ランゲルハンス島奇譚 外伝(4)(短編)「甘い夢」
乙訓書蔵 Otokuni Kakuzoh
甘い夢
階下から流れる水音に起こされる。キッチンに佇んだ先生が奏でる音だ。
今朝の卵料理は何だろう。昨日は二色の目玉焼き、一昨日はスミレガモのスクランブルエッグ……そろそろティタンマグロのオムレツの番かしら。水場に洗い物が溜まるにはまだ余裕がある。もう少しゆっくりしてようかな。この所朝が怠い。
寝返りを打ち、心地よい向きに体を整えるが窓を軽く突く白鳩の嘴に起こされる。
そうね。あなたに朝ご飯をあげなきゃ。
呑気に伸びをして上体を起こすと現実に引き戻される。一糸纏わぬ胸に咲く二つのキスマークを目の当たりにし昨夜の情事を思い出して赤面する。
師弟から夫婦になって既に七日は経つ。だけどまだ面映ゆい。
昨日はどんな顔をして先生と朝食を食べたんだっけ? どんな調子で階段を降ってご挨拶をしたんだっけ? 一日をどう過ごしたんだっけ? 記憶の糸を手繰るだけで鼓動が早まる。先生に近付いたら心臓が爆発しそう。
薄い胸の中央に咲く痣(先生が私の魂を繋ぎ止めて下さった際に出来たもの。決して消えない)を抑えていると白鳩が催促する。
ガウンを纏い種が入った巾着を取る。するとベッドサイドのスツールが目に入る。軽く畳まれたネグリジェと下着の上には一輪のピンクのアスターが乗っていた。
情事を思い出し赤面していると白鳩が鳴いた。
甘い夢色のアスター片手に階段を下ると食卓には既に温野菜サラダとクロワッサン、フルーツが乗ったヨーグルト、チーズが並び桜色の瓶がワインクーラーに刺さっていた。両眼が入ったビーカーの水も替えられている。出遅れた。きっと洗い物が山積している。
アスターをビーカーに活けると、目元の包帯を取る。水場で顔を急いで洗い、包帯を手早く巻き直すとボウルの卵を溶く先生に丁寧にお辞儀する。
「ニエ。スクランブルエッグとオムレツ、どちらがいいかね?」
昨晩の事など忘れたかのように先生は平然と問う。ドキドキしていた自分が馬鹿みたい。恥ずかしくなって途惑う。しかしもたつくと先生の作業を妨げる。現に先生の手は止まっている。声の出ない私はフライパンを揺さぶる真似をして『オムレツが食べたいです』と伝えると水場に溜まった洗い物を片付けた。
席に着き糧への祈りを捧げ朝食を始める際も先生は平然としていた。筋が張った手がナイフとフォークを動かし、淡々とそして優雅に食事する。いつも通りの、私が子供の頃から変わらない朝だ。
物思いにふけりつつクロワッサンに蜜月薔薇のジャムを塗っていると声を掛けられた。
「ロゼの泡が手に入った。モダンガアル種だ。良ければ嗜み給え」
私が大好きなお酒だ。ウィスキーやタニックなワインを好んで召し上がる先生とは違ってお酒はあまり飲めないけどこのスパークリングワインは甘くて大好きだ。春にしか出回らないのに……ディオニュソス様に分けて貰ったのかもしれない。
勧められるままにグラスに口をつけると一気に飲んでしまった。お腹と頬がきゅうと温まる。
給仕のアルレッキーノに『もう一杯呑むか?』と顔を仰がれるが首を横に振った。食後に魔術工房で先生と共に作業するかもしれない。……でも最近先生は教鞭をとって下さらない。ここの所午前中は私の魔力が枯渇して簡易魔術すら使えないからかもしれない。それに妹弟子(私にとっては母とも頼む人だけど)の高名な魔女たるキルケーと違い、破門されている。不肖の弟子は望まれない。弟子でなくともこの家に置いて下さっているのは妻として。確かに妻は大神ゼウスを支えるヘラ女神のように、妻は揺るがない座なのだろう。しかしいつまで経っても巣立たない不肖の弟子、正しい者へと嫁がなかった小娘を哀れみ側に置く建前なのかもしれない。大粒の宝石の指輪を下さっても毎晩情事を重ねてもいつもの講義や薬の調合がないととても不安になる。お情けだけ頂いても……悲しい。
眉を下げる私を案じたアルレッキーノは『そんなツラ下げるなら飲んどけ』とグラスを甘い夢色の酒で満たした。
朝食を終え、先生が書状や朝刊に目を通す間に洗い物を済ませる。そして洗濯や備品の整理に追われる遣い魔達の横を通ると先生と共に二階の自室に上がる。『お願いします』とお辞儀をして鏡台の前に座すと先生は私の髪を梳る。
