第2話

「身体中が……痛い」

 金髪の青年は思った。辺境調査へんきょうちょうさをしていたハズが、ぬきつに関わって以来、浜辺とか漁港とかに調査が限定されてしまった。

 そして浜辺にきたので身体が痛いのではない。磯で見事にスッ転んだ。ゴツゴツした磯でコケたのでアチラもコチラも全身痛い。

 這うように一旦、宿に戻ったのはいいが、今日中に地元の大学に戻らなければならない。何故なら明後日にはぬきつの世話をまかせている教授が中央の学会に出発しなければならないからだ。

 このまま一泊すると南端の町で手に入れたぬきつの世話が遅れてしまう。

 陽が傾く前に青年は、ヘトヘトながら馬にまたがり家路(?)についた。

「痛かったけれど……いい景色だよな」

 金髪の助教授は、海の上にとび出た岩場に寄せては返し、波がつくりだす雪色の新しい波を眺め潮騒に耳を傾けながら地元へと帰っていったのだ。

 南端の町から戻って二週間、五匹のぬきつの幼生は、鮭の卵サイズからピンポン球くらいには成長していた。そして色々な餌を用意して見たものの、翌日にはタライの水面に浮いていた。観察する者としては気になって仕方が無かったのだが、教授の指示には従うしかなかった。

「帰ろう……とにかく帰ろう」

 金髪の青年は、呪文を唱えるように同じ言葉を馬上で繰り返した。


「いま、戻りました」

 ドアを三度叩いてあけると教授は研究室でぬきつをいれてあるタライの前に座り込みこちらを向いた。

「やぁ、帰ったかね。おつかれさま」

「教授、なにをしているんですか?」

「なにね、君がいない間が暇だったので彼らに講義をしていたのさ」

 なんというか、金髪の青年は次の言葉が出なくなった。

「教授……どれだけヒマだったんですか?」

「いや、学会に提出するものが思いのほか早くできたのでね」

 そう言って教授が指差した執務用の机の上には薄っぺらな数枚の報告書。

「ずいぶんと……簡単に済ませたものですね」

 パッと見て五枚もないだろう。青年はそれを指摘したのだが、

「専門外の会議に出てやるのだ。適当だよハハハッ」

 爽やかに笑っちゃいるが、なんでこんな師匠に師事したのか? まぁ、自分に人の目を見るのがないのは、父親からの遺伝だとは自覚しているが。

「考えてもみたまえ、定説とされる歴史では、まず古代に人外種族が世界から去って魔法使いが滅びたといわれてはいるが、それが鬼やら怪物やらと呼ばれているとは荒唐無稽だし魔法使いにしても僕は到底、同意できない」

 いつもの教授の持論が出た。

「それよりぬきつを見てくれたまえ」

「ぬきつがどうしたんで…… こ、これは!」

 タライを覗き込むと出発する前はピンポン球サイズだったぬきつ幼生が三日やそこいらで大きな肉まんの大きさまで育ってしまっている。大きくなって嬉しいと思う親心以前に原因の方が気になってしまった。

「捕食している形跡はないのにこの数日で突然、大きくなったのさ」

「そうなんですか……というか、普通のぬきつよりも大きいように思います」

 教授は名探偵がなぞを解き明かすときのように歩き回って言葉を続ける。

「これはあくまで想像なのだがね」

「は、はぁ」

「養殖している二枚貝の中には海水から栄養を摂るものがいるんだよ」

「え? 海水から?」

「ためしにタライの海水に指をつけて舐めてみるといい」

 教授に言われるまま利き手の人差し指をちょいとタライに漬けて舐めてみる。

 いつものことで海水には何の汚れもない。

「……これは」

 金髪の助教授の声は震た。舐めてみた海水はほぼ、真水だったのだ。

「貝の一部には水質の浄化作用があるという。僕が海水から栄養を摂っているかもしれないと思った理由はソコにあ……」

 ドアがノックされ事務局員が入ってきた。

「教授、明日出立しゅったつされる中央の件について学長がお呼びです」

「学長が? わかった。案内してもらおう」

 そうこたえて教授は金髪の青年に顔を向ける。

「ちょっと中座する。その間にタライの海水をかえておくといかな」

「はい」

 金髪の青年は外へ。教授は学長の室へと向かった。

 海水はカメに入れておいても三ヶ月以上もつ。これは旅の途中、漁師に教わったことだ。ついでにぬきつを新鮮なまま港へ持ち帰るには定期的に海水をかけてやれば良いとも聞いた。ならば教授の仮説は正しいのかもしれない。

