風を切る ~こんな俺だけど、それでも彼女の隣に立ちたい~

金剛力士像

第1話 高嶺の花


 四方を背の低い山に囲まれた田舎町。町の中心部を除いて背の高い建物は見当たらず、青々とした空を遥か彼方まで見渡すことができる。中心から1~2kmも離れれば物建よりも田畑や木々の方が多く目に入り、巨大な商業施設や映画館といったものは存在しない。娯楽が欲しければ小さなゲームセンターかカラオケ程度で我慢するか、それで足りない場合は近くの大きな都市まで脚を伸ばすことを余儀なくされる。そんな、のどかな町だ。

 その町の中心を一本の川が流れていた。幅10mほどの大して大きくない川で、左右には河川敷が広がり、少しだけ小高くなった土手がそれを挟むようにして延々と続いている。春の暖かな日差しの下、そんな河川敷で4人の子供たちが川に向かって石を投げていた。石を水面で跳ねさせる水切りと言う遊びだ。子供たちの年齢は9~10歳ほどで、小学校中学年と言ったところだろうか。


 「タケシくん! もっと石に回転をかけてあげないと上手く飛ばないんだよ!」


 子供の一人、4人の中では唯一の女子が、近くに立つ男子に向かって声を張り上げていた。


 「それに、タケシくんは肩に力が入りすぎだから、もっとリラックスして投げないと!」

 「え? あ、うん。そうだね。ごめん、ユイちゃん……」


  タケシと呼ばれた男子は、その女子……ユイの声に圧されたかのように身をすくめる。しかし、ユイはそんな彼の様子など気にもしないという風に、隣に立つもう1人の男子の方を向いた。


 「コウスケくんも肩に力が入りすぎ! あと、もっと飛ばしたいならちゃんと石を選ばないと! めんどくさがって適当に探してるでしょ?」

 「う、うん。ありがとう、ごめんね……」


  おどおどとした口調でそう言いながらも、コウスケと呼ばれた男子はユイに不満そうな目線を送る。歯に衣着せずぐいぐいと指摘してくる彼女が気に食わないのだろう。見れば、近くに立つタケシも同様にむっとしたような顔つきでユイを見つめていた。だが、彼女はそれに気付く素振を見せず、ご機嫌な表情で辺りを見渡している。そして、何かを見つけたのか河川敷の草むらの中を指さした。


 「あ! あんなところに空き缶が落ちてるよ! ヒロくん、見て見て!」


 そのわくわくしたような声を聞いて、少し離れたところにいた背の高い少年……ヒロと呼ばれた少年がユイの方に目を向けた。


 「おー! ユイちゃんよく見つけたね!」


 その声を聞き、ユイの顔がパッと輝く。


 「うん! せっかくだからさ、今からみんなで缶蹴りしようよ!」


 ユイはそう言って、歯をむき出しにしながら満面の笑みを見せる。女子らしくない、いっそ下品ともいえるほどの笑顔だが、そこからは底抜けな明るさと光を放つような華やかさが強く感じられた。

 しかし、そんな彼女とは対照的に、タケシとコウスケは不満そうに頬を膨らませていた。


 「えぇー? でも、缶蹴りするならもっと他の場所に行かないと。めんどくさいなぁ……」


 タケシが辺り一面の草むらを見渡しながらそう言うが、ユイはそんな彼にずいと顔を近づけて大きな声を上げる。


 「いいじゃない! いっつも同じ場所で遊んでたらつまらないよ? たまには他の遊びをした方が絶対に楽しいって!」


 すると、タケシはユイに物怖じしたかのように黙ってしまう。それを見て、コウスケが困ったように眉をひそめてヒロの方に顔を向けた。


 「うーん、ヒロはどう思う?」


 ヒロは下を向いて一瞬だけ考え込むような仕草を見せると、のんびりとした口調で言葉を発する。


 「俺は、そうだなー。ユイちゃんの意見に賛成かなぁ」


 それを聞くや否や、ユイは顔を輝かせながら落ちていた缶を拾い上げた。そして、その表情に相応しいような楽しげな声で周りに呼び掛ける。

 

