卒業式の告白と憧れのお姉さん先生

久野真一

告白してみたら、思ってもみない反応だった件

 夕日の差し込む、そして、どこか薬品臭い臭いのする、薄汚れた部屋。

 とはいえ、高校の2年以上を過ごした、かけがえの無い場所でもある化学部部室。

 そんな部屋で、俺、桐生健吾きりゅうけんごは、物思いにふけっていた。

 「先生」は応えてくれるだろうか、と。

 そう考えて、無理だろうな、と心の中の冷静な自分が告げる。

 ま、駄目で元々だ。迷惑がかからないように卒業式の日を選んだのだし。


 数年後の俺が振り返ったら、とんだ自己満足だと笑っていそうな行為でもある。

 でも、「先生」とこの高校で過ごせるのもこれで最後だ。なら、別にいいだろう。

 本来なら、「元」化学部部長の俺たち、3年生組をお祝いするパーティがある。

 後輩たちには事情を打ち明けて「遅れるかもしれないが悪い」と言ってある。

 部活の悪友や後輩たちといえば

 「玉砕覚悟なんて、部長も物好きですよね」などと言っていた。

 完全に振られること前提である。

 まあ、無理もない。なんせ、相手は-


 と、ガラガラと入り口の扉を開ける音が聞こえてくる。来たか。

 結果が見えているとはいえ、緊張で喉がからからで、少し汗も出ている。


「こんにちは、畑山はたけやま先生。時間取ってもらってすいません」

「卒業前にってことだったからね。それくらい、顧問として当然のことよ」


 白衣をはためかせ、胸を張る若々しい長身の女性。

 名前を畑山美羽はたけやまみうという。

 今年の八月に二十日には二七歳になる、いわゆるアラサーの女性というやつだ。

 よく手入れされた長い黒髪に、女性にしては高い身長、やや鋭い目つきが特徴。


 彼女の白衣については、一度、疑問に思って、だいぶ前に


「美羽さんは、なんで学校だといつも白衣なんですか?」


 と聞いたことがある。答えはといえば、


「汚れに気を遣うのが面倒くさいのよ」


 というどーでもいいものだった。

 

