の話も、聞いたことないし。
(ちゃんと、呼び出せたかな・・・)
『呼び出す場所も大事だよ?』
そう、アドバイスはしておいた。
景色の綺麗な場所とか。
夜だったら、夜景の綺麗な場所とか。
・・・何か思い出のある場所だったら、その場所でもいい。
私のアドバイスを、先輩は真剣な顔で聞いていたっけ。
手渡す逆チョコだけは自分で選ぶから、と言って別れたのは昨日の夕方。
『上手くいくといいね。』
の言葉は、心からの言葉ではあったけど・・・半分は嘘だった。
半分は、上手くいかないといい、って、心のどこかで思ってた。
バレンタインなんてくだらないって、捻くれた子供だった私は、高校までずっとそう思っていたのに。
お菓子会社に踊らされてるだけじゃんっ、って。
高校で先輩に出会って、初めて渡したバレンタイン・チョコは、本当は、義理チョコなんかじゃなかったはず。
いつもいつも、気づくとお互いの誕生日やらクリスマスやら、先輩と一緒に過ごしていたのは、『仕方なく』なんかじゃなくて、一緒に居たかったからだ。
特別な記念日には、先輩と。
・・・誘ってくれていたのは、いつも先輩の方だったけれど。
それが、当たり前のようになっていて、これから先もずっと続くのだと、思いこんでいた。
つい、この間まで。
目の前のテーブルには、つい買ってしまったチョコレートの箱。
自分用に、と言い訳しながら、奮発して買った高級チョコ。
だけど、綺麗に施されたラッピングをほどく気には、まだならなかった。
(・・・どうなったかな・・・)
ふと、テーブルの上に置いたままのスマホに目をやった瞬間、コールの着信音が鳴りだした。
液晶画面に出ていたのは、先輩の名前。
(・・・・報告、かな?)
もうそろそろ、日も暮れる頃。
確かに、結果が分かってもいい時間かもしれない。
(報告なんて、今日じゃなくてもいいのに。変なところ律儀なんだから。)
毎年、渡した義理チョコの倍はするだろうと思うお返しをくれていた事を思い出し、ちょっとだけ心が解けた気がする。
(上手く言ってたら、ちゃんとおめでとう言わなくちゃね。)
そう思いながら、私はスマホを手に取った。
「もしもし?」
『あぁ、俺。』
「うん。今日どうだっ・・・」
『今から出てきてもらえないかな?』
先輩が、私の言葉に、私だけじゃなく、誰かの言葉に被せるように喋るのは、珍しい。
どちらかと言えば、のんびり屋さんの先輩は、必ず相手の話が終わってから、話しを始めるのに。
「・・うん、大丈夫。」
『良かった・・・じゃ、いつものとこで待ってる。』
「分かった。」
電話を切って、思わず首を傾げる。
たった今、電話で話していたのは、本当に先輩だったのだろうか。
(恋をして、変わった?・・・なんて、ね。)
誰もいない部屋の中で、小さく肩を竦め、私は手早くコートを羽織る。
出がけに、目にとまったのは、テーブルの上に置いたままの、チョコレートの包み。
迷ったあげくに、包みをバックの中に入れ、私は急いで部屋を出た。
「先輩!」
「よぉ、悪いな。」
いつもの待ち合わせ場所に、先輩は1人で立っていた。
もしかしたら、先輩の逆チョコ作戦が上手くいって、彼女と一緒にいたりして。
なんて事を考えてもいた私は、正直胸をなで下ろしたい気持ちだった。
今はまだ、先輩の彼女には、会いたくない。
どんな顔をして会えばいいか、分からないから。
「じゃ、行こうか。」
「え?行くって・・・どこへ?」
「ん?・・・あっち。」
「あっち、って?」
「行けば分かる。」
そう言って、先輩は歩き出す。
訳が分からずに、私は先輩の後を追った。
その背中が、何故だかいつもよりも頼もしく見えて、今更ながらにキュンとしてしまう。
思えば、私が先輩の後を追うのは、もうかなり久しぶりかもしれない。
まだ、先輩が”先輩”であった、高校生の時以来。
当時、高校3年生だった先輩の背中は、高校1年生だった私には、頼もしく、また眩しく見えたものだ。
たいした会話もなく、先輩の少し後ろを歩いている内に、周りの景色に懐かしさを感じ始めて、私は気づいた。
「この道・・・」
「うん。覚えてる?」
「・・・うん。」
それは、高校までの通学路。
気づけば、私たちは、母校にもうすぐの場所まで来ていた。
「思い出の場所、だよなぁ・・・。」
「・・・うん。」
門の閉じられた高校の前に、2人並んで立ち止まる。
高校までの通学路は、学校の無い日には人通りはほとんど無い。