 「さっすがヒロくん、分かってるね! そうと決まれば、みんな早く行くよー!」


 そう言いながら、ユイは土手へと続く坂の方へと走っていく。そのすぐ後をヒロが追い、残るタケシとコウスケも遅れてしぶしぶ走り出した。


 「もう、強引なんだから……。ヒロくん、ユイちゃん、待ってよー!」


 河川敷に情けない声が響くが、春風がそれをかき消すように音をたてながら吹き抜けていった。





 「えー、であるからして、この図形Aと図形Bは……」


 町にある中学校。その校舎の最上階にある3年生の教室で、初老の男性教師が教壇に立って黒板を指さしていた。真夏の焼けるような暑さのせいか教師の額には汗が浮かんでおり、座っている生徒たちも揃って気怠そうな表情をしている。

 そんな教室の中で、窓際に1人の生徒が座っていた。顔立ちは至って普通であり、自信なさげで覇気のない目をしていることを除けば、人混みの中に埋もれてしまいそうな平凡さだ。髪型は左右と後ろを短く刈り上げて頭頂部にややボリュームを持たせる、いわゆるスポーツ刈りと呼ばれるもので、よく日に焼けた肌と175cm程の身長も合わさって体育会系の雰囲気を醸し出している。しかしその身長の割には身体が細く、やや猫背気味の姿勢とどこか自信なさげな目のせいで、頼りない細い枝のような印象を受ける。

 その生徒……金剛寺ヒロは、ぼんやりしながら窓の外の景色を眺めていた。


 (はぁ、暑いな……)


 空には太陽がさんさんと輝き、真夏と言うに相応しい強烈な光で地上を焼いている。開けっ放しになった教室の窓からは時折風が吹き込んでくるが、それはさわやかな涼風ではなくぬるくなった温風だ。頭上で音をたてながら回る扇風機が唯一の清涼剤だが、それもこの暑さをしのぐには十分ではなく、背中は不快な汗でじっとりと湿っていた。周囲を見渡せば、自分以外の生徒も皆一様に生気のない目をしている。その瞳の奥にあるのはエアコンの設置を渋る教育委員会への憎悪なのか、それともこの地獄から早く解放されたいという希望なのか……。


 「……寺君。金剛寺君? 聞いていますか?」


  ハッと驚いて前を向く。すると、数学教師の山田がこちらを訝しげに見つめていた。


 「まったく、授業中にぼうっとしないでください。この2つの三角形がなぜ相似なのか説明できますか?」


 (そ、そうじ……。掃除? いや、相似か)


  突然問題を提示されて頭が混乱する。相似とは一体何だっただろうか。二つの図形が同じ形をしているとか、そんな感じの意味だった気がするが、予習も復習もしない主義の自分にとっては難題である。


 「え、えーっと……」


 答えることができず言葉に詰まる。教室の中に気まずい沈黙が流れ、額には暑さによるものではない嫌な汗が浮かんできた。怒られるのを承知で素直に分かりませんと言うべきだろうか。そのように考え口を開こうとした瞬間、突如右隣の席からコツコツという小さな音が聞こえてくる。まるで何かで机を叩くような音だ。なにかと思って目線を右にやると、隣に座る女子生徒が教壇から見えない角度で小さなメモをこちらに向けているのが見えた。


 (あっ……)


 よく見れば、そのメモには小さな文字で何かが書かれていた。


「えっと……。に、2辺の長さの比とその間にある角度が等しい……から?」


 たどたどしく文字を読み上げると、それを聞いた教師の山田が明るい表情を見せる。


 「おっ、よくできました。ぼんやりしているように見えましたが、ちゃんと話を聞いてくれていたようですね」


 その声に皮肉のようなものは感じられず、こちらを素直に賞賛してくれているようだ。どうやら、自分の隣から助け舟が出されていたことには気が付いていないらしい。満足した山田の視線が自分から離れるのを確認し、隣に座る女子生徒に小声で声をかける。


 「伊藤、ありがとう。マジで助かったよ」

 「気にしないで。全然大丈夫だから」


 その女子生徒……伊藤ユイはこちらに顔を向けて柔らかな笑みを浮かべる。おしとやかで上品な、まさに女子らしい笑顔だ。思わず胸が高鳴り、彼女に目が釘付けになってしまう。

