ボクは遺言を書けなかった

卯月 幾哉

本文

「今日はみんなで、遺言を書いてみましょう」


 道徳の授業で先生がそう言うと、教室がざわざわとなった。


「遺言だって」

「ゆいごんって何?」

「バカ、お前知らないのかよ」


 そんな声がそこかしこから聞こえた。


「静かに」


 先生が手を叩くと、話し声はぴたりと止んだ。


「難しく考えなくていいのよ。自分が死んでしまった後のことを想像して、お父さんやお母さん、周りの人に遺しておきたい言葉を文章にしてみてください。――残念な話だけど、いつかまた、不幸な事故でお友達が亡くなっても、おかしくはないんだし、あなた自身がそうならないとも限らないんだから」


 なぜか、そのセリフの後半の部分で、ボクは先生と目が合ったような気がした。


 それから授業が終わるまでの間は、自由に遺言を書く時間だった。終わらなかったら宿題になってしまうから、みんな黙々と書いていた。

 ボクは原稿用紙と鉛筆を前にして、うんうんとうなっていた。

 ボクの家族は母さんしかいない。もしボクが死んでしまったら、きっと悲しむだろうな。想像するだけで悲しくなってしまって、どんな言葉を遺せばいいのか、考えられなかった。

 そうやってボクが原稿用紙とにらみ合いをしていたら、一人の女子がボクに話しかけてきた。


「ユイト君、書けた? ……いや、書けてないね」


 彼女はボクの白紙の原稿用紙を見て、言い直した。


「うん。アマネちゃんはもう書けたの?」


 彼女――アマネちゃんは、こくりとうなずいた。

 めずらしいなと思った。ボクは一人ぼっちでいることが多いから、こんな風にクラスメートに話しかけられたのは、ずいぶんと久しぶりな気がする。


「いざ書こうとすると難しいね。気持ちが整理できなくて」

「……そのまま、正直に書いたらいいと思うよ」


 アマネちゃんは、そうアドバイスしてくれた。


「なるほど、やってみるよ」

「私、もう書いたから、手伝うよ」

「そんな、悪いよ」


 と、言ったけれど、アマネちゃんはもう鉛筆を握っていた。


「お母さんへの気持ち、話してみて。私が書くから」


 後から考え直すと、気恥ずかしくてそんなことはとても無理だと思ったけど、このときのボクはなぜか、素直にアマネちゃんに従っていた。



 その次の週の同じ時間に、また道徳の授業が始まった。

 今回は、先週書いた遺言を一人ずつ発表するそうだ。


 しかも、この日は授業参観の日だったらしい。

 教室の後ろの扉から、クラス委員に案内されて、保護者たちがぞろぞろと入ってくる。

 その中には、ボクの母さんもいた。

 今までの参観日だと、仕事で来れないことも多かったのだけど、今日はなんとか休みをもらえたみたいだ。

 右はじの前の席から順番に発表が進んで、いよいよボクの番になった。


「――じゃあ、次は、春日ユイト君」

「はい」


 返事をして立ち上がると、なぜか教室が少し騒がしくなったような気がしたけど、先生が「しっ」と指を立てるとすぐに静かになった。

 ボクは原稿用紙を持って保護者たちの方に向き直り、母さんに向かって遺言を読み上げた。

 結局、先週の道徳の授業の時間だけでは足りなくて、アマネちゃんに昼休みや放課後まで付き合ってもらって書いてもらった。自分のダメさ加減には嫌になったけど、おかげでそれなりに満足の行く内容になったと思う。


「母さんへ。

 母さんがこれを読んでいるころには、ボクはもうこの世にはいないことでしょう。もし、ちゃんとしたお別れができなくて、悲しませてしまっていたら、ごめんなさい。そんなときのために、この遺言を書きました。

 母さん、今までボクを育ててくれてありがとう。毎日仕事で疲れているのに、ご飯を作ってくれてありがとう。

 ボクは、母さんの子供に生まれて良かったよ。

 父さんのことはもう、ほとんどおぼえていないけど、母さんがいたからさみしくはなかったよ。

 それなのに、ボクが死んでしまって、母さんにさみしい思いをさせてしまってごめんなさい。

 どうか、あまり長く悲しまないでください。母さんはまだ若いんだし、前を向いて、これからの人生を楽しく生きてください。ボクはそれをあの世から見守っています」


 薄々察しはついていたけど、読み終えたときには、母さんはハンカチでは抑えられないほどボロボロと涙を流していた。

 みんなの前なのに、恥ずかしいなあと思っていたら、なんと母さんはボクの方に歩いてきた。


「えっ……?」


 ――まだ、他の人の発表、終わってないのに。


 さすがにまずいんじゃないかと思って、先生の方を見たけれど、特に注意をする気はないみたいだった。それどころか、先生の目もうるうるしていた。


 母さんはボクのすぐ近くまで来ると、なぜかボクではなくて、アマネちゃんの方を向いた。


「ここに、いるのよね?」


 母さんが震える声で言うと、アマネちゃんははっきりとうなずいた。


「はい。ユイト君はそこにいます」


 母さんはボクに向き直ると、手を広げて、抱きしめてくれた。


「ユイト、ありがとう。私もあなたの母さんでよかった」


 ――母さん、照れくさいよ。


 ボクは少しだけ抵抗しようとしたけど、上手く体に力が入らないみたいだった。


「母さん、あなたのこと絶対に忘れないからね」


 母さんのその言葉はあたたかくボクの体を満たして、ボクの目からもしずくがあふれた。


 そのままボクは、やわらかな光に包まれるようにして、この世を後にした。

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ボクは遺言を書けなかった 卯月 幾哉 @uduki-ikuya

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