第15話 再会

 巨大なオオカミ、いやオオカミと呼んで良いものなのだろうか。

 四足で立っている状態でも、目の高さは巨漢のガガトと同じぐらいの位置にあるし、巨大な口は人間を丸呑み出来そうだ。

 全身を覆った毛並みは、まるで燃えているように赤い。


 真っ先に地竜車を飛び出していったガガトは、巨大なオオカミの10メートルほど手前で足を止め、両手の指を鳴らし、首を回し、余裕を見せつけながら戦闘準備を整えていく。

 一方のオオカミは、行く手を阻むように立ち塞がり、フサフサとした太い尾をユルユルと振っていた。


 ガガトの10メートルほど後ろにサメメが、更に3メートルほど後ろにはレレゾが成り行きを見守っている。

 ガガトは両腕を大きく広げて、どこからでも掛かって来いとばかりに、無防備な姿を晒しながら歩を進め始めた。


 巨大なオオカミが、まるで笑みを浮かべるかのように牙を剥いて見せる。

 間違いない、間違うはずがない、あれは僕と遊びたがっている時にフィヤが浮かべていた表情だ。


 僕は地竜車から降りて、タイミングを見計らって割って入る準備をした。


「ちょっとケケン、どこに行くつもりよ」

「もっと近くに行く」

「何言ってるのよ、そんなの終わってからで良いでしょ」

「レレゾもガガトも気が立っている、魔物を殺してしまうかもしれない」

「それのどこがいけないのよ、私達は魔物を退治しに来たのよ」

「生かしても持って帰った方が、ゲゲルに褒められる」

「あっ、そうか……」


 レレゾだけでなく、部隊のメンバーは、先日の失敗以降周囲の評価を気にしている。

 その気持ちを利用すれば、フィヤは殺されずに済むし、生きてさえいれば脱出するチャンスはあるはずだ。


「逆に死体を持ち帰ったら、何を言われるか分からないぞ」

「でも、止めるって言っても、どうやるのよ?」

「チルルは、レレゾとサメメを止めて、あの二人は話せば分かる。ガガトは、僕が止める」

「分かったわ」


 僕らが地竜車を降りた時、ガガトがフィヤの目の前まで歩み寄っていた。

 フィヤと睨み合っていたガガトが、不意に視線を左側へと向けた。


 これは、僕がガガトに仕掛けたフェイントの一つだが、フィヤもあっさりと引っ掛かって、視線を追いかけてしまった。

 フィヤの視線が流れた瞬間、爆発的に踏み込みながら、ガガトは右の拳を振るった。


「ぎゃん!」


 斜め下から突き上げるように振るわれたガガトの拳は、フィヤの顎を捉え、首が大きく捻じ曲げられる。

 ガクガクと揺れるフィヤの胴体へ、ガガトの回し蹴りが叩き込まれた。


「ぎゃふっ……げふっ、げふっ……」


 最初の一撃で脳を揺らされてしまったのか、それとも最初から襲い掛かる気が無かったのか、フィヤは反撃する事もなく、ガガトのサンドバッグとなってしまった。

 横倒しとなってしまったフィヤに、ガガトの拳や蹴りが、容赦なく叩き込まれる。

 このままだと、フィヤの命に危険が及んでしまいそうなので、ガガトを制止した。


「やめろ、ガガト! 殺すな!」

「あぁ? 何で手前がしゃしゃり出てきてやがんだ!」

「魔物は殺さずに、生かして持ち帰るんだ!」


 ガガトに大声で話し掛けながら、フィヤには待てのハンドサインを送った。

 それを見たフィヤの目が大きく見開かれ、起き上がって来ようとしたので、待てのサインを送り続ける。


「ふざけんな! 手前なんかの指示は受けねぇよ!」

「ゲゲルに馬鹿にされても良いのか?」

「何ぃ! 何で馬鹿にされんだよ!」

「死体を持ち帰ったら、たかだか魔物も生かして持ち帰れないのかって、また嫌味を言われ、施設の連中にも舐めた目で見られるぞ」


 待てのサインを送り続けたので、フィヤはグッタリと伏せた格好で僕の方をジッと見つめている。


「ちっ、せっかく鬱憤晴らしが出来ると思ったのによぉ……魔物は歯ごたえがねぇし……代わりに手前で遊んでやんよ」

「そいつはどうかな。僕に遊ばれるの間違いじゃないのか?」

「手前ぇ、舐めた口利いてんじゃねぇぞ!」


 顔を真っ赤にしたガガトが駆け寄ってきて、岩のように固めた拳を振るって来るが、余裕を持って回避する。

 踏み込んで来る速度も、威力も十分だろうが、モーションが大き過ぎるので、拳の軌道が丸わかりなのだ。


 右の拳を空振りした勢いのまま、ガガトは後回し蹴りを放って来るが、これもまた予測の範囲内だ。

 どんなに速かろうが、予測が出来ていれば一歩後に下がるだけでガガトの攻撃は空を切る。


「手前、チョロチョロ逃げてんじゃねぇ!」

「身体強化も使えない役立たずを捕まえられないのか?」

「舐めやがって!」


 ガガトは、わざと地面を蹴って土埃を僕に向かって浴びせてくるが、右目を閉じてしまえば何の問題も無い。

 左目の『深望の魔眼』には、黒い眼帯を付けているし、その状態でも何の支障もなく物を見る事が出来るからだ。


 眼帯に土埃が付いたところで、痛くも痒くもないし、視界が遮られる事もない。

 時折、強化の甘くなっている脇腹にボディーブローを食らわせてやりながら、ガガトが汗だくになるまであしらい続けた。


 ガガトの相手をしながら、チルルがレレゾとサメメを説得し終えたのを確認し、わざと足をもつれさせたフリをして、一発食らってやる。

 自分から大きく飛んで、チルルの近くまで転がった。


「ちょっとガガト、あたしの魔力タンク、壊さないでよね!」

「うるせぇ、ツルペタ! 手前のものだったら、舐めた口利かねぇように躾けとけ!」


 大袈裟に痛がってみせてはいるが、ガードした腕の骨には本当に皹が入っていそうな気がする。

 チルルに治療してもらった後、フィヤを地竜車の後に連結してきた車輪付きの檻へと入れた。


 回りから見ると、護衛騎士の槍に突かれて、フィヤは渋々歩いているようだが、実際には僕のハンドサインに従って移動し、大人しく檻へと収まった。

 待てのサインを出すと、フィヤは檻の中で伏せて目を閉したが、かなりのダメージがあるようで苦しそうだ。


「チルル、死なないように少し治療した方がいい」

「でも、傷を治したら暴れないかしら?」

「ガガトに簡単にやられる魔物だ。暴れたとしてもレレゾ達も居るし大丈夫だ。それよりも途中で死んだら困る」

「それもそうね。じゃあ、治療するわよ」


 チルルが吸血の口付けをした後、治癒魔法を発動すると、急に痛みが引いた事に驚いたのか、フィヤがムクっと頭を上げましたが、待てのハンドサインを出すと、また目を閉じて頭を伏せた。