 ともあれ、学校ではいつも白衣ということで、先生の中でも一際目立つ。

 それが美人で、しかも授業が面白くて、部活でも面倒見がいいとなれば尚更だ。

 男子共は当然として、女子からも人気が高い。


「それで、話なんですけど……少し長くなりそうですけど、いいですか?」


 一思いに告げるのがいいのかもしれない。生徒に言われても困る話だし。

 でも……あえて、きっかけから伝えたいと思った。


「うん。ちゃんと聞くから。安心して?」


 そう返す畑山先生は、微笑んでいて、いかにも余裕がありそうだった。


「でも、もう卒業なんだから、別に畑山先生でなくてもいいのよ?」

「じゃあ、美羽みうさん。初めてお会いした時の事って覚えてます?」


 当時、実家のお好み焼き屋でバイトしていた彼女にしてみれば、

 日常の一幕だっただろう。だから、期待はしていなかったのだけど。


「ああ、覚えてる、覚えてる。お父様たちと三人で来てたよね」

「ええ。俺……当時は僕でしたけど、八歳くらいでしたか」


 父さんが「たまにはお好み焼きでも行こう」と気まぐれで発言したのが発端。


「あの頃の健ちゃんは可愛かったよねー。思い出しても頬が緩むなあ」


 どこか嬉しそうに言う美羽さんだけど、俺としてはバツが悪い。


「そろそろ、「ちゃん」は取って欲しいんですけどね」

「本当に嫌なら止めるけど?」

「はいはい。健ちゃんでいいですよ、もう」


 この人も、親しみを込めたその呼び名を俺が本心では嫌がってないのをわかっているのだ。

 だからこそ、性質が悪いのだけど。


「でも、あの頃の健ちゃん、「子ども!」って感じで可愛かったなあ」

「そりゃ、当時で既に美羽さん高校生でしたし。そうでしょうけど」

「でも、年齢に似合わないこと言ってるなあって思ってたよ?」

「なんか言ってましたっけ」

「確か、中和の実験だったかな」

「あー、言ってたかもです。でも、所詮、ガキの考えることですよ」


 幼い頃から、液体と液体を混ぜ合わせて何かしてみるの好きだった俺。

 そこから、化学に興味を持ち始めて、ガキなりに色々やっていたのだ。


「でも、目をキラキラ輝かせて。だから、お節介焼きたくなっちゃったのかもね」

「今でも覚えてますよ。美羽さんの、「講義」は」

「それこそ、高校生の黒歴史だからやめて欲しいんだけどね」


 俺にとってはいい思い出なんだけどな。本気で嫌そうだ。


「でもまあ、それで、高校で化学部なんてものに入る羽目になったんですし」

「健ちゃんは飲み込みが早かったからなー。化学知識、もう私より詳しいでしょ」

「否定はしませんが、実験の方法論なんかも美羽さんに教わったんですよ」


 美羽さん……美羽先生、は、先生としてはとても熱心な人だ。

 化学の教科書は全く使わず、一からプリントを準備する。

 わからない生徒が居れば、放課後遅くまで、マンツーマンで補習すらする。


「そう……かな」


 自信なさげに、少し困惑した顔になる美羽さん。

 熱心で教師として力量もあるのに、ほんと、自信がないところは昔からだ。


「自信持ってください、美羽先生。最初の教え子の俺が言うんですから」

「っぷ。最初の教え子って……っぷ」


 勇気を出して言った言葉を笑われるのは、どうにも居心地が悪い。


「俺としては、割と真面目に言ったつもりなんですけどね」

「ごめんごめん。健ちゃんに似合わないキザな言い回しだったから」


 数十秒間も経って、ようやく笑うのを止めてくれた。


「で、ですね。美羽さんには小学校の頃から、色々面倒みてもらいましたよね」


 だから、始まりはきっと、ただの憧れだったんだろう。


「私も、歳の離れた弟ができたみたいで、嬉しかったのよ?」


 やっぱり、美羽さんは嬉しそうにそう言う。

 ただの生徒と先生だったら、ショックだからそれはいいんだけど。

 やっぱり、年の離れた弟、か。少し落ち込みそうになる。


「それでですね。高校受験でここ選んだのって、半分くらいは美羽さんが居るからだったんですよ」


 自分の事ながら、なんともはや呆れた動機だと思う。

 もちろん、それだけじゃなかったけど、美羽先生を見てみたい、というのも大きかった。

 実家のお好み焼き屋で昔バイトしていた、面倒をみてくれた美羽さん、ではなく。

 教師としての彼女はどんな人なんだろう、と思ったのが一つのきっかけだった。


「そこまで、健ちゃんの進路に影響与えてたのね。少し、責任感じちゃうなあ」

「いや、そこは俺が勝手に選んだことですから。というか、今のツッコミどころありありですよ」


 年頃の高校生が、異性の教師目当てに高校を選んだということなのだから。


「別に、そんな事をとやかく言うほど、私は心が狭くないよ」


 美羽さんは、そう言って、少し憮然とした表情になる。


「すいません。でも、そう言われて、微妙な気持ちになりませんでした?」


 これから言おうとしている事を考えれば、こんなの気遣いにすらならないだろう。

 でも、昔からの付き合いで、生徒と先生ではなかったとしても。

「歳の離れた弟」にそんな事言われてたら困りそうなものだ。


