番外編 婚約者との出会い

 十歳の誕生日、ユリシーズは王妃の私室に呼び出された。


「あなたの婚約者が決まりました。ベルラック公爵家のフィリス嬢です。すでに宰相からも承諾を得ています。近日中に、二人の婚約について王宮から発表しますので、そのつもりでいるように」

「……承知しました」


 政略的な意図があるのは十分に見て取れた。であれば、自分から言うことは何もない。国王と王妃が認めた婚約者は誰だろうと思いを馳せた。

 誕生祝いの席で、ユリシーズは自分の婚約者となる人物と初めて会った。

 普段は領地に引きこもっているという令嬢は、深窓の令嬢と呼ぶのにふさわしい美貌だった。さらさらと灰銀の髪は艶めいている。長い睫毛に縁取られた、瑠璃色の瞳は理知的だ。

 しかし、社交の場は苦手のようだ。

 警戒を解いてもらおうと優しく笑みを向けるが、さっと目をそらされた。

 わかりやすく怯えられている。だが興味はあるのだろう。時折、父親の背中越しにこちらを見ている気配がある。

 異性に関して苦手意識はあるようだが、おそらく嫌悪は向けられてはいない。

 彼女を攻略するのは骨が折れそうだなと心の中でつぶやいた。


 ◆◆◆


 今日の園遊会は一緒には行けない、とフィリスには話していた。

 外せない公務があり、時間の捻出が厳しいと判断したためだ。しかし予定していた公務は相手の体調不良により延期になった。

 婚約者となって二年が経つが、まだフィリスとは打ち解けられていない。

 最低限の会話はできるようになったものの、心の距離は縮められずにいる。今からだと途中参加になるが、親睦を深める機会を逃す手はない。

 参加を決めたユリシーズは主催の伯爵家に先触れを出して、馬車に乗り込んだ。

 会場に到着し、周囲をざっと見渡す。

 フィリスの場所はすぐにわかった。同年代の令嬢とは群れずに、ひとり離れたところに立っている。宰相が横にいないということは主催者に挨拶しているか、仕事の密談をしているかのどちらかだろう。

 ふと、背中を流れる灰銀の髪がふわりと風にさらわれた。

 髪を手で押さえる様子でさえ、絵になる。長い髪を耳にかける様子を無言で見つめた。

 彼女のことは見慣れているはずなのに、なぜか胸が騒ぐ。見てはいけないものを見てしまったような心地になる。

 どう声をかけていいかわからずに突っ立っていると、フィリスが視線に気づいた。


「ユリシーズ殿下……?」

「や、やあ。午後からの公務が急遽なくなってね。君に会いたくて来てしまった」

「…………そ、そうですか」

「よかったら、また君の屋敷に行ってもいいかな? 外国の絵本を手に入れたんだ。珍しい挿し絵でね。眺めるだけでも楽しめると思う」

「まあ。ぜひ!」


 両手を合わせて目を輝かせる婚約者の姿に目を細める。

 ユリシーズは自分の中に生まれた感情を理解しつつあった。


 ◆◆◆


「…………」

「ど、どうだっただろうか?」


 ページを繰る音を静かに見守っていたが、そろそろ感想が欲しい頃合いだ。

 題材は彼女の好きな恋物語だ。外国で人気の絵本という話なので、話自体は悪くはないと思っている。しかし、人の好みは千差万別だ。

 ユリシーズの問いかけに、物語の余韻に浸っていたフィリスは閉じていた瞼をそっと開けた。


「大変素晴らしいお話でした。物語を彩る絵も優しい線で描かれていて、心が和みます」

「そうか。気に入ってもらえたなら何よりだ」

「ええ。特に、騎士が姫に求婚する場面に感動しました。妖精王にさらわれた姫を颯爽と助け出す姿はかっこよかったですし、守るべき主君に恋心を抱いてしまった葛藤も共感できます。こんな風に誠実に愛を捧げられたら、わたくしも恋に落ちてしまいますわ」


 すらすらと淀みなく告げられ、心からの賛辞なのだとわかる。

 心なしか、興奮気味の彼女の頬が赤みがかっている。


(なるほど……。では、僕が騎士のように愛の告白をすれば、喜んでもらえるかもしれないな)


 だがその淡い期待は、次の一言で無に消えた。


「……恐れながら、殿下。ずっと考えてきたのですが、あなたの婚約者はもっとふさわしい方がいるはずです。王妃となるべき人を選ぶ、それがこの国の未来のためにもなるでしょう。今ならば、まだ間に合います。どうか懸命なご判断をしていただきたく存じます」


