第1話
⒈
朝目が覚める、顔を洗って、ご飯を食べて、学校に行く。そんな平凡な毎日を生きている。別に何か特別な日常が欲しいわけではないし、こんな日々に嫌気がさしているわけでもない。
「おはよう」
「昨日のドラマ見た?」
こんな他愛もない会話が通学電車で聞こえてくるなんて日本は平和だな、と僕は思う。
高校二年になってから変わったことがあるとすれば、一年間が短く感じるようになったことくらいだ。僕はいわゆる自称進学校などと呼ばれている高校に通っているので、みんなや学校の先生は受験を意識し始める頃だろうが僕はそんなに意識してはいない。
かといって、成績がとてもいいからではない。第一志望は地元の国立大学だが、模試の判定はEからDを行き来している。まぁいずれ高校三年になったら判定もよくなるだろうと思ってあまり意識していないだけだ。
学校では基本的に本を読むかボーっとして過ごすことが多い。こんな単調な日々を楽しく生きれる人はそうはいないだろうと思う。
僕は部活をやっていないため、基本的には放課後にやることはない。だから決まってこの時間は屋上に行く。学校にいて、唯一楽しみな時間はこの時間だ。夕方の夕日が差す時間帯はとても心地よくて、神秘的で好きだ。
ドアを開ける。スゥーっと心地いい風が吹き込んでくる。屋上に出る。
「うっ ううっ うっ うっ・・・」
小さく座り込むように女子生徒が泣いていた。
「え...」
思わず僕は声を出してしまった。一年の終わり頃から定期的に屋上には来ているが、人がいたことは一度もなかった。しかも目の前で女子生徒がで泣いているのだ。意味が分からない。僕にはどうすることもできないと思ったのでドアを静かに閉めて、ばれないように帰ろうと思ったが、どうやら彼女は僕の視線に気付いたらしい。
「あっ」
「ごめんね...変なところ見せちゃったね」
と彼女は涙を拭ってはにかんで笑いながら言った。
「いや、いいんだ。僕の方こそ見てしまって申し訳ないよ」
彼女は少し悲しい顔をしているように見えた。
「ありがと。というか、君は何でここにいるの? ここ、立ち入り禁止だよー?」
彼女は悲しさが吹っ切れたのか涙を拭きながら笑って話しかけてきた。
「僕はこの場所が好きで少し前から定期的に訪れていたんだ。先生たちが見回りしているわけではないし」
「へぇ~、君見かけによらず悪い子だね」
「そういう君こそ何でいたんだよ」
「泣いてたの。見てたでしょ?」
「いや、そうだけど。なんで泣いてたんだ?」
「内緒」
「え?」
僕は腑抜けたような声が出てしまった。こういう状況では理由を聞き、慰めるものだと思っていたが、よく考えれば彼女の言う通りだと思った。僕がたまたま彼女の泣いている姿を見てしまったわけで、彼女が泣いていた理由を言う義理なんてないんだ。
「嘘、教えてあげる」
「あ、あぁ」
少し戸惑ってしまったが、理由を聞くことにした。
彼女は時計を確認して、
「あっ!もうこんな時間だったんだ。 ごめん、私行くね!」
と急いでいる様子で彼女は行ってしまった。
「明日必ず理由話すから!待っててね」
彼女は風のように過ぎ去ってしまった。
「はぁ」
僕は自然とため息が出た。何だったんだろう。そういえば、彼女の靴の色は赤だった。僕の学校では靴の色ごとに学年が分かれていて、彼女は僕と同じ学年だということだけわかった。今日は早く帰ろうと思って、屋上に長居することなく帰った。家までの帰り道、夕日が沈み、夜が訪れようとしていた。
家に帰ってからは今日の復習と明日の予習をしてから寝ることにした。ベッドに入ってから、屋上での出来事を思い出していた。
女子が泣くなんてなぜだろう。あの場所には行きずらくなったな。考えても仕方ないと思った。理由は明日聞けるが、失恋か喧嘩かそういう類のくだらない何かだろう。明日のことを深く考えずに僕はすぐに眠りについた。
「おはよう。最近、事故多いよね」
「本当にそう思う。年取ったら運転すんなって思うよ」
今日は昨日と違ってえらく真面目な会話をしているな、と通学電車の中で思った。運転もしたことのないであろう高校生か中学生らしき人たちに色々言われて大人も気の毒だなと思う。
今日もいつも通りの日々が始まる。
「これはあくまで私の見解ですが、昔の人と今の人時代は違えど、考えたこと、思ったこと、感情などはずっと変わっていないものだと思うんです。例えば、この和歌では、男女が離れ離れになってしまう悲しさを読んだもので、別れや失恋を歌に残すことは多いですが、幸せの日々をつづった歌は少ない。これは今も同じで、幸せな感情よりも悲しい感情の方が強く心に残るものなのです。幸せは永遠のようで、一瞬だったりするわけです。えー、それから......」
古典の授業で先生が何かいいことを言っているように思えたが、眠くて寝てしまった。
