l'autre dans l'autre

ohne Warum

第1話

でも僕、ロマの方々の生活なんて知らないんですよ。そういう、何かな。「直感」と云わなくとも、僕が物事を捉える際に理解するための方法を使って、一目で全部分かる訳じゃないけど、大体のその方の、その方々の見てるものとかを把握する事が出来るんですね。それは例えば解らない難しい漢字が、その本の中に登場した際に、それを辞書を引かずに文脈とか、「この作家なら、これをこう捉えているだろうな」と言う、そういった背景事情とか、周辺状況とかを隈なく類推した結果、そこに答えが現れる、とね。自分なりに答えがそこに見出せると言う事を、そう云った思考法を何て言うのか判らないですけど。まあ、それを使って昔から、「虫探し」の時代から始まってますね、それが。するとロマの方は何してるかって言うと、彼、彼女たちは占いをしていますね。「ルノルマン占い」とか、そういった占いをしている。占いとはつまり、類推によって、そういった「予言」というか、「予知夢」とか、そういったものを。予知夢というのも只の。人は何か「千里眼」とか言うけれど、そうじゃなくて、我々の過ごしている日常の中での見落としがちな部分が在るでしょ。視界に入ってるけど、本当は気にしてるけど見つめる事が怖くて見つめない部分が夢の中で断片が集まって、結局その映像が浮かび上がる。その時に本当に苦しい日常を送っていたら、夢では首吊りの現場を見たりするでしょ。するとその、別にそれは予知夢じゃなくてただの「現在の日常から何を想像するか?」っていうのを生活する上ではそれは想像するのが難しいんですよ。だって本当に恐ろしいんで。で、夢の中でそれをやってしまう。で、結局それが予知夢だっていうのはロマの方が「これがこうなって、あなたのこれがこうなるよ」って言った途端に、どうして分かるのって言ったら、「夢で見たの」って言う。そうだったんじゃないかな、っていう自分なりの憶測です。こじつけです。知らないです。だからそういう風に過ごすのは何でかって言うと、そうしなければ何が起こるか誰にも解らないんですよ、この日々って。


