決意

「はあ!」

「左が甘いぞ」

 不意の左からの攻撃に防壁をはり、地面を蹴って後ろに飛ぶ。

 距離をとり、体勢を建て直そうとするが、グレンの追撃がそれを許さず、防戦一方、受け流すのに精一杯で、メリカは反撃できずにいた。

 上段からの大振りを受けようとするが、そちらに気を取られ、左足の蹴りに気づかず、グレンの後方へ勢いよく吹っ飛ばされた。

「ぐっ……」

 すんでのところで、防壁をはったお陰で直撃は免れたが、地面に体を打ち付けた痛みで立ち上がれない。剣も落としてしまった。

「どうした、今日は一太刀も俺に食らわせてねぇぞ」

 子どもと大人で体格差があるとはいえ、メリカは魔法込みのハンデがある。対してグレンは剣術のみ。有利なのはメリカであるが、経験の差は埋めようがない。

 立ち上がって剣を拾い、構える。グレンが向かってくる様子はないが、不意の一撃に気を配る。

 額から流れ落ちる汗を拭いながら、口元を隠し詠唱する。グレンとメリカの間に黒煙が広がり辺りを包む。

 バカの一つ覚えに突撃でもしてくるのかと、グレンは半ば呆れてつつも、黒煙が揺らめく瞬間に姿を捉え、首に突きつけてやろうと剣を握る。

 左側から風の気配と動くマナを感じ、剣を振り下ろすが、捉えたのはもぬけの殻のローブ。

囮かと理解した瞬間に右側からの気配に気付き、応戦しようと腕を振るが、動きが止まる。

 グレンの後方から伸びた草が足や腕に絡み付き、彼の動きを押さえていた。力で無理やり引きちぎろうとしても、絡んだ草は頑丈でぴくりとも腕は動かない。

 懐に潜り込んだメリカの剣が、グレンの首にもうすぐ届く刹那、メリカはグレンの左手に握られていた剣がなくなっていることに気づく。

 メリカは焦った。剣を振る手を止め、距離をとろうとしたところで、グレンの後方でぶつっと何かが切れる音がした。次の瞬間、メリカの左脇に剣が突きつけられる。

「終わりだ。俺の首を切れてもその前にお前は胴体真っ二つだ」

 グレンの右手には剣が握られていた。メリカの剣があと少しで首に届くすんでのことだった。

「……参りました」

「いい加減、自分が突っ込んで止めをさそうとする以外のことも考えろ。何のために、魔法を使わせてる」

 グレンの言うことは最もだった。メリカは目眩ましや牽制に魔法を使うのみで、直接攻撃をすることがない。

「どちらか片方に入れ込みすぎるのもやめろ」

 グレンの忠告にも、剣を握りしめる力が強くなるばかりで、口は閉ざされたまま。

「まあ、でも、さっきの手は悪くなかった。前より上達してたんじゃねえの」

 あーあ、疲れた、帰って風呂だと、剣を鞘に収めると、一人悔しがるメリカを置いて、グレンは森の中へと消えていった。



「また負けたのか」

「……今まで一度も師匠に勝ったことない」

 いつもの手合わせの後、メリカは写本工房を訪れていた。ダンテはメリカを見ることはなく、黙々と作業を続けている。杖の依頼以降、グレンがメリカを写本工房兼魔道具屋にお使いを頼むことが増え、店主のフランツや見習いのダンテとも懇意になった。

「師匠は強いよ、昔はノーランガルドの魔法師だった、らしいし……」

 疲労からか、つい他言無用と言われていたグレンの素性を話してしまった。メリカは恐る恐る、ダンテの顔を見た。

「知ってる。親方とグレンさんは昔からの知り合いだ」

「……そうだったね」

 顔色一つ変えずに、写本を作る作業を進める四つ上の顔馴染みは、手を止めることなく、忠告を投げかけてきた。

「用心しろよ。最近はあちこちでノーランガルドの魔法師を狙った事件が起きてる。今は違うとはいえ、知られたら厄介だぞ」

「……そんなことが」

「それ以外にも、前の戦争でノーランガルド領になった元シグロア領では、不満の声が高まってる。元々、ノーランガルドは他国に侵攻していって領土を広げた国だ。これが広まって昔の遺恨でも思い出されれば、反乱なんてことも起きなくはない」

