【怪談】百余物語

巳ツ柳 海

百余物語

 Kさんから聞いた話。


 それは、彼がまだ大学生だったときのこと。夏休みもそろそろ終わる頃に、Kさんは四人の友人達と百物語をしたのだそうだ。

 場所は一人暮らしをしている友人の部屋。持ち物は大きな蝋燭を二つとライター、それから、話した物語をカウントするために、紙とボールペンを用意した。

 勉強用のノートからまだ使っていないページを一枚破りとり、枠を十個書く。その中に正の字を二つずつ入れていけば、百ないし九十九個の話をした、というのがわかる。百個の蝋燭は用意できないので、一つの蝋燭に火を点け、一つ語るたびに消し、また点けるという方法にした。

 肝心の怖い話だが、ネット上に上がっている怖い話をまとめたサイトから、上から順に短そうなものを選んで読み上げることにしたらしい。五人集まっても一人二十話は語らないといけない。それだけの数の怖い話は知らないし、絶対に途中で被るに決まっている。だったら最初から、用意されているものをみんなで使えばいいと、そう考えたのだそうだ。

 はっきり言ってしまうと、些か味気ない。

「僕もみんなも、本気で百物語がしたいわけじゃなかったんです。ちょっとした非日常を、それも夏らしいことをしたかっただけなんですよね」

 開始した時間も夜の八時と、わざと中途半端な時間を選んだ。

「本当は零時とか、定番なら二時とかなのかな? 丑三つ時って言うんですかね。でもみんな、そんな時間まで暇を潰すのがダルかったんですよ。酒飲んじゃうと眠くなるし、どっか行くってのもなんか面倒だし。だから、晩御飯食べてさっさと始めようぜって。三分以内の短い話を一つずつ語って、まあ、夜の二時くらいには終わるような計算ですよね」

 百物語の会は、やはり段々とお粗末なものになっていった。最初こそ気合いを入れたり、ちょっとした演技をしたりしていたそうだが、そこは大学生の青年五人だ。どうしてもふざけ始めてしまう。正の字に線を一本書き足し損ねてしまい、二本同時に追加することもあった。そのうち、正の字を書くこと自体が面倒にもなってくる。三つ前に語った話のリンクをもう一度押してしまったり、話し始めてからよく見ると前後編でリンクが分かれていてげんなりしたり、と。

 しまいには、うとうとと舟を漕ぎ出す友人まで現れた。

 起こそうかと思いつつ、そもそも真剣な集まりではなかったので、眠ければ眠って良いという雰囲気がなんとなくあったと云う。

「僕も段々眠くなってきちゃって。緊張感なんか全然なかった。それで、もうこのくらいで充分だよって、誰かが笑い混じりで言ったんです」

 Kさんは、そうだね。と返した。点けたばかりの蝋燭の火を吹き消して思い切り伸びをすれば、隣にいるご友人も同じように眠そうだった。起きていたのはKさんとそのご友人と、残り一人。他の二人は既に眠っていた。

 Kさんは換気をすべく、窓へと向かった。

「蝋燭を使ってたので、扇風機は使えなかったんです。だから窓閉めて、クーラーつけて。長時間クーラー使うから、一人二百円を家主に渡しました」

 当時のことを思い出したのか、Kさんは笑った。

 部屋の中はじっとりと湿っていた。真っ暗な部屋に、蝋燭が消えたときのにおいが充満していたと云う。とにかく窓を開けて、それから雑魚寝をして朝まで過ごし解散しようと、暗黙の内にそんな流れができ始めた。Kさんはカーテンを掴み、左右に両腕を動かした、そして。

 カーテンを開けた瞬間、咄嗟に目を瞑った。

 意識的なものではなく、体の、反射的な行動だった。それは、

「何が起こったか、一瞬、ほんとにわからなかったです」

 カーテンの外が、明るかったからだ。

 戸惑いながら恐る恐る瞼を開いたKさんの目の前、透明なガラス窓の向こうに、夏の明るい日差しに照らされた住宅街が広がっていた。

「夏だから日の入りが早い、とか、そんなんじゃない。だって僕らが話し始めたのは夜の八時なんです。それで、五時間くらいかかっていたとして、夜中の二時とかですよね。もっとかかっていても三とか四時です。夏だって、その時間はまだ暗い。なのに」