https://www.japandesign.ne.jp/event/okanouetoshiko-moak/


僕の生活ってのは本当にもう、少しでも見落とすと、あの、ね。だから台詞を少しでも間違えると、もう大叱責されるような環境なので。つまりそれは、台詞ってのはつまり、「挨拶」とか、学校のルールとかが在るでしょう。で、それを。親との関係ですね。だから少しでも、ちょっとでも機嫌を損ねたりしたら、もう大変ですよ、って事で。そこに気を遣う内に同じ事をしている方々が、まあ見えてくるんですね。自分と似ている方。一番は「猫」です。猫が自分と同じように、その、周りものをしっかり捉えて、その中で、どの様に動けば良いか?とかね。そういったものを、だから猫はゆらゆら動くじゃないですか、猫はくねくね。あの動きが正に、その、僕の気にしてる事をまあ、可視化した様な、そういった姿ですね。何が?って言うと、これも只の僕の感覚ですよ。絶対怒る方居ますよ。だから「僕の現実」です。ね。「妄想」って事です。僕の現実で、誰も知らない。で、それを表現するのなら、猫の尻尾が在るでしょ。あれはその、オーケストラで指揮者のタクトというか、杖、棒ですね。魔法使いの杖。小澤征爾が使ってる。あれによって、だからね。猫の尻尾をあれに例えるのならば、勿論、猫の尻尾を見たら、その、我々の目の前に猫ちゃんが居ます。で、こちらから見てます。尻尾の動きを見るだけで、結局、何て言うのかな。僕らが見てる、その前の風景じゃなくて、その横の隣の風景と言うかまあ、何と言うか、「後ろに何か迫ってる!」って時には、猫の尻尾はその通りに反応しますよね。だからその猫の尻尾を見ると、見えない部分までも見渡せるという。でもこれでも中々伝わらないので、えっ、とですね、そうですね。なんか、あの、どうしようかな。ええ、指揮者の動きを見れば解りますよね。指揮者ってのは、何か、目を瞑ったりして、全身で表現してますよね、動きを。それを演奏されてる方々が注目して、次はどうすればいいのかとか、どういう風に周りの人と音を合わせるのかとか、そういった全体のその、指揮者というのは全体を統治してる方ですね。あれは。なのでじゃあ、小澤征爾が少しでもミスしたら。つまり指揮者というのは、そのパートの方々の人間関係まで把握しないといけないんですよ、普段から。で、その靴のすり減り具合とかも、勿論把握してるかもしれないです。色んなものを日常習慣的なものを見なきゃいけないんです、指揮者ってものは。統治しないといけない。無事に演奏を間違いなく、全員倒れることなく無事に終わらせないといけない。じゃないと、その指揮者が統治してる一つの作品というか、まあ夢ですね。そういったものは少しの揺らぎというか、少しの間違いで全体が崩壊してしまうんです。結局最後に一人ふふふと杖を揺らしているか、ピアノのなんか、草臥れた音がするとかね、全員もう、ヴァイヲリンもチェロも、何でももう、めちゃくちゃになってる訳ですね。カオスの状態になってます。それはただ、指揮者が間違えたからです。つまり指揮者というのは、あの、映画監督と変わらないですよ。全体を統治する一つの象徴物。じゃあ、あのその話はね、Nolan 監督の話に直に繋がるので。でも Nolan 監督の『TENET』はまだ話さないです。それは見ないと解んない。でも最初のシーンだけ言っておきます。あの、指揮者が出てくるんですね、最初のシーンで。オペラの。オペラ劇場の指揮者が映るんです。最初に。演奏を開始しようとする前に銃撃される。で、死んじゃう。それはまさに「演奏をしてはならないよ」っていうメッセージに僕は受け取りました。つまり「夢は見せてはならない」。

夢を始めたらもう、最後までもう全員無事に夢から覚めるだとか、全員脱出するだとか、『INCEPTION』と同じですね。じゃないと一人でも残したら。「夢から醒めずに虚無に落ちちゃうよ」って事です。で、Saito、渡辺謙の Saito が落ちましたね。実際、Heath Ledger(ヒースレジャー)が夢から覚めなかったんですね。2008年。『The Dark Knight』で自殺しちゃった。その模様は『INCEPTION』の Marion Cotillard(マリオンコティヤール)が演じてる Mal(モル)。DiCaprio の夢の中に現れる妻の投影、つまりお化けの妻ですね。お化けの妻っていうと Heath Ledger と同じなんですけど、記念日にホテルのベランダから窓を乗り越えて落下しちゃったんですね。落ちちゃった。それは Heath Ledger がその、公開発表の前にホテルで死んじゃいましたね。それと内容って言うのは大体一緒ですよ。DiCaprio っていうのは誰かって言うと、Nolan 監督と同じものを DiCaprio に見せている。ただ DiCaprio は、BATMAN もそうだし、 Nolan 監督のヒーロー的な感じですね。夢の、その。Nolan 監督がその、「成りたい自分」では無いにせよ、そうですね、何か悪夢を終わらせる存在ですね。Nolan 監督ってその、夢遊病者とか、アル中とか、つまり話が通じない人を、あの、まあ、諦めてるんですよ彼。諦めては無いです。只、本当に話が通じないので、アル中とか夢を見てる方、つまり、何かのその、何かに囚われてる方がいますね。で、その方は妄想の話を一人で繰り返しますね。何か、アルコール依存症とか。すると、それをお父さんだとします。「Nolan 監督のお父さん」とします。話が通じないし、一方的に話をぶつけて来たりだとか、彼のその話なんて通じないんですよ。だからどういう姿勢を取るかっていうと、例えば Nolan 監督が、Christopher Schonen(少年)が座ってるんですテーブルに。テーブルの前には酔っ払ってるお父さんがいます。じゃあ、そのイメージとしては 『Batman Begins』のマフィアの Falcone(ファルコーニ) という役柄が。マフィアのボスで Bruce Wayne に銃を向ける。「バーン」とか言って、解りますか。乱暴者のマフィアのボスが。Falcone という名前のおじさんがいて、あれが Nolan 監督のお父さんだとしたら解り易いですよ。で、Falcone がそこに座って「いる」。Nolan 監督が目の前に「いる」。このシーンがそのまま描写されていて、あのJonathan Crane, “Dr. Crane” ですね。Scarecrow 役の方です。精神科医の。Arkham Asylum(アーサムアカイラム) の。『INCEPTION』でいう、Robert Fisher(ロバートフィッシャー)役の方ですね。彼が先ず、そのゴッサムシティの精神病院。Falcone がテーブルの前に座っていて何か意味解んねえこと言ってんすよ。何か、「これでもう世界は終わりだ」、みたいな。妄想で話が通じない。