 顔立ちは非常に整っており、ぱっちりとした茶色の瞳と高い鼻が特に目を引く。艶やかな黒髪を短いポニーテールにして後ろでまとめており、制服から覗くスラリと伸びた手足はよく日に焼けていた。スポーティーで活発な印象を受ける、紛れもない美少女だ。


 「相似の条件はごく基本的なことなので、きちんと頭に入れておいてくださいね」


 山田の声が耳に入り、伊藤に向けていた視線を慌て前へと戻す。よそ見をしてまた問題を当てられでもしたら大変だ。


 「中学生生活最後の夏。部活をしている人も、もうそろそろ最後の大会を迎えて引退する頃でしょう。ですが、引退してから勉強し始めようと思っても手遅れですよ」


 瞬間、切なさとも寂しさとも似つかない感情が胸を満たした。最後の大会、部活の引退。それらの言葉が頭の中で反響するように何度も鳴り響く。


 「だからこそ、今の内から勉強の習慣を身につけて……。おっと」


 山田の言葉を遮るように授業終了を告げるチャイムが鳴り響く。すると、死んだようだった生徒たちの目に生気が戻り、うなだれていた顔を次々と起こし始めた。酷暑に苦しむ生徒たちにとって、このチャイムは地獄からの解放を告げる鐘の音に等しいのだ。


 「それでは今日の授業はここまでにします。復習をしっかりしておいてくださいね」


 そうとだけ言うと、山田はドアを開けて足早に教室を去っていった。彼の向かう先は恐らく校内で唯一エアコンが設置されている職員室だろう。暑さから逃れたいのは誰でも一緒だということだ。

 山田が消えると、授業中の静けさから一転、教室にはすぐにざわざわとした空気が生まれた。席を立って次の授業の準備をする者、近くの生徒と雑談をする者、暑そうに顔を手で煽っている者……。そんな中で、自分は改めて伊藤に礼を言おうと彼女の方を向いた。しかし、それよりも早く数人の女子生徒が彼女の机の周りに集まり始める。


 「伊藤さん! ごめん、さっきの問題のここが分からなくて、ちょっと教えてほしいんだけど……」

「私も! ここの練習問題の説明がよく分からなくて」

 

 伊藤を取り囲んだ女子生徒たちは、申し訳なさそうな顔をしながら教科書を指さしている。これほど一度に来られては伊藤も困ってしまうのではないだろうか。そんな考えが頭をよぎるが……


 「うん、大丈夫だよ。順番に説明するからちょっと待っててね」


 伊藤には面倒がるような素振りは一切見られない。それどころか、その顔には天使のような穏やかな笑みが浮かんでおり、口調はこの上なく優しげだった。そんな彼女の様子を見て、周りの女子生徒の顔にも安心したような表情が表れる。


 (はぁ。可愛いよな、伊藤)


 彼女の笑顔を見て思わず頬が緩む。傍から見れば変態に見えるかもしれないが、このような気持ちを抱いているのは自分一人だけではないのだ。机の上の教科書を見るふりをしながら、あるいは次の授業の準備をするふりをしながら、何人もの男子生徒が伊藤の方に目線を向けているのだから。

 一方、伊藤はそんな熱視線に気付くことなく問題の解説を続けていた。


 「えっとね、この辺とこの辺が平行になってるでしょ。だからこの2つの三角形が相似になるの」

 「う、うーん。なんか良く分からなくなってきた……」


 女子生徒が悩ましげな声を上げる。それを聞いて、伊藤は心の底から申し訳なさそうな表情を浮かべた。


 「あ、ごめん! 一度に色々言いすぎだよね。私が悪かったよ。もう一度最初から説明するね!」


 そう言って再び問題の解説を始める。聖母のような微笑みを浮かべる伊藤はどこまでも美しく、澱んだ教室の中にあって彼女の周りだけが清浄な空気に包まれているようだった。

 スポーツ万能、成績優秀、容姿端麗。さらには誰にでも優しくて、周りによく気が回る。それが伊藤ユイという人間だ。クラス中の男子にとって彼女は憧れであり、高根の花のような存在。無論、自分にとってもそれは同じである。誰もが彼女に焦がれ、好意を寄せているのだ。


 (……でも、伊藤のことを最初に好きになったのは絶対俺だと思うんだけどな)