子供の頃からの朝の儀礼。……ある時期は先生に結って貰えなかったけど、この儀礼が復活したのは嬉しい。ここ七日程は梳るだけだったが今日は結い上げて下さるらしい。髪の中に大きな手が潜り込む。嬉しいな。気持ちいいな。
手鏡を覗き量の多い赤毛を束ね、シニヨンを結う大きな手を見つめる。角度を変えて映る位置を上げていくが鏡の中の先生は現実同様、首で見切れてしまう。両眼がなくとも先生のお陰で物は見えるが禁忌を破った罰は未だに続いている。この世で一番見たいもの……最愛の人の顔を見られないのはとても苦しい。
「本日の予定だが」
聴き慣れたバリトンが静寂を破る。驚いて肩を跳ね上げると先生が軽く掴んでいた毛束も流れ落ち、セットはパーになってしまった。
ごめんなさい、ごめんなさい。慌てて振り向くが『気にするな』と軽く頬を突かれて戻された。
先生は髪を丁寧に纏める。
「……して、本日も座学や作業諸事は控えておこう。無理する必要はない」
弟子として望まれていない事を再確認すると胸がちりりと痛む。破門したと告げられて頭で理解しても心では噛み砕きたく無い。今までずっと先生のお側で弟子として仕えていたのだから。今日も必要ないと宣告され、お役に立つことができない。出来ても魔力の供給くらいなんて……この家に置いて頂いている意味が無い。お情けを頂いているが故にこれ以上を望んではいけないのに……どうしてこうも私は欲深いんだろう。恥じても悲しんでも欲望は尽きない。
鏡に映る眉と口角が下がり、鼻先もツンと痛む……こんな顔先生に見せられない。
「予定はあるか?」
予定なんて何も無いけど……このまま家に居るのは辛いし恥ずかしいし泣き出しかねない。軽く頷くと窓の外を指差した。
街まで来てしまった。
魔術を使おうとしたけどやはり今日も簡単な移動術でさえ発動できなかった。
先生から頂いた大切な指輪も今日は石が重く感じて着ける気にはなれなかった。
日曜なのでドラゴネットのケーキ屋は休みだ。双子のユウとリュウに会えるだろうと店の裏手の家まで足を延ばしたが留守だった。彼らは家族の時間を大切にするので休日は家に居る。しかし留守なら結婚式のケーキを搬入しているのかもしれない。『ケーキ屋としても一大イベントだもの。お祝い事なら喜んで』と職人として快諾している。島に来て数年しか経っていないのに気構えもしっかりして腕も立って人気店を切り盛りしているなんて……。何百年と弟子を続けた後に破門された私とは大違いだ。
彼らの家から踵を返すが当てがない。キルケーの屋敷へは行けない。顔を出したら察しのいい彼女は心配する。人魚が居る浜もダメだ。フォスフォロが居るかもしれない。恋仲の邪魔をしてはいけない。結婚式が行われているなら花屋のクチバシ医者も当てにならないだろう。
こんな時、アルレッキーノが側に居てくれたらいいんだけど……。彼なら朝のように元気付けてくれる。しかしクチバシ医者が島に来て以来、アルは給仕以外に彼と先生を渡す橋として仕事をしている。意地悪で優しいアルと過ごせないのは寂しい。
当てもなくフラフラ歩いていると頬に柔らかい物が当たる。摘むと白薔薇の花びらだった。風に舞っていたらしい。あとから幾つもコロコロ吹いてくる。風の方を向くと教会の周りが賑やかだ。きっと結婚式だ。ぺタルのシャワーをやっているのだろう。仕事中で話せはしないけどユウとリュウ、クチバシ医者の顔を裏から見られるかもしれない。そう思うと自然と足が向いた。
教会の門前では祝いのギャラリーが初々しい夫婦を囲んでいた。薄羽を生やしたニンフの新婦は幸福の絶頂と言わんばかりに笑み、黄金の獅子頭の新郎は照れ臭そうに笑っている。足元の石段を白薔薇のぺタルが埋め尽くし、招かれた客は皆口々に祝いの言葉や笑顔を投げていた。
お嫁さん綺麗だな。虹色の薄羽に純白のドレスがよく映える。獅子頭の新郎も普段は凛とした顔立ちだろうに今ばかりは子猫のように柔和な表情をしている。
私には……まぶしいな。
あそこに居るのが私と先生だったら。そんな事を詳細に頭の中で描きそうで怖い。先生は今だって充分に良くして下さっているのに。我が儘を考えてはならない。先生は悪魔だから教会なんて入りたくもないし、静寂を好む方なので大勢に囲まれて祝いを述べられるのも疲れてしまう。……何より結婚式は先生にとって大きな手間になる。