「本当に、これが目的の魔物なのか?」

「レレゾは、赤い大きな魔狼だと言ってたから、間違い無いんじゃないの?」

「この魔物は、そんなに珍しいものなのか?」

「魔狼は珍しくないけど、こんなに大きくて赤い毛並みなんて聞いた事がないわ」


 魔狼は、普通の狼の倍ぐらいの大きさがあり、魔力を含んだ咆哮で相手を弱らせたりするそうだ。

 魔力計で測ると、フィヤは普通の魔狼の倍以上の魔力を秘めている事が分かった。


 やはりフィヤも、僕と同様に空間の歪みに落ちて、この世界に迷い込んで来たのだろうか。

 レレゾの指示で、今日はここで野営をする事になった。


 逃げ出すならば、今夜がチャンスだろうが、フィヤの傷は完全には治っていないようだ。

 今後の事を考えると、チルルに完治するまで治癒魔法を掛けさせた方が良いだろう。


 夕食の後、僕はタイミングを見計らっていた。

 例によってガガトとサメメは、夕食を済ますと天幕へと籠もった。


 いつもなら、最初にチルルが風呂を使い、その後にレレゾが入る。

 一番怖い戦力が、無防備で、外の様子も見えない状況……脱出を計るならば、そのタイミングだろう。


 トイレに行くフリをしながら、持ち出すように集めた品物を詰めたザックも運んでおく。

 そして、チルルが風呂から戻って来て、入れ違いにレレゾが地竜車から出て行った。


「チルル、魔狼の様子が変なんだ、ちょっと来て」

「えっ……分かった、今行くわ」


 地竜車の周囲は、夜中にトイレに行く時のために灯りが灯されているが、この時は大きな月が輝いていて、灯りは必要ないほどに明るかった。

 フィヤの入った檻の前で手招きしてチルルを呼び寄せ、後から左腕を首に巻き付け、右手で抜いた短剣を突き付けた。


「チルル、完璧に治して。拒否は認めない」

「ちょっと、ケケン、どういう事なの?」

「理由は後で話す。先に治療して」


 左手の人差し指の先を短剣で切って、チルルの口へ押し込んだ。


「ちょ……んぐぅ……待って……」


 かなり強引だとは思ったが、チルルは指先を舐めるようにして血を口にすると、恍惚とした表情で治癒魔法を発動した。


「ハイヒーリング」


 フィヤの身体が仄かな光に包まれて、残っていた傷も、苦しげな息遣いも綺麗サッパリ消え去った。

 閂を止めている太いボルトを緩めて檻の扉を開け、フィヤへと駆け寄る。

 太い首筋は、抱きついても腕が回り切らないほどだった。


「フィヤ、フィヤ……僕のこと覚えててくれたんだね」

「くぅぅぅぅん……くぅぅぅぅん……」

「ちょっとケケン、どういう事なの?」

「僕は、今日限り部隊を抜けさせてもらう」


 状況を理解出来ていないチルルに、キッパリと決別を告げたのだが、思わぬ声が返ってきた。


「そうは行かねぇぞ!」

「ガガト……」


 フィヤを救い出す事ばかりに気を取られて、気が付かなかったけれど、そう言えば、天幕から卑猥な声が聞こえていなかったような気がする。


「サメメが、お前の様子が怪しいって言うから、見張ってたんだよ」

「くそっ……フィヤ、おいで!」

「わふっ!」


 檻から飛び出した僕とフィヤの前にガガトが立ち塞がり、その後にサメメがゆっくりと歩み寄って来る。


「軍を裏切ったんじゃ、殺されたって仕方ねぇよな?」

「おめおめ殺されやしない。フィヤだけでも助けてみせる」

「出来やしねぇよ。まとめて、ぶっ殺してやるよ」

「やってみろ……フィヤ、『ハウス!』」

「サメメ、見物してろ」


 フィヤを逃がそうと、家に戻るように命じたが、僕の後ろから動こうとしなかった。

