転換
その日は、日課の走り込みの後、家に戻らず、泉の近くで本を読んでいた。しばらく、物語に没頭していたが、不意にがさがさと草むらの奥で何かが動く音がした。
メリカは音に気がつくとページをめくる手を止め、様子を伺う。グレンが言うには、この辺りに出ることはないが、森の奥には魔物が住んでいるという。この辺りまで来てしまったのだろうかと警戒を強める。
草むらから出てきたのは、赤い鱗の持つ、竜のような姿の魔物だった。ドラゴンの方が近いかもしれない。大きくはなく子どものようだ。ふらふらと歩いていて、腹から血を流している。魔物はメリカを気にすることなく、荒い息を吐き、ふらふらと倒れこんだ。
メリカが近づこうとすると、威嚇しうなり声をあげるがその声も弱々しい。
「どうしよう……グレンは安易に助けるなって言うけど」
助けたい気持ちはあるが、警戒されていることに加え、治療の仕方もわからなかった。治癒の魔法が使えれば簡単に治療できるが、グレンに反対されていて魔法は教わっていない。
メリカが狼狽える間にも、深い傷から出血は止まらず、草むらを汚していく。呼吸もだんだんと弱々しくなっていく。
メリカの目には、例の不思議な光が見えていた。魔物の中の光はだんだんと弱まっていき、今にも消えてしまいそうだった。
以前から、これはマナなのではないかと彼女は感じていた。魔法を使う源。人々の生命力の源。
これが回復すれば、傷も癒えるはずだとわかっているのに何もできない。
(周りの浮かぶこの光もマナなら、この子に移せれば、私が魔法を使えなくても治せるのに)
不意に周りを漂う光の一つに手を伸ばす。触れることはできないが暖かさを感じる。咄嗟に、光を手で包み、魔物へとかざしてみた。すると、光は魔物へと吸い込まれていき、次の瞬間には、出血が止まり、傷も塞がりかけていた。
「やった……!」
なぜ成功したかはわからないが、魔物を助けられたことにメリカは安堵した。眠りについた魔物を優しく抱き抱え、グレンに見てもらおうと足早に家へと向かった。
「お前、これどうやった……!?」
メリカから魔物の状態を聞いたグレンの表情はメリカが予想していたものとは違っていた。驚きと焦りを浮かべていたが、治療を施してくれた。
「周りの光をこの子に当ててあげたら、傷が塞がって……」
正直に答えるとグレンにいきなり腕を捕まれ、びくりと体が震える。
グレンはメリカの奥底を見るかのように、目を見つめてくる。
「マナは……減ってないな。てことは……」
グレンは舌打ちをして、メリカの腕を離す。
何かまずいことをしてしまったのだろうかとメリカは顔を俯ける。助けられたのに自分はとんでもないことをしてしまったのだろうかと。
「とりあえず、こいつは無事だ。お前の対処が早かったおかげもある」
魔物の命が助かったことにほっと胸を撫で下ろす。
グレンはあいかわらずピリピリとした雰囲気だった。
「……メリカ。遅かれ早かれ俺はお前に魔法を教えるつもりだった。でもお前がもっと成長してから。けれどこうなった以上仕方がない」
そう言うと、グレンは今までにないような、真剣な表情をメリカに向ける。
「魔法は万能だが、それ故に人も殺せる。お前も見ただろう。人が持つにはでかすぎる力だ。それを理解した上でお前は扱えるのか」
思い出すのは二年前の惨事。魔法師が魔法を使い、村を襲うのを見ていたあの時のこと。
そして、三人での交わした、もう一つの約束。
「できることがあるのにやらないのは、もうしたくない」
「……わかった」
グレンの返答に、メリカはぱあっと顔を輝かせる。
「その代わり! 俺の教え方は甘くないぞ。こそこそ剣術の真似事もやってるみたいだが、そっちも見てやる。体力だってそこそこはついただろうしな。元々は、お前が何か危ない目にあっても、対処できるように教えるつもりではあったんだ」
「……ありがとう」
「喜んでいるのも今のうちだ、どうせすぐに泣きべそかくに決まってるぞ」
「し、しない」
挑発するようなグレンの言葉にむきになるメリカだったが、しゃがみこんで目線を合わせてきたグレンの憂いを帯びた瞳を見て、思わず口を閉じる。
「いいか、メリカ。魔法っていうのは、元々師から弟子に受け継がれるものだったんだ。だからこれから、俺はお前の師匠だ。」
「グレンが私の……。魔法も剣術も、どっちも教えてくれるの?」
「そうだよ。ったく、こんな生意気なクソガキが弟子より美人の方がいいっつうの」
悪態をついたグレンは、メリカのおでこに一発、凸ピンを食らわせた。
こうして、グレンとメリカ、師弟としての関係が始まった。
それからメリカはグレンに連れられフレスベルクのとある場所を訪れる。中心地から一本外れた路地に面した、古い店だった。
「邪魔するぞ、フランツ」
馴染みの店なのか、遠慮することなく店に入るグレンに続き、メリカも足を踏み入れる。
店の中は、商品であろう様々なもので埋め尽くされていた。杖や魔石、紙やペン、インクに、壁一面の本棚に入れられた数多くの本まで、色んなものがあった。
「ここは?」
「写本工房兼魔道具屋だ。これから世話になるから覚えておけ」
メリカにとっては珍しいものばかりで、きょろきょろと辺りを見てしまう。
「いつも騒がしくしないと来れないのか」
店の奥から、二十代くらいの男とメリカより少し年上ほどの少年が出てきた。