門の影から新郎新婦に少しだけ拍手を送ると教会の裏手に周った。
裏の通用口ではカット用の大きなケーキや数多くのバイキング用のケーキ、ドラジェ等を運ぶユウとリュウがいた。教会の隣にはパーティー会場が併設されているので、関係業者は皆教会の裏手に集まるのだ。
小さな体で懸命にバイキングのワゴンを押すユウと背の高いカット用ケーキを運ぶ長身のリュウを眺めていると会場の通用口から出てきたクチバシ医者に声を掛けられた。
「あれ? どうして此処にいるの?」
言葉に困りあちこち向いているとクチバシ医者は更に問う。
「式場の見学? あいつはどうしたの?」
更に言葉に詰まると仕立て屋の主人たる首なし騎士のデュラハンが通りかかった。
「おーいおーい、クチバシ君よ。早くペタル片付けておくれ、とな。ペタルに足を取られて腰を打ち付けた坊主が文句垂れてまーす。ってニエ嬢ちゃまじゃないですか。午後の予約はキャンセルされたと伺いましたが」
予約? キャンセル?
要領を得ない話に首を傾げているとデュラハンは抱えたヘルムの首をボールのように回転させる。
「折角なんでお茶がてらに店に来て下さいよ。今日の会場じゃお色直しやりませんから私の仕事はこれで上がりです。いやいやお色直しがないと楽ですが利益薄くて敵いません。坊主の頭より薄い薄い。これじゃあ私の首が跳んでしまう。もう跳んでるって? イッツ首なしジョーク」
相変わらずの冗談に微笑を浮かべていると『今日の為に双子の店でギモーヴも注文したんですよ。さあさ、早く参りましょう。そうしましょったらそうしましょ。善は急げ銭も急げ、食欲なら尚更急げです』と腰に手を添えられた。
久しぶりに訪れたデュラハンの店は増設されていた。
日曜休みの本店に併設された新店舗にはウィンドウに「OUTFIT」と記され、華やかなドレスや愛らしいワンピースを着せられたトルソーが佇んでいた。
「戻りましたよー
デュラハンはスタッフのホルスタインの牛頭と首なしのトルソー達に挨拶しながらカウンターにヘルムを置く。
「ああ残念残念。愛し子達ってば誰もドレスを脱がされてませんね。午前中の売り上げはさっぱりですね。これじゃ私と牛頭男君の首が跳びかねなーい」
私に気付いた牛頭は深々と頭を下げた。
「
次から次へと用を申しつける店主に牛頭は眉を下げる。
「一遍に三つも用を言わんで下さい。僕の腕は二本だけです。阿修羅ではありません。あと牛頭男じゃなくてゴゾーです」
「デュラハン首なし、阿修羅首三つー。おっとこれは嫉妬嫉妬」
バックヤードに消えるデュラハンのボディを見送り、カウンターからカラカラとヘルムが笑う。
牛頭もとい、ゴゾーに勧められて座した白いソファから店内を見渡す。本店よりもかなり広い。カクテルドレスやカラードレス、ウェディングドレスが澄まして並んでいる。
奔走するゴゾーをそっちのけにデュラハンは分厚いカタログやデザインノート、ヘルムをガラステーブルに乗せるとボディにドレスを取りに行かせ一着ずつ丁寧に見せる。
「やっと、やっと纏まって下さって私はとてもとっても嬉しいですよ」
話が分からない。それに買う予定もないのにどうしてドレスを見せるの? 申し訳ないけど今日は持ち合わせがないしドレスコードが厳しい華やかなパーティーなんて行く予定はないの。掌を見せて首を横に振るがデュラハンは話に夢中で気が付かない。
「嬢ちゃまがジュニアラインのお洋服をお召し下さった頃からハンス様には御贔屓にして貰って。アル君とおつかい失敗してどんぐりお目目に涙を浮かべて可愛らしいと想ったらいつの間にか綺麗に成長遊ばして。お洋服も沢山沢山買って下さって……でもなかなかハッピーピンクなお話を聞けないのでヤキモキしてました。いつか、いつか嬢ちゃまにドレスを着て貰いたいなと専門店開いたらハッピーピンクなお話が! 本当におめでとう御座います。もう嬢ちゃまなんて気安く呼べませんね。ランゲルハンス夫人なんて長くて長くてベロ噛んじゃいます、なーんて。首がないから噛むベロもない」
どうして夫婦になった事をデュラハンが知っているの?
