Spanish Blue

鹿島 茜

写真の功罪

 断捨離、二日目。早くも空に夕暮れが迫ってきて、アパートの窓から西日が差し込むのを感じる。冬だというのにジリジリと暑く、厳しい西日だった。フリースを脱ぎ捨てて長袖Tシャツ一枚になって、右側に置いてある小さめの段ボール箱に手をかけた。


 開いてみると、中には無造作に突っ込まれた写真のかたまり。私は「しまった、写真ときたか」と大きな声を出した。デジカメやスマホが普及した今、若い人たちはこんなにたくさん写真を持ってはいないだろうなと思い、自嘲気味に微笑んでひとつかみ取り出してみる。一番上のスナップは、高校生でアメリカにホームステイしたときのものだった。写真の中の私はひどく歯並びが悪く、現在の人相とはずいぶんかけ離れて見えた。この写真を撮影した一年後には、大学4年間かかって歯列矯正をしたのだった。数枚はアメリカでの写真が続いていた。


 どれを捨ててどれを保存しようかと考えるのも面倒くさい。写真は断捨離するものの中で、もっとも厄介だ。思い出がよみがえり、つい見入ってしまう。ノスタルジックな世界に浸りにくい性格の私ですら、時を忘れて眺めてしまいそうになる。ああもうやめよう、そう決めて、手にしていた写真の束を箱にバサリと戻した。手が滑って、数枚が箱の外に飛び出した。


「うわ、懐かしい……」


それは、横浜にある大きな観覧車の下で撮った写真だった。手に取って、顔を近づける。


 撮影したのは、私の兄だ。観覧車の前方にある石段らしき場所に、私と私の親友が並んで座り込み、少し疲れた顔をして笑っていた。写真に日付がないので、これが何年頃で何歳であったのか、一向に思い出せなかった。ただ、私たち二人を兄が「横浜まで観覧車に乗りに行こう」と誘ってくれたこと、当時話題だった新しい大観覧車に乗って楽しかったことが、記憶の中から引っ張り出された。観覧車が何年に出来上がったのかを調べればわかるのだが、面倒なので放っておいた。私は散らばった何枚かの写真をすべて箱に詰め、「未処理」側に避けた。


 アパートの窓からは、みなとみらいの観覧車「コスモクロック21」が小さく見える。あの写真を撮った頃に完成していたのだと思うと、自分自身の年齢を自覚せずにはいられない。恐らくあの頃、既に大学生になるかならないかの年齢だったと思う。写真に写った私と親友とはとても仲がよくて、いつも二人で遊びに行ったものだった。小学生の高学年で転校してきた私の親友になってくれた彼女。Kさん。


 私たちは今だって親友だ。私はそう思っている。年をとっても変わらない緩いつきあいができる。つきあい始めて何年になるのだろう。40年くらいは経つ気がする。正確には、だいたい37年か。今年も彼女から年賀状がきた。忙しくてこちらから出すことはできず、まだメールもしていない。返事をしておかねばと、内心で舌を出した。


 彼女はもう何年も、女性のパートナーと暮らしている。LGBTとか、同性パートナーシップとか、そんな言葉が出てくるよりも前からだ。彼女は「職場の女の子と暮らし始めたの」と言っていたが、私は特にパートナー関係だとは思わず、単なる友達同士のルームシェアかなと考えていた。数年後に何となく「ああ、パートナーだったのか」と感じ取ったことを覚えている。同時に大きなショックを受けた。


 私の初恋の人は、Kさんだったからだ。私は女性だけれど、女性を愛する人だからだ。男性のことも、愛することができる。


 Kさんのことが好きであることに気づいたのは、中学も終わりのことだったと思う。私たちはいつも仲よしだった。一度も同じクラスにはならなかったが、休み時間には廊下でお喋りしていた。交換日記もしていたし、同じアーティストを好きになり、一緒にライブへ行き、進路が分かれて高校生になっても大学生になっても、ずっと緩やかにつきあい続けていた。こんなおばさんになっても、まだ親友だ。私はずっと、彼女に恋をしていた。ほんのりとした、ほのかな、かわいらしい少女の恋心だった。


 着なくなった洋服のほとんどをゴミ袋に詰めて、使わなくなった化粧品もすべて燃えないゴミに入れていたら、大きな埃が立ってクシャミが出た。連続して三回も出た。少し寒く感じて目をあげると、すでに西日は弱くなり、遠くのコスモクロックがライトアップされているのがわかった。私は急いで脱ぎ捨てたフリースをはおった。前のファスナーまできちんと閉じてから、立ち上がって窓を大きく開ける。冬の寒い空気が入ってきて、埃だらけになった部屋の換気をしてくれる。


 Kさんのお母さんは、数年前に認知症になって特養に入ったと聞いた。私の母も同じだ。それでもKさんは実家に帰ってはいないので、やはりパートナーと暮らしているのだろう。ずいぶんと長続きしているカップルなのだなと、いつも思う。私は彼女よりも早く結婚して、早く離婚して、今も一人暮らしだ。パートナーはいない。ほしくない。


 Kさんでなければ、パートナーはほしくない。


 けれども、彼女にはパートナーがいる。私ではない女性と、長く一緒に暮らしている。その人のことは、何も知らない。名前すら知らない。Kさんは語ったことがない。


 私は一度だけ、Kさんに言った。


「あなたが初恋の人だった。もう時効だけど」


Kさんは驚いて、「知らなかったよ」と叫んだ。でも、私をそのように見たことはなかったのだろう。揺らぐ様子はまったくなかった。


 大きなクシャミが出た。いい加減、風邪をひいてしまう。私は窓を閉めて、電気をつけた。断捨離の途中で足の踏み場もない汚い部屋の真ん中で、ぼんやりとたたずんでいた。写真の入った段ボール箱に手を伸ばす。そっと開いて、一番上に置いてある、観覧車の前で撮った写真を手に取る。まだ若い私たちが、そこにはいた。私は彼女が好きだった。今でも好きだ。他の誰でもない、彼女が好きだ。好きだけれど、何かしらの欲求のない「好き」だと思う。ただ一緒にいたいだけの「好き」なのだ。


 交換日記で「いつかスペインに行きたいね」、「ガウディの教会を見たいね」、「一緒に行こうね」と書いていた。その後、Kさんは海外旅行が趣味になり、休みを取ってはパートナーと共に旅に出ている。もちろんスペインも聖家族教会も、すでに行っている。私とではなく、パートナーと二人で。私はKさんと旅行に行ったことは、ただの一度もなかった。


 ふと、部屋が無音であることが、悲しくなった。かけていた音楽が終わっていた。HomePodに声をかける。


「hey, Siri, TMネットワークの『Spanish Blue』をかけて」


 今となっては古い歌だ。スペインの街並みを歌った、少し暗い、けれども小室哲哉らしいメロディの。この歌を二人で歌いながら、スペインへ行きたいねと話したものだった。私はまだ、スペインへは行ったことがない。この先もきっと、行くことはない。


 コスモクロックがまわり、時間は進む。私たちは今だって親友だ。私たちは、今だって。


 写真を手に持ったまま、私は少し泣いた。年賀状の返事、どうしようか。メールをしようか。やめようか。「お茶でもしよう」と言おうか。やめようか。


 観覧車のライトアップが、滲んで見えなくなった。


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