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和泉眞弓

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 生まれる赤んぼうの数が、ここのところ増えてきている。


 国民全員に支給されたウエアラブル端末<organ>の影響は免れないだろう。背水の陣であり、失敗できない国策だった。国民皆保険制度の後釜として、ベーシックインカム及び保険医療を受ける権利に紐づけられた、生体一人一人の継時データを収集する精密機器<organ>。得られたデータはオンタイムでビッグデータシステム<しんせ>に送り込まれていく。<organ>は腕時計型、ペンダント型、キーホルダー型、スマートフォン一体型、お守り型などがあり、個人の好みにより携行しやすい形状を選ぶことができる。データを提供できない時間が一定以上続くと、<organ>から警告が発せられる。なおもデータが送られない時間が続くと、ベーシックインカムの振込が延期される、保険医療が受けられない、一部死亡保険の支払い条件を満たさなくなる、など、大きな影響がある。

 諸々の権利の放棄と引き換えにではあるが、<organ>の携行を拒否することもできた。実際には、限られた富裕層が個人情報保護の自由を表現するものとして、あるいは納めた税金の大部分がベーシックインカムに流れていくことに対する抗議として、あるいは単純に素行を隠すために、携行を拒否するにとどまっていた。

 いまや<organ>を携行する国民は9割を超えていた。情報漏洩などの心配されたアクシデントは単発的限定的には見られたが、総じてビッグデータから得られる益のほうがはるかに大きかった。データの海の中から偶々相関が認められたものが、新薬や新治療法の端緒となる。<organ>に蓄積された生活情報と生体反応情報を、個々人の遺伝子にあるゲノム情報とかけあわせれば、来たる病を高確率で予知することができる。<organ>が個人に警告を発して予防につとめることもでき、遺伝子にアプローチできる治療技術も信頼に足るものとなってきた。先天性の疾患を持って生まれた子どもの多くが、ゲノム編集や幹細胞を用いた再生医療で、ほぼ大多数と変わらない生活を送ることができるようになっていた。昔は不治の病と言われ告知を避けられる大病であったガンも、ガン細胞のみを狙って死滅させる技術が普及し、ほぼ100%治癒が可能な病気となった。


 サトミが腕を出して話しかける。

「organ、いつもの薬、出してもらえる?」

『分析中……問題ありません。処方箋をサクラ薬局に送ります。毎日あと1000歩、歩くようにしたら、血管寿命が10年延び、高脂血症の薬が1錠いらなくなるでしょう』

「もう、わかってるってば。うるさいなあ」美しく整えられたネイルでサトミは腕時計型の<organ>を弾いた。

 <organ>は得られたデータを送るだけでなく、データをもとにした生活上のアドバイスも行い、簡単なかかりつけ医の役割も果たす。変わりがなければ、常用している薬の処方箋を出すこともできる。急変があれば、自動で救急車を呼ぶこともできる。

 サトミは一度、声の調子で<organ>にうつ病を示唆されたことがある。まさかと思ったが、サトミの母親が感情の波の振れ幅が大きい人で、体質を受け継いでいる可能性があったことから、<organ>から<しんせ>にアクセスしてもらい、遺伝情報と生活情報をかけあわせてその可能性を問うた。<organ>の回答は、『うつ病の可能性が90%です。精神科医から直接処方を受けてください。仕事は3ヶ月ほど休み、療養につとめてください。療養については、追ってわたくしがガイドします』というものだった。


 病の早期発見や予防、原因の根治すら可能となった時代、医師と医療機関の役割も変わった。生身の人間である医師は基本、新たな疾患の初診と、身体管理の必要な検査や治療を取り扱う。そして、もう一つ、この時代ならではの新たな役割が医師に与えられつつあった。


 うつ病の危機を<organ>で最短の療養と最小限の服薬で乗り切ったサトミは、今、迷っている。

 <organ>が助言するところによると、サトミの生体は、この2年間が最も健康な子どもを授かる率の高い、繁殖適齢期なのだそうである。<organ>の指導で不妊治療の成功率は上がっていた。体外授精の技術も、遺伝子上の疾患の可能性を極力減じた胚ができるようになり、着床率も高くなった。ヒトが生殖可能な年齢も少しずつ上がってきていた。生殖におけるモラトリアム期間を一昔前よりも長く持てるようになり、安心しきっていたところに、予想外の<organ>の助言だった。いまが、生みどき——パートナーがおらず、子どもを持つ考えのなかったサトミにとって、それは思いがけず別の可能性を検討するきっかけとなった。

 ベーシックインカムの普及により、ひとり親であっても子どもを持てば、二人分合わせてそれなりに食べていくことはでき、仕事はそれ以上の収入や生きがいを望む者がする、というのがこの時代における一般的な姿であった。妊娠するのは相変わらず女性だが、精子バンクから種を選ぶこともでき、一夜の関係で望んだ男の子どもを持つこともできた。望まない妊娠はアフターピルでほぼ防ぐことができ、<organ>により暴行者は特定され、厳罰に処された。ひとり親で育ててもいいし、両親が一緒に育てても構わない。そうなってはじめて、出生率がやっと微増に転じたのだ。