問いを不死者文字で綴ろうとするがデュラハンは忙しなくカタログを繰るので隙がない。眉を下げていると来客を知らせるウィンドチャイムが鳴った。
ドアへ頭を向けると先生が佇んでいらした。
デュラハンはヘルムを抱えるとゴゾーにコートを預ける先生へ足早に近付く。
「ようこそようこそ! 嬢ちゃまとハンス様がこんな形でいらして下さるなんて! 首を長くして待っていたんですよ。え? 伸びる首がない?」
先生はデュラハンのジョークを受け流す。
「話が二転して悪かった」
「いえいえ構いませんよ。しかしお早いお着きで」
「コードバンに飛ばして貰った。魔術で来ても良かったが、彼を空身で帰すと経済が動かないからな。しかし私の体躯では馬体に負荷をかけ過ぎた。表で青息吐息だ。手間をかけるが飲み物を差し入れてはくれまいか?」
『お安い御用でーす。ヒポクリーネ社の美味しいお水をジョッキでご用意しましょ』とデュラハンはバックヤードへ向かった。
先生のお茶の用意をしにバックヤードに向かうゴゾーの後ろ姿を見送ると先生は私の隣に座す。柔らかなソファは大男たる先生の体重で沈み、私もバランスを崩し先生に寄りかかる。身を起こそうとすると先生に肩を抱かれた。
「して好みの物はあったかね?」
訳が分からず顔を上げる。罰の所為で相変わらず先生の顔は見えない。先生は私の頬に手を添える。
「魔界を抜けた悪魔故に教会式等、宗教が絡む事は出来ない。しかし折角だ。君の晴れ姿を私に見せてくれ」
思いがけない言葉に目の奥と鼻の先がジン、とする。
先生は言葉数が少ないけどとても心根の優しい方だ。無理なさって私を喜ばそうとしているのではないだろうか。
頬から手を取ると『無理なさらないで下さい。先生は華美な事が苦手だと知っています』と悪魔文字を綴った。
「アスターを買い占める際にクチバシ医者に『撮影だけでもやるべきだ』と話を持ちかけられた。気付かなかったのが悔やまれる。君と私にとって重要な事だが君に夢中で後手になった。君の晴れ姿を見たいが故にデュラハンに店の貸し切りをさせたのだ。夫婦で出向こうと思ったが君には予定があったので延期した。君にも生活があったにも関わらずこの所昼夜問わず縛り付けて悪かった。……しかし君に触れていないと狂いそうになる。今だって食べてしまいたい程だ」
頬が熱くなる。夫婦になった晩以来、座学も工房での作業もせずに日中も幾度となく交わっていた。先生は夢魔だ。交わる事で相手の魔力を吸収する。しかし無償で島民を救うが故に魔力が枯渇する。私を弟子として側に置いて何百年と魔力補給がなかった。ここ連日の情事は生きる為の補給だと思っていたのに……。
先生は深く私を想って下さるのに変な事を心配して馬鹿みたい。愚かで酷い女だ。
ちりりと痛む胸を押さえていると髪を撫でられる。お情けではなくて心から私を望んで下さっている。そう理解すると力が抜けた。分厚い胸板に頬を寄せノイズまじりの心音を聴きつつ想いを悪魔文字で綴る。
『先生と過ごす時間は私にとっても宝物です。食事でも魔術工房でも……その、べ、ベッドでも。あの晩破門されてから座学や薬の調合の時間がなくて不安でした。不肖の弟子の私を、太陽神へ嫁ぐのを嫌がった私をお情けで側に置く為に夫婦の契りを結んだのかと。先生を疑ってごめんなさい。愛を口から伝えられなくてもこんなにも深く深く想って下さっているのに』
息を飲む音が先生の胸から響いた。
「……妻になっても魔術に関わる事を望むのか? 私と魔術の所為で両眼を取り上げる事になったと言うに」
頬を胸板から離すと先生の手を取る。
『先生がいつか仰った通り、私は神への贄でしたから神力とはベクトルが逆の魔術は不得手です。教え甲斐が無い不肖の弟子でした。ごめんなさい。でも好きなんです。欲張りなんです。それに愛してやまない先生がその道で人を救っているんです。私も同じ道を行きたい……先生の足を引っ張るだろうけど一緒に歩きたいんです。……ダメですか?』
