第四十三話 一持院胤光と鬼宿星――ワールド・トラベラーズ 6


 胤光はキラリを見つめたまま、彼女に初めて会った時と同じ質問をする。


「で、結局あなたは……あなたは一体何者なんですか?」


 キラリの瞳が宙を泳ぐ。でもそれも一瞬だった。すぐに彼女は胤光の瞳に視線を重ねる。刹那の逡巡。それは覚悟を決めたようにも、何かを諦めたようにも映った。

 キラリは静かに、だけど良く通る声で話し始めた。


「お主は仏門よな。そして世界には様々な宗教があり、数多の神がいる。ならば、その神々が存在足るに必要なモノとは何か、お主には理解わかるか?」


 それもまた最初にキラリに会った時の問答に似ていた。


「神を信仰する者――信徒、とかですか?」


 胤光の返答に、キラリは無理をするように笑ってみせる。


「多少見直したかと思えば、なんともありきたりな解じゃの。まったくもってこの屑ヒモ破戒僧めが。良いか、瞭太郎。信徒どもは勝手に崇め奉っておるだけじゃろうが。信徒は神なくしては存在できぬが、神はその存在をもって神と成すのじゃ。唯一それだけが真理よ」


 胤光は返答に詰まった。しかし禅問答の如き迷宮に迷い込む前に、キラリさんはさっさと答え合わせをする。


「良いか、瞭太郎。真理たる存在の神ですら、そこに立つ地がなければ存在を証明することはできぬのじゃ。つまり、神々が存在するに必要なモノとは、この星――地球、じゃ」


 地球――胤光は呟き、キラリは頷く。


「そもそもがじゃ。神とは、この星にやがて訪れるであろう邪悪との終末戦争に備え、類まれなる信徒――つまりは星の守り人、光の戦士として相応しき高潔なる魂を集めるための装置に過ぎなかったのじゃ、当初はのう。宗教間で反りの合わぬような戒律を設けたのも、切磋琢磨することで魂の練度を上げるための手間に過ぎなかった。結局は信徒どもの勝手な解釈で、当初の意図とは別の方に転がってしまっとるがのう」

 

 キラリは世を憂いて溜息を吐く。差別。いがみ合い。そしてテロという名の宗教戦争。繰り返される流血は、高潔なる魂を充分に育てる暇も与えないだろう。


「今回の件が、キラリさんの言っていた『訪れた邪悪』ということですか?」


 胤光が訊くと、キラリは小さく首を振った。


「今回のは詰まるところ予想外、というヤツじゃ。邪悪とは、言うなれば侵略者。それはもはや別次元の存在。この星を乗っ取ろうと考える別の星、とでも呼ぶべきか。概念的で抽象的な話になるからお主には不向きかのう? ともあれじゃ、その邪悪への対抗措置に関しては今話した通りじゃが、それとは別に、邪悪発生の周期を予測して星は恩寵を降らせる。約十年単位に三年周期でのう。選ばれし者は一度の周期で九人。その兆候サインは眉間を中心に置いたムゲンを示す表象シンボル。それも大概の人間には片目ずつ光の輪が浮いてるようにしか見えんじゃろうが。まあ、それはどうでもよい。結局、恩寵とは天文学的確率の厄災を憂慮しての保険的な趣が強いのじゃよ。現に今まで恩寵を授けたタイミングで邪悪は発生しとらんしのう。そして憂慮はしても、そこに適性や期待といった深慮はないのじゃ。たまたま与えられた能力が開花することで、人という種のグレードアップが図れればラッキー、くらいのものじゃ。種としての進化は、魂の改訂に繋がるかもしらんからのう」


 胤光はちらと盗み見た。頭に巻いたタオルから染み出た血が右目へと伝う。アレンの横顔が真っ赤に映った。出血を拭いながら胤光は尋ねた。


「でも今回は悪い方に開花してしまった?」


 うむ、とキラリは頷く。


「今回は邪悪、と呼ぶほどの大事ではない。光の戦士たちを発動させる程の、という意味ではの。充足している訳でもない上に、魂はリサイクルが効かぬからのう。いずれ訪れる終末戦争に備え人手を割けぬ以上、ここで発動するなぞもっての外じゃ。とはいえ、このゾンビ騒ぎで多くの魂が育つ間もなく溝に捨てられる形となった。そしてアレンの言う通り、不完全なウィルスデータが悪用されれば、更に魂の被害は甚大となろう。単純に戦力差の問題じゃ。光の戦士の充足なくしては、終末戦争なぞ敗北必至じゃ」


 ここにはもはや一寺院胤光は存在しない。ただの遠童瞭太郎となったその眼前で、


「魂の損失を防ぐため、騒動の収束に向けバラバラの欠片ピースを導き、紡ぐ存在が必要だったというわけじゃ。神々との交渉人にして、この星の代理人という立場でな。それだけなら発動する魂もひとつで済むしのう――」


 鬼宿星たまほめキラリもまたその正体を曝す。


「――仮初の肉体に宿るのは、もう何者だったかも忘れてしまったかつての信徒。自己と呼べるものなど心象風景僅にも似た微かな記憶だけ。必死で師の背中を追い続けた少女はもういない。尊はのう、ただの魂に過ぎぬものじゃ」


 彼女は言った――魂のリサイクルは効かない、と。それはつまり……。胤光は言葉を失う。

 胤光の内心を読んだように、彼女は薄く笑った。


「なに、早いか遅いかだけの話じゃろう? のう、瞭太郎」


 気休めの笑み、それが意味するもの――同調と同情。彼女もまた理解していた。


(だから俺は……)


 躊躇する。本当は終わらせたくはなかった。この旅を。それはキラリとの別離を意味している。早いか遅いかだけの話――それが確定的な話であったとしても。


(だけど俺は……)


 その上で、時間が無いことはもっと確実なものとして理解していた。


 胤光は終わりのための言葉を紡いだ。


「俺が選ばれたのは、今この時の為なんですね」


 キラリは静かに頷いた。


「お主の恩寵は、正確には前回の邪悪発生の予想周期、つまりは今から十八年前に与えられた。まあ子供だったお主にすれば、勝手に押し付けられたに過ぎなかったろうがのう」


「だとしてもその呪いは解けたはずですよ」


 子供の頃、胤光だけに見えた幽霊たち。それはやがて見えなくなった。いや、正確には制御できるようになった。


「それは単純にお主が小賢しくなったというだけのことじゃろ。つまりは大人になることで適当な理屈をつけて納得できるようになったというだけの」


 キラリはさもありなんとばかりに続けた。


「禅修行の中で至る覚醒状態。例えば遠い空の鳥の鳴き声が聞こえるだとか、いもしない存在を確かに感じるだとか。にわか修験者にすれば悟りの境地。まっとうな修験者にすれば魔境と呼ばれる神経の研ぎ澄まされた感覚。お主の感性にすればおよそそういったところに結論づけたのじゃろう?」

 

 まったくもってその通りだった胤光へとキラリが言った――まったくもってこの屑ヒモ破戒僧め。

 絶句する胤光。キラリは十分すぎる程に察していた。


「まさかお主、手前勝手に悟ったとでも思うとったのか?」

 

 赤面する胤光に向けて、


「愚図なを持つと尊も苦労するわい」


 キラリが呆れたように、笑った。その後で。仕切り直しのように訊く。


「それにしても、どうして解ったのじゃ?」


 胤光の頬は自然と緩んだ。


「キラリさん、油断しすぎですよ。最初の頃こそ、このひと、寝てはいても意識は目覚めてんのかな、なんて勘ぐったりもしたもんですが。キラリさん、夜は爆睡じゃないですか」


 まさか胤光に指摘されるなど思いもよらなかったのだろう。キラリが後じさる。

 ちょっぴりだけ溜飲の下がった胤光は満を持して、


「キラリさんが寝てる間にスマホを拝借して電話してみたんです。そしたら普通に電話に出たわけで……ピンピンしてましたよ、ウチの師匠」


 ウチの師匠、いや元師匠と呼ぶべきか――一持院イチジイン胤惠インケイ。義父が亡くなってなお、母と義妹とのぎくしゃくした関係に辛さを覚え、家を出た胤光を拾ってくれた恩人。


「ふぅむ、尊もまた未熟じゃったか」


 少しおどけた調子でキラリが言った。


「キラリさんが言った救世の大役を任されるべき人間なんて、少なくとも俺が思いつくのは師匠くらいのもの。それを死んだ、なんて嘘を吐いてまで俺にやらせるわけですから。だったら最初から俺じゃなきゃならない理由がある、ってことくらい、さすがの俺でも分かりますって」


 ふぅむ、再び唸るキラリへと、胤光は指をさす。正確にはキラリがぶら下げたものへと。


「で、その二丁拳銃でしょ」


 毘紐天ヴィシュヌテンより拝借してきたらしい破壊の三昧耶形さまやぎょう――羅喉ラーフ計都ケートゥ


「ゾンビやら、元ゾンビが相手っつったって、そこまで物騒なものは必要ないでしょ。となれば、それは別の用途があるはずですよね。例えば、神の加護を与えられた破戒僧が思い通りに動かなかった場合に力づくで言うことを聞かせる為に、とか」

 

 胤光の解答に対して、キラリは不敵に笑った。


「で、どうするお主。お役目を放棄して逃げ出すのか?」


 言いはしても、二丁の拳銃が胤光に向けられることはない。

 胤光は答えない。多分それは既にキラリの理解していることだから。その代わりに中途半端になっていた最終解答を提示する。


「まあ色々考えた訳ですが。俺が結局最後に理解したことといえば……どうやら俺の残り時間は少ないらしい、ってことですね」


「見事じゃ。瞭太郎――いや、この場合、胤光としての大悟たいごかの」


 どうやら最後の最後に悟れたらしい。それも鬼宿星のお墨付きだ。残念なのは、不肖の弟子の境地を胤惠師匠に伝えられないことだが、まあそれも些少のことだ。


「神仏の加護を受けているにも関わらず、傷も疲労も癒えなくなってきてる。そりゃ気づきもしますって。今の俺は、結局のところゾンビとして末期状態のまま。加護の力で人としての部分を延命しているに過ぎないってことくらい」


 額から流れ落ちる血を拭い、胤光も不敵に笑い返す。

 キラリは小さく頷いた。


「お主にしろ尊にしろ、結局は早いか遅いかだけの話じゃ」


 胤光はキラリから外した視線を、アレンへと移す。完全に会話の流れに取り残された男の、ディスプレイ越しの顔がたじろぐ。

 胤光は水槽へと右の掌を張りつける。液体の中で意識もなく揺蕩たゆたうアレン、その額へと意識を集中する。

 掌を介して、確かにそれを内側に知覚する。紛れもなく自分自身のものとして。


 キラリが言った。


「お主に授けられし恩寵の名は〝ワールド〟」


「なんだ、さっきから何を言っている――」うわ言のようなアレンの言葉を無視して、キラリが続ける。


「対象となる存在の意識、記憶、そして特殊性、その全てから一部までを保管することが出来る能力。反面、制御コントロールは難しく、お主だけでは無自覚ランダムに器を満たすことしか出来なかった。だからこそ、お主には導き手ガイドが必要だったのじゃ」


 胤光は水槽に張り付けていた右手をキラリへと向けた。


「キラリさん、スマホを」

 

 示し合わせたように差し出されたスマホに胤光は手早く数字とアルファベットの組み合わせ三十二文字を打ち込んだ。

 胤光がスマホを返すと、キラリは当然の如く備え付けのパソコンに向かった。

 他人事のように揺蕩い続けるアレンの生体を見据えて、胤光は告げた。


「ウィルスデータに関する記憶は、俺の〝うつわ〟にすべて移した。お前の脳内にデータに関する記憶は今現在なにひとつとして存在していないはずだ」


「なにを……」CG処理の施されたアレンの顔は口を開きかけ、そのまま固まる。対照的に明るい声音が背後から響く。


「ウィルス拡散のシステムデータは先の解除コードで無事消滅したぞ」


 小刻みに震え出した画像は完全に処理しきれなくなる。ノイズが走るだけとなった画面で声だけが喚く。


「貴様ら、なんてことを! 返せ! それは私の物だ! 返せ! 返せ!」


 胤光はアレンが揺蕩たゆたうカプセルを見上げる。心なしか意識のないはずの顔に苦悶の表情が浮かんだ気がした。


 散らばった数多のアルファベットや数字、それらを繋ぎ合わせる一重線や二重線、破線にくさび形。常人には理解も不可能なウィルスとワクチン、その化学組成と構造式はいま胤光の〝うつわ〟の中に注がれてあった。


 ノイズだらけの声があたりに反響する。


「なんてことをしてくれたのだ! 貴様らはことの重大さが理解できていないのだ! 私の真の目的を、国を想う崇高な精神を! それは、貴様ら愚物が手にして良いものではない。私ですらがまだ未完成だったのだ。それが完成した暁にこそ、私は真の救国の英雄となるはずだった! そしてすべての民は私を崇めることとなるはずだった」


 胤光は疑念を抱く。、という言葉が引っ掛かった。


「帝釈アレン、結局お前の真の目的とは何だったんだ?」


 アレンは言った。


「くだらない話だ。没入感のために最重要なのはリアル、だからゾンビ化しても決して人に戻れないようウィルスをプログラミングした、そう壊古軒エコノギは言った。壊古軒の作ったα版など不完全なウィルスデータに過ぎない。人に戻れてこそ、快復可能なワクチンありきでこそのウィルスこそが完成品。ゆえに私が作り替えたβ版こそがと成功作と呼べる代物だった。そして――」


 胤光にはアレンが何を言っているのか理解出なかった。十分に察したように、ノイズ交じりの画面に寂しげな目をしたアレンの顔が映し出される。どこか達観して見えるその瞳は、諸行無常を儚んでいるかのようでもあり、破滅へと向かう生き物を憐れむかのようでもあった。

 アレンがきっぱりと言った。


「――別の、特定の細胞を持ったヒトにのみ致死性をもたらすウィルスは既に完成していた……名を『雪雫スノードロップ』という」


 アレンはどこか遠くに想いを馳せるように淡々と話を続ける。


「脳の萎縮や欠損を伴う高齢者や障碍者、それらにはすべからく国税が無駄に費やされている。だからこそ、国にとって無駄となる生物は排除されなければならない。そういった障害を持つ細胞を識別し、その宿主ホストだけを速やかに殺すことに特化したウィルスだ。安楽死が認められていない現状、それは製薬会社が果たすべき社会的な義務、そして国家への貢献。すべては救う価値のある命とそうでない命の選別、正当なる研究費の割り振りのため。障害には安らかな死を、やまいには高度で洗練された治療を施すための英断となるはずだったのだ」


 アレンの話す言葉は自分の知るどの言語でもない、と感じた。対話という概念が最初からない存在。この日、初めて胤光は絶望を知る。


「ウィルスの保菌者キャリアにはさまざまな生物を試した。完全に管理コントロールされた集団感染パンデミックには直接感染が望ましい。哺乳類や爬虫類の脊椎動物では、自分より強者に向かっていけないという致命的な欠陥が遺伝子に刻まれていた。私の理想に叶ったのは昆虫類、その中でも赤家蚊アカイエカが最適解だった。見境なく人の吸血を行うアカイエカの生得的な遺伝子デザインは、そのままヒトが人を襲う感染者の行動パターンに応用できた。私にかかれば遺伝子デザインの摘出、結合、そして整理など雑作もないこと。そして第一段階として、貴様ら愚物がロメロと名付けたウィルスだけに感染したゾンビモスキートは、この国から程よく離れた別の国で解き放たれるはずだった」


 アレンは瞳に誇らしさすら湛えて話し続けていた。

 胤光は吐き気を覚えた。ゾンビとして屍肉を貪っていたことを知らされたとき以上に不快だった。生理的な嫌悪しかなかった。


「そして我が国に上陸すると同時に、雪雫スノードロップとロメロ、二種のウィルスを搭載した蚊が世に放たれるはずだった。二つのウィルスデータの組み合わせ、美しい構造式で何重にも構築された化学組成、それはまさに現代版バベルの塔。完成さえしていれば、もはや芸術アートとすら呼べたはずだ」


 うっとりとした表情を浮かべていたアレンの顔にノイズが再び走り始める。正しいことをしているのに、凡人には理解が得られない天才の苦悩を示すように。すこしだけ寂しそうに。


「計画は完璧なはずだった。木を隠すなら森の中ともいうだろう? デッド・オア・ゾンビというだけのこと。多少の犠牲をはらんだとして、ゾンビ化などウィルスによって一時的に健全な肉体の仮死保存状態を維持するための処置に過ぎない。致死性のウィルスから身を守るための副反応に等しく、むしろヒトを守るための措置に過ぎない。私に言わせれば、色分け、選別、その程度の話。貴様ら程度にも理解可能な簡単な話だろう? 抗ウィルス剤もワクチンも完成している以上、ウィルス自体に害が無いということくらい」


 自分がいま人なのか、そうでないのか、胤光には分からない。それでも本能が告げていた。帝釈アレンが――人にしろ、人ならざる者にしろ――自身の敵だ、と。

 アレンが再び喚き始める。


「だから! だから分かるだろう! それは貴様ら如きが手にすべきではないのだ! 正しく使える者へと! 返せ! それは私の物だ! 最初から最後まで! 返せ! 私の物なのだ! 返せ! 未来を! 返せ! 返せ!!」 


 終始言語の通じ合うことのなかった対話は終了した。

 胤光は踵を返す。


「そう思うなら、そこから出て、取り返しに来てみろ」


 錯乱したように「返せ!」とアレンは繰り返し続ける。

 胤光はむしろ言葉の通りになって欲しかった。アレンがセーフカプセルから出てくるなら、グチャグチャにしてやりたかった。ウィルスデータを取り戻そうとしようものなら、その体を、心を、砕いてやりたかった。 


 だが――。


 自ら逃げ込んだ先は袋小路にして、四面楚歌。

 決して追いかけては来られないアレンの喚き声を背に、胤光とキラリは部屋を後にする。

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