https://book.asahi.com/article/11638103


で、Nolan じゃなくて Crane は、彼を見てるだけじゃなくて見つめるんですよ。先ず最初から話が通じないと解った上で見つめるんですよ。つまりもう彼の話の事情というのは無視してます。ただ彼の状態を見つめてますね。だから彼は別に話をこちらに向けてるけど、僕らは別に、「彼をどのように眠らせようか」とか、そういうことしか考えてないですね。『Batman Begins での Nolan 監督の姿って、勿論 Crane ですね。


http://movieandtv.blog85.fc2.com/blog-entry-351.html


僕が人を見る際の姿勢を話しました。僕が Scarecrow として、夢見てる人をそう捉えてるよ、という事と、もう一つは Jonathan Crane というのは、もう、彼はもう、ここに価値は無いと、無価値だと思ってるんです。この社会とか街とかね。簡単に消せるんですよ、それは。もうそれは「無価値」って言っては無いけど、そう思う。そう言うことですね。じゃあ、何が解るかって言うと、僕のその、輪郭が薄いカカシの様ですね。周りに人間関係が在る、街が在る、文化が在る。ただ、それは僕にとっては価値無いんですよ、もう。街も人も風も皆んな同じなんですね。そう言った分類が無い。誰に会おうと、次の日には忘れてますその人の事を。話の内容とか覚えてる、声も覚えてる。ただ、見た光景というか、その方の姿とか街の姿とかは、昨日、人が前日に見た夢を思い出すように僕らは思い出すんですね、おそらく。で、何でそうなるかっていうと、僕ら、僕らって言うか、Nolan 監督のことは知らない。僕にとっては、この現実。今、話してます、声を発してます。で、いま僕は手を動かしています。 Niel と同じように手を動かしている。じゃあ、この現実って言うのは別に明晰夢と変わんないんすよ、僕にとって。あのですね、とても興味深い話ですが、話が長くなるはずなので、これを心理学とか精神病理學とかで、本当にもう適当、っていうか、短く伝わるように、ただ症状とか病名みたいなのを、近いなと言うか、医師が診断してるものを先ず伝えます。一つ、僕の宿ってると言うか、僕の呪いです。「シゾイドパーソナリティ」の何とか、その跡がわからないですけど、スキゾイドとかシゾイドとか言う。統合失調症か解りませんが、まあ「シゾイド」と書いてありますね。それからプラスして、「離人症」という現実感喪失。


そうですね。この二つさえ在れば、Roms(ロマ)っていうのは、こういう感覚で見ていたんじゃないか、というのが直ぐに分かるし。「何で彼らが占いをするか?」とかもすぐ解るんですよ。何故かというと、類推を使って占いをしますね。物事を類推するとしたら、夢の建築物が出来上がります、じゃあ『ハウルの動く城」が「夢」だとしましょう。あれは人類の願った夢ですね。ピラミッドとか O.Redon(ルドン)の気球とかと一緒です。その先祖が火を放って、意志が無いまま、本当にカルシファーによって、城が荒れ地の大地をただ蠢く(うごめく)だけという無価値な社会ですね。草臥(くたび)れた廃墟。この何ていうのかな、ちょっと今見失いました。今何の話しをしていたのかを、ちょっと思い出したいので、さっき僕が話していたものの中で、何かその覚えてることを、一言一言でいいのでちょっと教えて欲しいですね。よく迷子になるんです僕。


https://www.elle.fr/Loisirs/Sorties/Dossiers/Visite-de-l-expo-Odilon-Redon-au-Grand-Palais/L-aeil-comme-un-ballon-bizarre-se-dirige-vers-l-infini-1882


