奇癖

松長良樹

奇癖


 ――晩秋の落日だった。


 長い銀杏並木をダウンコートの若い男が歩いていた。低い煉瓦塀が道沿いにかなり続いて、塀が切れたところに大きな西洋風な屋敷の門があった。

 そこで青年は足を止めた。そこに老人が屈み込んでいるのを眼に留めたからだ。


 ちょうど門の横で顔に深い皺を刻んだ老人が屈み込んでいる。その格好が少し変わっていた。時代がかったスリーピースを着込んで山高帽をかぶり、胸から金時計の鎖をぶら下げている。


 まるでシャーロック・ホームズの活躍した世界から迷い出したような服装なのだ。それに老人はただ屈み込んでいたのではない。老人はそこで焚き火をしていたのだが、燃やしているものが普通ではない。


 老人が遠い視線のまま火中に投じているものは紙幣だった。それも一枚や二枚ではない。青年は最初その光景を傍観するようだったが、そのまま行過ぎる事の出来ない様子で口を開いた。


「あのう…… なぜ金を焼くのです? 訳を教えて欲しいものです」


 落ち着いた青年らしくない声のトーンだった。老人がふと顔を青年に振り向けたが何も語らなかった。


「札を焼くなんて、どうかしている…… 法に触れるんじゃないですか?」


 青年が問いかけると老人が枯れた声で言った。


「これはわしの金じゃ、どうしようがわしの勝手じゃないか」


 老人はそう言って振り向けた顔を元に戻した。


「――で、でも」


「あんたには関係のないことじゃ」


 老人は溜め息と共に気だるそうに言葉を続けた。


「なにか訳があるのですね」


 青年が言った。


「……」


 老人の視線はどこか虚ろで遠い彼方に注がれている。


「この紙幣は今の時代に使えない」


 老人がぽつりと言った。青年が札を良く見るとかなり昔の紙幣で、骨董屋か歴史資料館にでも行かなければお目にかかれそうもない代物だった。壹圓札や五圓札が新札のような美しさで目に映る。


「あんたは時間の旅を信じるかね?」


 不意に老人が青年の眼を覗き込んで奇妙な事を言った。心が他の場所にあるかのようだった。二人の間にそのまま長い沈黙の時間が流れた。


「はあ……」


 青年が返す言葉に困った。


「使えないものはいらない」


 老人は布製の大袋を横に置いて、その中から札束を引き出しては火中に投じている。青年は怪訝けげんな表情でその光景を凝視していた。青年の顔が炎でテラテラと光り赤く染まった。


「時間の旅とは、どういう事ですか?」


 青年の瞳に興味の光が揺れるようだった。


「実はわしは…… 時間旅行者じゃ」


「時間旅行?」


 言って青年が身をすこし屈めた。老人の風貌は頑固者にも見えたが、哲学者や易者にも見紛うような何か得体の知れなさがあった。


「気違いと思うなら思いなさい」


 老人が言った。


「いや、僕はなにも」


「わしは楽がしたかった」


「……」


「だからある時、わしはある銀行に上手く忍び込んだ。そしてこの金を袋に詰めて時間の彼方へ逃げたのじゃ」


 青年は半信半疑な表情を崩さなかった。


「しかし、この時代ではもはや、この札は使えん」


「……」


 暫らくして青年が言った。


「だから… 焼くんですか」


「そうじゃ」


「信じられない話ですが、もしそうなら時代を戻れないのですか?」


「わからん。それにわしはもう疲れた」


 青年の中で老人の言葉を信じたい気持ちとそうでない気持ちが葛藤しているようだった。


「あなたは時間を旅できるのですか?」


「ああ、体質なんじゃ。子供の頃坂道で転んだ時、昨日に戻っていた」


「昨日に戻った」


「ああ、そうとも。同じ日を二回繰り返したんじゃよ。だがわしはそれを認めるのが怖くて、自分の中に仕舞い込んでいた。何食わぬ顔でその時はやり過ごしたんじゃよ」


「……」


「そしてわしは少しずつ能力を高めていった。より遠い時空に飛べるようになったんじゃ」


「想像もつかないですね」


 青年はさらにしゃがみこんで溜め息をついた。


「時間旅行ですか……」


「わしは時のさすらい人じゃ。いや、さすらい人だったんじゃ。わしはもう歳だし、時代旅行はもう無理なんじゃ」


 青年の顔に急に憂いが浮かんだ。


「実は僕は過去に戻りたいんです」


「過去に戻りたい? じゃと」


 老人が青年の言葉を繰り返してかぶりをふった。


「いったいなぜだい?」


「僕は恋人のアキナという人を昔、事故で亡くした」


「ほう」


「だから僕は過去に帰って生きた彼女と会いたいのです。出来るなら事故を回避させたいんだ」


「事故? いったいどんな事故だい」


「彼女は心の病気で自ら命を絶ったんです」


「それはまた、切ない話だ」


 老人が悲しそうな顔をした。


「僕は彼女がなぜ死んだのか。なぜそうなったのか、どうしても知りたいのです。その訳を確かめたいんです」


「そうか」


「ええ、僕は彼女をどうしても忘れられない」


 青年の眼が微かに潤んでいた。


「死の淵から恋人を救いたいと言う事か」


「はい……」


 それから二人は再び寡黙になった。何も語らずじっと揺らぐ炎を見つめていた。不意に老人が腰をあげた。そして枯葉を一歩踏みしめた。


「だめかも知れんがもう一度やってみよう。過去に戻ろうじゃないか。わしはこの金の為に。そしてあんたは恋人の為に」


 驚いて青年が暫らく老人を見上げ、やがて自分も立ち上がった。黄昏の柔らかなベールが二人を包み込んでいた。老人が頷くようにして青年に手を差し伸べた。二人が相手を確かめるように握手をした。