「ならないよ。そもそも、健ちゃんが1週間前に予告なんてするから……」


 目を閉じて何かを考え込んだ様子。


「でも、いきなり今日だと、予定空いてないかもしれないですよね」

「慎重なのは、健ちゃんのいいところだけど。私も、いろいろ考えたのよ?」


 困ったような、でも、嬉しそうな美羽さん。

 嬉しそう、というのは俺の希望的観測だろうか。


「考えたってどれくらいですか?」


 どうせ断られるにしても、せめて聞いておきたかった。


「ここ一週間くらいは、だいぶ睡眠不足になるくらいには、ね」


 今度は、少し疲れたような顔。ああ、そうか。

 美羽さんは、そういうところ、真剣に考えてしまうから。


「ありがとうございます。それだけ、真剣に考えてくれて」


 この後、振られるにしても、せめてお礼は言っておきたい。


「私も、考えてみれば、結構、無防備なことしてたのよねー」

「先生が、生徒を自分の家に誘うとか、冷静に考えると危ない橋ですよね」

「そうそう。つい、昔から面倒見てた子だから、ってガード緩んじゃってたけど」

「正月明けに、こたつで過ごしたのは楽しかったですよ」


 生徒と先生という立場になってからも、よく遊びに行ったものだ。

 本当に、たくさん。実家のすぐ近くに美羽さんの家があったのも災いした。


「あー、あれはねー。ちょっと……人恋しくて」


 なんだか、やたら恥ずかしそうな顔をして、そんな事を言ってくれてしまう。


「人恋しくてって……とても意外なんですけど。実家に顔出せばいいじゃないですか。すぐ近くなのに」

「社会人になって独り立ちすると、用もなく実家に顔を出すのも、それはそれで気まずいのよ」

「あー、親父さんたちだと心配しそうですね。学校で何かあったのか、とか」


 彼女が先生になってからも、俺は時折、実家のお好み焼き屋に顔を出していた。

 そして、その度に彼女の近況をご両親に聞かれたのを思い出す。


「そうなのよ。まったく、心配性なんだから」

「まあ、実家の話はともかくとして。先生としての美羽さんも素敵だなと思いますよ」

「も、もう、何?健ちゃん。そんなに褒め殺しして」

「掛け値なしの本音ですよ。俺が大学生になったら、会う機会も減るでしょうし」


 幸い、俺が進学するのは近所の大学だ。

 会おうと思って会えないわけではない。

 でも、俺は気楽な大学生でも、彼女は教師としての仕事が忙しい。

 彼女の実家経由でたまに話を聞くくらいになるんだろう、と思っている。


「納得。だから、この日にってことなのね」

「ええ。それに、生徒と先生だと問題ですけど、もうこの高校の生徒じゃなくなりますし」


 美羽さんの事を、俺は高校一年生の頃には好きになっていた。

 ただ、生徒と先生という立場がある。

 ただでさえ、美羽さんは、玉砕覚悟で男子生徒に告白された経験は多い。

 あれ、言う方は楽だろうけど、言われた方はとても気まずいんだよなあ。

 「あの子が悪いわけじゃないんだけど……」と前置きしつつ、愚痴っていた。

 先生と生徒という立場だと、その後、顔を合わせないというわけにもいかない。


「三年間も早いものよねえ。顧問としても、いろいろ一緒に出来て楽しかったよ?」

「何故か、化学部の合宿って、毎年温泉旅館でしたよね。意味不明でしたけど」

「私も入ったときにはあった伝統なのよね。なんでかしら……」


 首をかしげる美羽さん。

 部活の合宿といいつつ、温泉に入って、後は遊びまくってただけだった気がする。

 化学部という理系部活には、女子は一人もいなかった。

 だから、女子部員に気兼ねすることもなかった。


「で、そんな風に美羽さんといろいろ過ごしてきたわけですけど」

「うん……」


 話の風向きが変わったのを感じたのだろうか。

 美羽さんが、微笑んだ表情から、緊張したような、堅い表情になる。

 

「やっぱり、俺は美羽さんが好きなんだなあと、実感していくばかりだったんですよ」


 結局、言葉にすればそれだけのことだ。

 ただ、それだけで終わったら、一方的に想いを告げて終わりになってしまう。

 振られるにしても、きちんと、俺の意思は伝えないと。

 拒絶するような、激しい断り方を美羽さんはしないだろう。

 ただ、結論がわかっているだけに、気が重くなる。


「だから、付き合ってください。美羽さん。これからは、恋人として」


 身体中が熱い。なんだか、額から脂汗まで出ている。

 ただ、きちんと彼女の方を向いて、目を見て、最後まで告げた。

 告白、というのをするのは初めてだけど、とても緊張する。


「そっか。ありがとう、健ちゃん。そう言ってくれて嬉しいよ」


 そういいつつも、浮かない表情。断りの言葉を言うのは気が重いのだろう。

 美羽さんはそういう人だ。

 自分は教師で相手は生徒だから、と割り切るのが下手な人だし。


「でも、正直、不安があるの。私達、やっていけるかな」

「え?」


 予想もしていなかった返事に、時が止まった気がした。


「社会的立ち位置は問題ないとしても、私はやっぱりお仕事が忙しいし」

「え、ええ」


 あれ?何か、OKすること前提で話が進んでいるような?