ですね。だから『INCEPTION』と一緒で、Paris にいる気分ですいつも。夢の街です。何処も、


本当に幾らでも話せるんですよ僕。まあ先は無いですね。冬にはもしかしたら一家が無くなるかもしれないですね。なのであの、誰が死んでも可笑しく無い様な環境で暮らしていますね。で、自殺や殺人が起きる可能性が高い。で、もう既に起きてます。


今年の4月頃にですね。コロナウイルスで自宅で過ごしていた。その時にちょっとね、事件が起きてしまって。その事件ていうのはまあ、ちょっとね、爆発が起きたみたいな感じですね。


「精神的」ではないですね。まあ人が血を流したっていう事ですね。何て言うかな、それを、ね。社会的には本人たちとか法律とかで掃除します。精神科とか使って。ただ僕からしたら、とういうか他の方から見たら只の、とても普遍的な事でしかないです。当たり前に起きることです。ですからその「パンドラの箱」とか、🗃


殺人ですね。死んではないです。ただ本人の認識としてはもう、死のうが生きようが、碇シンジ君がアスカを見た時の感覚と一緒ですね。死んでいようが生きようが世界はもう終わって、


僕の祖父が妻を。


そうです。殺害というかまあ、妻を殺せばもう悪夢から覚めて、で、刑務所行くでしょ。刑務所行って処刑とかなったら「それでもういいや」みたいな感じで。結局妻を殺害するのが目的ではなくて、彼の囚われた、5歳の頃から囚われてる悪夢をもう自分で終わらせることは出来ないんですよ彼。怖いし、自殺なんて怖いから、ただ処刑であれば社会に強制されて。じゃ、彼は最初から、もう小さい頃にもはや社会にリンチにあってるんですね。どこにも逃げ場がない。Roms と一緒です。結局それを彼にそうさせたのは僕なんですよね。それの話もしたらおそらく簡単に分かる。でも後10分しかない。で、それは書きますよ。ていうか書いてます。

それを知ったのは勿論、Heath Ledger を殺害してしまった Nolan 監督もそうだし、Heath Ledger を殺害することによって、


いや、映画じゃないですよ、今のは。映画じゃなくて男の話です。監督をしてる、という男です。Nolan っていう名前が無くていいです。どこにでも起きてるんです。でもっと言うと日本でも、


そうですね。じゃ、その話しますよ。「例えることでしか誰にも話せない状況だったので、ちょっとそれほんとに止めたいですよね。すみません。悪気は無いんですよ。」


じゃあ僕の伝えたいことをちょっとだけ一言一言、だって言ったら、それは皆さんで考える。人は、事情に囚われていますね。事情に囚われている。事情を生かしてる、そのことによって事実を生かして無いです。目の前に現れた見知らぬ男の子がいたとしましょうね。その話です。じゃあ、別に、その子が知らない子だったら、「知らない子=赤の他人/赤の他人=さっき、あの国で殺したのも赤の他人だった。じゃあ、その子を見つめることは出来ないな/排除」。もしも戦争の事情を生かさねば、その男、父親ですね。父親は息子を見た時に、たとえ赤の他人だろうが息子だろうが、只の子供なんですよ。見つめた時に自分の戦争で見た、殺害した子供のことなんて別に、ね。思い出すんですけど、それはまた自分の事情です。戦争の事情です。70年前の。結局彼は事実を、目の前の男の子がそこで怯えてるよ、みたいな、こっちを見つめてるよ、って言う事を生かしたのならば、もう、祖父の、男の子って祖父ですよ。5歳か何歳かの祖父はもう、結局その今の人生は無かった。最初から他の人生が在ったんですよ。そのタイミングで全部、その指揮者となっていたのは「お父さん」ですね。お父さんが指揮者となって、彼の夢を違う曲調に変えてしまった。で、今の状況になってんですよ。だから僕が話してる、って言うのは、現在の位置から望遠鏡でずーっと見ると結局、まあNazism(ナチズム)とか、現代社会とか。戦争もそうだし、もっと言うと反出生主義の方々もとても協力的というか、僕にとっては助かる。