キーンコーンカーンコーン
気付いたら授業が終わっていた。今日からテスト週間なので早く帰って勉強でもするかと思っていた。今日は屋上に行くのやめておこうかな。あれ、そういえば何か忘れている気がしたが、今日は彼女から理由を教えてもらう日だった。別に約束とは言いがたいが、このまま帰るのは気が引けてしまった。しかし、今気づいたがどこにいればいいんだろうか。彼女は今日泣いていた理由を僕に教えると言っていたが、場所や時間を言ってはいなかった。
それから僕は、とりあえず屋上に行くことにした。屋上にいれば、彼女もそのうち来るだろうと思ったからだ。
屋上のドアを開ける。風が吹き抜けてくる。この瞬間はやはりとても好きだ。
「ううっ うっ うっ」
「え...」
僕はきっと生きてきた中で一番腑抜けた声を出したことだと思う。僕はここに少し前からきているが、最近来始めた女子生徒が泣いているのだ。しかも二日連続で。もうこの場所に来るのはやめようかなと思った。
「あ、あの、大丈夫ですか?」
彼女は何かを我慢しているようだった。次の瞬間こらえきれなかった様子で、彼女は急に笑い始めた。
「君、最高だよ。そんなにおどおどして話しかけてきて女の子を慰められると思ったの? もっとこう、なんていうかさ、走ってきて抱きしめて『大丈夫か』みたいなこととかあるじゃん」
彼女は笑いながら楽しそうに言った。
「それは期待を裏切ってしまって申し訳ないよ」
僕は少しあきれながら言った。
「私も嘘泣きなんてごめんね。やってみたかったの」
彼女は少し申し訳なさそうだったが、嬉しそうだった。
「次は僕以外の男らしい人にやるといいよ、期待通りのことをしてくれるかもしれないから」
「いや、いいよ。そんなことより君、もうちょっと楽しそうにしたらどう? こんなかわいい女の子と二人きりなんだよ?」
彼女の言う通り、一般的に見れば彼女は顔立ちが整っていて、美人と呼ばれる類に入る人間だろう。
「それもそうだね。じゃあ昨日のことを教えてもらうことにするよ」
「それ楽しいことなの? 彼氏とか明日の予定とかスリーサイズとかそういうことを聞いてくれてもいいんだよ? あ、けどスリーサイズはちょっと・・・」
僕が黙り込んでいる様子を眺めながら彼女はまた大きく笑っていた。
「僕は昨日のことを聞きに来ただけなんだ。そうしたらすぐに帰るよ」
言ってから思ったが、僕はなぜ彼女の泣いていた理由を聞きに来ているのだろうか。彼女から確かに言われてはいたが、来る必要はなかったのかもしれない。ただ自分の中で理由が気になってはいた。知りたいと思っていた。
「そっか、そんなに君が聞きたいなら教えてあげよう」
不気味な笑みを浮かべながら彼女は続けた。
「君はさ、生きているのが怖いって思ったことはある?」
僕はハッとさせられた。急に何を聞いてくるんだろうかと思った。
「おい、お前ら、何をしている。 そこは立ち入り禁止だぞ。 下校時刻も過ぎているぞ。」
屋上の向かいの校舎から進路指導の先生の声がした。そういえばそうだった、思い出した。なぜもっと早く気が付かなかったのだろう。僕の学校ではテスト期間中は、テスト作成やら先生方の理由で5時が完全下校の時刻となっていた。そしてテスト期間中だけは先生達は見回りをしている。今思えば、このことが理由で僕はテスト期間中に屋上へ来たことはなかった。
「逃げよう!」
彼女の声が聞こえてきて我に返った。見つかってしまったのに逃げるのはどうなんだろうと思ったが、
「何してるの、早く」
という彼女の声につられて走って逃げた。
「はぁはぁ、ビックリしたね。まさか先生が来るなんて」
彼女はどこか楽しげだった。
時計を確認したら5時15分を少し過ぎたくらいだった。
「下校時刻を確認してなくて申し訳なかったよ」
「それはお互い様だよ。私なんてテスト期間だってことも忘れてたよ」
彼女は本当に楽しそうだった。
「君は駅まで歩き?一緒に帰ろうよ」
「まぁ、別にいいけど」
「二人で下校なんてカップルみたいだね」
彼女はどうやら恋愛話が好きなように思えた。
「それは君に悪いよ。しかも僕たちはそういう関係ではないからね」
「それはどういう意味?君は相変わらず冷たいなー」
「話題を戻させてもらうけど、僕は思わないよ。生きているのが怖いとは思わない」
彼女は思い出したような様子で、
「うまく話題をそらしたね。私はね、少し怖いなって思うの。生きていけば生きていくほど死っていうものが遠くに感じられてさ」
と言った。
「それが泣いていた理由?」
僕は何と言ったらいいのかわからなかったので、とりあえず理由の確認ということでこう言った。
「そうだよ。私ね...病気なの。不治の病なんだって、急性機能不全っていうんだけど、だんだん体中の臓器が動かなくなっちゃうの。」
