プロローグ


「で、どうするんですか? この後は」


 胤光はぼんやりと言った。それは近づきつつある終幕に気が抜けたような、はたまた大量出血で意識が遠のきかけているような、純粋に曖昧模糊な問いかけだった。

 社長室を出て、LEDが煌々と刺すアイボリーの廊下。無駄に並んだ高級な絵画になんて目もくれず、胤光とキラリは歩き続ける。

 胤光の問いに、ほんの少し渋りがちにキラリが答える。


「ある男がおった。男は『決して悪に斃されぬ』という恩寵を与えられておった。それは所詮恩寵の結果に過ぎないことじゃったが、彼は、周囲が犠牲者となっていく中で自分一人が生き残ることに対してむしろ苛まれ続けておった。まあ、当の本人は恩寵の存在など知らんからのう。子供の頃のお主と同じく、呪いという認識だったのかもしれぬな」


 キラリの言葉が流れていく。それは言葉というより空気のようで。ただ通りすぎていく。

 徐々に視界は霧に覆われていく。意識が白濁としていく。その中で、止まったままのエスカレーターを下っていった。

 まるで白昼夢を行くような胤光へと、キラリは続けた。


「だがのう、今際の際に友は彼に託した。それは最短距離で悪に辿り着く恩寵。名を〝真っ向勝負ストライカー〟」


恩寵ギフトって引き継げるものなんですか?」


「むしろ恩寵の真の特有性はそこにあると言っても過言ではない。継承できるのは能力の一部に過ぎぬが、要は使う人間次第じゃ。ゆえに悪用されぬためにも秘匿されてきた、とも呼べるのう」


 知らされていなかった事実に揺らぐこともなく、


「継承の秘匿を明かしたのは敢えてってことですか? このタイミングで、つまり最後の最後でっていうのは」


 ただ胤光は皮肉っぽく言って。


「お主の物語にとってはの。さりとて別にお主が気に病むほどのものでなし。それはまた別のお話、というヤツじゃ」


 キラリは悪戯っぽく返す。


「恩寵も要は使い方次第ゆえな。役割を終えた恩寵の最後を見届け、憂慮すべき継承が成された場合の封印もまた旅の目的のひとつじゃったが、まあそれに関しては要らぬ心配じゃったのう」


 独り言のように呟いたキラリは旅路を思い返すように目を瞑る。だが残された時間はあまりに少ない。名残を惜しんでいる暇など残されてはいなかった。

 赤い鳥居を五つ抜けて辿り着いたエスカレーターの階下、キラリは真っすぐに胤光を見据える。そして続けた。


「〝真っ向勝負ストライカー〟を継承したことにより、男の恩寵もまた本来の輝きを放つ。完成したその恩寵の名を――〝超新星スーパーノヴァ〟」

 

 器にはいま並々と悪の教典――世界を滅ぼすウィルスデータ――が注がれている。それは胤光が解除しない限りアレンに戻ることはない。

 終わりのための言葉、その口火を切った時には胤光は既に理解していた。器を砕くこと――それこそが真の目的だと。


超新星ちょうしんせい……それが、この星の代理人たる貴女が真に導くべき新たな希望。本当の旅はから始まるっていうわけですね」


 筋書きを理解してなお、胤光はありのままを受け入れる。寂しくはない。あるとするならそれは別の。

 胤光の心情を知ってか知らずか、キラリは平然と言い放つ。


「まあの。じゃから真の目的が為、ほとんど成仏しかけとったお主を再生利用リサイクルしようと思い立ったというわけじゃな」


 胤光は肩を竦めてみせる。感情はないまぜだった。だとして人として感情を持ちえていること、それ自体を誇らしく思った。

 問答における正解も過ちも必要なかった。怒りも憎しみも、喜びも悲しみも。感情からの展開になんてこだわらない。ただ感じることが出来るということ――紛れもなくこの瞬間に生きているということ。それだけが全てだった。いつしか心は凪いでいた。

 非常階段を目指して二人で歩き始めた。

 キラリが小さく頷く。


「もうすぐ悪の気配を感じ取った〝超新星スーパーノヴァ〟がここへと辿り着くことじゃろう」


「アレンは二度と悪さを起こせない。器が砕かれれば、とりあえず今回の悪の栄えはついえるのでは?」


「不完全なデータ、つまりはアルファ版と呼ばれる方のウィルスデータを持ち出した連中が残っておってな。それは言うなれば偽の経典に過ぎぬわけじゃが、正統であれ紛い物であれ聖遺物の常でな、たちが悪いことに思惑は違えど利害の一致する連中で組織化しとるのよ。正真正銘、完全なる悪の組織じゃよ」


「それこそが、超新星ちょうしんせいが戦っていく悪党ども? そのために、これからのために、彼はここに来なければならない?」


「彼が正統なるを打ち砕くことで、彼と悪の間に因果が生じる。まあ、通過儀礼のようなものじゃな」


 キラリは、ふ、と笑う。それはとても被虐的で。

 胤光は見惚れていた。霞がかった視界で。そして尋ねる。今は少しでも長くキラリとの問答を続けたかった。


「正義と悪の因果、という意味でですか?」


「いや、あくまで彼と悪の因果、じゃ。正義、なぞという単語で括るのは宜しくないのう。ともすれば危険じゃ。そもそも正義だとて、思想や理想が行き過ぎれば変質してしまう。例えば、平和の創造ピースメイクなぞという歪んだ思想に囚われた正義のようにのう」


 それは分かる気がした。ウィルスデータを抜き取るために触れた際に感じたアレンの精神。そこには一抹の悪意もなかった。彼は自身の行いを正義だと確信していた。

 胤光は悪あがきのように、シニカルに笑った。 


「なら、彼がその悪党どもを倒すことですら、通過儀礼の一部なのでは?」


「その先があるのか、ないのか、それは尊にもあずかり知らぬこと。まさに世界と神の思し召しじゃな」


 胤光は立ち止まる。

 キラリが数歩進んだ先で、立ち止まる。


「なに、早いか遅いかだけの話じゃ」


 振り返ったキラリが言った――最後の笑顔で。

 混濁する意識のまにまに、胤光は人としての最後の言葉を発する。


「さよならキラリさん」


「ああ……さよならじゃ、瞭太郎」


 キラリが踵を返す。彼女は二度と振り返らない。



   ★



 早いか遅いか――とキラリさんは言ったが、二人の道筋が交わることはもう二度とないだろう。神の思し召しの有無に関わらず。


 だから。


 永遠にさようならワールドエンド


 どうやら俺は『救世主ヒーロー』なんかじゃなかったらしい。といったところで、今さらなんの感慨もないが。


 いつかキラリさんが言っていた。


『言うなれば、物語における終着点それをどこに置くか、が最重要であって、経緯や経路、なお言えば当座のゴールなぞ些末なことに過ぎぬのじゃ。そんなものはのう、胤光よ。人それぞれじゃ。どこに視点ポイントを置くかで、物語は全くの別物に様変わりする場合とてあるわけじゃしのう』


 今はその意味が分かる気がした。


 俺は、世界で最後のワールドゾンビエンド


 俺は、世界の終わりをワールド詰め込んだ器エンド


 俺は、世界で最後のワールド真実を知る者エンド。 


 俺は必要悪――俺の名は、ワールドエンド。


 俺の物語の終わりは、彼の物語の始まり。

 それは、新たな星が生まれる前に必要な事象。


「さあ来い、超新星スーパーノヴァ


 長い廊下の先、エレベーターが最上階に到着するのを知らせる点灯が映った。薄れゆく意識の中、俺はゆっくりと身構える。



                     ワールドエンド・スーパーノヴァ

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ワールドエンドスーパーノヴァ 夜方かや @yakatakaya

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