https://www.businessinsider.jp/post-222520


まあ城の建築ですね。個人を犠牲にして全体の夢を完成する。今の日本の社会のことも言ってますし、学校の思想とカルト教育とかそういうことも言っているし、もっと言うと日常的なことで我々が電車に乗るとアナウンスが掛かりますよね。アナウンスが流れるんです。何か必要無い事が流れるんです。

怪しい人を見たら警察に連絡してくださいとか、もっと言うと「困っている人を見かけたら、どうしましたか?、とお声をお掛け下さい。」と言われる位には、我々はもう考える力を失っている、というか奪われてますね。だから何かの際に簡単に事情を生かします。


Mont Saint-Michel(モン・サン=ミシェル)も神の声を訊いて創ったし、「空っぽの玉座」って言うのはじゃあ、焚き火かもしれない。焚き火の炭かもしれない。火が灯って、


あーはい。何か盲目的に夢中になったりとか、Margaret Mitchell (マーガレット・ミッチェル)という方がいますね。その方も同じことを捉えてるみたいですし、あと日本で今、「澁澤龍彦」さんのご友人で、「巖谷國士」さんが居て、研究者の、だから、僕と同じものを捉えていて。全く一緒ではなくても、僕が彼の捉えてることを見ると、何か同じ事してるなっ、て思うんですよね。巖谷教授が。それをどんどん突き詰めていくと結局、僕とおんなじ罪を見つめてんじゃないかな、っていう、誰も言わない事に辿り着きましたね。それを本人に言うことは先ず出来ないです。ただ、本人が澁澤さんの遺品の「杖」をついて歩いてるんですよ。皆んなはその「澁澤さんの杖だ。」って、いいな、って言う位ですよね。ただ、僕からしたらもうそれは只の、「杖」というか「罪」ですね。駄洒落じゃないですよ。偶々じゃないんですよ。僕全部言葉を使ってるんですよ。

杖というか「ちゅえ」と言いたいんですけど、「ちゅえ」と言う方々は、うちの鼠が「ちゅえ」と言っているんで、僕は「つえ」と言いますね。「ちゅえ」と言うのは「鼠」です。無視して下さい。


僕もその、Nolan 監督も人形劇するしか生きる方法が無かったんですね。「人形劇」が僕らの世界だったんですよ。Nolan 監督も僕も。「関係性」じゃ無いですね。「関係性」を皆んな大事にするけど、僕はその関係性ではなくて、その人の個体というか、その人が居るだけっていうのがとても重要で、遠くから見ていられれば、うん、そう言う事ですね。別に関係性じゃなくて。ただ、その、あんまり人が居ないもので、同じものを見る人が居ないので。


「普通」って言うか、僕に色んな事を教えてくれる本当に親切な方々が数人居て。Skypeもそうだし、Skypeですね殆ど。それで伝わったらいいかなと思ったのは、僕は街を歩いた時に、街と同化してる方々が居ます。街に適応している。ただその中で、僕が話が出来る言語の方に、その方が喋ってるのを聞いたら、何か安心する。安心するっていうか、自分とその、意思疎通が出来る方が居たなという、そう言う感じがする。外国人の方と一緒ですね。わかります?僕よりも本当に物知りで、僕学校で勉強してないんですよ。なので何でも僕の連絡取れる相手は何でも提供してくれるんですよ。色んな思想とか、色んな本とか文学とか歴史とかを研究とか追求していて、発表会とかしていて。結局彼らの学んでいる事の話を聞いただけで、本の内容を知らなくとも、彼がそれを学んで読んで、結局彼らがこちらへ提供したものに拠(よ)って、僕が今こうやって話している。