 サトミは、子を持つことを検討するにあたり、大きな医療機関に最近出始めた「未来デザイン科」と標榜された科を訪ねた。


「こんにちは」

 スマートな医師が清潔感のある佇まいで出迎える。白衣を着る必要は全くないが、ユニフォームが白いのは古くからの伝統だろう。

 サトミは口を開く。

「あの……子どもを持とうかと考えているんですが、今後わたしに起こるリスクについて、知っておきたいんです」

 医師は不快感のない笑みで返す。

「最近、同じような若い女性の受診が増えているんですよ。確率の高いリスクについて知った上で選択したい、そういったニーズが高まっています。ビッグデータの蓄積と<organ>の賜物です」

 医師は手元のマークシートをサトミに手渡す。

「それでは、知りたいデータについて、こちらの問診票にチェックをお願いします。ご存知と思いますが、知らない権利というのもありますので、チェックのつかなかった項目はお知らせしません。保険がきくのは初回のみ、項目3つが上限で、それ以降は項目が1つ増えるごとに150万円の自己負担となります」

 サトミは、金額の高さに一瞬迷ったが、稼げばよいと思い直し、2項目追加した5項目をチェックした。

 遺伝情報を確実にリーディングするため、毛髪、血液、口腔内の粘膜などを提供する。


 1週間後、ビッグデータ<しんせ>から得た情報を、医師が来談者用に翻訳したレポートが届いた。

 ◼︎寿命について

 事故や天災を除き、これまでの生活を続けた場合のあなたの寿命は87歳前後と推測される。但し、今よりも不健康な生活もしくは高ストレス状況に置かれた場合、最大67歳まで短縮される。これまで以上に健康的な生活を送った場合は、96歳まで延命が可能である。

 ◼︎かかる可能性の高い疾病について

 うつ病の再発 45歳前後に80%

 脳梗塞・心筋梗塞 60歳以降に75%

 子宮頸がん 50歳前後に60%

 ◼︎子どもに起こる疾病等の可能性について

 近視 80%

 気分障害 50%

 ADHD 25%

 ◼︎遺伝上理想的な、子どものもう一方の親

 9263A518V2470

 8642M4544Q6361

 7520K8952X0341

 ◼︎自然妊娠可能年齢の上限

 45歳


 予想したものと、おおむね差はなかった——がっかりもしたが、見方によれば幸せなことかもしれない、サトミはそう思い直した。

 送られてきたレポートを持って、再びサトミは「未来デザイン科」の外来を訪ねる。


「ストレスがかかって67歳まで縮む、ってことは、今、27歳だから、今作って産んでおけば、どんな苦労をしても39歳までは面倒みてあげられる、ということですか」

 サトミの問いに医師が答える。

「まあ、最大限まで寿命の縮んだ人は、普通に医療を受けている限り、あまり見かけなくなりましたが、理論上はそうなります」

 サトミは前のめりになった。

「わかりました。私、生みます。これから、おすすめされた相手を『マッチングorgan』で探して種をもらうことにします。お互い気に入れば一緒に暮らします」

「……うまくいく例ばかりではないですが、予測されるハードルが少なそうで、良かったです」医師の目元が心なしか優しい。サトミも、決意し終えてほっとしたのか、少し饒舌になった。

「あの、いわゆる、『予測されるハードルの多い方』は、どうするのですか」

「ゲノム編集等で対応可能なものは、希望があればご本人や子どもに施術を行い、ハードルを取り除きます。だから、<しんせ>の翻訳は医師が行なっているのです」

「ついでに、前から不思議に思っていたんですけど……科の名前が、『未来デザイン科』なのは、どうしてですか」

「知った上で、手を加えたいところにだけアクセスする。何もしないことを選択する方もいます。だからこそ、『治療』ではなく、『デザイン』なのです。我々は、皆さんがする人生のデザインを、医療を通じて、お手伝いするだけです」


「マッチングorgan」が、レポートにあった識別番号の該当者を探し出す。

 指定の場所で待ち合わせをすると、現れたのは25歳の男性、シュウだった。精子をもらうだけだが、かりにも交接をするならば、できれば年齢が近い方が良いと思っていた。体臭も気にならない。相性のいい証拠だ。サトミは胸を撫で下ろした。

 外見で断られることはまずなかったサトミは、積極的にシュウへのアプローチを試みる。横ならびで座り、美しい脚をチラリと見せ、タッチングを自然に増やしてゆく。こんな時代でも、人間が動物である限り、この種の攻略法は効果がある、はずだった。

