3

「…なあ、今日も外の世界のこと教えてくれよ」

イオの肩に頭を預けたまま、わたしは木の葉の向こうにある青い空を見上げて、呟くように言った。

――ヒナは本当に外の世界が好きだね。

静かに話すイオも、一緒の空を見ているような気がした。

「いろんな命が生きている様子を見るのは楽しいよ。それに」

ゆるい風が吹いて、お母さまの囁きがあたりに響く。

「おまえの見てる世界を知れるのが嬉しいんだ」

わたしたちには役割があって、イオにはイオの、わたしにはわたしの役割がある。イオがわたしの役割を代われないように、わたしがイオの役割を代わってやることはできない。でも、寄り添ってやれるのはわたしだけだという自負はある。同じとき、同じ母のもと、ひとつの同じ花から生まれた、たったふたりぼっちだから。

――…ヒナ。

イオは、自分の意思では体のほとんどを動かすことができない。でもわたしには、彼がいまわたしに手を差しのべているのがわかった。わたしはゆっくりと、でも躊躇わず、彼の力が入らない手を掬いあげ、しっかりと握った。


次の瞬間、世界が粉々に砕けた。空も、森も、大地も。まるで、全てがガラス細工でできていたものだったように。でも音はしない。私たちの足元から、弾けるように割れて、砕けて、消えていく。

砕けた世界のその向こうは、深い闇。でも、明かりはひとつもないのに、わたしとイオの姿ははっきりと見える。ゆっくりと、わたしたちは闇に沈んでいく。

力なく握られていたイオの手が、わたしの手をしっかりと握り返してきた。手の主を見ると、彼もまた、その大きな灰色の瞳でわたしを見つめていた。ここは彼の夢の中。この世界で、彼は限りなく自由だ。


「今日はどこに行くんだ?」

わくわくする気持ちを抑えずにわたしは問うた。でもイオは答えず、代わりにどこか辛そうな表情を浮かべ、わたしから目を逸らす。繋がっている彼の手に、さらに力が入った。

「イオ?」

彼の名を呼んだのと同時に、彼の目線の先に、何かが現れ、一気に闇の世界を追い払う。それは、果てしなく続く荒れた大地。命の気配がかけらもしないその場所に、白くて強大な何かと、黒くて強大な何かがいた。それらは、ぶつかり、弾けて、またぶつかり。強大な力がぶつかり合う余波で、世界は更に荒廃していく。

「これは…?」

初めてのことに、わたしはただきょとんと見つめることしかできずにいた。

「この世界のはじまりだよ」

イオの声が、頭の中ではなく、耳に直接届いた。

「神と呼ばれる、ふたつの強大な存在が、この世界の覇権を巡って戦っていたんだ」

ぶつかり続けていた白と黒は、やがてぶつかった拍子に、お互いそのまま砕け散った。砕け散った白は空となり、黒は海となって、あれた大地だけだった何もない世界がふたつに割れた。

「神の亡骸が、この世界を作ったってこと?」

「うん、それともうひとつ」

イオが指差すその先では、海の中から大地が徐々に隆起してきた。それは海のあちこちでおこり、海を割いて大地が生まれ出てくる。

「白と黒の狭間で、新しい存在が生まれたんだ」

生まれでた大地は空から雨を吸い込み、大地に水を蓄え、どんどん緑に染まり豊かになっていく。蓄えられた水は大地を巡って海へ流れ込み、その海をよく見るとその中にも緑があり、植物以外の小さな命が芽生え始めていた。

「新しい存在はこの世界に恵みをもたらし、数多の命が生まれたんだ」

生まれた命たちが、世界にさまざまな色をつけていく。

「綺麗だな…」

世界の営みを見つめて、わたしは心からそう思った。


「でも、醜いものもたくさんある」

イオはぽつりと呟いた。

空と海には、さきほどの神とはまた違う、白い何かと黒い何かがいくつか現れた。それは少しずつ数を増し、世界のあちこちでたびたびぶつかり始めた。そしてその衝撃が、大地にも傷を与え、形を変えさせてしまった。

また、白と黒のぶつかり合いは、大地に芽生えた色とりどりの命たちも徐々に巻き込みはじめた。はじめは、大地の命の中にも白派と黒派ができ、分かれて、互いに睨みあうようになっていた。だが気がつけば、白だとか黒だとか、関係のない場所でも争いが起きていた。

ある時は隣り合う種族の間で、またある時は同じ種族、民族の中で。欲望、嫉妬、憎悪。はじまりは些細なことでも、争えば争うほど負の感情は重なり続け、簡単に大きく膨れ上がっていく。強姦、略奪、虐殺。暗い感情に支配された者がする行為は、同じ命が行うとは思えないほど無慈悲で、目を覆いたくなるほど残酷だ。

「何故これを?」

わたしの頬を、自然と涙が伝う。

「…ごめん。でも、知っておいて欲しかったんだ」

イオは世界を見つめたまま言う。わたしはそんなイオの方に目をやった。その横顔は悲しくて、とても辛そうだった。

ああ、そうか。彼が見ていたのはこんな世界だったんだ。わたしにはいつも、綺麗な部分だけを見せてくれてたんだ。

「…わたしこそごめん」

わたしはもう一度、醜い世界に視線を戻した。頬を伝う涙は止まらない。止めなくていいと思うから。そして拭うこともしない。だって、この涙は間違ってはいない。でも、わたしは世界から目を離さない。

「醜いからこそ、美しい世界が尊くなるんだな」

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むげん物語 梛月るな @Non507

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