第76話 エピローグ(3)旅の終わりに【完結】

 バンケットルームに並んだ色とりどりの料理とドリンクに、ボールルームの前には五十名からなるオーケストラ。

 蝋燭の灯で全体が真昼のように輝くガラス張りのドーム型の天井。


 ……どこが『ささやか』なんだ……。


 とツッコミを入れたくなるくらい、シンクレア辺境伯家のパーティールームは豪華で、おもてなしも超一流だった。


「イブニングドレスなんて久し振りだわ」


 旅の間はラフな服装が多かったから、コルセットの締め付けさえ懐かしい。


「よくお似合いですよ」


 ドレス姿のお嬢様に「こうでなくては」とエリックは誇らしげだ。うちのお嬢様は、どこから見ても完璧な淑女だ。

 異国の民族衣装や普段着も良かったが、やはり自国の正装が一番似合う。

 この三年間一緒に旅をしてきたが、エリックは従者のままだし、フルールも彼の主のままだ。彼らの主従関係は一生変わらない。


「何か飲み物をお持ちしましょうか?」


「ええ、お願い」


 ビバレッジブースに向かうエリックを見送って、フルールは一息つこうとイートインスペースに向か──


「フルール嬢、私と一曲」


 ──う前に呼び止められた。

 シンクレア辺境伯の夜会には、地方の有力貴族がこぞって出席している。未婚の公爵令嬢が壁の花になる余裕などない。


「ええ、よろこ……」


 フルールは愛想笑いで紳士の手を取ろうとして……。


「……え?」


 視界の端を通り過ぎた黒い背中に硬直した。


「フルール嬢?」


 訝しむ紳士にごめんなさいと言い残し、フルールは駆け出した。


 ……まさか、まさか!


 心臓が破裂しそうな勢いで脈打ち、息が苦しくなる。華やかな紳士淑女の波を掻き分け、フルールは必死で彼を追いかける。

 もうあの背中は見えない。もしかしたら、見間違いだったのかも……。

 絶望に足を止めた彼女の腕が、不意に引かれた。

 弾かれたように振り向いたフルールの瞳に映ったのは……。


「ユージーン様……!」


 背の高い、同期生の彼だ。

 一分の隙もない夜会服の彼は、愉快そうに目を細めた。


「誰かをお捜しですか?」


「……どうして?」


 フルールの声が震える。


 ──お節介な元担任が、元生徒に使節団の帰国の日程を漏らしていたことは、今はどうでもいい。


「待つなと言われたから、迎えに来たよ」


 夢を叶えて帰ってくる想い人を。

 ユージーンは恭しくお辞儀をし、フルールに手を差し伸べた。


「私と踊っていただけますか? フルール嬢」


 それから悪戯っぽくウインクして、


「憐れな一人身男にお慈悲を」


 フルールは零れる涙をそのままに、とびきりの笑顔でユージーンの手を取った。


「奇遇ですね、わたくしも一人身ですの!」

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婚約破棄されたら、多方面から溺愛されていたことを知りました 灯倉日鈴 @nenenerin

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