 明るかった。

 え、と思い慌てて窓を開けると、一斉に蝉の声と熱風が部屋に流れ込んで来て、呆然としているKさんを包んだ。何がなんだかわからないまま部屋を振り返ると、まだ起きていたご友人二人が唖然として、KさんとKさんの向こうにある明るい外を見ていた。

 慌てて携帯を確認すると、画面には十二時手前の時刻が表示されていた。

 つまり。

「僕らが話し始めて、十二時間以上経過してたんです」

 信じられず、時報サービスに電話をかけてまで確認したそうだ。混乱したまま眠っている二人を起こしたが、何せ眠っていた所為で二人は異常さを理解してはくれなかった。むしろ、慌てているKさん達に困惑していたという。

 Kさん達も、なんと言って説明したらいいのかわからなかったのも事実だった。気づいたら思ったよりも時間が経過していた、としか言えない。起きていた三人も眠いのを堪えていたので、自分でも気づかず、途中でうたた寝をしていた可能性も充分にある。

 結局、食事を買いに出かける者、慌ててバイト先へ向かう者と散り散りになった。気づけば部屋の中にはKさんと、一緒に起きていて、異常さを理解しているご友人の内の一人が残された。

 どちらからともなく、意外に熱心に語っていたんだな、と話し始めた。結局何事もなかったけれど、楽しめたってことじゃないか、と。

 そして、そういえば一体、幾つ話したのだろうかという疑問が涌いた。些細な騒ぎの中で、正の字を書き記していた紙はいつの間にか伏せられ、部屋の隅に落ちていた。長い時間がかかったようだから、案外百話行ったのではないか。それとも八十とか、九十とか、そんな中途半端な数かもしれない。そう言いながらご友人は紙を取り、けれど。

 小さな悲鳴を上げて、落とした。

 紙は再び伏せられ、部屋の中にひらりと落ちた。

 どうしたのかとKさんが訊くと、ご友人は何も答えなかった。ただ、え、え……と小さな声を口からこぼしながら、ひたすらに戸惑っていた。再度Kさんが訊くと、ご友人はノートを指差した。その指先が震えていた。

 Kさんは紙を取り、裏返して、そして。

 ご友人と、全く同じ行動を取った。

 紙には。

「大量の正の字が、びっしり書き込まれていたんです」

 ぐう、とKさんの喉が鳴った。

「一つの枠に三つ四つ書き込まれているとか、枠に収まってないとか、そんなものじゃないんです。もう、紙にぎっちり書かれていて、紙の白い部分のほうが見えづらいくらいだった。大きさや筆圧なんかもしっちゃかめっちゃかで、正の字の上に正の字が書いてあったりもしたんです。もう……」

 百個なんて、疾うに超えるだけの数が。

 窓越しから差し込む、夏の、真昼の日差しに照らされていた。

 Kさんとご友人は悩んだ末、他の人達が戻って来る前に紙を片付けたのだそうだ。戻って来た人達には、適当に誤魔化した。

 予想の倍以上進んでいた時間。大量のカウント。ひどく不気味な、けれど一応、説明はできなくもない事柄を残して、Kさん達の百物語会は幕を閉じた。

 それから。

 Kさんだけには、もう一つ気になることが残った。

「あのあと、起きてた友達に聞いたんです。もうこのくらいで充分だよって笑ったよな、って。でも友達は、俺じゃないって言うんです。僕は返事をした側だから、当然僕じゃない。もう一人起きてた奴にも聞いたけど、違うって。あと二人は……眠ってたから、確認してないです。……というか、敢えて聞きませんでした。なんかもう二人には悪いけど、どっちかの寝言、ってことにしました……」

 でも、とKさんは呟く。

 あの笑い声は絶対、僕ら以外の誰かだった、と。

 重たい溜息をついたあと、Kさんは続けた。

「百物語は百話まで語っちゃいけない、怖いことが起こるって言うけど……僕ら、もう充分って言われるくらい百物語しちゃったんですよね」


 そのあと、Kさん達の身に恐ろしいことは特に起こらなかったらしい。気づかぬうちに百話を超えたからなのか。それとも、あの紙や声自体が恐怖の一つだったのか。

 Kさんとしては、何に対して『充分』だったのかが、やけに気になるということだった。

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