飛び出す扉

糸賀 太(いとが ふとし)

飛び出す扉

 始発前、田舎の無人駅。

 待っているのはウチと数名の学生だけ。

 ホーム端には重そうなカメラを提げた青年もいる。

 自動車の音が近づいてくる。

 幌付きの軽トラだ。車体にはロゴマークみたいのがある。文字までは暗くて読めない。

 向こうはウチの社のバンの隣に駐めようとしている。商売敵だろう。

 上り線に列車が来る。

「あいつまた英語一位だって」

「まじで?」

「やっべーな」

 学生たちは、白い息を吐きながら駄弁っている。

 大人になっても成績と競争だし、参っちゃうよな。

 ウチは後輩の好業績を思い出してため息をつく。

 カメラ青年は、列車に夢中のようだ。

 金属音を立てつつ、二両編成がホームに入る。

 子供のころ、よく見た車両だ。

 電車が止まる。ドアが開く。

 学生たちはテストの話を続けながら乗り込む。

 ウチは首を振って、ホームの端から端まで見渡す。乗る人だけだ。

 先頭車両のドアだけが開く。

 車掌さんと目があう。ウチは顔の前で手を振る。

 ドアが閉まる。モーターの駆動音。重なり合うようにして、改札方向から小走りの足音。

「あちゃーっ。先越されたか。いや、越されてないか、どうか」

 作業着みたいなアウターのおじさんが、ボストンバッグを提げてホームにやってきた。

 腹が出ていて、息を切らしている。

「嬢ちゃん。出たか、出てないか。どっち?」

「何も無いですけど」

 タメ口以上に失礼に聞こえる丁寧語で返してやる。

「そいつはラッキー。いやアンラッキー?」

 もうすぐ下りの始発がくる。

 ウチはホームの反対側に歩き始めた。

「まあまあ、そんな怖い顔しないで、同業者のよしみで、これ、あげるから」

 オッサンが鞄から使い捨てカイロを差し出してきた。

「駐車場のバン、嬢ちゃんのでしょ。運転席に白い猫ちゃんのぬいぐるみ、若い子によく売れるやつ、あったからさ」

 湯気みたいな息を吐きながら、まくしたててくる。

「そうですね」

 寒さには勝てず、カイロを受け取る。

 既製品の上に、ステッカーが貼ってある。

 黒縁くろぶちの黄文字のゴシック体で「リサイクルショップ とっとい亭ウル」と書いてあって、下には小さく「代表取締役 潤野好夫」とある。

「別に廃品回収業じゃないんですけど」

「こりゃ失敬。でも、最近じゃ割と似たようなとこあるでしょ」

 オッサンは駐車場のほうを指差す。社名を見たのだろう。

「そうですね」

 鉄オタ青年が、会釈しながらウチと潤野氏の横を通り抜けていった。

 会話が続かない。気まずい沈黙。


 下り線に明かりが見えてきた。

 ウチが下りの先頭車両の停止位置へ向かうと、オッサンもついてきた。

 車両が止まる。先頭車両のドアが開く。

 男性だ。降車直前に、顔の前の虫を払うかのように片手を動かした。

 手はそのままポケットにしまいこむ。もう片方の手は、外に出したままだ。

 相手は初老といった感じで、どこかで見たような顔だ。

 服の色こそ黒でフォーマルだけど、着ぶくれしていて形はパッとしない。

 片手をポケットに入れているが、もう片方の手は出している。手袋はしていない。

「ちょいすんません。ポケットに手ぇ突っ込んでますけど、見せてもらっても?」

 潤野氏が、下車したばかりの男性に駆け寄って尋ねる。

大寒だいかんですから」

 男性は早口で答えると、もう片方の手もポケットに入れる。

「そうそう、寒い時はコレ」

 ご自慢の使い捨てカイロが出てきた。

 初老の男性は、まだ手を隠したままだ。

 車両のドアが閉まり、動き出す。

「ただで貰うわけには…」

「じゃあ見せてくださいよ」

「いくらですか」

「お金で買えんものもあります」

 列車が過ぎ去ると、寒い風がホームに渦巻いた。

 ウチと着ぶくれした男性がくしゃみをする。

 遠くでもくしゃみの音。鉄オタ青年だろう。

「わかりました」

 男性が、ダッフルコートから手を出す。

 そそくさそそくさ、ウチも二人に近寄る。

 男性の手には、ミニチュアサイズのドアがあった。おしゃれなデザインだ。

「うちの店でも、ドールハウス用小物扱ってますからね。十二分の一もあるし、六分の一もありますよ」