「あしたの朝ここで君を待とう。そして過去への旅立ちだ」


 その場は一種異様な空気に包まれていた。



 * *



 ナイトファンタジアと言う都会の片隅にある小さなカフェの窓に幾つもの影法師が映っていた。彼らはジョーカー達である。

 ジョーカーには様々な意味合いがあるのだが、ここに登場するそれは道化であり、洒落や冗談を言って周りを楽しませる人を言うのである。プラクティカル・ジョークという言葉をご存じだろうか。ジョークを芸術としてとらえる人々がいる。かの有名な三島由紀夫の自決さえプラクティカル・ジョークとして捉える一派さえ存在したくらいだ。

 かの江戸川乱歩も西洋のジョーカーの伝記を愛読したらしい。そして今夜、六名の彼らのプラクティカル・ジョーカーの内からもっともすぐれたジョークを実践したものが金の道化仮面を手にする事になっていた。


 丸い円卓があって紅一点の女性をまじえたお歴々が面白い話に夢中になっていた。


 なんとそこに得意げにお話をするあの老人が、そう、スリーピースを着込んで山高帽をかぶったあの老人が座っていたのである。


「それで、あなたのジョークをうかがいましょう」


 中年のロマンスグレーの紳士がそう促すと老人がしゃべりだした。


「僕のやったのはある W精神病院の前で札を焼いたのです。もちろん札は偽金だから大丈夫です。まあこれだけでも立派なジョークになるのですが、僕はもっと面白くしようと思い誰かの通るのを待ったのです。内心かなりドキドキしながらねえ。そうしたら真面目そうな若い男が通りかかったのです。そして僕は役者になった。案の定若者がなぜ札を焼くのかと訊いてきたから、僕は時間旅行者だと答えた。どうです機転でしょう。実はそんな話を前から考えていたのですがね」


「……時間旅行者?」


「そうです。僕は過去で銀行強盗をして時間を越えて現在に逃げてきたとそう言った。そういう訳だから今使えない札を焼いているんだと言った」


「また、ずいぶん突拍子もないお話ですねえ」


「ええ、そこが素敵なんじゃありませんか」


「それで相手はどうしました?」


「それがこれは僕自身も驚いた訳なのですが相手は僕を信用しました。古い札が効いたのでしょう。後は無論僕の名演技ですよ。それからまた悲しい話もききました。なんでも若者の愛していた彼女が昔自殺してしまったらしいのです。その彼女の事が忘れられないと言うんです。過去に帰って彼女を救うと言うんです。それじゃ一緒に過去に戻ろうという事になった」


 他のジョーカーの面々も話に聞き入っていたが、六人の面々も様々だったが決して下賤な人間などおらず、博士や医者、小説家までもがその面子に混じっていた。


「その若者はあしたの朝W精神病院の裏門で僕を待っています。きっとね」


「その話は間違いないようです。僕は双眼鏡でその様子を遠くから観察していたから」


 小説家が頷きながら発言した。髪の長い男である。


「このコンテストではメンバーの誰かが証人になるきまりですから」


 小説家が付け加える。


「うむ。でも私はその青年が少し哀れなように感じるのですが、本当に過去に帰れると信じていたとしたら少し可哀想だ」


「なーに、このぐらいは仕方ありませんよ。過去に僕たちは随分ひどいジョークをやったことだってあった」


 小説家が言った。


「でも我々はジョーク基準の変更を考えつつあるし、誰をも傷つけてはいけませんからねえ」


 審査委員長は内科医の新城と言う男で薄笑いを浮かべるような奇妙な表情をして言った。


「まあ、明日の朝にその青年がその場所に来たとしたらあなたのジョークは一流に違いないと思いますよ。しかし来ないかもしれないじゃありませんか」


「……いや、彼は来ますとも」


 老人が自信ありげにそう言った。


「では、今夜のところは道化仮面の授与はひかえて、明日以降にもう一度ここで会を開きましょう。その時に皆さんの投票で優勝者を決めることに――」


 と、ドアが突然開いて若い男が入ってきた。辺りを眺めまわして円卓に近づいて来たのだ。その顔を見て審査委員長の新城が喜んだように声をかけた。


「いやあ、遠藤くん。ここに来てください」


 皆の視線が集まった。


「皆さんに新メンバーを紹介いたします。この人は遠藤啓二君といって大学でシナリオの研究をしています。ジョークがことのほか好きで面白いお話を自分でも作っていて」


 その紹介の途中であの老人が素っ頓狂な声をあげた。


「なあんだ、君じゃないか!」


 若者は老人を見とめると、最初だけあっ!と言う顔をしたが、すぐに相好を崩して笑い出した。それがとてつもなく大きな笑い声でそこにいた全員が彼の方を向いた。


 さすがに老人はちょっと面食らったがやがて彼も笑い出した。そしてその笑いにつられるようにメンバー全員がクスクスと或いはゲラゲラと笑い出し、その笑いは当分おさまりそうになかった。


 騙すつもりが騙される。これも立派なジョークの妙なのだろうか。こうして青年はメンバーに暖かく迎え入れられた。まあ、今後の彼のジョーカーとして奇想に期待する事にしましょう。


                     



                  了

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奇癖 松長良樹 @yoshiki2020

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