声が出なかった。近年、マイクロプラスチックなどの人口的なことが要因となって表れ始めたいくつもの治療法が分かっていない病が増えているらしい。その中の一つに急性機能不全という名の病気があることは以前にニュースで見たことがあるような気がする。
だが、彼女が病気だなんて考えもしなかった。まだ二日しか会っていないが、いつも笑って陽気な彼女を見ているととても病気には見えない。声も出ない僕を気にも留めない様子で彼女は続けた。
「今はね、右側の肺とどこだっけ。確か肝臓かな?それがだんだん動かなくなってきてるんだって」
「お医者さんが言うにはね、余命はわかりませんだって」
こんな時でも彼女は笑っていた。
「だからね、私余命不思議ちゃんなの。すごいでしょー、こんな高校生全国探しても少ないと思う」
彼女は少し誇らしげにこんな笑えない冗談を言っていた。
「そうなんだ」
僕がやっとのことで出した声はびっくりするほど弱弱しいものだった。
「そうだよ、ビックリした?」
「これを聞いてビックリしない人はほとんどいないと思うよ。君はいいの?明日死ぬかもわからない限られた命の大切な時間をこんな僕と過ごして」
僕はわからなかった、なぜ彼女が僕に病気のことを話したのかも彼女と僕が今一緒にいるのかも。
「いいんだよ」
「だって君は生きているのが怖くないんでしょ。私が生きていくのが怖くないようにサポートすることが君の使命です!」
彼女が何を言っているのか訳が分からなかった。明日死ぬかもわからない人が生きていくのが怖いなんて当たり前だ、なのにそれを怖くないようにするなんて少なくとも僕には不可能だと思った。
「お生憎様、僕にその使命は重すぎるよ。残念なことを言うようで悪いけど、君は頼む人を間違えてしまっていると思うよ。」
僕は彼女のことを言いふらす気もないし、悪気があって断ったわけではない。こんなことを頼まれて即決でいいよといえる人はそうはいないと思う。
「間違えてなんかないよ。私が君を選んだの。それでね、君も私を選んだんだよ。私はあの時間、屋上に行こうって思ったの。君もそこに来てくれた。運命とかっていう簡単な言葉で片付けたくはないけど、これって運命だと思うんだ」
彼女のその真剣な眼差しや態度を見て、冗談などの軽い気持ちで言っていないことはすぐに分かった。
「何をすればいいの」
僕は彼女の願いを聞き入れようと思ったわけではない。責任なんて取れないし、僕にできることなど何もないことなんてわかっている。だけど、彼女のその真剣な眼差しと気持ちが僕にこう答えさせたんだと思う。
「えっ、どういうこと?」
彼女は状況を理解できていない様子だった。
「だから、僕が君が生きていくのが怖くないようにする使命を果たすためには何をすればいいのってことだよ」
「あっ、あ、えーとね、まずは来週の日曜日に私に同行すること!」
彼女は戸惑った様子だったが、すぐにいつもの笑みを浮かべてそういった。
「わかったよ」
僕は彼女のことだから行く先なんてどこになるのか想像もつかなかったが、受け入れてしまった手前ここで断ることはできなかった。
そうこうして話しているうちに、駅に着いた。彼女の家と僕の家とでは逆方向だということがわかった。少し経って上りの電車が来た。彼女の家の方向だ。
「日曜日、この駅の駅前に集合ね」
「わかったよ、何時に?」
「んーー、じゃあ、一時にしよう」
日曜日の予定をしっかりとメモに残して、僕は彼女と別れた。
「あっ、私4組の日野森葵(ひのもりあおい)。これからよろしくね」
彼女はそう言って、ドアが閉まり電車は行ってしまった。そういえばお互い名乗ってなかったな、と思った。僕の名前を彼女は知っているのだろうか。僕は自分が名乗るタイミングを逃してしまった。まあ、日曜日に言えばいいかと思い、僕も家に帰った。
うちに帰ってから、少しだけ急性機能不全について調べた。どうやら、この病気は非常に珍しい病気で世界的に見ても患者数が少ないことが分かった。そのため、この病気にかかってしまった人はサンプルとして非常に大切な存在らしい。薬などを飲まされるのだろうか。彼女が生きているのが怖いと言っていたのは自分がサンプルとして扱われてしまうからなのだろうか。次会った時に、改めて生きているのが怖い理由について聞いてみようと思った。
また、僕は知りたくもない事実だったが、この病気はあるタイミングで急速に悪化し、二十歳まで生き残った患者は一人としていない、とのことだった。僕は一人、何ができるのかを考えようとしたが、僕にできることは何もないという結論に至ってしまった。今日あった出来事を忘れる思いで僕は眠りについた。
明日も生きることを望んで 夏野空 @jaada
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