ビーバーと海

Wkumo

海辺にて

 遠く、カモメが鳴いている。

 波が引いては寄せる音。

 何かを忘れているような気がして家を出て、昔住んでた街まで電車でごとごと。道中は夢見心地で気がついたら海にいた。

 昔住んでいたアパートから海までは徒歩10分。気軽に行ける距離。落ち込んだとき、嬉しかったとき、感情を持てあましたとき、財布一つポケットに入れて、海。

 そんな感じで海と付き合っていた。

 昼は日光が海をきらきら照らすし、夜は夜で星空がいっぱいに広がる。環境は良い。

 今もこうやって沈みかけの夕陽が海に道を作りかけている。

 ぼんやりと、遠くを眺めて思いにふける。

 宿をとらないと、とか夜ご飯どうしよう、とかそういうことは意識の底に埋めて。

 埋めて。

 埋める。

 そう、俺はここに何かを埋めたような気がするんだ。

 大事なものだったような気もするし、それほど大事なものじゃなかったような気もする。

 忘れているんだ。

 それを埋めた日はどんな天気だったっけ。

 雨が降っていたような気もする。

 秋で。埋めようと思ったら雨が降り出して、嵐になるかと思ったけれどそうでもなさそうなので思い立ったが吉日ということで海まで来たんだっけ。

 それで、何を埋めたのだろう。

 肝心なところがはっきりしない。まさか人じゃないよな。

「私ですよ」

「はっ?」

「私を埋めたんです」

「お前は……」

「人ではありません」

「ビーバー……だよな」

「そうです」

「ビーバーがなぜ海に?」

「それ、説明しなきゃだめですか?」

「いや。俺、どうしてビーバーなんか埋めたんだろ……」

「なんかとは失礼ですね。私だって生きているんですよ」

「ああ、すまん。生き物を生きたまま砂浜に埋めるとか、悪趣味だな。当時の俺の感覚がわからんよ」

「ははは。きっと追い詰められていたんですよ。追い詰められて、その矛先が外部に向かうタイプ……と分析できますが、しかしあの場合はあなた自身を外部化したものに向けただけとも言えます」

「よくわからん、俺はお前を砂に埋めたんだろう?」

「まだ記憶が戻っていないのですか」

「実感がない」

「あなたは私、私はあなた。いにしえですよ、あなたは砂浜に、忘れてしまいたい『いにしえ』を埋めたのです」

「いにしえ……」

 その言葉を口に出すと、心に引っかかるような何かがある。だが、思い出そうと内部を探っても砂嵐のように記憶がかすれて掴めない。

「いにしえって?」

「いにしえはいにしえですよ。過去です。忘れてしまいたかったのでしょう?」

「過去……」

 記憶を今から前に辿ってゆくと、ちょうど5年、それより前のことが思い出せない。それがおそらく『いにしえ』なのだろう。

「しかし、お前が出てきているということは、いにしえは蘇っているということじゃないのか」

「そうともいえますし、違うともいえます。あなたが受け入れるかどうかにかかっていますから。私を取り込んでもいいし、また埋めてもいいし」

「生きているものを取り込むとか埋めるとか、無情だと思うんだが。そのままそこで生きててくれよ」

「は」

 ビーバーは目を丸くした。

「その選択肢は思いつきませんでしたね」

 そして足で砂をいじり始める。縦、横、斜め。どうやら絵を描いている。

 俺もビーバーにならって縦横に線を引き、一人で○×ゲームを始めた。

 こういうのはだいたい引き分けになるんだ。

 ○、×。○、×。繰り返す。

 結果はやっぱり引き分け。

 ビーバーは足を止めてそれをじっと見ていた。

「なあ」

「私があなたから離れてここで生きるとして、それであなたはいいんですか?」

 ビーバーはまた絵の続きに取りかかる。

「いいって何が」

「逃げたとか思い出せないとか考えて後悔しませんか?」

「あー」

「するんじゃないですか?」

「するかもな」

「じゃあやっぱり取り込むか埋めるかを」

「それはしたくない」

「はあ」

「後悔するとしても、生きているものをそういう風に扱うのは嫌なんだ」

 ビーバーは足を止めた。

「じゃあ私が生きてなければいいんですね?」

「待て早まるな」

「冗談ですよ」

 ビーバーは再び足を動かし出す。

「しかし、そこまで私に生きていてほしいと思うとは。案外あなたも『いにしえ』に愛着があるんじゃないですか?」

「知らないよ、そんなことは……」

「はは、すみません」

 しばらく沈黙が落ちる。俺は特に何もせず波を目で追っていた。

 と、ビーバーが足を元に戻す。どうやら絵が完成したようだ。

 鳥らしきものが描かれている。

「カモメ?」

「カラスですよ」

「わからんなあ。海なのに」

「海にもカラスはいますよ。まあ夜にはねぐらに帰りますけどね。あなたも……」

「うん……」

 一人と一匹は無言になって座り込み、足を砂に投げ出して日が沈むのを見ていた。

 星が出てきて夜風が吹いて、心地よい夏の夜。波の音に俺はうとうとと目を閉じる。

「また会いに来てくださいね」

 返事をする間もなく意識が落ちて、


 目が覚めると自分の部屋にいた。

 朝食を買いに行こうと玄関に出たら、靴に砂がついていて、ああそうか、と呟いてドアを開けた。

 今日は晴れ。

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