「……また戦争」

 五年前の出来事を思いだし、右目を隠す前髪をくしゃりと掴む。今でも夢に見るほど、消えることのない記憶だ。

「……そういや、お前もうすぐ十四だけど、魔法学院には行くのか」

 気まずい空気を悟ったのか、ダンテは話題を変えるように、メリカが初耳のことを口にした。

「魔法学院?」

「ノーランガルドの王都にある魔法師育成の学舎だ。貴族のボンボンから平民まで、魔法師になれそうな素養のある人間が集まる。この国の魔法師は血統より実力ありきだからな。身分なんか関係ない」

「まさか。私、シグロアの人間だよ? バレたらどうする」

「ずっと、あの森で暮らしてるよりはいいと思うけど」

「……」

 不思議には思っていた。自分から望んだとはいえ、グレンはあっさりとメリカに魔法の扱い方を教えてくれた。何か理由があるのではないかと、薄々感じていた。

「ここでの暮らしも悪くないし、わざわざ自分の素性がバレたら危ないところになんて行かないよ。今のままでも、師匠が魔法を教えてくれる」

「それはそうだが……」

「私、約束してたんだ。大きくなったらいつか、アレンセシア島に行こうって」

 話題を変えたくて、つい誰にも話したことがない、幼い頃の夢を話す。

「幼馴染みが二人いて、私がアレンセシアの図書館に行きたいって言ったら、もう一人は海を見たいって言い出して、そしたら、じゃあ三人で行こうって無邪気に約束して」

「アストラル全ての書が集まる、叡知の図書館か」

「そう」

 腰に差した杖と剣にそっと触れる。三年前に、この店で作ってもらい、それ以降、魔法の修行には欠かせない代物。剣も剣術を教わるようになって、グランがメリカにくれたものだ。

「三人での約束は果たせないけど、いつか、アレンセシア島に行けたらなって思うよ」

「……そうか」

 できたぞ、とダンテはメリカの目の前に一冊の本を差し出す。グレンから頼まれていた写本が完成したらしい。

「いつ見てもすごい出来。いつか私も、ダンテに頼もうか」

「無理な注文はするなよ」

「それはどうかな……」

 ダンテに代金を渡し、鞄の中に本を入れて、裏口から外へ出る。珍しくダンテは見送ってくれるようで、裏口まで付いてきていた。

「いつか行けるといいな。アレンセシア島」

「……そうだね」

 ダンテの言葉に暖かみを感じて、心の中で感謝しながら、メリカは店を後にする。

 家の前には、グロースが眠たげな様子で臥せっていた。頭を一撫でして、鍵を開けて中に入る。

 夕暮れ時の時間、灯りはついておらず、夕焼けが窓から部屋を照らすだけだった。ソファでは、グレンが横になっていて、テーブルには空けかけのワイン、グラスには飲みかけが残ったままだった。

「師匠、また昼間からお酒ですか。ほどほどにした方がいいってフランツさんにも言われてましたよね」

「……ああ」

 珍しく悪態をつくことなく、素直に肯定したグレンに変な感覚を覚えた。グレンを見ると、体を起こして、乱れた髪を整えながら、窓の外を見ていたが、グラスの酒を一飲みあおると、じっとメリカを見つめてきた。顔は赤いながらも、真剣な茶色の瞳と目が合う。