Twitterを使い始めた時期に、日記を書いている方を見つけ、プロフィールを読み次第に、少し話でも出来たら面白そうだなと思ったから、システムもよく解らぬままにメッセージのやり取りをするうちに「Skypeで話しませんか。」と話していたら、それの延長で結局Twitterの面白い方々と。分類されない人々の集まりです。


いや、その方は知らないですね。カタツムリさんて文筆家の方でしょ。僕はやり取りなんてしてないです。


街で見かけたことは無いです。Twitterアカウントは見たことがあります。ただ僕はその方の事をマイマイさんとは呼べないですよ。

その理由言っときます。僕が名前を名乗れないんですよね。自分の名前すら名乗れないんですよね。


アドレスを変えたんです。今もありますよ。何かの度に、ツイートした内容を全部消したりとか、アカウントを消したりとか。何かもう別に価値無いと思ってます。僕は連絡網としか思ってないので。別にアイコンも、僕はSNSもしないんですよ。あんまりポケモンの名前を名乗りたくないって言う。だからその、ニックネーム。僕にとってはあだ名ですね。僕はあだ名をつけられてしまったり、親に名前付けられたのは実は、父親が彼の父親にプレゼントする為の名前ですね。もっと言うと両親が僕をどういう存在として見ているか、っていうのがはっきりそこに現れている。で、その理由も僕の兄妹が付けられた名前が、彼らがもう僕に夢を見なくなったという証拠になってんです。だから彼らが僕の妹見た際に、現実を見てます。僕にはもう、何て言うのかな。慰めを僕には見てますね。その僕の妹に対しての、


だから僕らの、僕の居るのは不在するものが生かし、されてる言語空間ですね。他の人たちは僕らの事を「存在しない」と表現する筈(はず)ですね。Roms と Gypsy の違いです。僕らは Roms(ロマ)、彼らは Gypsy (ジプシー)。そう云う違いです。僕らにとっての「現実」って言うのは、彼らにとっては歴史とか映画とか、そういう、「夢」ですね。彼らにとっての Paris が僕にとっての明晰夢というか、現実感の無い世界で、


ただ、それはその、期間としては短いですね。戦争行ってこうなった、みたいな。そうじゃなくて、僕の場合は最初から小さい頃から日常的に存在を否定される様な、髪を焼かれたりとか、指に穴開けられたりとか、色んな事が在るんですよ。この肉体、いま腕を動かしてます。腕を動かしてます。で、これを幾ら動かしても僕のものとは思えないんです。只の、夢で見てる手ですね。夢の手ですね、これは。つまり僕の見てる光景も、


別にその、本当の事しか話して無いんですよ。ただ、人は慣れないのと、物に対する見方が本当、全然違う。


それはその、去年のSkypeの連絡網の方々が、その文章好きな方がね、「何か文章書かれたら楽しいんじゃないですか?」みたいな勧められたんで、はてなブログに日記みたいなのを書いていたら、「あ、よく眠れましたか。」


それは便利ですね。便利ですね。いつでも、


でも実際その表現でも合ってるかもしれないです。僕は人間が先ず身近に居ない。話す人間が基本的に居ない。で、そこに数人のそう云った、理解しなくても話を聞いてくれる方々が「現れました」。僕はこの世界を夢と同じように認識してます。つまりその方々は 『INCEPTION』の彼らと一緒で、僕の夢に入り込んで来た、僕の投影人物みたいな感じですね。イームスも居るし、ロバートフィッシャー(ターゲット)も居るし、コブも、アリアドネも居るし、後「ホルヘ、ルイス、」違うな。ジョセフゴードンレヴィッド?今もちょっと地雷を仕掛けましたね、話が後で膨らむ様に、って。最後に重要なことを一つお伝えします。じゃあ、選んでます。今選んでます。じゃあ、必ず一つ見つけ出します。えっと。ちょっと待ってください。じゃあ、そろそろハロウィン来ますね。その時に使える様な感覚、僕の感覚を呈示しておきます。