「それに、私も今年で二十七よ。健ちゃんは、今年で十九よね」

「え、ええ。それは確かにそうですけど。歳の差って、そんなに問題ですか?」

「それこそ、学生時代の友達に何言われるやら……」

「そういう気が小さいところ、昔からですよね」


 真剣な話の最中だというのはわかっているけど、少し気が抜けてしまった。


「気が小さい、言わない!」

「そういうところも好きになったんですし、いいんじゃないかと」

「健ちゃん、そういうところ、楽天的よね」

「考えても仕方がないですよ。それより、お断りされると思ってたんですけど」


 OKだとして、どういう問題が発生するか話し合う状態になっている。

 

「あ、ごめん、ごめん!返事するの、すっかり忘れてて」

「そういう、うっかりミスが多いところも、やっぱり美羽さんですね」

「元部長の健ちゃんに、私が教えられることはもう何もないね」


 このひとは、本当に十近くも年上なんだろうか。

 そんな失礼なことを思ってしまう。


「私もね。悩んだのお。本当に。歳の差問題とか、ジェネレーションギャップとか。あと、年齢的に、楽しくお付き合いして終わりというわけにはいかないし……」

「結婚を視野に入れて、ということですか?」

「さすがにまだ高校生の健ちゃんにそれは言えないよ。ただ、この歳になると、恋に一筋!と行かないのがつらいとこなのよ。その辺はよく愚痴ってるから、健ちゃんは知ってるだろうけど」

「美羽さん、お酒飲むと、すっごい愚痴りますよね。まあ、教師って大変なんだなーと思いつつ、黙って聞いてましたけど」


 美羽先生の家に招待された時、たまにお酒が入ると、とても公言出来ないいろいろな愚痴を聞かされたものだ。


「社会人としては情けない限りだけどね。でも、そこまで心許せる男の人っていうのも、考えてみると健ちゃんくらいしか居ないし。それに、いろいろ、可愛いし。だから、私も、健ちゃんの事、好きだし、お付き合いしたいよ」

「え、ええと。ほんとに?」


 最初、断られるのを覚悟して、でも、後悔はしないようにと決めたはずだった。

 でもかえってきたのはお断りではなく、おっけーの返事。


「私がOKすると全く思ってなかったの?それは傷つくんだけど」

「い、いえ。だって、美羽さん、昔からモテたじゃないですか」


 お好み焼き屋でバイトしているときも、そうだった。

 よく彼女目当てに通う男性客を目撃した記憶がある。


「それはそれよ。でも、そうね……私も、気持ちに蓋をしてたのかも。好きになっちゃ駄目だって」

「教師と生徒だからですか?」

「それ以前の問題。年の差考えると、下手したらショタコンよ?私」

「別に俺は気にしませんけど」

「私が気にするの!でも、健ちゃん流に「なんとかなるさ」で行こうかな」


 グッと握りこぶしを固めて、一息。それで、何かが吹っ切れたようだった。


「じゃあ、今日から、改めて、よろしくね?健ちゃん」


 そう言って、美羽さんは、手を差し出してきた。

 その光景は、いつか、子どもの頃に遊びに連れて行ってもらった頃のようで-


「ええ、よろしくお願いします。美羽さん」


 俺も手を差し出して、お互いに手を握りあったのだった。

 ま、予想外の返事だったけど、きっと、なんとかなるさ。

 って、何か忘れてたような-


「あ!化学部の卒業お祝いパーティーがあるの忘れてました!」

「大変!急ぎましょ?」

「先生も、せっかくだから、来ませんか?」

「うーん。今日はもうお仕事ないし。行こうかな」


 手をつなぎながら、早足で歩き始める俺たち。


「そういえば、今日の告白のこと、部活連中には言ったんですけど」


 部室を出ると、もうすぐ日が沈もうかという時間になっていた。

 それだけ長い時間話し込んでいたのだと、今更気がついた。


「それで?」

「皆、「慰めてやるから」と優しい言葉をくれましたよ、ええ」

「それ、私が行くと、からかわれるの間違い無しのパターンだと思うのだけど」

「今更、気が付きました。先生はやめときます?」


 さすがに、俺はいいとして、美羽さんは恥ずかし過ぎるだろう。

 後々まで、化学部に残る伝説になりそうだ。


「いい。行く。これくらい乗り越えられなくちゃ、やってけないもんね」

「覚悟決めると、一直線なところも相変わらずですね」

「ま、お姉さんにどーんと任せなさい!」


 不敵な表情で、にやりと笑う美羽さん。

 心の中で「後で、羞恥に悶えてそう」と思ったけど、言わないことにした。


☆☆☆☆あとがき☆☆☆☆

というわけで、先生と生徒の恋のお話でした。

ただ、歳の差がある「お姉さん」とのお話要素がメインになって、

教師養素はサブになっちゃいましたね。


テーマは「頼りない年上のお姉さん」あたりでしょうか。

二人の対話を微笑ましく見守っていただけなら、幸いです。


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