番外編 マルゴと王 後編

 苦悩の末に、マルゴは己の良心が痛まない、もっとも安楽で卑怯な方法を選択した。

 それは、エレイン自らに堕胎薬をあおらせる、という手口である。一か八かの賭けではあったが、極力自分の手を汚したくなかった。


「エレイン様、お腹の子のたねが、カラフ殿のものだったらどうします……?」


 マルゴがくらく言葉をかけると、エレインの表情から笑顔が消えた。


静養地ガーシュから戻られてすぐの症状が、妊娠の兆候ではなく、単なる体調不良だったら?」


 エレインはうろうろと視線を泳がせながら、「でも……」とか「お医者様が……」とか反論を試みたようだが、すべて途中で途切れてしまった。彼女自身も、心の奥底で不安を抱えていたのだ。


「カラフ殿の子ではないと、言い切れるものではないでしょう。もしカラフ殿と瓜二つの子が産まれてしまったら、カラフ殿だけでなく、手引きした私だって、極刑に処されることでしょう……。

 私はそれが怖いのです。だからどうかエレイン様、その子は諦めてくださいませ」


 マルゴは涙を流しながらエレインにすがりついた。噓泣きなどではなく、いろいろな感情が限界を超えた上での涙だった。 


 一日二日ではエレインは陥落しなかった。

 だからマルゴは、二人きりになるたびに何度も情に訴えかけた。


 万一のことがあれば、カラフが処刑される。彼があまりにかわいそう。

 万一のことがあれば、マルゴも処刑される。まだ死にたくない、エレイン様、どうかお願いです。お願いです……。


 エレインは心を摩耗させ、やがて部屋に引きこもるようになった。マルゴはそっと堕胎薬を差し入れた。

 毒の出所を尋ねてこなかったのは、エレインがマルゴを信頼している証だとわかった。幼き頃より共にいる侍女を誰よりも信頼し、その侍女がやることなすことに間違いはないと確信しているのだと。

 ──ああ、まったく莫迦ばかな女……。だから嫌いなの。


 そしてマルゴの目論見通り、エレインは毒を飲んだ。

 唯一想定外だったのは、ほんの一口でいいと言っておいたのに、小瓶の中身をすべて飲み干したことだった。


 死ぬのは胎の子だけでよかったのに、自身ごと死のうとした。

 カラフに宛てた短い遺書を残して……。


 寝台脇に倒れ伏すエレインを発見したマルゴは、計画通りだとほくそ笑んだりはしなかった。

 一瞬にして心が乱れ、大きな悲鳴をあげた。医者を呼べと繰り返し叫んでいた。


 気を失うエレインの喉に指を突っ込み、嘔吐させた。大量の水を飲ませ、毒を薄めようと試みた。

 死なないで、と思った。お腹の子も助かって、と思った。


 土壇場になってようやく、マルゴは己の本心を知ったのだ。


 マルゴはエレインが嫌いだった。

 だがそれは、手のかかる妹に対して姉が抱く程度の悪感情に過ぎなかった。


 助かって欲しい。女同士の他愛もないおしゃべりがしたい。マルゴにだけ見せる無垢な笑顔で笑いかけて欲しい。


 マルゴは食と眠りを断って、神に祈った。生まれて初めて、心の底から神に祈った。


 祈念の甲斐あってか、マルゴの願いは成就した。

 エレインは生還したが、子は流れ、心も壊れた。

 マルゴはもう二度と、エレインと言葉を交わすことができず、笑顔を見ることもできなかった。


***


 元王妃を乗せた馬車が王城から遠ざかっていく。

 執務室の窓からその光景を眺めつつ、王は静かに思った。


 ──多少の狂いはあったが、おおむね計画通りに事が成った。


 犠牲となった胎児と、心を失ったエレインのことを想うとあまりに痛ましいが、それでも己の望む未来を掴むことができる。本当に愛しい女を腕に抱くことができる。


 しかし、犠牲となった者たちのため、可能な限りの善後策フォローは講じてやりたい。


 まず、修道女アマーリアに手紙を書いた。どうかエレインの面倒を見てやって欲しいと。

 エレインは公爵領で暮らしていた頃、アマーリアの教育を受けている。多くの子どもたちがそうであったように、エレインもまた、たいそうアマーリアのことを慕っていたと聞く。