 そう、自分と伊藤は小さい頃からの幼馴染だ。家が近く、幼稚園も一緒だったため昔から二人でよく遊んでいた。お互いにヒロくん、ユイちゃんなどと呼び合って一緒に河川敷を走り回るような関係だったのだ。自分はそうして伊藤と遊ぶのが大好きで、彼女の明るい笑顔を見ているだけで幸せを感じられた。そして、いつからか想いを寄せるようになっていった。


 (そう考えると、伊藤って昔と変わったよな)


 ふと、頭の中にそんな考えが浮かぶ。昔の彼女は非常に活発な性格であり、良くも悪くも周りに対してぐいぐい主張していくような子供だったように思える。そのせいで友達も今ほど多くは無く、自分と2人だけで遊んでいることも多かった。何か嬉しいことがあれば、歯をむき出しにして腹の底から全力で笑う。そんな元気な少女だったのだ。

 一方で、現在の彼女は非常におしとやかで周りに対していつも気を遣っており、笑い方にも気品が感じられるようだ。友達も多く、いつもクラスの輪の中心で輝いている。恐らく成長して女性らしくなったということなのだろう。しかし、個人的にはそんな伊藤に幾分かの寂しさも感じていた。今の彼女も十二分に魅力的なのだが、自分が最初に好きになったのは、底抜けに明るくて輝くような笑顔を浮かべていた昔の彼女なのだ。


 (それに、今の伊藤を見てると、なんていうか……。本当の自分を押し隠して無理してるようにるように感じるんだよな)


 昔の伊藤を知る身としては、今の彼女が浮かべる上品な笑顔にはどこか不自然さを感じてしまうのだ。まるで無理をして表情を作っているかのような、そんな不自然さを。そして、最近は以前にも増して伊藤の笑顔がぎこちなくなっているような気がする。ただの思い過ごしかもしれないが、それでも心配だ。


 (そういえば、俺と伊藤が下の名前で呼び合わなくなったのっていつからだったっけ……)


 昔のことに思いを馳せていると、唐突にそんな疑問が浮かんできた。自分たちが互いを苗字で呼ぶようになったのは、恐らく小学校4~5年生の頃からだろう。年齢が上がって昔のように女子と親しく呼び合うのが恥ずかしくなったというのもある。だが、それ以上に、自分から伊藤と距離を取ってしまったのだ。


 (伊藤って要領が良くて本当に何でもできるから、一緒にいるとなんか気後れしちゃうんだよな)


 自分は要領が悪く、何事も頑張ってようやく人並みにこなせるというタイプだ。才能や得意なこともない。小さい頃から何をやっても上手くいかず、成長するにつれて周囲に対し劣等感を抱くようになっていった。だからこそ、何でも上手にこなせる伊藤の姿が眩しすぎて直視できなかったのだ。彼女に対して劣等感を抱き、自分から壁を作ってしまった。小学校4~5年生の頃はそのせいで互いに疎遠になってしまい、二人で遊ぶ機会も激減したのだ。今となっては関係も幾分か元に通り、互いに普通に会話できるようにまでなったが、それでも下の名前で呼び合っていた頃のような親密さはどこかへ吹き飛んでしまっている。

 

  (はぁ……。もう一度小さい頃みたいに仲良くできたらな)


 そうでもしなければ自分のような人間に伊藤が振り向いてくれるはずがない。そう思うと気持ちが沈むのが抑えられなかった。窓の外の晴れ渡った空とは対照的に、自分の心をどんよりとした雲が覆っていく。


 (今日も暑いし、きっと部活キツいだろうな)


 そう思いながら放課後の部活の練習に思いを馳せる。この炎天下の中で、今日自分はどれほどの距離を走ることになるのだろうか。憂鬱な気分が胸の中を満たしていった。


―――――――――――――――――――

 数ある作品の中から本作をお選びいただき有り難うございます。

 本作は元々『老人転生・ただ一人の魔術師』のための習作として書き上げたもので、より多くの方々に読んで頂きたいと思い今回投稿させて頂きました。ご意見やご感想など頂ければとても嬉しいです!

※一部『老人転生・ただ一人の魔術師』と同一名の人物が登場致しますが、特に意味や関係はございません。


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