メリカは久しぶりに見た同年代の子に目を向けていたが、少年はメリカはちらりと見るとすぐに目をそらしてしまう。
「今日は何の用だ」
「こいつにあった杖を作りたくてな」
グレンはメリカの頭に手を置いて髪をくしゃくしゃとかき回す。乱された髪を直しながら、顔を見上げ店主である男を見る。
男は、メリカを一瞥すると、引き出しから透明な石を取り出す。何か一言詠唱すると、石はふわふわと浮かび、メリカの前でぴたりと止まった。
「隠し子か?」
「ばか、ちげえよ、例のやつだ」
店主の触れという言葉に従い、メリカは右手を伸ばし、石に触れる。すると、自分の中の何かが外へ出ていくような感覚に襲われた。ふらつきそうになりながらも、両足を踏ん張りなんとか立つ。透明な石はいつの間にか青く光っていて、その光の量は石からあふれでるほどだった。
「魔力量は中の上くらいか……。しかし、これは」
店主の驚きの声は、メリカの周りをふわふわと飛び回る、白い光に向けられていた。メリカがいつも見る、周りを漂う光と同じようなものに見えたが、メリカから離れることはなく、ぐるぐると飛んでいる。
ふと、少年を見ると、メリカを見る少年の顔は驚きを隠せないといったものだった。
メリカは急に不安に駆られ、顔をあげてグレンを見た。
グレンはメリカの姿を映すことなく、鋭い視線は彼女の周りを飛ぶ光に向けられていた。いつにない彼の表情に、メリカの不安は高まる。
「だいぶわかった。お嬢ちゃん、もう離していい」
メリカが石から手を離すと、青い光は収まり、周りを飛んでいた光もふっと消え、石はもとの透明で透き通ったものに戻っていた。またふわふわと飛んで、店主の手の中に戻る。
「魔石の補助は入らんな。となると、杖の材質だが……」
店主はぶつぶつと呟きながら、手元の紙に何かを書いていく。しばらくそうしていたが、一度ちらりとグレンの方を見ると、
「ダンテ。奥から持ってきてくれ。あれだ」
「……いいんですか」
「お前も見ただろう。かまわん」
ダンテと呼ばれた少年は、メリカ一瞥すると、店主の言葉にしたがい、店の奥へと消えていった。
さっきから、自分ばかりが何もわからず驚かれたりして、何が自分にはあるのだろうかと思ったが、グレンに聞いても教えてはくれないだろうと諦める。
しばらくして、布に包まれた大きなものを抱えて、ダンテが戻ってきた。布を広げると、現れたのは太い木の枝。ダンテは枝を抱えながら、メリカの目の前にきて、触れと言った。言われるがまま、枝に触れると、不思議と懐かしい感覚に襲われた。それと同時に脳裏に大きな樹の映像がフラッシュバックする。その樹の根元には大きな建物と高い塔。空では何匹ものドラゴンがぐるぐると樹の周りを飛び回っている。その映像は一瞬で消えてしまい、次の瞬間には周りはもとの店になっていた。
「相性はいいようだな。じゃあ、これで作るが、いいな」
「ああ、頼む。代金は受け取りの時に」
そう言うと、グレンはいくつか棚から商品を手にとり、支払いを済ませた。店主から受けとると、行くぞとメリカに一言声をかけ、店の外へと出ていく。メリカも慌てて追いかけるが、出る間際に振り向き、ありがとうございました、よろしくお願いしますと店主と少年に声をかけて、先に行ってしまったグレンを追いかけようと駆け出した。
それからは、魔法の使い方と剣術をグレンから教わる日々だった。まずは自分の魔力炉を把握することだ、と言われ、ひたすら自分の内側にあるマナを感じ取れるようになるまで、自分と向き合う日々だった。
グレン曰く、マナは魔法の源でもあるが生命力の源でもある。体をぐるぐると巡っていて、枯渇すれば死ぬ。魔法は生命維持に必要以上のマナを持つことで初めて扱うことができる。自分のマナはどのくらいあるのか、生命維持とそれ以外の量を把握しなければ、すぐに枯渇させてあっけなく死ぬぞ、と半ば脅しのようだった。言われるがまま、内側と向き合い、自分のマナを把握できるようになると実践が始まった。
最初は簡単なものから始まった。火をつける、物を浮かせる、汚れた水を浄化する。
その合間にグレンは剣術も教えてくれた。まずは短剣の扱いから、慣れてきたら、片手持ちの剣の扱い方を教えてくれた。
魔法師が一番無防備なのは、マナを切らせた時だという。自らのマナしか使えず回復するのに一日を要する以上、そうなった場合に対処ができるように体力をつけ、身を守れるようにすることが大事なのだと。
次第に、グレンを相手に手合わせをするようになった。魔法の練習も兼ねて、身体強化の魔法を自分にかけて、向かってくるグレンの剣をひたすら受け流し、反撃の好機を探る。メリカも必死に食らいつくが、いつも転がされてばかりだった。
グレンは強かった。魔法の腕も剣術も、半端な考えでは勝てないほどだった。一度、おとぎ話に出てくる魔術師のようだ、と言ったら、そんなわけがあるかと容赦なくぼこぼこにされた。
メリカが助けた魔物は、傷が癒えても森に戻ることはなく、メリカに懐いてしまっていた。一年もすると、たちまち大きくなり、美しい赤い鱗と翼を持つ飛竜へと成長した。魔物であるからか姿を変えられるらしく、時折小さい姿になることもあった。メリカはグロースと名づけ、きょうだいのように可愛がった。
そんな、魔法と剣術の修行に明け暮れる日々が3年続いた。
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