第三話 映画を見に行く話

「おまえ、映画に連れて行ってあげます」


 砥上とがみ藍奈あいなは、ほとんど衝動的にそんな言葉を口にしていた。

 彼女が一方的に友人であると考えている男性、架城かじょう仁也じんやは、もう二週間も屋敷へこもって文献の整理を行っていたからだ。

 そろそろ、心を換気させたほうがいいと彼女は考えた。


「不健康ですね、怠惰ですね、よくありませんね」


 藍奈によくないと言われて、無視できるほど仁也は図太い性格をしていなかった。

 砥上藍奈が口にする「き」「しき」の類いは、恐ろしいほどの的中率を誇るからである。

 手元の書物を丁寧に棚へとしまい、仁也は藍奈へと訊ねる。


「映画といっても、なにを見るつもりですか」

「この場合対象は選びません。現地に行ってから決めるのがよいでしょう」

「まさにライブ感のある話で……」

「そう、生感です。本日はひねもす〝活動写真〟としゃれ込むべきです」

「……体力が持つかどうか」

「そのときは、太陽が黄色く見えたとでも愚痴を述べればよいでしょう」

「藍奈さんは、ときおり品性という言葉を無視しますよね」


 そういうわけで、不承不承といった様子の仁也は、藍奈に連行されて、映画館へと出向くこととなった。

 適当な切符を藍奈が買い、


「おまえ、〝ふわさく〟が必要ですか?」


 と、言った。


「ふわさく?」


 訝しんで見やれば、藍奈の手には既にLサイズのポップコーンとコーラが握られていた。


「なるほど、ポップコーン。いえ、飲み物だけで結構です」

「む。あとでほしくなっても、わけてやりませんよ?」

「音が響くじゃないですか、鑑賞中に」

「ふわさくは無罪だからよいのです」


 なぜだか胸を張る藍奈。


「ちなみに、チェロスはどうですか?」

「あれは悪しき」


 一言で切って捨てる少女を見て、仁也は苦笑し。

 そうして、二人は指定された席へと向かう。


 映画は、既に上映が始まっていた。

 できるだけ他の客が迷惑に思わないよう、身をかがめて進む仁也。

 それとは対照的に、藍奈はずんずんと進んでいく。

 席に座り、しばしスクリーンを眺めていると、仁也にもなんとなく話の筋が読めてきた。


 どうやら戦争ものの映画らしく、軍服の男たちがいかにも時代がかった口調で会議をしているのだった。

 なんとはなしに隣へ視線を向けると、藍奈は食い入るようにして映像を見詰めていた。

 手にしたポップコーンは掴まれたきり、口元へと運ばれる気配もない。

 それほど、彼女は夢中なのだった。


 やがて、場面が海戦のシーンへと移り変わった。

 戦艦同士が、大砲の撃ち合いを始める。

 すると、藍奈は急激に興味を失った様子で、背もたれへのっぺりもたれ掛かって。

 パクパクと、無心でポップコーンを食べ始めた。

 そこには、先ほどまでの熱に浮かされたような瞳の輝きはなかった。


 次の映画は、ゾンビものだった。

 仁也も嫌いなジャンルではなかったし、こんどははじめから見ることが出来たので熱心に鑑賞していた。

 ゾンビに成り果てた娘へ、父親が何度も謝罪の言葉を口にしながらとどめを刺すシーンでは、思わず目頭が熱くなった。


 隣で、鼻をすする音が聞こえた。

 藍奈が、目元を真っ赤にして、ふるふると震えていた。


「……ああ」


 同じ場面で感動している。

 そんな些細なことで、もう仁也は、映画のことなどどうでもよくなってしまった。

 あとの時間はただ、藍奈のことをただ眺めていた。


§§


「よく最後まで付き合いました。褒美に豆をやりましょう」

「コレ、弾けてないポップコーンじゃないですか……」


 映画館を出ながら、ふたりはやくたいもない会話を交わしていた。

 本当に丸一日。

 ほかになにをするでもなく映画を見続けて、すっかり夜のとばりが降りた頃、二人は帰途についていた。


「悪くない時間でした。おまえはどうです。佳き時間を過ごせましたか?」

「ええ、はい」

「具体的には? 私は屍人の娘を前にして、苦悩する父親の」

「――――」


 藍奈が珍しく饒舌に面白かった点や気になった点を口にするのだが、仁也には答えることが出来なかった。


「……? 聞いていますか、おまえ」

「聞いてはいます」

「ちゃんと見ていましたか、活動写真」

「えっと」

「なんですか」


 居眠りでもしましたかと藍奈が問えば。

 仁也は頬を掻きながら、


「もっと、素敵なものを見ていました」

「…………」


 男の答えに、藍奈は一度目を瞑り。


「ならば、佳きとしておきましょう」


 柔らかな眼差しになって、そう言った。


「ところでおまえ、今度ご飯を奢りなさい」

「え、なぜ」

「悪しき。受け答えが悪しき。いいから、そうしなさい。一緒に食べてあげますから」

「そんな理不尽な」

「理不尽ではないのですよ。これが、これこそが〝佳きこと〟なのですから」


 藍奈はそう告げて。

 その日一番の、楽しげな笑みを浮かべたのだった。

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