番外編 マルゴと王 中編
「騎士カラフが、
マルゴの誘惑に、エレインはやすやすと乗った。
予想通りではあるが、なんと
あんな男を思い続けて、王妃としての自覚を持たず、王と打ち解けようともせず……。
しかも、マルゴのことを信頼しきって……。
一方のカラフも、案の定、懐に飛び込んできた獲物をこれ幸いといただいたようだった。至高の獲物は、さぞかし美味だったことだろう。これが破滅の始まりだというのに。
心の弱い女と、頭の弱い男の恋は、一夜でとどまらなかった。火に油を注ぐように燃え上がり、その激甚な情欲に身を任せ、幾度も逢瀬を重ねた。
ケダモノにも劣る、とマルゴは軽蔑した。
獣は、子を成すためにしか交わらない。しかし奴らはどうだ。ただ肉欲に溺れる、罪深く汚らわしい存在だ。
それに比べて、国王のなんと高潔なこと。マルゴが妻になるまで、肉体の触れ合いを拒んでいる。若い男性にとって、それがどんなに辛いことか。強靭な精神力がなければ成しえないことだ。
そしてマルゴが王妃となった暁には、今まで抑圧してきた愛を存分にぶつけてくれるのだろうか。エレインとカラフがそうしているように……。
それを想像したとき、マルゴはぞわりと総毛立った。身体を支配したのは、まごうことなき嫌悪感だった。
あの清廉な王が欲望を剝き出しにするところを、マルゴ自身がそれを受け入れ、歓喜に打ち震えるところを、想像できなかった。したくなかった。
***
マルゴにとっては肩透かしだ。てっきり、カラフのことが忘れられないとメソメソするものだと思っていたのに。
エレインなりに、カラフへの想いに決着をつけたのだとわかった。幼き頃よりの慕情は成就し、結果、執着を断ち切ることができたのだと。
しかし現実は厳しく残酷だ。間もなく、マルゴが二人の不義密通を告発する。エレインは『不貞を働いた元王妃』という汚名を背負って、実家に帰されるのだ。
だがしかし──。
現実は、よりいっそう苛烈だった。誰の言いなりにもなりはしない、と言わんばかりに。
エレインに、懐妊の兆候が現れたのだ。静養地より帰還してから、
兆候といっても、月の物の遅れの他に、眠気と喉の渇きがあったくらい。
けれど、出産経験のある年嵩の侍女たちが、『間違いない』と騒ぎ立てるのだ。長旅の疲れからくる体調不良に過ぎないかもしれないというのに。
しかし、もし本当に妊娠しているとすれば、時期からして、王の子であることは間違いなかった。
カラフと愛欲に耽っている頃、エレインの
そのことはしばらく伏せられた。エレインはもともと月の物が不順だったし、つわりに該当する症状がなかなか見られなかった。
侍医が言うには、誰しもが妊娠初期に吐き気を催すわけではないらしい。
妊娠の可能性があると知ったエレインは、あろうことかそれを喜んだ。
彼女はマルゴにだけ教えてくれた。『立派な王妃になる』と、カラフに誓ったのだと。さっそくその約束が果たせる、胸を張って彼の前に立てる、と喜々として。
雰囲気が柔らかくなったと同時に、凛とした姿も見せるようになり、今までとは別人のようになった。
未だ事情を知らぬ廷臣たちはエレインに一目置くようになった。静養の甲斐あってか、ようやく王妃としての自覚が出てきたのか、と。
こうなっては、兄の立てた計画は水の泡だ。王家の血統を継ぐ子を孕んだ女を、廃するわけにはいかない。きっと地団駄踏んでいるに違いない。
しかし、マルゴの心中は穏やかだった。計画が失敗したことを悔しく思う気持ちも、王の子を孕んだ女を憎む気持ちも、まったくなかった。
これでよかったのだ、と素直に思った。
やがてエレインに顕著な妊娠症状がみられ、秋の半ばに懐妊が公表された。国中が沸き、マルゴも多くの国民同様に喜んだ。侍女として、生まれたばかりの王子を世話する日が待ち遠しかった。
そんなある日、兄から呼び出しがかかった。
何事だろうかと恐る恐る足を運んだマルゴは、それを心底後悔することになった。多忙を理由に無視すれば良かった、と。
兄は歪んだ笑みを浮かべており、マルゴになにかを押し付けてきた。なんの変哲もない黒い小瓶だったが、とても嫌な予感がした。
「これは……」
「早く
毒だ。エレイン様に、それを飲ませろ」
「な……、は……?
お兄様は、私に人殺しになれとおっしゃるのですか!」
しばし茫然としたのち、マルゴは激しく拒絶した。結い上げた髪を搔きむしりながら、悩乱に喘ぐ。
妊婦を殺してその後釜に座るなど、人ならざる者の所業だ。そのような
しかし兄は、至極あっけらかんとした様子で言った。
「これは死に至る毒ではない。いわゆる『堕胎薬』だ」
「どこでそのようなものを……」
「国王陛下から賜ったのだ」
マルゴは驚きに目を見開く。頭の中は真っ白になったが、心臓だけは激しく収縮を続けている。
兄は淡々と説明を続けた。
「代々王家に伝わる秘伝の薬らしい。王族が下賤の女を孕ませてしまった際、これを与えたのだという」
「なんて……おぞましい……」
王家の深淵を垣間見たマルゴは、血が凍りつくような恐怖に激しく震える。
そんな恐ろしいものを、あの清廉な王が『使え』と言ったなんて……。
「マルゴ、臆する必要はない。
我々がお膳立てしたとはいえ、エレイン様は国王陛下を裏切った。そんな女を王妃に据えておけるものか。侍医の妊娠判定も遅れたというし、胎の子が確実に王の
それに、もしカラフに瓜二つの子が生まれてみろ、お前が手引きしたということも連鎖的に判明するだろう」
「なっ……」
マルゴは恐れおののいた。兄の言葉は紛れもない脅迫だ。そちらから計画を持ち掛けたくせに、いざというときはトカゲの尻尾切りのようにマルゴに責任をおっ
「ああ、マルゴよ……」
マルゴの恐怖と怒りを悟った兄は、にわかに態度を軟化させた。気色の悪い猫なで声で、言う。
「お前も、王妃になりたいだろう。陛下とお前が、ずっと想い合っていたことは知っているよ。
それに、お前の双肩には、我が家の命運がかかっているんだ。みんなが、お前に期待を寄せているんだ……。わかっておくれ」
兄の言葉が、重く重くのしかかる。心を押し潰されそうになりながら、一縷の希望を、愛しい王へと求める。あの方の愛さえあれば、きっと耐えられる。
しかし、マルゴの心に在る王の姿は、黒くくすんでしまっていた。
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