ただその、とても重要なんで。じゃあ、言いますね。全てに通用します。カボチャが在りますよね、ジャコランタン、南瓜(カボチャ)。そこにお菓子入れて、駅行ったら、お土産もの屋さん行ったら、とにかく南瓜が笑ってますね、こちら向いて。で、ランプが燈ってる。で、それは別に我々は笑う必要無いですよ。南瓜が勝手に笑っています。で、南瓜の中では「ランプ」と云う火が燃えていますね。昔は「火」だったんですよ。今はランプ。で、南瓜が笑っている。じゃあ、言いますね。あの、

(役者の叫び声)


じゃ、いま隣にポールがあって、ポールに何だろうな、「八重歯」の映画が描いてある。何か『モササウルスの八重歯』って言うのが在るんですけど、それに炎のイラストが在るので、じゃあ単に、

(役者の妄言)


すいません。もう一回言います。


あのじゃあ、目の前の人に優しくしようね、と云う事ですね。そう云う事です。それだけです。「見つめた先を生かして、事情は生かさずに」って云う事ですね。ついでに言うと、ハロウィンイベントで南瓜を揺らしてる「わるいこ」たちが居ますよね。何をしてるんでしょうね。「お菓子をくれないと、お仕置きしちゃうぞ」、て言ってますね。じゃあ、その方々は笑ってますね。そう云う、「ワルプルギス」でもいいんですけど、『ワルイコの夜』でもいいんですけど、そう言った、ワルイコパーティーに於いて、花火とか、爆竹とか、鼠花火とか、線香花火とか、とにかく「焚火」です、そう云う。それらを笑って燃やしてはなら無いです。笑って燃やしてはなら無い、ってどう云う事かと言うと、それはとても、じゃあ何に通じるかって言うと、勿論、空の花火ですね。ぴかっと光って。人のその、「夢」を始めるものなんですよ。火を付けたら人の夢が、「建築物」が始まってしまう。それによって巻き込まれた人が全員もう、でしょ?戦争もそうでしょ?巻き込まれるんすよ。事象に巻き込まれて個人が死んで行くんです。それはやっちゃいけないです。で、日常の凡ゆる事に応用できます、その観念は。あのですね、「花火とは何か?」とか。とても、本当は悲しいことなんですよ、それは。でも人は笑ってしまう。何故かと言うと事実を見つめずに、そう云ったリストカットと一緒です。自傷と一緒ですね。事実を見つめずに、その脇に置かれた事情と言うか夢というか楽しみを(それ)に見るから、夢を見て笑ってるんですよ。南瓜も此方を見つめていないんですよ。南瓜はただ笑ってるだけなんですよ。もう笑うしかないって。「この世は人形劇だね。」って笑うのと一緒です。笑うしかないです。じゃあ、笑わないでください。

はい、終わりです。『花火は笑ってするものではないよ。』って事です。じゃあ終わりです。すいません。


ただ、その頃に僕が生存してるかは不明ですよ。


勿論。僕は本当に、あなたは本当に僕の人間コレクションの一部ですね。僕の少ない、少ないその、


コレクションて云うか只の、ほんとに尊い、


じゃあ僕のポケモン言います。僕のポケモンは「ミミッキュ」です。「ミミッキュ」。僕のポケモンは「ミミッキュ」。


「ミミッキュ」は何者か?って言うと、カカシとかね、不在するものの象徴ですね、あれは。人形ですね。「フェアリータイプ」が余計ですね。じゃあ「ゲンガー」は毒タイプが余計だよって事ですね。「ジュペッタ」を止めます。「ジュペッタ」を、メガ進化位して「ジュペッタ」を止めないといけない。あいつはもう舞浜を夢の国にしてます。じゃあそれで終わりです。


またいつでも。ありがとうございます。本当にうれしいです。

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