 いつもとは違う師の様子を不思議に思いながらも、メリカは水の入ったコップを手渡す。

コップを受け取ったグレンは、流し込むように水を飲み、一気にコップを空にしてしまった。

「お前、大きくなったな……。五年前はあんなにチビだったのに、こんなにでかくなりやがって。しかも生意気で……」

 グレンはコップをテーブルに置くと、そのまま手をメリカの頭に伸ばし、わしゃわしゃと髪を乱すように頭を撫でた。

「やめてください……もう十三です。子ども扱いしないでください」

「俺から見たら、お前はいつまで経っても子どもだよ」

 しばらく撫でて満足したのか、最後にメリカの頭をぽんぽんと撫でると手を離し、おもむろに口を開く。

「メリカ、お前もうすぐ十四だろう。ノーランガルドの魔法学院に行く気はないか」

 え、と思わず声が漏れた。先ほど、ダンテと話をしていたことを思い出す。

「ノーランガルドじゃ、十四になると、魔法の素養のあるやつは、魔法学院に入ることになる。お前も俺がどうにかすれば、素性を隠したまま、学院で学ぶことができるはずだ」

「魔法、学院……」

 メリカにとって、それは魅力的であった。魔法技術によって著しい発展をとげているノーランガルド。その国の最高の魔法師養成機関。そこで魔法を学べればどんなに嬉しいことだろう。けれど、メリカの心中には引っ掛かりはある。よみがえるのは、五年前の惨状。自分の故郷を壊した、魔法師や騎士たちのいる、王都へ。周りは魔法師となるために集まったノーランガルドの人間ばかり。その中に飛び込み、自分は溶け込めるのか。

「別に無理にとは言わん。断ったところで放り出したりはしない。成人するまで面倒を見る。魔法も剣術もこれまで通り教えてやる」

 何も口にできなかった。顔を俯け、ふらつく体を倒れさせまいと両足に力を入れる。

 グレンは立ち上がって、メリカの肩を叩き、

「一週間、時間をやる。どうしたいか、考えろ」

 さて飯を作るかとキッチンへと消えていった。グレンがリビングからいなくなり、メリカ一人となる。どっと疲れを感じた体に任せるまま、グレンが座っていたソファに倒れこむ。

 そっと胸元からペンダントを取り出した。幼い頃、お祭りの露店で3人お揃いで買った花のペンダント。3つに分かれていて、合わせると一つの花になるものだ。中心には小さい魔石のかけらが埋め込まれている。これだけでは何の魔法も発動できない、ただの飾りだ。

 メリカはいとおしむように親指でさらりと撫でる。握りしめ、胸に抱え込む。

 魔法学院に行ってしまえば、二人を裏切ってしまう気がした。一人、国を離れてのうのうと生きているだけでなく、故郷を滅ぼした人々がいるところで魔法を学ぶなんて、彼らは許さない。

 それでも。惹かれてしまう自分がいることが、メリカは苦しかった。ぽろぽろと声もあげずに涙を流す。思い出の中に言い訳を求めている自分を心底嫌って、グレンが食事を運んでくるまで、メリカは泣き続けていた。



 迷うメリカをよそに、あっという間に時間は過ぎていった。鍛練や買い物の合間に考えることはあったが、自分の中でもどうしたいのか、決断できずにいた。けれど時間は待ってくれない。

 夕食を食べ終え、入浴も済ませた後、グレンに話があると呼び止められた。

 ソファに座り、テーブルを挟んで互いに向かい合う。グレンはいつも通りの様子でソファにふんぞり返り、さすがに自重したのか酒ではなく、フレン葉の紅茶を飲んでいる。

「……例の話だが」

「私、行きます。魔法学院に」

 グレンの言葉を遮って、口を開く。

 グレンはなにも言わず、じっとメリカを見つめている。

「ノーランガルドの人ばかりのところに行くのは怖いし、バレたらどうしようって思うけど、魔法を学ぶには最適の場所です。……それに、王都へ行けば人も多い。もしかしたら、あいつらの手がかりが見つかるかもしれない」

 今まで、グレンにも話していない、幼馴染み達が生きているかもしれないという淡い期待を口にした。

「あの状況で、生きてるとは限らんぞ」

 無情にも否定したグレンだったが、その目はメリカの言葉を肯定しているようにも見えた。

「家に行っても死体はなかった。もしかしたらかろうじて逃げ出してどこかで生きてるかもしれない」

「それでお前が前向きになるならいいけどな」

 ずずっと紅茶を啜るグレン。その目は窓の外を見つめていて、口元はカップで隠れている。

 膝に置いた手はいつの間にかズボンを握りしめていた。

 ぼそりと、いいんだなと呟くグレンの言葉に肯定を返す。恐れが消えたわけではない、無条件に生存を信じているわけでもない。でも、このままこの森に居続けても約束は果たせそうにないと感じていた。

