ニセ美佐子

鮭さん

ニセ美佐子

*差別的な表現が含まれています。



 彼女に「君のお父さんを殺したら怒るか?」と聞いたらガチギレされてしまい別れることになった。さっきまでは仲良くいちゃいちゃしていたのに。彼女は淡々と荷物をまとめて部屋から出て行く準備をしている。何度謝ってもびくともしないので今回ばかりはもうどうしようもないのだろう。人生本当に何が起こるかわからない。人生は突然だ。深い意味はなかった。ただなんとなく口から出たんだ。何度もそう話したけど無駄だった。美佐子とは出会って丁度二年経った。一年前から特に大きな喧嘩もなく一緒に暮らしていたのだけど。まあ小競り合いくらいはあったけど。上手くいかないものだ。部屋の隅で段ボール箱に荷物を詰める彼女。巣を出て独り立ちするツバメのようだ。


「僕は美佐子のことずっと好きだから、もし気が向いたらいつでも連絡してください。恋人じゃなくても、友達でいたいです。」


 引っ越し業社と一緒に彼女は出て行った。僕はラインを送った。足掻きみたいなものだ。


 美佐子がいなくなっても生活は続く。ちょっと広くなった部屋で。そういえば誕生日プレゼントで点鼻薬を買ってもらったことがあったな。今はもう使い切って捨ててしまったと思うけど。ああ、こんなことになるなら取っておけばよかった。別れた恋人との思い出は残しておきたい派なんだ。エモいから。人生はエモくなきゃいけない。あの小さな人形みたいな点鼻薬のプラスチックケースを美佐子だと思えば寂しさも紛れるかもしれないのに。まあ、今使っている点鼻薬でもいいか。これを美佐子に貰った点鼻薬だったと思い込んでそして美佐子だと思い込むことにしよう。きっと人生はこんな風に進んでいく。そしてそれが正解なんだ。


 テレビをつけたら大学教員が強制わいせつで逮捕されていて可哀想だった。逮捕されると自由に人生を営めなくなるからね。勿論強制わいせつの被害に遭われた方も可哀想だけどさ。次のニュースでは会社員が殺人で逮捕されていて可哀想だった。逮捕されると自由に人生を営めなくなるからね。勿論殺人の被害に遭われた方も可哀想だけどね。さてさてさてさて、次のニュースはなんだろう。ワクワクドキドキしているとチャイムがなった。


 ピンポーン


 チャイムが鳴ったが出ることはない。なぜなら深夜0時だからだ。こんな時間にチャイムを押すなんて怪しいやつに決まっている。私は無視した。


 ピンポーン


 しばらくして再び鳴った。怖い。美佐子と一緒でよかった。私は美佐子を手に取り、しゅっしゅっと点鼻薬を噴出させた。セックスだ。美佐子が挿す側になったんだね。

「鯨みたいだな。美佐子。」

 トゥルルルルー、トゥルルルルー

 今度はiPhoneが鳴った。誰だ。こんな時間に。

「はいもしもし。」

「あ、美佐子です。ごめんなさい。私おかしかったわ。別れるようなことではなかった。もう一度やり直して欲しいな。今チャイムを押したのは私です。開けて欲しいな。」

 んん、美佐子とは今セックスしているんだ。ニセ美佐子。ニセ美佐子が現れたか。全く、どういうことなのだ。何を考えているのだ。

「やい何者だニセ美佐子。美佐子とは今鼻セックスをしているぞ。何者だ。何者だ。きっさまきっさま何者だ。」

「ニセ?偽ではないわ。何を言ってるのよ。え?」

ねずみ)「チューチュー。チュッチュッチュチューチュー、チャーチュチュー。」

「うるさいぞ。貴様、早く玄関から去らないと警察に電話してしまうぞ。美佐子と俺は今鼻セックスしているのに玄関の前にいる美佐子が本物のはずがないだろうが。早く去れ、去れ去れ。」

「ええそんな。私よ美佐子よー!!どうしちゃったのよー!!」

「うるせー!!ニセ美佐子ー!!去れー!!去れー!!どっか行ってしまえわ!!」


 ああ、この人はもうダメかもしれないわ。私と別れておかしくなっちゃったのかも知れません。冗談で言っているようにも聞こえませんものね。本気で言っているようですもの。よくわかりませんが本物の美佐子が部屋の中にいるようで私は偽物のようですわ。あっ、カブトムシのメスよ。カブトムシのメスが電灯に集まってきているわね。私はカブトムシのメスかしら?違うわよね。うーん。でも狂っちゃった男にこのまま粘着していたら私もカブトムシのメスみたいなものなのかもしれないわ。電灯に集まるカブトムシのメスよ。ここは大人しくひいて、駅前の漫画喫茶にでもいくべきなのかもしれないわね。『君のお父さんを殺したら怒るか?』ていうのもなんだったんでしょう。私のお父さんのことなんか殺してなんになるというの。なんのメリットがあるのよ。延命装置をつけている人ならいいのよ。そういう人なら殺してもいいんだけど元気なお父さんは殺してはだめよ。もっと老人とかならいいのだけれど。介護が必要な人とかならいいのよ。うちのお父さんには死んで貰っちゃ困るの。まだまだ現役真っ盛りなんだからね。それにパパは早稲田大学出身だし。


 カツカツカツカツ、カツカツカツカツ


 ハイヒールで音を立てながら淡々とアパートの階段を降りていく美佐子。

「ふう、夜風が身に染みるわ。」

 そう呟く彼女の目には涙が浮かんでいた。


 ピヨピヨ、ピヨピヨ


 気づくと朝になっていた。鳥が鳴いている。朝だから鳥が鳴くのか。うーん。朝だから?ああそうか、夜は鳴かないから朝鳴く鳥が目立つのか。朝鳴くというよりも夜鳴かないのだ。私は気づきを得た。そして、日記帳にメモした。

『朝鳥が鳴いているイメージがあるのは、夜には鳥が鳴かないから。変化するタイミングだから。』

 はいはいはい。今日は発見があったのでいい日だ。いい日です。いい日だ。こんな日は散歩でもしようかな。ドアを開けて外に出る。カブトムシのメスの死体が目に入る。カサカサしている。昨晩はニセ美佐子が来て怖かった。『ニセ』は怖い。日常に忍び寄る影。魔の手。ドアを開けなくてよかった。

「な、美佐子。」

 胸ポケットの美佐子に話しかけるも返事はない。コツコツコツコツ階段を降りると子供達が道路ではしゃいでいる。元気な子供達は素敵だ。そのまま元気でいてくれ。元気に働いてくれ。そして将来の私たちを支えてくれ。私は思った。ああ、気分がいい。気分がいい。元気な子供達は気分がいい。

「あいつらが希望だ。俺たちの。」

 私は胸ポケットから美佐子を取り出し、希望たちを見せてやった。

 シュッシュッシュッ

 ついでにセックス。美佐子はセックスが上手だ。花粉症で詰まった鼻がよく通る。美佐子はセックスが上手、美佐子はセックスが上手。少し歩いて川沿いに来た。腰の曲がったお婆さんが信号待ちをしていて平和だ。優しい世界のような気がする。優しい世界、いいじゃん。最高じゃん。ずんぐずぐずぐ、ずんぐずぐずぐ。話しかけてみることにしよう。

「おばあさん。こんにちは。太陽が綺麗ですね。太陽は信号待ちするんでしょうか?」

「あらまあ、しないべえ。太陽は信号待ちしないべえ。」

「ははは、そうですね。僕らも太陽のように信号待ちなんてしなくて良くなりたいですね。」

「うー、全く近頃の若えもんは。信号待ちは大事だべえ。こういう風になあ、なんもせずただぼうっとする時間を作ってくれる信号様ってのはなあ、偉大なんだぜぇ。遠くの風景とか見ながらぼうっとするってのはなあ、貴重な時間なんだべぇ。」

「ははは、確かにそうかもしれませんね。」

 思慮深い生意気な婆さんだ。私は腹が立った。こんな婆さんに限って、YouTubeに違法アップロードされた動画を見たりしているのだ。そうだ。そうに違いない。

「あの、おばあさん。YouTubeで違法アップロードされた動画とか見ているでしょう。」

「んん?YouTube?なんじゃいそれは。なんじゃい?なんじゃい?」

 はっはっはっはっ。とんだ情弱だったか。はっはっはっはっはっ。はっはっはっはっはっ。私は心の中で婆さんを馬鹿にして笑った。

「次の選挙は、この安倍晋次、安倍晋次に1票を。安倍晋次に一票をよろしくお願い致します。」

 安倍元首相の選挙カーがやってきた。前首相の選挙カーも信号の前で止まる。信号機は権力者だ。私は思った。

 ピーポーピーポーピーポーピーポー、ピーポーピーポーピーポーピーポー、ウウウウウウウウウウウウウウウウウウ、ウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ

「右、曲がります。右、曲がります。」

 救急車がやってきて、信号を無視して進んで行った。救急車は信号待ちをしない。救急車は太陽だ。私は思った。走り去り、低くなっていくサイレンの音。『お前は太陽か?』そう問いかけられているような気もしてくる。全く、嫌になっちまうぜ。こんちくしょう。こんちくしょう。こんちく、こんちく。


 信号を渡り河川敷に出る。堤防のあたりに桜の木が綺麗に並んでいる。今は夏だから咲いていないのだけれど、夏だから咲いていなくても桜は生きてるんだよな。立派な桜たちだ。我が町の誇りだよ。

「ほら、我が町の誇りだよ。」

 美佐子にも見せてやる。喜んでいるようだ。うん、喜んでいるよな?喜んでいる?少し不安になったが喜んでいることとしよう。あっ、あの男。川沿いの階段に座っているあの男。あいつは確か大学時代の友達のたかとだ。よく一緒にゲームをして遊んだっけな。久しぶりだ。三年ぶりかな。ちょうど今日は暇だしまた一緒にゲームでもしたい気分だなあ。うんうんうん、そんな気分だなあ。声かけてみよっと。

「おい!!たかと!!久しぶり!!」

「んっ。えっ、ああ、お前、義彦じゃねーか!!おお!!久しぶり!!こんなとこで何やってんだ。」

 全く、変わってねえなあ。元気そうで何よりだぜベイベー。

「全く、変わってねえなあ。元気そうで何よりだぜベイベー。」

「おお、お前こそな。こんなところで何やってんだ?」

「あのさ、暇?家来てゲームしない?」

「おお、いいぜ。やろうやろう。こんなところで何やってんだ?」

 ということで家にたかとを連れ込んでゲームを始めたのだけれど流石たかとだ。ゲームがうまい。上手すぎる。大学時代は勝率3%とかだったが今日は一回も勝ててない。

「お前流石だなー。なんでそんなに強いんだろうなー。」

「ははは。才能だよ才能。」

 うう、悔しいな。俺だって男なんだ。負けたくない。負けたくない。ここはいっちょ美佐子をポケットから出して本気を出すか。私は美佐子を胸ポケットから取り出し棚に置いた。よし、これで心置きなく戦えるぞ。そう思って何度もやったが全然勝てない。うう、勝てない勝てない勝てない勝てない。これは一旦仕切り直しをしたいな。トイレ休憩を挟もう。

「すまん。ちょっとトイレ行ってきていいか?おしっこしてぇんだ。おしっこしたくてゲームに集中できねぇんだ。」

「おお、いいぜ。当たり前だろう。いいに決まってんだろう。行ってこい。ほらほらさっさと行ってこい。」

「おおおお、お言葉に甘えて行ってくるぜ。」


 しーーーーーっ!!


 じゃーーーーっ!!


 すっきりした。心も身体もすっきりした。次こそは勝てる気がするぜ。頑張るぜ。トイレを出る。信じられない光景が飛び込んできた。

「おい!!なにやってんだ!!」

「あっ悪い悪い、俺鼻が詰まっててよ。汚かったか?勝手に使って悪かったよ。」

『悪かったよ。』だと?調子に乗るなよ。人の女を寝とりやがって。ふざけるのもいい加減にしろ。私は我慢できなくなって殴った。

 バギィッ!!

「おいおい!!なんだよっ!!うわっ!!」

 バギィッ!!ドガッ!!バギィッ!!ドガァッ!!バギィッ!!ドギャッ!!ズドォッ!!

「美佐子を、美佐子を寝取りやがってぇ!!」

 ドガッ!!バギッ!!ドガバギッ!!バギィッ!!ドガッ!!ドガッ!!バギッ!!ドガァッ!!

「うっ!!ぎゃあっ!!ひっ!!助けてっ!!ぎゃっ!!」

 ドガッ!!バギッ!!ドガバギッ!!バギィッ!!ドガッ!!ドガッ!!バギッ!!ドガッ!!

「ぎゃっ!!ぎゃーーーっ!!」

 暫くすると、たかとは動かなくなった。


 ぴーーーろ、ぴーひゃろろろーろ、ぴょーぴょーぴょーぴょーぴょーぴょー


 外からは阿波踊りの音が聞こえてきた。


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