夢枕営業
@rasutodannsu
第1話
もしも、誰かが見る夢と自分の夢が交差したら?
祈りや想いは通じると信じている人もいるみたいだ。
由紀自身は、そうだったらいいのになぁと期待する程度である。
春の朝、目が覚めた時の由紀は、ふとんの真ん中にまっすぐ仰向けになった姿勢で着衣に乱れもなく、箱に入った人形のような状態だった。
夢の終わりが~床の中に置き去りになった自分~ということだったので、目覚めた時のありさまとつじつまが合っているなと思った。
夢の中身はとても甘いものだった。
由紀の大好きな若手のイケメン歌手に床の中で優しく抱きしめられ甘い美声で「いい匂いだけど、なんかつけてるんじゃないよね、自然なにおいだ。こういうのが好き」とささやかれていたのだ。
幸い浴衣を着たまま抱かれていたので、よれよれの体は見られていないはずだ。
もともと体臭が薄い由紀は、中年になっても加齢臭がない。その分においには敏感で化粧もせず香水もつけていない。
夢の中で彼が「自然なにおい」とささやいたのは当たっている。
しかし顔は隠せない。彼はどういうつもりでこんなおばさんの床の中にいたのだろうと由紀は疑問を感じる。
厭な言葉だけれど、枕営業とか?
正確には夢枕営業というべきか。
まったく無意味である。
リアルでも夢の中でも由紀にサービスしても彼には何の得もない。
由紀には彼のCDを何百枚も買うお金もないし彼を引き立ててやれるようなコネもない。
とにかく彼は甘い声を残したままいなくなり、置き去りになった由紀は茫然として目が覚めたというわけだ。
由紀がこんな夢をみたのには訳があった。
このところ彼にある提案をしたいと思う気持ちと、ド素人がよけいなことを言わなくてもいいという考えが頭の中で闘っていたからだ。
提案というのはシンプルでコミカルなものも歌ってみたらということ。
彼の外見も歌も美しく整いすぎていてスキがなさすぎるのではないかと感じていた。
YouTubeで有名になった『カバがスイカを食べる』という映像を観た時由紀は迫力を感じた。
作り込んだものでなくても一瞬のつかみ、これがモノを言うような気がしたのだ。
でもどんな人にも「その人にとっての時」がある。
彼がブレイクするときはいつかやってくると信じて、よけいなコメントはいらないなと由紀は自分を戒めた。
彼にしてみれば「ンなことより新曲のCD買ってくれぇ」ということなのだろうから。
もし夢が交差していたら、目覚めた彼は「ゲッ! 気色わるい夢見たぁ」とバスルームに飛び込み、熱いシャワーでロクでもない夢の記憶を洗い流すのだろう。
由紀は申し訳ないと思った。
それでも、彼がふっと(この辺でイメチェンしてみるか)などと思ってくれたらいいのになぁと、かすかな望みを抱いたりするのだった。 完
夢枕営業 @rasutodannsu
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます