痩せた男



 最後に言われた言葉が耳に残る。

 あの気遣いは如何なる意図か。夜道、帰るすがらにふと目についたガラス張りに、その答えを俺は見た。


 夜と言えば、すなわち百鬼夜行の舞台である。

 天を衝くには程遠い背丈をした建物の群れが、天を衝いてもなお足りぬと光を吐く。喧騒は質より量といった趣で、両手の指では足りない程度のグループが阿鼻叫喚のような声をあげて笑っている。時折それを、縫うように早足でサラリーマンが避けていく。俺は、片手にワンカップを備えてクラゲみたいにぶよぶよと行く。


 夜こそ本番のラーメン屋には行列。駅前の喫煙所はヒトを食らっては吐き出しての繰り返しで、待ちきれなかった手合いは食み出したところで煙草を味わっている。


 とろけるような家系の香り。それに紛れるアルコール匂。

 慣れた俺は道を一つ逸れる。それだけで、喧騒は祭りの跡のようになる。


 この辺りの大通りには、ど真ん中に一本の高架線が通っている。そして、そこを一線とした南北では何もかもが様変わりする。


 近いモノで例えれば駅近郊の街造りだ。北口と南口、西口と東口で『街』が違うのはよくあることで、その変化がこの街では、駅ではなく線路を切っ掛けに発生している。


 南は百鬼夜行の殲滅場。北に逸れれば、ただの夜。

 それがまさしく、遠くに逃げるねぶたの囃子のようであって、寂しくもあり、特別な何者かになったようでもある。そういう時に俺はよく、この街の明るい方を一瞥する。


 悪鬼羅刹ども。あれらの仲間に俺はなれない。なりたくもないとは強がりが過ぎる話で、戻れるものならいくら払ってもいい。戻りたい。




「……、……」


 ――痩せた男であった。




 身体が痩せているのではなく、その佇まいだ。白い灯を内包した古カンテラのような迫力の無さ。吹けば消えるだろうし、放っておけば朽ちるだろう有様。


 それが、南から来るネオンを浴びた閉店済みの床屋のガラスに映っていた。

 俺だった。




「……、」




 思い出したのは、俺が死のうと思っていたことである。

 でも人というのがこれがまた臆病で、贅沢で、死に場所というのに妙に拘る。これがただ世界に未練を喪って死ぬならその辺の浴槽で手首を切っても構わぬのだろうが、残念ながら俺は未練たらたらだ。したのは諦観ではなく絶望であって、人生を捲り返すだけの努力が面倒で死のうとしているだけなのだ。だから、俺みたいなのは死ぬ前に持っている金を使い切りたい。


 透明な鏡に映り込んだ俺の顔と目が合っている。

 そのゾンビは、ギチギチと視線を下に駆動させつつある。


 そこにあったのは、経年を思わせる日焼けを帯びた、とあるポスターであった。

 そこで俺はふと、相続した小金の存在を思い出したのだ。



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自殺旅行. SaJho. @MobiusTone

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