「・・・ちゃんと分かってる?何の思い出の場所か。」
「え?」
隣を見れば、少し斜め上に見える先輩の顔は、まだまっすぐ校舎を見たまま。
「ここで、俺はキミと出会った。俺にとってここは、キミと出会った思い出の場所なんだよ。」
私の視界で、先輩がゆっくり私へと顔を向ける。
「呼び出す場所は、思い出のある場所でもいいんだよね?」
「・・・え・・・?」
とまどう私の前に、先輩は小さな包みを差し出した。
「ずっと前から、好きです。これからもずっと、俺の隣にいてください。」
少し言葉は違うけど、ここ数日、何回も聞いたフレーズ。
「・・・ダメ、かな?」
固まる私に、先輩は顔を曇らせている。
でも、なかなか言葉が出てこない。
やっとの思いで私が口にした言葉は-
「・・・これ・・・練習?」
「んなわけ、ないだろ。」
口をとがらす先輩に、思わず苦笑してしまう。
「・・・だよね・・・あはは。」
笑いながら、ハッとした。
自分の右手の位置に。
先輩と、同じクセ。
私の右手は、頭を触っていた。
と、その右手が、先輩の手に捕まれ、ゆっくり下ろされる。
「これは、本番だよ。もう一度、最初から言おうか?」
「・・・うん。」
私の正面に立ち、僅かに間を置いて、先輩が口を開く。
「俺は、ずっと前から、キミの事が好きだった。これからもずっと、俺の隣にいて欲しい。」
「・・・隣にいるだけでいいの?」
「・・・こんな時にまでダメだしするなよ。」
「だって。」
「あーもぅっ!俺の彼女になってください!」
「うん。」
そっと、先輩の手から包みを受け取る。
「・・・はぁーっ、練習した甲斐あったなぁ・・・」
ホッとしたように笑う先輩の、空になった手に、私はバックの中から包みを取りだし、押しつけた。
「ん?」
「チョコ。」
「・・・義理?」
「まさか。本命。」
「・・・サンキュ。」
先輩の、満面の笑み。
そう言えば、毎年チョコを渡すたびに、こんな笑顔を見せてくれていたっけ。
(・・・先輩、毎年本気で喜んでいてくれたんだね。)
バレンタインの、お菓子会社の策略も、捨てたもんじゃない。
先輩の笑顔を見ながら、今年初めて、私は本気でそう思っていた。
「先輩のクセがうつっちゃった。」
「え?」
「困った時に、右手で頭を触るクセ。」
バレンタイン後も、特には大きく変わる事の無い、先輩と私の関係。
「違うよ。それは、俺がキミの真似をしてる内に、俺もクセになっちゃったんだよ。」
「えっ?!」
「知らなかったの?」
お互いの、ホワイトデーのお返しを買う為の、今日はショッピングデート。
「・・・知らなかった・・・。」
「おいおい、どこまで鈍感なんだよ・・・」
バレンタイン以降、私は何度も先輩から”鈍感”呼ばわりされている。
・・・仕方ないとは思いつつ、あまり気分がいいものでは、無い。
実は先輩は、私が気づくよりもずっと前に、私の気持ちに気づいていたんだとか。
でも、当の私は、超の付くほど鈍感だから、どうしたものかと考えあぐね。
それで思いついたのが、あの”バレンタイン・練習作戦”。
思えば、私が先輩と同じ大学に行ったのも、同じサークルに入ったのも。
・・・コッソリ、先輩と同じ会社への就職活動を始めていたのも。
たまたま、じゃなくて、全部自分で決めた事。
・・・多少、先輩からの誘導が、無かった訳ではないけれども、ね。
「な、今度あの映画観に行こう。」
「あ、あれ私も観たかったんだ!」
「・・・知ってるよ、この間言ってたじゃん。観たいって。」
「・・・え?言ってたっけ?」
「・・・はぁ・・・。」
先輩と私の、驚く程の趣味の合致も、蓋を開けてみれば、こんな理由だったらしい。
びっくりするくらいに、先輩は私の言葉を拾って覚えていて、いつも私を誘ってくれていたんだ。
「鈍感なだけじゃなくて、記憶も・・・鈍い・・・」
「・・・何か?」
「いいえ、何も。」
「まぁ、そんなとこも・・・可愛いんだけどね。」
「でしょー?」
「あばたも何とやら、かな?」
ははは、と笑いながら、先輩は右手で頭を触る。
(これらもずっと、先輩のそのクセ、見ていられるんだね・・・。)
満たされた思いが全てちゃんと先輩に伝わるよう、私はそっと、先輩を抱きしめた。
ハッピー・バレンタイン。
素敵な、お菓子会社の策略に、大感謝!
練習 平 遊 @taira_yuu
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