第32話 悠久の時で再び出会う
パクリと大きなおにぎりを一杯に開けた口でかじりついた。神社で見た男の子、上代の巨大な龍の土地神様だった。
「これは君の仕業なのか? なぜこんなことが起る?」
「もご、もご……人がご飯を食べている。質問なんかするな」
そう言うと残ったおにぎりを頬張ってゴクンと飲み込む男の子。
「ふぅーうまい。婆の飯は旨い」
コップに注がれた井戸水を飲み干す。
「土地神様なら、なぜこんな場面を僕に見せる? 過去の世界を見せてどうするんだ」
男の子は僕を見てため息をつく。
「なぜだって? それはおまえが望んだからだ。それにこれは過去の記憶なんかじゃない。時間は複雑に動いている。過去も現在も未来も重なるなどいつものことだ」
「それじゃ、これは……爺ちゃん、婆ちゃん、この緑の風景やひだまりの匂いは本物だって言うのか?」
「ああ本物だ。でもおまえは信じてない。ならこれを食え。幻か本物か分かる。おまえなら分かる筈だ」
婆ちゃんのおにぎりを差し出す男の子。それを手に取った僕は一口食べた。
「どうだ。幻の味がするか。それか忘れたか。婆のおにぎりの味」
僕は首を振った。
「本物だよ。これは婆ちゃんのおにぎりだ。誰にもこの味はできないよ」
「そうだろう。本物だからな。クク」
男の子が笑い、爺ちゃんと婆ちゃんもつられて笑顔を見せる。古い木造の土間がある家。重い布団と緑色の蚊帳。そしてこの風。いつも僕を見ていた優しい視線。それは僕が忘れてしまって探していた、大切なものだった。
爺ちゃんが穏やかに話を続けた。
「タカが川で溺れた時に土地神様が守ってくれたんだ」
「やっぱり助けられたんだ……小川に落ちたことは本当だったんだ」
男の子が苦笑いした。
「あれはちょっとサービスが過ぎた。おかげでおまえはいらないことを親に言ってしまった」
「じゃあ、何故病院に? それでことが大きくなって両親の心配が大きくなって……ここに来ることが出来なくなった」
「タカが危険だからだ。この町は古くて変わらない。昔からあやかしは存在する。そして刹那の時間もな。土地神様に会ったタカは、あやかしに会う可能性が大きくなった。あやかしは、知られてはいけない。本当にそこに存在してはならない」
古い名前で呼ばれるこの町は、あやかしが存在し刹那の時間を生み出す。それを認識出来るようになった僕には危険なことが増える。判断を間違えると死ぬこともあり得る……でも!
「その時はこの子がいる。土地神様にまた守ってもらえば良かったんだ!」
僕の身勝手な言葉に上代の守り神はニヤリとしただけ。爺ちゃんが話を続ける。
「この町の守り神だった者は幼いおまえが解放して自由にした。巨大な龍にこの町を見守ってもらうそのお礼に、土地神様の体を町の人々で作った。それが神社に飾られた龍のご神体だ。それをこの町で一番高い場所、神代の社を収めた時に、数枚の逆鱗が落ちた。それを手に取った者は、龍がこの町を守る証として大事に保管したんだ……何百年もな。そして困ったことがあった時に、鱗をご神体に戻してお願いごとをした」
「僕が幼い時に見つけた黒い翼は……龍のご神体の鱗だったんだ」
「そうだ。タカは鱗を手にして川で溺れ、助けて欲しいと願い、それは叶えられた」
「土地神様の鱗を使ってしまったから、この子は自由になり、町を守る必要が無くなったってこと?」
僕の言葉に爺ちゃんは頷いた。
「そうだな。ただ、もう土地神様が存在する意味は無くなっていた。神が守る川も山も人間は“安全に使いやすく”変えてきた。もう土地神様に川の治水をお願いする必要はなくなった。穏やかで人工的な川にはこの子は似合わない。だから良かったんだ。最後の一枚を使ってタカが助かったことはな」
川に落ちた時に感じた感触を今また感じていた。僕は右手で自分のポケットから土地神様の鱗を取り出した。その堅い黒い鳥の翼は、ここにいる幼い男の子の龍神の逆鱗。
「爺の家に来れば刹那の時間が、あやかしが、おまえに仇をなすかもしれない。だから病院に運びお前の家とあえて疎遠になった」
爺ちゃんが僕を遠ざけたという言葉に、理由は分かったけれど頷けなかった。
「そんな……わざとやったって言うの……それで二人は……寂しく無かった? 僕はとっても寂しかった」
幼い僕を危険から守るためとはいえ、会えなくなる寂しさが募る筈。僕の疑問に爺ちゃんは笑った。
「ああ、寂しくなんかない。十分過ぎる程に、タカからはもらったからな」
僕に近づき髪を撫でる婆ちゃん。
「こうやってタカに触れて、一緒にいることが出来たからね」
「そんな……でも僕は覚えていたい、二人のことは忘れたくない」
子供の頃の懐かしい記憶は否定され、大人に都合の良い結末に変えられた。不思議なあやかしの話は無いと。そして僕の冒険も終わり、今日を生きるために大人になった。
それは僕自身を守るためだったのだろう、あやかしからではなく二人と別れる寂しさから。それが分かったのは、さっきから頬を伝わるものの感触のおかげだった。
いい大人になった今でも泣き虫な僕は、大人の男としては恥ずかしい姿を見せている。でも二人の前では気にならないし、気にする必要もないだろう。
「爺、今日はタカに逢えたし、きゃどぽんぽんじぃから、とっても良かったな」
「そうだな、婆、天気がいい日にタカに逢えて良かった」
笑顔を浮かべてくれた二人。
いつか、時間が交錯して変わらないあの町が現れる。
そこには町を守る龍が居て僕を見守る優しい視線がある。
それは幻やあやかしの類。
それでも僕はその時が訪れることを心待ちにするだろう。
あまりにも懐かしく、温かいものだから。
了
きゃどぽんぽんじぃ こうえつ @pancoo
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