分厚い胸板を見つめていると強く引き寄せられる。驚く間もなく先生は私の唇を奪った。小鳥が種子を啄むように、叱られた子供が必死で許しを乞うように唇を優しく突つく。愛らしくも熱のこもったキスに力が抜けると先生の唇が私の唇を開いた。
「ダメですよーダメですよー。それ以上はダメですよー。今すぐ食べちゃいたいのは分かりますがここはレストランじゃありませーん」
デュラハンの声が響くと先生は名残惜しそうに唇を離した。
赤面しつつも声の方を向くとトルソーの上にデュラハンのヘルムが乗っていた。
「出歯亀め」鼻を鳴らした先生の声は何処か楽しそうだ。
「そんな事仰るならドレス以外も沢山売り付けますよー。更に仲良しになれる新婚さん用のナイティ、私作ってるんですからね。牛頭男君、もう出てきていいですよー。冷め切って香りが飛んだお紅茶出してあげて下さーい」
ゴゾーは白黒の顔を真っ赤に染めて、先生に甘い夢色の紅茶をサーブした。
ゴゾーに自信作のウエディングドレスや製作中のドレスを見せられ、デュラハンに様々なカラードレスを着せられ、先生から賛辞を貰い素敵な時間はあっと言う間に過ぎてしまった。
再度採寸し確認しドレスの製作を依頼する。デザイナーのゴゾーと契約を結び、店を出ると既に日は沈んでいた。星々が煌めくと肌寒い。……秋が大分深い。日が沈む前に帰るつもりでコートを着てこなかったのが悔やまれる。
『暮れてしまった。どうするか』と契約書を懐に仕舞う先生を眺めて両肩を抱いていると、先生に気付いた女性達が押し寄せ取り囲む。鈍臭い私は彼女達の輪から弾かれてしまった。
……先生は夢魔だ。夢魔は自分にその気がなくとも異性を惹き付ける。滅多に島民を無下にはしないが有力者の女性の恋情を逆手にとって島の運営をする事もある。夢魔故に島主故に、仕方のない事だと分かっているけれども先生が遠くなって寂しい。
彼女達は挨拶したかと思えば口々に晩餐へ誘う。先生は佇んで聞いていらしたが話が途切れないと悟るとコートのボタンを外す。
「ニエ。おいで」
凛と通り、それでいて優しく甘い声音が響く。いつもなら『来給え』と理知的な声音を響かせるのに。
女性達の鋭い視線を一身に浴びて(鳥肌立つ程に寒いのに)冷や汗を掻きつつ先生のお側に近付く。すると優しく抱き寄せられコートの中に招かれた。唇を噛んでいた女性達が一転して口をぽかんと開ける。
公衆の面前で抱きしめられ赤面する私を他所に先生は言葉を紡ぐ。
「久々に外食を考えていた矢先に折り良く誘いの数々、ご厚意痛みいる。可愛い妻と共に是が非でも」
頬にキスされて更に赤面する私を見て、動揺しつつも女性達はその場を立ち去った。
甘い縛を振り解き、コートから出ると分厚い胸板を見上げる。
「眉を下げる事はなかろう。これでいい。庭掃除したまでだ。話が広まれば暫くはちょっかいを出されまい。長年街へ出る度に辟易していた」
ご自分の為にお芝居をなさったのか。
小さな溜息を吐くとひょいとコートの中に入れられた。
「冷えてしまう。出てはならない」
往来の人々が私達を見ている。恥ずかしさに悶えた。すると術で出したピンクのアスターをシニヨンに刺し、先生は私の耳に唇を寄せる。
「このままオーベルジュで君を蕩けさせるか? それとも家でじっくり煮込むか?」
どちらにしても甘い夢。
私はすっかり茹で上がってしまった。
了
ランゲルハンス島奇譚 外伝(4)(短編)「甘い夢」 乙訓書蔵 Otokuni Kakuzoh @oiraha725daze
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