経緯

 時折吹く風が汗ばんだ髪をなびかせる。慣れない山道を歩き続けたおかげで、春になったばかりなのに、メリカの体は汗だくだった。

 目の前にはメリカを戦火から助けた男ーーグレンが歩いている。長身は青いローブにすっぽりと埋まってしまっていて、一度もメリカを見ることなく、けれど歩く速度はメリカに合わせてくれていた。

 一度休み、夜明けに移動を開始してから今まで歩きっぱなしであり、傷を治してもらったとはいえ、体力は限界を迎えていた。

 しかし、この男についていかなければ、メリカはどうすればいいのかもわからない。歩みを止めるわけにはいかない。そう思い、再び歩き出そうとして、不意に視界が揺れた。転んだのか崩れ落ちたのかはわからないが、頬や掌に土の感触を感じた。

 音に反応して、グレンが立ち止まり、振り返る。歩み寄ると、メリカが起き上がるのに手を貸す。

「体力の限界だな。気づかなかった。悪い」

 グレンはメリカを横抱きに抱え、歩き始めた。

「あ、あるく……」

「やめておけ。あんなことがあった後だ。色々と消耗しているだろう」

 グレンの言う通り、あの悲惨な光景を見た直後。平気なわけがなかった。今までの疲れもあったのか、メリカは抵抗をやめて、大人しくグレンに運ばれることにした。

 グレンの歩みに合わせて、振動が伝わる。メリカには、それが心地よいものに感じた。幼い頃、母の背におぶさった時に感じたものに似ている。

 見上げると、フードに隠れていたグレンの顔が見えた。数時間前に出会った時からずっとフードを被っていたので顔を見るのは初めてだった。茶色の髪に茶色の瞳。なんてことはない普通によくある色だ。けれど、その瞳は、怒りや悲しさを内包しながらも、どこか決意じみたものを感じさせた。

 その瞳に怯えたメリカは、目の前のローブを握りしめて顔を埋め、しばらくグレンの顔を見ようとはしなかった。すると、次第に掌から伝わる人肌の暖かさと心地よい揺れに眠気を誘われ、いつの間にか意識を手放していた。



 目を覚ますと、飛び込んできたのは天井。体にかかる布団と触り心地の良いシーツに、ベッドに寝かされているのだと理解した。

 眠る前より良くなった体調にほっとしつつ、横を見ると、椅子に座ったグレンが、荷物の整理をし ていた。

「目が覚めたか」

「……ここは」

「リリアールの王都だ」

 大陸南部にある国だ、とメリカにも理解できた。しかし、メリカのいた村からリリアールの国境まではかなりの距離があるはずだった。さらに王都となればそれ以上の道のりだ。

「魔法だ。おまえが寝てる間にな」

 グレンはメリカの心を読んだかのように疑問に答えた。

「しばらくはここに滞在する。ノーランガルドとシグロアのいざこざが片付くまではな」

そう言われて、思わず村の惨状を思い出してしまった。炎に包まれた村。血の匂いとうめき声。かろうじて家にはたどり着いたが、両親は無惨な姿をしていた。ハイザはリオは無事だろうか。それとも両親と同じような目にあってしまったのだろうか。不意に思い出してしまった惨劇と己の現状に震えが止まらず、メリカは自分の体をかき抱いた。

 枕に顔を埋める。頬に冷たさを感じた。泣いているのだと気づくのに時間はかからなかった。声も出ず、ひたすらに泣いていると、頭に重みを感じた。優しくメリカの頭を撫でるその手に、父を思い出してしまい、余計に涙が止まらなくなった。



 しばらく泣いた後、グレンと共に下の酒場から持ってきた料理を食べて、空腹が満たした。暖かなスープは悲しみに暮れるメリカの心を暖めた。相当空腹だったのか、すぐに平らげてしまう。

「メリカ・アルバート、だったな」

「あなたは……」

「グレン。今からいくつか聞きたいことがある。お前も何か聞きたいことがあれば聞け」

 グレンはメリカにいくつか質問を投げかけた。年齢、家族構成、魔法が使えるのか、使えるならどういった魔法を使うのか、魔力量はどれくらいなのかと魔法に関係した質問が多かった。メリカはすらすらと答えた。魔法に関しては使えるかも魔力量もわからない、次の誕生日には魔力炉の有無を確かめ、魔法師になれるようなら教わるはずだった、と。メリカの回答を聞いたグレンは一瞬困ったような表情を浮かべたが、そうかとメリカの答えに納得した。