 信じられない発言に、しばし言葉を失う。

 どこをどうしてその結論に至ったのか、まるでわからない。けれどもフィリスの顔は真剣だった。冗談を言っている様子はない。

 頭の中は混乱のままだったが、彼女は本気なのだ。本気でユリシーズの未来を憂えている。

 しかし、やはり理解できない。

 今までの婚約期間を振り返るが、自分たちらしく、ゆっくりと関係を築き上げてきたはずだった。そう思っていたのは自分だけだったのか。

 途端に裏切られたような気持ちになり、ユリシーズは顔を歪ませた。


(どうして好きな相手に他の女を選ぶように言われているんだ……? 僕はフィリスが好きなのに。彼女だって、やっと心を開いてくれるようになったのに。……ああ、そうか。僕は自分の気持ちを彼女に伝えていないんだった)


 絵本の騎士のように、包み隠さず自分の気持ちを伝えなければ。

 そう思うと、不思議とすんなり言葉は出てきた。


「フィリス、好きだ」

「え……?」


 立ち上がり、戸惑う彼女の足元に跪いた。


「君を妃に迎える。これは僕の意思だ。今日この場で改めて誓いたい」

「……殿下……」

「王子としてではなく、どうか僕自身を見てほしい。この瞬間から僕の心は君に捧げよう。だから、他の女性がいいなんて悲しいこと、もう言わないでくれ。僕は君しかいらない」

「本当に……よろしいのですか? ご存じのとおり、人の輪に入るのが苦手で、存在感の薄い娘ですよ?」

「それが君の個性だ。決して前に出るタイプではないが、君は周りがよく見えている。観察力に優れているところはフィリスの長所だと思う。悪いところばかり見るのではなく、君にしかできないことを伸ばしていけばいい。僕も及ばずながら手助けする」

「…………」

「ご、ごめん。泣かせるつもりはなくて……」


 慌てて弁明すると、フィリスはぐいっと自分の目元を拭った。

 瑠璃色の瞳には動揺する自分の姿が映っている。


「殿下が婚約者でよかったな、と感慨に浸っていましたの。わたくしをそんな風に評価してくださるのは殿下だけですわ」

「き……君は自分を過小評価しすぎだ。僕の婚約者だから他の男が手を出さないだけで、もし特定の相手がいなかったら婿候補はもっとたくさん増えたはずだ」

「ふふふ。あり得ませんわ」

「そんなことはない。君は本当に可愛い。男は庇護欲をそそられるタイプに弱いんだ。くれぐれも狼には気をつけてくれ」

「まあ。……では、そういたしましょう」


 何かに吹っ切れたように、フィリスが悪戯っぽく笑う。

 心臓がドキリとした。笑みを返しながら、これは敵わないな、と感じた。


 ◆◆◆


「殿下、殿下。ユリシーズ様」


 愛しい人の声が耳元で聞こえて、ユリシーズはゆっくり目を開けた。

 きらりと輝くブルーサファイアの髪留めが視界に入り、ああ、と夢うつつだった意識がはっきりしだす。見覚えのある装飾品は、彼女の誕生日にプレゼントしたものだ。

 お揃いで作らせたネックレスも、彼女の胸元に変わらずそこにある。


「……ん。ああ、フィリスか。ごめん、うたた寝をしていたみたいだ」

「いえ。お疲れのご様子ですね。そろそろ休憩されてはいかがですか? お茶をお持ちしました」

「ありがとう。せっかくだから休むとしよう」


 書類の山が詰まれた書斎机から離れ、ソファに腰かける。

 フィリスが淹れてくれたハーブティーは疲れた心をほぐしてくれた。


「わかっていたつもりだけど、帝王学と領主教育は全然違うね。公爵の爵位を継ぐのはまだとはいえ、覚えることが山積みだよ」

「……わたくしが不甲斐ないせいで、殿下には苦労をかけて申し訳なく思います」

「苦労なんかじゃないよ。むしろ、やる気がみなぎっているよ。難しいほど燃える性分なんでね。待ってて、僕は立派な公爵になってみせる。領民たちの生活も今よりもっと豊かにして、領地丸ごと君を幸せにするんだ」

「ふふ。楽しみにしておりますね」


 可愛らしく笑う婚約者を前に、ユリシーズは口元をゆるませた。

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君を裏切りたくない 仲室日月奈 @akina_nakamuro

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