 手桶を片手に青年が研究室に戻るとタライの中の五匹のぬきつが五匹とも教授に擬態して青年を出迎えた。

「君、すまないが海の水を替えてもらえまいか」

 五匹が声を揃えて言った。声の高さはやや高目だが、言いまわしとテンポは教授そのもの。そして情景模型のサイズなりだが。

「は、はい?」

「すまないが海の水を替えて欲しいといったのだよ」

「はいッ! ただいま!」

 元々、タライの海水は取り替えるつもりだったが、教授に擬態することで声帯を獲得したとしか思えない。青年はブツブツと独り言を繰り返した。

 水を取り替え終わると金髪の青年は、ぬきつたちに話しかけた。

「き、君たちは言葉をどこで覚えたのかな?」

「教授!」

「お話が面白かったから」

「歴史と自然科学の話、面白かった!」

 教授に擬態した五匹のぬきつは口々に教授を誉めた。

「僕のいない間に言葉を覚えたというのかい? すごいな」

 金髪の助教授は言葉を搾り出しながら必死に頭を回転させた。

(僕の質問に返事をしているということは、会話としての言葉がちゃんと機能している! 知性があるって事だッ)

「あっ、あのさ……」

 その時、教授が戻ってきた。

「ふぅ、明日は定刻よりも早く出立せねばならなくなったよ」

「何があったん…… それより教授、大変です」

「どうかしたのかね?」

「ぬ、ぬきつが、しゃべりました」

 目を大きく見開いたものの、教授の口調はごく落ち着いていた。

「ほう、それでなんと話したのかな?」

 金髪の青年はビックリ三連発以上の事実を告げたつもりだったのだが、教授の反応に興奮がやや落ち着いた。

「学者たるもの常に平常心をたもつべきだよ君。偽りの新発見に興奮して何人もの優秀と見込んだ人物が学会を去ったことか……」

 興奮にストップをかけられはしたが、しかも学生時代には再三かけられた言葉で。それでも人間以外が言葉を用いる瞬間を目撃した。これは言葉を選びながら伝えねばならないと青年は感じた。