 多分、僕が連れ去られた時の事を思い出して、命令に従わないつもりなのだろう。


 余裕を見せて歩み寄ってくるガガトに向かい、腰の双剣を抜き放って待ち構える。

 こうなった以上は、ダメージを与えて隙を作って、一緒に逃げるしかないだろう。


「いくぞ、役立たず……」

「来いよ、木偶の坊」


 ガガトの本気の殺意を感じ取ったのか、『深望の魔眼』がジンワリと熱を帯びる。

 魔眼を通してガガトの身体の中で魔力が渦巻いている様子が見える。


 全身に漲る魔力の量は、やはり尋常ではない。

 だが、常人離れした魔力量が仇になり、ガガトは魔力の操作が雑だ。


 僕に勝機があるとするならば、ガガトの身体強化のムラを突いて、着実にダメージを通すしかない。


「うらっ、死ねぇ!」


 ガガトの足に込められた魔力が急激に上がり、ゴリラのごとき巨体がカタパルトで射出されたような勢いで突っ込んで来る。

 右の大振りのフックはフェイント、本命は左からの返しのフックだが、ダッキングでかわしながら右の短剣で脇腹を薙ぎ払った。

 まるで樫の幹にでも斬りつけたような手応えだが、浅くではあったが刃が食い込んだようだ。


「ぐぅ……手前ぇ!」


 ガガトの脇腹には赤い線が走り、血が滲んでいる。

 身体強化も攻撃魔法も、ましてや火薬も使わない僕に傷付けられて、ガガトは更に頭に血を上らせてたようだ。


「手前は殺す……いや、手足を全部もいで、純粋な魔力タンクにしてやんよ! らぁぁぁぁぁぁ!」


 雄叫びを上げながら襲い掛って来るが、興奮するほどにガガトの動きは単調になるので、速度とタイミングさえ見誤らなければ当たることは無い。


 それでも掠められただけでも頬の皮膚が切れ、腕に痺れが走る。

 隙を突いて何箇所か斬りつけたが、いずれも浅手だし、身体強化は治癒力も活性化させるらしく、もう最初の傷は血が止まっているように見える。


「お前ら、何をしてるんだ!」


 戦闘が長引いてしまったのか、それとも物音を聞きつけて急いで出て来たのか、一番厄介なレレゾが風呂から戻って来てしまった。


「見ての通り、この魔力タンクが軍を裏切ったから、ガガトが締めてるところよ」

「何だと……本当なのか、チルル」


 サメメの言葉を聞いたレレゾは、チルルにも説明を求めた。


「違っ……わないのかな、良く分からない」

「チルル、あんた、あの魔力タンクに惚れてるの?」


 サメメの指摘をチルルはムキになって否定する。


「違う! そんなんじゃないわよ。ただ、居なくなられたら困るだけよ」

「じゃあガガトが言ってるように、手足もいで魔力タンクにしちゃえばいいじゃん」

「それじゃ移動が……」

「あぁ、そんじゃ足だけ残してやったら? 別に手は必要なでしょ?」

「そんな……」


 話に気を取られてガガトには隙があるのだが、レレゾが居る状態で下手に仕掛けるのは危険だ。

 守っているだけならば手出しして来ないだろうが、雷の魔法は防ぎようが無い。


「レレゾ、手出しすんなよ。お前は魔物が逃げないように見張ってろ」


 レレゾの手出しを拒否したのは、僕にとっては有り難いことだが、フィヤを監視されるのは好ましくない。

 何とかフィヤだけでも先に逃がそうとした時だった。


「そうか、じゃあ先に逃げられないようにしておこう」


 レレゾが右手を差し向け、フィヤの身体を雷の矢が貫いた。

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