「わかった。手続きはこっちでうまくやっておく。お前は周りに馴染めるように練習でもしてたらどうだ?」

 メリカをからかうようにニヤニヤとこちらを見て笑うグレンに対して、

「師匠の方こそ、一人になってちゃんと生活できるんですか」

「……俺、まだお前に寮暮らしだとは言ってないが」

「前に、ダンテから色々聞きました」

「手のかかるやつがいなくなって気が楽になるよ」

 互いに悪態をついた後、沈黙が広がる。パチリと暖炉で薪の燃える音がする以外は、無音の世界が訪れる。

「何かあれば、すぐに連絡しろ。正体がバレたでもなんでも。それと、2,3ヶ月に1度は顔を見せにこい」

「過保護ですか」

「いいだろう、別に」

 カップに手を伸ばし、一口飲む。暖かさをほんのりと感じる水面にいまだ子どもらしい顔つきが映りこむ。

 ちらりとグレンを見ると、まだ窓の外に顔を向けていて、その表情はどこか決意じみたものを感じさせた。

 そんな師の姿を横目に、紅茶に口をつける。グレンの入れる紅茶ともしばらくお別れになるのかと思うと、心に少し寂しさが灯るような気配がした。



 あれよあれよと月日は過ぎ、春の訪れが感じられるようになったある月。魔法学院へと入学するため、フレスベルクを離れる日がやって来た。

 メリカは部屋で荷造りをしていた。何着かの着替えと魔法具、置いていくには惜しい書物など、鞄一つに収まってしまうくらいであった。向こうの寮に着いたら用意すればいいものばかりなので荷物は最小限だ。

「準備できたか」

「もう少しです」

「終わったら早くこい。乗り合い馬車を乗り過ごすぞ」

 グレンに声をかけられ、最後の荷物を鞄に押し込む。

 てっきり、ここで別れて一人王都へ向かうと思っていたメリカだったが、グレンは王都までついてくるらしい。旧知に会う用事があるとのことだった。

 一昨日告げられるまで、少し名残惜しくなっていた自分が恥ずかしくなった。

 荷造りを終え、部屋の外へ出る。小さい姿でソファに寛いでいたグロースがぴょんとメリカの肩によじ登る。シルはメリカについてくるようだった。魔物を連れていて大丈夫なのかとグレンに尋ねたが、見つからなければ平気だと、あっさりと許可した。

「これからはお前も一緒だから、寂しくないね」

 メリカが頭を撫でてやると気持ち良さそうに、喉をならす。この五年でグロースもメリカにとっては家族の一員となっていた。

 外へ出ると、荷物を担いだグレンの他にダンテの姿があった。メリカに気がつくと、近づいてきて、袋を手渡してきた。

「餞別だ」

 中身はインクと羽ペン。羽ペンに触れると、なにかに反応したのかペン先が青く光る。

「マナに反応して、どこでも文字が書ける魔法具だ。そのインクもマナを含めた特別製だ。使い方は、道中、グレンさんに聞いてくれ」

「……ありがとう、ダンテ。大切に使う」

「元気でやれよ、メリカ」

 思わぬ餞別に胸が暖かくなる。

 街の近くまで歩き、乗り合い馬車がきたところで、ダンテと別れた。

 乗り合い馬車には、グレンとメリカだけだったが、王都に向かうにつれて、暑苦しいほどに人が乗るとグレンは言った。

 ガタガタと揺れる馬車に合わせて振動が伝わる。左を見ると、フレスベルクの街がしだいに小さくなっていく。五年前に訪れてから今まで住んでいた街を離れるのだと思うと、途端に寂しさが込み上げる。

 グレンは顔を変えていた。今は、黒髪に黒目、無精髭を少し生やした三十代くらいの男になっている。元の姿のままで王都にいるのはまずいのだという。

 親子みたいだなと思ったが、口には出さなかった。


 風が吹き、草原が揺れる。暖かな陽気に膝の上のグロースはうとうとと船をこいでいる。

 服の上からペンダントをぎゅっと握りしめる。不安にかられるが、手がかりが得られるかもしれないという期待と魔法を学べるという好奇心が、メリカの胸を高鳴らせていた。

 新たな出会いと再会、そこで巻き込まれる陰謀を、メリカはまだ知らない。

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思い出を胸に 悠季 @y_im53

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