 だが、接近すればするほど、シュウの様子がおかしい。脂汗を垂らし、身体を引いて本気でうろたえている。計算外だった。サトミが「シュウ君、どうしたの」と腿に手を置いた瞬間、「ぼ、ボク、生身の人、ダメっぽいんです。た、種がほしいだけなら、後日精子バンクに登録しますから、そ、そ、そこからもらって下さい!」と走り去ってしまった。

 2番目の人は、配偶者を持って既に子どもを育てており、養育費請求の可能性が少しでもあるなら拗らせたくないと、会う前から遠慮された。

 残る3番目の人は、キミコという女性だった。年齢は一回り上だが星座と血液型が一緒で、話してみるとライフスタイル、金銭感覚、味覚や音楽の好み、インテリアや食器のテイストに至るまで、まるで貝合わせのようにぴったりと合致していた。

 子を成せなくても、キミコとなら、一緒に住んだらきっと楽しい。キミコもまた同じ意見で、二人はほどなく一緒に住んだ。自然の経過として、二人はできれば互いの子を持ちたいと願うようになった。

 値段は高くつくが、卵子どうしで胚をつくる二母性の子どもも、少数だが生まれ始めていた。子どもの性は女の子のみになるが、それはかまわなかった。二人はそれぞれなけなしの貯金を注ぎ込んで数度にわたり生殖医療に臨んだが、命がおりてきてくれることはなかった。

 そうするうちにキミコは繁殖期間を過ぎた。「ええよ。サトミの子なら。わたし、一緒に育てたいよ」そう言ってくれるパートナーを得られたことは、幸福に違いない——サトミは素直にそう思った。


 サトミはシュウに連絡を取ってみた。シュウは対人恐怖が高じて、家から出ることなくベーシックインカム一人分の所得でつましく暮らしていた。<organ>に『このままでは人と会う不快がどんどん増します。現実の人と会う機会を作りましょう』とすすめられる以外、不自由はしていないという。

 サトミは自分の<organ>に訊ねた。

「シュウは子どもをつくる以前のハードルが高いみたい。どうしたらいい?」

『分析中……シュウとお友達になるには、オンラインにおける定時的な挨拶からがいいでしょう』

 サトミそして時々キミコはそれから、端末上のシュウに、軽い挨拶から交流を始めた。そのうち——シュウにとっては単なる同席ではあったが——オンラインで一緒に3人でお茶ができるほどに関係が変わってきた。

 ある日、サトミは一対一のとき画面上のシュウに訊ねた。「あのね、バンクにあるシュウの種のことだけど……つかっても、いいかな?」

 シュウは顔を赤らめながら返答する。「ちちち直接、会えるようにな、な、なったら、その時、返答したい」

 シュウはそう言ったものの、一向に直接会えるようにはならなかった。

 サトミに勧められ、オンライン診療で、シュウは未来デザイン科の扉を叩いた。

「こんにちは。よく訪ねてくださいました」

 相変わらず感じの良い医師が画面上で微笑む。

「ボク、あ、あの、ひ人と会うのが苦手で、でででもどうしても直接会った方がいいと思う、ひひ人がいて」

「<organ>の生体反応が、今話してくださっていることが嘘ではないと教えてくれています。保険内で<しんせ>から応援を得ることができます。使いますか?」

「はははい」

「<しんせ>によると、あなたが人と会う生き方を選択するならば、あなたのもつ刺激への過敏性と、人からどうみられるかという不安に基づく自己検閲の強固さを少し和らげる必要があるようです。少量の薬剤が効くでしょう。いくつかのゲノム上のスイッチを調整するとより効果的です。副反応として、芸術的なスピリットは降りてきにくくなるかもしれません。周りが真空になったように感じたり、あっという間に時間が飛んでいくような集中が普通だったかもしれませんが、調整後は自然にいくつかのチャンネルから刺激が入って来るようになり、そのような集中にはなりにくくなると思います。かわりに不快なく刺激を受け取れるあなたとなるでしょう。どうしますか?」

 シュウは迷った様子を見せたが、やがて毅然として答えた。

「おおお願いします。あああ新しい、新しい風を、ボクは見たい。ぼぼボクが父になる未来をみみみ見てみたい。ぼボクの子を生んでくくくれる人がいるならば、ボクは精一杯その人にここ応えたい」

「それは、あなたがそのお相手と性的な交渉ができるようになることもまた、視野に入っていますか」

「はは、は、はい。もしも、その人がそれを望むなら、そ、それが一番自然かと」

「その方が望むかどうかはまた別問題ですが、人と直接接触するのに必要な——こう言うと語弊があるかもしれませんが——鈍さを、獲得する意思がおありなのですね?」

 シュウは、再び息を吸って答えた。

「は、はい。ボクが、違う景色を、見てみたい。それを、選択した、ということです」

「わかりました。それでは契約書に電磁的捺印をお願いします。後日、病院まで来ていただきます。迎えは無人のAI搭載車が行いますので、ご心配なく」

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