そ して、最後に。

「何か、周りで不思議なことはあったか」

 不思議なこと、と言われてもと思ったが、あることを思い出して、

「たまに、不思議な光が見える。人の中にも見えるし、周りをふわふわと浮いてることもある。人の中に見えるのはみんな、色や形が違うの」

 幼馴染や両親にも言っていないことを口にした。

 グレンは目を見開いて驚いた表情を浮かべると、

「それは、今も見えるか」

 とぼそりと、つぶやいた。

 メリカはその問いに肯定した。今も不思議な光は見えている。周りに浮かぶのは白い光、目の前のグレンには今まで見たことのない量の光が見える。

「そうか」

 そう呟くとグレンは顔をあげ、髪をかきあげて大きく息を吐いた。まるで自分を落ち着かせるかのようにも見えた。

「それは気にするな。けれど誰にも話すな。わかったか」

「……うん」

「大丈夫だ……心配するな」

 この人は何かを隠している。メリカはそう思ったが、自分を見るこの悲しそうだけれど優しい目を見て、信じようと、思った。

 次はお前の番だと言って、今度はメリカが質問する側となった。

「何で、村が襲われたの」

「ノーランガルドとシグロアの戦争だ。ノーランガルドの奇襲にお前の村は巻き込まれた。」

 戦争。国境付近の村だから兵士も滞在しているのに、そんな気配は微塵も感じなかった。突然のことだったのか、と沸々と小さな憤りを感じた。

「あなたは、何者なの」

「俺は……ノーランガルドの魔法師だ」

 その答えを聞いて怒りと疑問が芽生えた。青いローブはノーランガルドの魔法師だとは聞いていたから予想はしていたけれど、なぜ、敵国の人間が助けたりしたのか。

「待て。確かにノーランガルドの魔法師だが、お前の村を襲ったのとは別の部隊だ。それに俺は、自分のいたところから抜け出してきたんだ」

「……私を助けたことと関係あるの」

「……ああ」

 どういうことなのかと聞きたかったが、これ以上は答えられないと釘を刺される。

 このことは追求しても無駄だろうと、最後の質問を口にした。

「私、これからどうなるの」

「俺と一緒にいてもらう。悪いがシグロアに戻ることはできない。けれど、ノーランガルドやリリアールでならどうにか暮らせるようにしてやる。自分を襲った国にいるというのも、嫌だろうとは思うがな。お前の意思は尊重する」

 もう戻れないと言われ、なぜかすとんと受け入れられた。メリカ自身もわかっていたことだった。あの村の様では生きてる人はいない。自分一人で生きていくのは難しいのだから、グレンについていくのが一番だと道中で納得はしていた。

「……そっか。わかった。質問はもういい」

「……もう寝ろ。歩き通しだったんだ。疲れただろ」

 グレンに促され、毛布を被る。グレンは外に出てくると言って、部屋を出ようとした。

「あ、待って」

 メリカは、慌ててグレンを呼び止めた。呼び止められたグレンはメリカの方へ顔を向ける。茶色の瞳と目が合った。

「助けてくれて、ありがとう。グレンさん」

「……グレンでいい」

 足音はだんだんと遠ざかっていき、次第に無音となる。

 部屋にはメリカ一人となった。

 昨日の夕方の惨状から、一日半が経っていた。それだけしか経っていないのに、あの楽しかった日々が遠い昔のように感じられた。両親の、幼馴染の顔を思い出す。もう戻ってこないのだと、死んでしまったのだと実感すると、止まったはずの涙がまたこぼれてきた。さっきはこらえていた声を押さえてくれるものはなにもなく、メリカは嗚咽を堪えながら、泣き続けた。戻ってこない日々を思い出しながら。



 グレンと出会ってからの二ヶ月、リリアールの王都に滞在した。

 リリアールでもノーランガルドとシグロアの戦争の話は話題となっていた。戦争の原因は新たに見つかった、魔石の採掘地を巡る争いだった。結果はシグロアの大敗。国境付近の一部鉱山が、新たにノーランガルドの領地となった。魔石の取り分に関しても新しい取り決めが交わされた。

ノーランガルドの奇襲作戦で、多くの村や街が犠牲になり、死傷者の数もかなりいるという噂だった。

 どこにいってもその話題ばかりで気が滅入りそうだったが、グレンがいるおかげで、少しはましになる。一人であれば心が折れていた。

 ある時には、魔法師が集まるという場所へと連れていかれた。メリカを見る周りの目は、好奇心だったり軽蔑だったり、なぜそんな風に見られなければならないのか、不思議であったが心当たりもあった。グレンは気にするなと言ってくれたが、良くは思わない。そこで、魔力量を測ってもらい、基準以上の魔力炉だったため、魔法を使っても問題ないとされた。そこそこの量があるようで、魔法師の家系でもないのに珍しい、突然変異だなと測ってくれた初老の魔法師が教えてくれた。

 それからしばらくも、王都に滞在し続け、さらに二ヶ月が経った頃、突然ノーランガルドへ行くと告げられた。

「王都には行かねぇよ。知り合いがいる街に行く。外れに家もある。これからはそこで暮らす」

「私と、グレンで……?」

「ああ」

 そこからはあっという間だった。旅支度をして、乗り合い馬車を乗り継ぎ、野宿をしたり宿へと泊まったりを何度か繰り返して、ノーランガルド南部の街フレスベルクへと到着した。

 街外れの森の中に、これから住む家があった。お風呂にトイレ、キッチン、応接間兼リビング、小さな部屋二つの簡素な家。鍵は特殊で、グレンとメリカのマナに反応して開く仕組みになっていた。

「もしお前がシグロアの人間だとバレたら、面倒だ。あまり目立つことはするな。もしもの時はここに逃げ込め」

 そうして、グレンとメリカ、二人での暮らしが始まった。しばらくは体力をつけろとグレンに言われて森を走ったり筋トレをした。ふと、父が体力がついたら剣術を教えてやろうと言ってくれていたのを思い出して、悲しくなる時もあった。次第に、木で作った短剣で素振りをするようになった。

 グレンが勉強を教えてくれることもあった。教え方は上手くなかったけれど。

 グレンに連れられてフレスベルクへ買い物に出かけたりすることも増えていった。


 そんな生活が一年、続いた。

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