「教授は、人間以外の生物が人の言葉を話したことを見たことは?」

「そうだね…… まぁ、すぐに思いつくのは鳥、オウムのたぐいだ。あとは……そう、ネコだな」

「は? ネコですか」

「そう。僕が飼っていたわけではないが、僕は確かに聞いたのさ。食事時に『ゴアァァン』と催促する様子を」

 教授は二つの実例を提示してきた。とてもありふれていてわかり易い。

「前者は、人間の発する音声を真似た事例、後者は音声を真似たけれど『ごはん』と言えば自分の欲求を伝えられると理解している事例ですね」

「まぁ、そうだねぇ」

「ところが、ぬきつは……会話をしたんです。どこで言葉を覚えたのか? という僕の質問に教授の話を聞いていて覚えたと返答しました」

「ほう……」

 教授はそう呟いて思索にふけってしまった。

「あの、教授?」

 青年の声に反応したのか? 教授はタライの前に座り込んだ。

「やぁ、君たち。 僕が誰だかわかるかな?」

「……」

 ぬきつたちは答えようとしない。言葉を発する様子がまるでない。

「ふむ、再現性が見られないか」

 教授はタライに指を突っ込んでぺろりと舐めた

「フム。水は替えたようだね」

「それです!」

「何がだね?」

「彼らは……ぬきつたちは、『君、すまないが海の水を替えてもらえまいか』と僕に言ったんです」

「ほう……にわかには信じがたいが」

「本当です本当なんですッ」

 教授は立ち上がると金髪の青年に向きなおった

「ふむ。幻聴かもしれないし、話ができる時間がごく短いのかもしれない。あるいは決まった時間にのみ話せるとかね」

「な、なるほど」

「どちらにせよ君も帰ったばかりだ。寮でつろぐといい」

「ありがとうございます」

 退室しようとする青年の背後に教授が声をかけた。

「六日で戻ります報告書と観察を忘れないように」

「はい」

 短く返事をして青年は研究室を出た。


 報告書はすぐに済んだ。何せ磯では成果がなかったのだから書くことがまるでない。ちょっと早いがオヤジさんの店で食事でもと外に出ると厩舎の前で、馬の世話係をしている老人と出合った。

 元傭兵団の腕利きである老人は、手ぬぐいを二つにたたみ勢い良くまわしていた。そして腰には何羽もの小鳥を紐で縛り結わえている。

「やぁ先生、昼飯かね。あと一羽獲ったらワシも行こうと思っていた所だよ」

「はぁ、鳥ですか……でもどうやって獲るんです?」

「ワハハ、見ているといい」

 老人はそういうと空を見上げた。

「おっ! ちょうどやってきた」

 青年がつられて見上げると数羽の小鳥がこちらに向かって飛んできていた。

 老人は、手首のスナップを利かせながら手ぬぐいを回す速度を上げた。

「それッ!」

 小鳥が厩舎の真上にきた瞬間、老人が手ぬぐいの片端を放すと頭上の小鳥が一羽、ポトリと落ちた。近づくと小鳥のかたわらには黒い小石が落ちていた。

「手ぬぐいで……小石を」

「その通り。傭兵やっていて遠くにいった時に晩飯用によく獲ったものさ」

 落ちた小鳥取り上げ、慣れた手つきでそれを紐に結びつけながら老人はそう言った。

「さて、先生。行くとするかね」

 上機嫌で老人はそう言う。

「投石で鳥を落とすとはすごいですね」

 石を手ぬぐいに包み遠心力で勢いをつけることで空高く石を飛ばしたのだ。

「ワハハハ! どうってことはない。先生にもできるさ」

 そう言って老人は歩き始めた。


「おや、助教授先生! それにお爺さんも」

 顔なじみの店の戸をくぐると店の亭主が笑顔で迎えた。

「ご亭主、もって来たぜ。それと酒筒も」

 老人はそう言うと右手に紐でくくった小鳥、左手にひょうたんの水筒を持ち出した。 水筒は以前、南端の町で青年が老人にあげたものだ。

「おー毎度、新鮮なヤツを済まないね。酒はいつもの強いヤツでいいのかい」

「もちろんさね」

「ツケを差し引いてもこの鳥で……今日は無料だな。何にしますかい?」

「ワシは黒いエールとぬきつの焼き物を。先生は何にするんだい?」

 金髪の青年はちょっと考えて、こう答えた。

「羊の肉の炒め物といつものスープ、それとパン。エールをもう一杯」

 ここで店のオヤジさんが口を開いた。

「はいよ。しかし、先生はすっかりぬきつを食わなくなったなぁ」

「ははは、浜辺や漁港の調査ばかりだしたまには肉をね食べたいんですよ」

 ここで老人が耳打ちしてきた。

「先生、あの一件以来、ぬきつに情がうつっちまったかね」

 図星だった。実際にぬきつが育つ様子を観察し、今朝にいたってはぬきつが話しかけてきたのだ。知性の有無はまだわからないが、話しかけてくる相手を食べられる人がいたら、それはもう人ではない気がする。

「どうやら本当に情が移っちまったか。ワハハハ」

 老人は、快活に笑った。

「まぁ牛や馬、羊だって飼ってりゃ情がわくもんだ。わからなくはないさ」

「……はぁ」

 そんな話をしていると親父さんが料理と酒を持ってきた。老人には黒いエールとぬきつの串焼きを青年には細く切った羊の肉の炒め物、それとパン。添えられたのは、とても色鮮やかな黄色のスープだった。

「ほい。先生の分のエールな。ヨーグルトのジュースはいらないんかね」

「あ、追加でお願いします」

 オヤジさんが厨房に引っ込んだ頃合で老人が問いかけてきた。

「先生、それは何かね?」

「これですか?ちょっと辛いですが、こうして食べるんです」

 金髪の青年は、丸い形のパンの端をちぎり羊の肉の炒め物をそのパンではさんんだ。そして黄色いスープにチョイっとつけて口に運んだのだ。

 モグモグと食べる金髪の青年の幸せそうな表情をみて、老人は思わず生唾をのんだ。

「先生、ワシも試していいかね?」

「もちろんですよ」

 様々な国であらゆる物を食べてきた老人は、初めて見る食事に震えた。

 青年はこの料理を辛いといった。だが、辛いものには慣れている。青年の見せた手本通り、パンをちぎり、それで脂のしたたる羊肉をつまむ。それを黄色いスープにつけた。

「……香辛料かね? 知らぬ良い香りだ。どれ……フングッ!」

 老親の舌は、まず甘味を感じ取った。直後に感じたのは圧倒的な辛味。しかし嫌味なものではない。しかし辛い。その妙味に老人は驚き声を上げそうになった。

「ほい。ヨーグルトのジュースで……あっ」

 亭主のオヤジさんがテーブルに置く前、奪い取るように青年が取り上げて老人に差し出した。

 老人は迷わず受け取って一気に杯を空ける。

「ちょ、ちょっと……」

 杯を飲み干した老人は、一息ついて言葉をつなぐ。

「プハーーーッ!こりゃなんとも……

 青年は自分のための一片を用意しながら笑って言った。

「香料にも色々とありますが、オヤジさんが言うには中央よりもさらに西にある国の行商人売りにきたそうです」

「辛い。確かに辛い……が、こいつはうまい」

「でしょう? 食べつくした肉でも調理次第でこんなにも変化する」

「も、もう一ついいかね?」

 老人のうような目に青年は苦笑いして了解した。

「もちろんです。オヤジさんヨーグルトのジュースのおかわりを」

「はいよッ!」

 その後は、老人のスイッチが入ってしまい黄色いスープに何が一番合うのかという食べ比べが始まった。青年は、ランチどころではなく店内の客と老人がよそ見をしている間に逃げ出した。

「牛飼いは牛を想う……か……おや」

 ろくに飲み食いできなかった金髪の助教授、老人の投石による鳥をとる姿を思い出して帰り道の市場で手ぬぐいを一本、買って寮に戻った。


 翌日は朝早くに教授を送り出し、研究室でぬきつの観察をしながら教授が帰ってきた時のために仮説や考察などを紙代わりの葉に鉄筆を走らせた。

 時折、ぬきつたちが話しかけてくるが、助教授の仕事を邪魔するものではない。大体は、部屋の中にある物が何かという質問で一日に一度、海水の交換を希望した。

 早めの昼ご飯のため外へ出ると厩舎の前で老人が厩舎の上を飛び回る小さな鳥を狩っていた。

「やぁ先生、ずいぶんと早い昼だね」

「教授がいないと言い付けもないので時間に余裕があるんです。それと……」

 そういうと青年は腰の辺りから一本の手ぬぐいを出して見せた。

「おっ! 買ったのかい」

「えぇ。少しだけご一緒してもいいですか?」

「構わねぇが、あの店で売るのはやめてくれよ?」

「あはは、違いますよ。辺境調査のときに野宿する羽目になっても食糧確保の手段が増えると思って」

「ワハハハハ! いいよ。コツを教えるよ」

 老人は空を睨みながら手ぬぐいに石を挟み込むと手首のスナップを利かせゆっくりと回しだす。

「挟む石は小さすぎると勢いよく回らないし大きすぎると遠くまで飛ばねぇ。頃合いってぇモンがある。そいつぁ、何度かやればわかるさ」

 そういわれて金髪の青年も手近な石を拾い上げ老人のまねをして回し始めた。

「手を開けば手ぬぐいごともって行かれる。そーすっと石の速度も落ちる。鳥が真上にくるのを見計らって手ぬぐいの片方だけ放すんだぜ。こんな風に、なっ」

 ヒュンと音をさせ飛び出した。正確には石が真上に飛び出した、らしい。

 鳥の一羽が一声短く鳴き、落ちてきた。

 老人はそれを拾いながら金髪の若者に声をかけた。

「さ、先生もやってみなよ」

 金髪の青年が回す手ぬぐいは石を包んで既に風を切っていた。

 ヒュンヒュンヒュンヒュン……。

「……今だよ」

 上空を飛ぶ鳥が真上に来るちょっと前に老人が言った。

 青年が言われたとおりに手ぬぐいの片端を放すと老人の言ったとおりに石は上空に舞い上がり鳥を落とした。

 老人はソコへ駆け寄り、新しい紐で鳥の脚を縛ると金髪の青年に差し出す。

「筋がいいじゃねぇか。今の要領だぜ、先生」

 元傭兵の老人にコツを授かると金髪の青年は市場の食事処へと向かった。


「うわっ!」

 食事から戻ると一匹のぬきつが、小魚に……いや、小さいから小魚に見えるのであって、何かの魚に擬態してタライの中で泳ぎまわっていた。

「みてみて! 僕は泳げるようになったよ」

「あ……あぁ。うん……でもその姿は?」

「うーーん」

 ぬきつはしばらく考え込んだが、声を発した。

「えっ?」

「君が汲み替えてくれた海の水だよ、教授の話も面白かったけど海の水も面白いんだよ見た事はないけれど、海の水は色々なことを教えてくれるんだ」

「つ、つまり海水から情報を取り出したって事?」

「また難しい言葉がでてきたね。でも勉強になるよ」

「は……」

 その夜、金髪の青年は夜遅くまでタライに向かって話しかけていた。


「ピピピピッ チュピチュピチュピ チチッチッチッ」

 ここ数日は、小鳥の鳴き声で目をさます生活が続いていた。初の鳥狩りで手に入れた小鳥は、老人との約束でオヤジさんの店には売れない一羽では卸すも何もない。

 どうしたものかと思っていたがぬきつたちが鳥に興味を持ったのでタライから見やすい窓辺に止まり木を用意し、片足だけ細い紐で結んでみた。鳥は鳥で暴れるでもなく時折、短く鳴き、ぬきつたちを眺めていた。

「先生、鳥もそのうち情が移って食えなくなるんじゃねぇのかい」

 ある日老人に顛末をかいつまんで話すとそう、からかわれた。

 そして、昼ご飯から戻ると二匹のぬきつが鳥に擬態して水浴びをしていた。

「きみ、鳥のひとは、水浴びがしたいそうだ。水を持ってきてくれ給え」

「ん。手桶に汲んでこよう」

 ここ数日でぬきつの擬態にもすっかり慣れた。鳥は辺りに水を跳び散らさぬように水浴びすると机の上に撒いた小麦を静かについばむ。

「ねぇ君、相談があるのだが……」

 机で報告書を書いている青年にぬきつの一匹が声をかけた。

「ん?なんだい? っていうかどのぬきつさんかな」

 青年の質問に一匹のぬきつが小鳥に擬態した。

「私だよ。なにね私は海に出たくてね」

「海に?」

「そう。海の話を聞けば聞くほどに海を見たくてウズウズしてきたのだよ」

「それは海を見に行きたい、ということかな?」

「いや。旅というものに出たいんだ」

 ここ数日、ぬきつたちとの会話で辺境調査の話を例えに旅の話をした覚えがある。観察対象を失うのは身を切られる思いだが真理を追究せんとする学徒である金髪の青年にはとめる方法がなかった。

「そ、そうなんだ。みんないっちゃうのかい?」

「いや、僕はここが面白いから残るよ」

「僕も!」

 結局、旅に出ると申し出た一匹だけが旅に出ることになった。

「ねぇ、ぬきつくんたち」

 突然だけど、質問するのは多い法がいい。これも探求する者のさがだ。

「なにかな?」

「君たち、お腹は減らないの?」

「減る?」

「ん? 減らないよ」

「僕も」

「私もさ」

 彼ら五匹のぬきつは輪になって会議を始めた。

「結論から言うと面白い話が聞けているとお腹とやら減らないみたいだよ」

 まぁ、ぬきつに腹部や前と後ろの区別があるとも思えないが。つまりぬきつたちは面白い話というか興味深い情報を糧にしているという仮説が立つ。考えてみれば海の潮の流れには東西南北の情報が海水を通じて流れてくる。遠い南ではすごい雨が降っている、西の海では多くの魚が群れて移動しているなどだ。

「なるほど。疑問が一つとけたよ。さて、旅立つにはいい陽気だし、桟橋にでも行こう。残るぬきつくんたちもお見送りにくるんだろう?」

「うん!」

「あははは! いくッ」

「お見送りって、なぁに」

 青年はぬきつ達を手桶に移し、止まり木の紐をといて小鳥を肩に乗せた。


「帰ってくるつもりはあるのかい?」

「わからない。でも海の面白いものに満足たら帰ってくると思うよ」

 桟橋までの道すがら別れを惜しむでもなく青年とぬきつは会話を続けた。周りから見れば手桶に向かって話しかける金髪の青年の姿はさぞかし変な人に映ったことだろう。

「さて、ここでお別れだよ」

 青年はそういうと手ぬぐいを取り出してぬきつの一匹をやさしく手ぬぐいに包み込んだ。

「ちょっと目が回るかもしれないけれど辛抱してね」

「目? 私にあるのだろうか」

 教授の言い方で言われると今ひとつ調子が狂う。しかし、金髪の青年は投石の要領で手ぬぐいを回し始めた。

「大丈夫?」

「何が? 面白いよ」

 どうやらぬきつには三半規管というものがないらしい。そう考えながら青年は手ぬぐいを回す手首に力を入れた。

「今ッ!」

 青年は、手ぬぐいの片端を海に向かって放した。

「ありがとー」

 ぬきつが言う。そして鳥も肩を蹴って飛び立った。ぬきつが海に落ちると鳥もどこかへ飛び去ってしまった。


 大学へ戻ると教授が中央から帰っていた。

「あれ? お早いお帰りで」

「いやぁ、どうも居心地が悪くてね理由をつけて早めに帰ったのさ」

「人外などいるわけがない」

 突然、ぬきつたちが話しだした。

「鬼? 妖精? 全て神話の生き物じゃないか」

「筋立てるなら旧人類と現代人の縄張り争いがあったと考えるべきだよ」

 突然、ぬきつたちが話し始めた。

『き、君たち』

 教授と金髪の助教授は同時に驚きの声を発した。

『なにかね?』

 ぬきつ達も声を揃えて返事を返す。

 金髪の青年が教授を見やると顔がヒクヒクとしていた。そして次に教授は思い出したように自分の机に向かい紙束を取り出して金髪の青年に差し出した。

「君にもこれを渡しておこう」

「古紙じゃないですか!」

「五〇枚はあるだろうさ……裏面を使うといい」

「いいんですか」

 この時代、紙はある。しかし、少ししか作ることが出来ないので報告書ですら貧乏な助教授には高くて手が出ない。それが普通なのだ。

 書かれた内容は公の書類だが年代と内容がバラバラだ。黄ばんだ紙もある。

「論文を書いた時に余ったヤツを何年もとって置いたんだ。遠慮はしなくて良い。この数日でずいぶんと観察もはかどったようだね。急がなくて良いから細大さいだい漏らさずに書くといい」

「そうしたまえ」

「そうそう」

 教授とぬきつたちにはげまされ金髪の青年は、新しい仮説をたて始めた。

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続・異世界探訪助教授さん s286 @s286

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