 結果、エレインはアマーリアが管理する修道院へ移されることとなった。王はそこへ多額の寄付金を送った。

 アマーリアの献身的な介護が実を結んだのか、エレインが心を取り戻したと聞いたときは、心底安堵した。


 ならばあとは、あの男・・・に選択を委ねるまでだ。

 王は、城下で療養中の『明星』の元へ向かった。


 カラフにとって、エレインは決して遊びの女ではなかったのだろう。エレインの悲報を聞いて身体を壊したのが、なによりの証拠だ。

 そんな男に、愛しい女の居場所を教えてやろう。騎士としての安楽な生活をかなぐり捨ててでも、エレインの傍に寄り添う選択をするのなら、それを尊重してやろう。


 王の思惑は、それだけではない。

 カラフの怒りが、まかり間違ってもマルゴに向くようなことがあってはいけない。

 ゆえに、王自らが『悪役』を演じなくてはいけない。すべて、自分が糸を引いていたのだと、カラフに思わせなければ。

 だからこそなおさら、カラフと会話をする必要があった。


 意志薄弱なカラフがエレインの元へ向かうかは、わからなかった。エレインが回復したことは、あえて伝えなかった。あえて挑発するような、嘲笑うかのような物言いをした。彼の覚悟を試すために。生半可な覚悟では、俗世では生きられない。


 果たして彼は、『愛』を選択するだろうか。

 はたまた、ぬくぬくとした騎士としての生活を捨てきれず、王の元へ戻ってくるだろうか。

 そのときは本来の目論見通り、見下げ果てながらも生涯そばに置いてやろう。


 カラフが王都を発ったと聞いたときは、彼の気概を称賛しつつも、寂寥感を覚えた。

 軽薄な男ではあったが、同じ師の下で、苦楽を共にした仲だ。そして、明星の騎士として、よく仕えてくれた。


 病み上がりのカラフには、厳しい旅路になるとわかっていたから、護衛をつけてやるべきか迷った。

 いや、あくまでカラフは、騎士団を脱走した者として扱わなくてはならない。そして、道中で盗賊かなにかに狩られたのだということにしておかなくては。

 さもなくば、なにもかもを捨てて共に生きようとする彼らの邪魔になる。


 元王妃と元騎士は、人々の記憶から忘れ去られなくてはならない。

 そうしてやることが、王から彼らのへの、唯一の贈り物。


 すでにアマーリアには手紙を出してある。『カラフがそちらへ行くことがあれば、歓迎してやってくれ』と。


***


 ──こんなはずではなかった。


 王妃マルゴは、ただ泣き暮らしていた。


 王との初夜はうまくいかなかった。王はマルゴの緊張をほぐすためにあらゆる手段を講じてくれたが、マルゴにとってその一挙一動が嫌悪へと繋がった。


 愛の交歓とはすなわち、恥辱と苦痛にまみれたものである、という認識がマルゴの心身に刻み込まれた。

 数日後の晩、再び王が訪ねて来たときは震えが止まらず、王の大きな手が肩を撫でた瞬間、恐慌状態に陥った。


 それに加えて、宮中にマルゴの味方は少なかった。

 侍女からは蔑みの眼差しを向けられ、廷臣からは嘲笑された。


 すべて、エレインの胎の子の呪いだ。

 だってほら、今もどこかから赤子の声が聞こえるんだもの……。


 かくして心を病んだマルゴは、自室の窓から身を投げたのだった。


***


 立て続けに王妃を自殺で失った王の威信は失墜した。その後、彼の治世がどうなったかは想像にかたくない。




<了>



【あとがき】

最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。

読者様方に少しでもお楽しみいただけたのであれば幸いです。

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明星の騎士は今宵、王妃を抱く root-M @root-m

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