終戦のコーヒー
中略。
バイトを終えて。
「いやー助かったよ夏目氏」
「とんでもない」
春過ぎの22時は静かに冷えている。
それが労働後の身体には心地よく、甘さのない冷えたカフェオレを喉に注げば完璧にキマる。俺は今、着実に整いつつある。
「しかし参ったよ、あの新人……」
彼女は俺と同じ喫煙者である。
壁に背を預けて空に煙を吹く姿は疲労困憊そのものであったが、その目はモンエナ色に爛々としている。店長ってのは相当大変らしいって話だ。
「完全に音信不通になっちゃったね。この時期はホント、このリスクが付いて回るんだよなぁ」
夏目氏が戻る日を聞いておいてよかった、と店長。
「今日から研修おしまいだったんだ。……そういえば、二週間くらいってなるとちょうど夏目氏とは顔を合わせてないかな?」
「会ってないっすねぇ」
故にそいつの話を掘り下げるのは少々難しい。
愚痴の受け皿になるくらいしか出来ないのは目に見えていたので、代わりに俺は延び延びになっていた謝意を伝える。
「いきなり休ませてもらってどうもでした」
「問題なかったからいいよ。家庭の事情だっけ?」
「はい」
ちなみに、ここをやめるってハナシは今日は無事日和った。
疲れてるからな。明日にしないと精彩を欠くって寸法だ。
「……、……」
「……、」
そこでなんだか、内容物が透けて見えるような沈黙があった。
……結局、彼女は踏み込むのはよしたようであったが。
「あのばあちゃん今日も来てたねぇ」
「ですね」
相槌の続きが思いつかず、代わりにカフェオレを飲む。
と、店長は気にせず独り言みたいな続きを言う。
「あれ、いつも同じのだから飽きるんじゃないかと思って、こないだソースと一緒にタルタルを付けてあげたんだよ。最近なんだけどね?」
「俺がいないときっすか?」
「そうなんだけど、……でも夏目氏基本夕勤じゃない? あのおばちゃん昼にも来るんだよ」
「へぇ?」
一日二回コロッケ買いに来てるってことか?
思ってたより倍コロッケ好きなんだなぁ。
「で、私が言わなかったのが悪いんだけど、その日の夕方にまたおばあちゃん来て『これ間違って入ってました』って返しに来たんだよ」
「はぁ、わざわざ?」
真面目なのかクソ真面目なのか微妙なラインである。
「そこで私が、『そのまま使ってもらって構わないですよー』って言ったらおばあちゃんがね、なんていったと思う?」
「え? ……そうだったんですかーっつってコロッケ頼んで帰りましたか?」
「いや、すごいのよ。『アタシ愚図なもんで』って言って謝られて、タルタルも置いて行かれてコロッケ買って帰っていったよ。すごいよねおばあちゃんって、時折の自虐の切れ味が」
「愚図、今日日聞かないっすね……」
でも分からなくもない。おばあちゃんって存在は時々我々の予想を超えることがあるよな。すげぇ穏やかなおばあちゃんなのに犬のしつけでゲンコツしたり馬鹿みたいに辛いもん平気で食ったりするもんな。
「こじんまりしてて可愛いおばあちゃんだよねぇ」
「え、そういう着地点のトークすか?」
と俺が返すと、店長は煙草を深く吸った。
メビウスの6mm。俺のパーラメントはまだずいぶんと残っている。彼女が店長の席についてからの数年で、煙草を吸う速度は加速度的に増しているように思う。
店長の今日の仕事はまだまだ残っている。
俺は今日も、戻る店長の背中を見送ってからもう一本だけ煙草を吸うつもりである。
じりと火種の音。
少々の灰が風に紛れる。煙草の芯にオレンジの熱が灯っているのが見えた。
彼女は、それを放るように捨てて。
「あの」
「はい?」
「……一応、もう少し休んでも良いからね?」
そう言い残して、店に戻っていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます