第16話 脱出
「ぎゃぅぅぅん!」
レレゾが放った雷の矢に貫かれ、フィヤはガクガクと身体を痙攣させた。
「フィヤ!」
「手前の相手は、この俺様だぁ!」
「しまっ……ぐぁぁ!」
フィヤに気を取られた隙に、踏み込んで来たガガトの右フックを食らってしまった。
咄嗟に左腕でガードして、更に自分で飛んでダメージを軽減しようとしたが、ゴキっという嫌な音と共に激しい痛みが走り、握っていた短剣を手放してしまった。
肋骨も何本かやられたらしく、息を吸うと脇腹に痛みが走る。
「まずは一本……すぐに右手も潰して、その後で両手を引き千切ってやる」
「くそっ……」
ガガトだけならば、何とか切り抜けられるかと思ったが、レレゾが来たことで状況は一気に絶望的なものになってしまった。
レレゾだけじゃない、ずっと嫌味な笑いを浮かべているサメメだって、恐ろしい魔法の使い手だ。
切り抜けて、フィヤと逃亡するイメージが全く思い浮かべられない。
「レレゾ、終わったら教えてやるから、戻って休んでいていいぞ」
「そうはいかない、部隊のリーダーとして見届ける義務があるからな」
「けっ、勝手にしろ。いくぞ、役立たず!」
左腕は肘の少し上で折れているようで、まともに動かせそうもない。
むしろ動いてしまうと痛みが走って集中力が削がれそうなので、ベルトを握って腕を固定する。
まだ足は動く、右手も動く、こんな所で諦める訳にはいかない。
軍の施設に連れて行かれれば、僕もフィヤも、間違いなく実験動物にされてしまうはずだ。
余裕綽々で歩み寄って来たガガトは、僕の目の前で視線を右に振ってみせた。
フィヤが引っ掛かったから、調子に乗ったのだろうが、元はと言えば僕が使ったフェイントに引っ掛かるものか。
ガガトが視線を外した瞬間に踏み込み、強化の甘い左の脇腹に短剣を突き入れた。
「ぐぁ!手前ぇ……」
右フックで僕を追い払い、左手で押さえたガガトの脇腹からは、血が滴り落ちていた。
これまでで一番の手応えだが、それでも内臓に届いたのかどうか怪しい所だ。
左の手の平に付いた血をべロリと舐めると、骨が砕けるのではと思う程に固く、固く拳を握りしめ、ガガトは一気に距離を詰めて来た。
左右のフック、ストレート、アッパー……ガガトは自分では変化を付けているつもりなのだろうが、拳を固く握り過ぎているために、パンチにキレが無い。
ガガトが頭に血を上らせれば上らせるほど、逆に僕は冷静さを取り戻し、少しずつ、少しずつダメージを与え続けた。
脇腹、二の腕、太腿……小さな傷を重ねると、徐々にだがガガトの動きが鈍くなっていく。
そして左のパンチを躱されて、ガガトの身体が流れて出来た隙を突いて、短剣を突き入れた。
「うぎゃぁ……クソがぁ!」
短剣の先が左目を捉え、あと少しで脳を破壊出来たところだったが、ガガトは異常なまでの身体能力でバックステップを踏み、危機から脱した。
だが、このまま続ければ、ガガトを仕留められる手ごたえを感じていた。
さすがに切り裂かれた眼球までは、身体強化では治せないだろう。
ガガトの視野が狭まれば、こちらの攻撃は更に当てられやすくなるはずだ。
実際、左目が見えなくなった途端、ガガトの動きは目に見えて悪くなっている。
ガガトの左へ、左へと回り込んで攻撃を躱しながら、いかにしてレレゾとサメメを出し抜くかと考えていた時だった。
ズルっと右足が滑り、大きく体勢が崩れる。
サメメが地面を凍り付かせていたのだ。
「ぐぶぁぁぁ……」
ガガトの右のボディーブローを思いっきり食らってしまった。
自分から飛ぶ動きも間に合わず、アッパー気味に放たれた一撃は、咄嗟にガードした左腕を、今度こそ完全に砕いた。
膝をついて、前のめりに倒れかかるところへ、追撃の膝蹴りが顔面目掛けて飛んで来る。
短剣を投げ捨てた右手を割り込ませたが、そのまま鼻っ柱を叩き潰されるように蹴り飛ばされてしまった。
「がふっ……がっ、がふぅ……」
咳き込んだ喉の奥から、血飛沫が噴き出す。
頭をグラグラに揺らされて意識が飛びそうなのに、内臓の痛みがそれを許してくれない。
うつ伏せに這いつくばったままだが、ガガトが近づいて来るのを魔眼が映し出していた。
このままでは、僕もフィヤも殺されてしまう。
「フィヤ……ハウス……ハウス……」
なんとかフィヤだけでもと思って身体を起こそうとするが、無様に横倒しになってしまった。
鼻先にゴツいブーツが踏み下ろされる。
太い足を辿った先には、勝ち誇った笑みを浮かべたガガトの顔があった。
「その気に食わねぇ面を踏みつぶしたいところだが、魔眼を潰すとゲゲルがうるせぇからな。まずは足から潰して行くか……」
「ごほっ……フィヤ、ハウス……ハウス……」
「うるせぇ……よっと!」
「ぐぎゃぁぁぁ……」
ガガトの右足が振り下ろされて、左足の大腿骨を踏み砕かれる。
グリグリと腿の肉を踏みつぶされる痛みが、脳天を貫いた。
「さーて、次は右足だな」
「フィヤ……ハウス! ハウス!」
「へっ、うるせぇ……」
僕の右足を踏み潰そうと、右足を振り上げたガガトの姿が突然消えて、赤い毛並みが視界に広がった。
付け根の辺りで食い千切られた両足と、肘の少し上で食い千切られた左腕が、ボトリと地面に落ちる。
「駄目っ……ぺっ……フィヤ、ぺっ!」
軽く頭を振りながら開かれたフィヤの口から、ガガトの胴体が吐き出された。
「うあぁぁぁぁ……足、足がぁぁぁ!」
夜の森にガガトの絶叫が響き渡る。
「この魔物風情が!」
「うわぅぅぅ!」
再び雷の矢を撃ち込もうとするレレゾに対して、フィヤは咆哮と共に火の玉を吐き出した。
「うぎゃぁぁぁぁ……」
あっと言う間に火だるまになったレレゾは、地面を転げ回り、必死に火を消そうと試みているようだ。
「このクソ犬がぁ!」
サメメが巨大な氷の槍を作りあげて投げ付けたが、フィヤはあっさりと噛み砕き、猛然と踏み込んで行く。
フィヤが振り下ろした右の前足を、サメメは必死に避けようとしたが、身体の左側を鋭い爪が掠めていった。
「ひぃ……やぁぁぁぁ……」
グルグルと回転しなが弾き飛ばされるサメメの身体から、左腕が肩からもぎれて飛んでいく。
「フィヤ、待て!」
身体中の力を掻き集めて叫ぶと、フィヤはサメメの左足を踏みつぶした所で止まった。
「おいで……フィヤ」
戻って来たフィヤの心配そうな鼻面を、右手でそっと撫でてやる。
「チルル……チルル、治して。じゃないと、フィヤに襲わせる」
「そ、そっちに行っても大丈夫なの? 本当に大丈夫?」
「チルル、早く……ごふぅ」
チルルは、フィヤに怯えながらも僕の血を吸って魔力を補給し、治癒魔法を発動した。
「エクストラ・ヒーリング」
身体が暖かな光に包まれると、グズグズに砕かれた左腕も左足も、悶絶するような内臓の痛みも、嘘のように消えて無くなった。
「チルル、こいつらには、死なない程度に治癒魔法を掛けて。完全に治す前に治療を止める事、欠損部は補わない事、いい?」
「ケケン、せめて千切れた手足は……」
「駄目、追って来られないように、全部治すのは禁止」
「分かったわよ……」
ガガトは、両足と左腕が千切れた状態で、レレゾは全身が焼けただれたままで、サメメは顔の左半分と左上半身の表面、右足が千切れた状態で、取りあえず命の危険が去る程度まで治癒魔法を掛けさせた。
「手前、軍を裏切って、タダで済むと思ってんのか!」
「思ってるよ、ダルバー二に行って、軍の秘密を話せば助けてくれるさ」
「て、手前ぇ……」
「それに、お前ら三人を半殺しにしたって言えば、更に優遇してくれるかもな」
「手前、殺してやる。必ず殺してやるからな!」
良く見ると、ガガトは右手も手首の所から千切れて無くなっているし、足の付け根部分で食い千切られたので、男性のシンボルも無くなっていた。
これで帰り道は、護衛騎士の二人が卑猥な声に悩まされる事も無くなるだろう。
その護衛騎士は、遠巻きにして事態の推移を見守っていたが、まさか三人が負けるとは思っていなかったらしく、呆然としている。
「悪いけど脱走させてもらうし、フィヤは連れて行く」
「その魔物は何なんだ?」
「僕が、この世界に迷い込んだ時に、同じように迷い込んで来たらしい。もっとも、あの頃は僕が抱えられるぐらいの子犬だったんだけどね」
「そうか、お前にとっては家族なんだな」
「そう、僕の大切な家族だ」
護衛騎士の二人は、顔を見合わせた後で頷き合った。
「どの道、俺達二人で戦いを挑んでも勝てそうもないし、三人を連れて帰らなきゃならないからな。俺達の事は、見逃してくれ」
「分かった、そうさせてもらうよ」
二人と握手を交わして、これからの生活に必要そうな物をいただいて、さぁフィヤと一緒に退散しようと思っていたら、チルルが立ち塞がった。
「ちょっと待って、私も連れてって!」
「えぇぇ……何でチルルを連れていかなきゃいけないんだよ」
「ちょっと、ケケンは私が居なければ役に立たないじゃないのよ!」
「それは部隊の中での話だろ。森で生きていくには、フィヤが居るし、魔眼もあるし、別に困らないよ」
「わ、私が困るじゃないの! ケケンが居なくなったら、私が役立たずになっちゃうじゃないのよ……」
「別に他の男から血を吸えばいいじゃん、丁度役立たずになったガガトが居るしさ」
「嫌よ、何でガガトの血を吸わなきゃいけないのよ、絶対に嫌っ!」
「はぁ……言っておくけど、軍の施設みたいな便利な暮らしなんか出来ないからね」
「分かってるわよ。それに、ケケンさえ居れば、治癒魔法だって使えるんだからね」
「あー……はいはい、分かった分かった、それから、僕はケケンじゃなくてケンだから、ケケンなんて呼んだら追い出すからね」
「分かったわよ、ケケ……じゃなかった、ケン」
何だか面倒な事になりそうだけど、確かに森の中で生活する時に病気や怪我は命に関わる場合がある。
強力な治癒魔法を使えるチルルは、居たら便利な存在かもしれない。
「ちょっと、朝になってから出発しましょうよ」
「嫌だよ、僕は一秒でも早く、あの場所からは立ち去りたいんだ、なぁ、フィヤ」
「わっふ!」
フィヤは、小躍りするように弾んだ足取りで付いて来る。
体は僕の何倍も大きくなっているけど、ちょっとした仕草に小さい時の面影が重なる。
「待って、ちょっと待って……きゃっ!」
「もう、チルル、何やってるんだよ」
「何やってるって、こんなに暗かったら足元が見えないじゃないのよ」
「あっ、そうか……普通の人じゃ、この明るさじゃ無理か」
僕には魔眼があるし、フィヤも普通にしているので気付かなかったが、夜の森を月明りだけで歩くのは、普通の人には無茶な話だ。
「しょうがないなぁ……ほら、手を繋いで」
「わ、分かった」
「あっ……」
「何よ、何か文句でもあるの?」
「いや……何でも無い」
良く考えてみたら、フィヤは居るけど、これから暫くはチルルと二人の生活が始まる訳で、それってまるで新婚生活みたいじゃないか。
「ねぇ、これからどうするの?」
「えっ……あぁ、前に住んでいた場所に行ってみて、その後は……カリータに行ってみるつもり」
「えっ、ダルバーニに行くんじゃないの?」
「行かないよ。レーストリンダと戦争になるかもしれない国に行ったら、また殺し合いに巻き込まれちゃうかもしれないじゃないか。もう人が殺されるところは見たくないよ」
「そう、そうね……分かった」
チルルは、何か言いたそうにも見えたが、今は難しい話よりも、久々に感じる開放感に浸っていたい。
「フィヤ、家まで案内して」
「わふぅ? わぅわぅ!」
「ちょっと、まさか家の位置が分からないとか言わないわよね?」
「それは大丈夫だよ。適当に歩いていても着くはずだから」
「ちょっと……本当に大丈夫なんでしょうね?」
「大丈夫、大丈夫、なぁフィヤ!」
「わふっ!」
フィヤは暗い森の中でも良く見えているようで、ハンドサインを出してやると、指示にしたがって嬉しそうに走り回っていた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
これにて一旦完結とさせていただきます。
ご愛読ありがとうございました。
異世界に迷い込んだら子犬を拾ったので一緒に暮らしてみた 篠浦 知螺 @shinoura-chira
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