 見せた途端に、男性はポケットに小物をしまう。

「大の大人は、人形遊びなどしないものです」

「それじゃいまのは?」

 着ぶくれしたおじさんの素性が、思い出せそうで思い出せない。

「いまのは、研究のためのサンプルです」

「じゃあなんで隠したんです?サンプルなら堂々と集めればいいでしょ」

「隠してなどいません」

「サンプルなら、大きいほうがいいでしょ。ちっさいのは、ワシに譲ったほうがハッピーじゃありませんか。ねえ、先生?」

 先生と呼ばれた男性が、ウチと鉄オタ青年を見てから、口を開く。

「たしかに、あなたの主張にも一理あります。私が扉を拾得するのは問題ですが、私があなたの店舗で扉を見つけて購入するなら、問題はない。仕入元を顧客に明示する責任を、あなたは負っていないのですから」

「まいどあり」

 潤野氏は、カイロ三つと引き換えに、ミニチュアドアを手に入れた。

「それにしてもあなた」

 先生がウチのほうを向いた。

「女性一人で大丈夫ですか?」

「は?」

 条件反射みたいな返事がでる。

「朝からこんな田舎に、旅支度らしい荷物もないし…」

「出張くらい普通ですから」

 私は社用スマホを突き出して答えた。

「すみません」

 先生が頭を下げる。

 またもや気まずい沈黙。

 潤野氏は鞄に手を突っ込んだが「在庫切れか」と呟いてそれっきりだ。

 もう誰も口を開かない。

 ウチが悪いみたいじゃないか。そのとおりだけど。

「あのー…」

 若い男の声がする。いつのまにか鉄オタ青年が近くに来ていた。

「みなさん、もしかしてこれですか?」

 青年がタブレットで動画を見せてきた。

 タイトルは「飛び出す扉@御堂駅」。

 ウチらがいる駅だ。投稿日は昨日の昼過ぎ。

「あなたの言うとおりですよ」

 先生が答えた。やっぱり見たことのある顔だ。

 青年が再生ボタンをタップする。

 撮影地点はホームの真ん中あたりで、滑り込んでくる下り列車を映している。

 止まって、ドアが開く。二人だけ降りて、ドアが閉まりかける。

 まさにその瞬間、四角くて大きいものが、社内から飛び出す。

 アンティーク風の木製のドアだ。

 動画はこれで終わり。

 コメント欄には、素直な驚きの感想ばかりで、フェイク扱いするものはなし。

 ウチも昨日、同じ動画を見たから、スクロールするまでもなく知っている。

 ドアの行方は不明。

 今朝ウチが来たときには、影も形もなかった。

「列車きたのに乗らないし、カメラもマイクも持ってないし変だなーと思って、検索したんです。ここでも出たんですね、扉」

 青年が喋っているうちに、次の動画へのカウントダウンが進む。

 タイトルは「永井教授『飛び出す扉』現象を警戒」。アップロード日は約二年前。

 この動画も見た。大学教授が、扉の安全は証明されたわけではないから個人が私有することは推奨出来ないとかなんとか、言ってたやつだ。

 動画が再生される。

 ウチは、着ぶくれしたおじさんの顔と、画面に出ている教授の顔を見比べた。

 同じ人だ。

 教授は、頭をかいて、会釈した。


 何かが開くと扉が飛び出す現象は、大体の人にとって迷惑だったが、インテリア業界とリサイクルショップにとっては幸運だった。

 タダで高級ドアを仕入れるチャンスだからだ。ワシントン条約のおかげで、マホガニーやチークは使いづらくなったこの頃、銘木製のドアを手に入れるには、飛び出す扉現象を利用するのが一番手っ取り早い。飛び出した扉の転売も非合法とされてはいない。

 教授みたいな物理の先生が質量保存則を云々しても、飛び出した扉による死亡事故が起きても、業界の熱気は続いた。

 かくして、業界人たちは飛び出す扉を捕えるべく、夜討ち朝駆けの日々を送るようになり…、ウチみたいにずっと空振りして、評価について仄めかされてる奴がいる。

 挽回しようと動画を見るなり出張許可を取って、高速を飛ばしてきたものの、最初の二本は見事に空振り。

 残りは四本だけ。


 昼の上り列車の時間を見計らって、ウチはストレッチをする。

 潤野氏も同じように準備体操をする。

 教授は何かメモをしていて、鉄オタ青年は写真を撮ったり時刻表を読んだりしている。

 四人とも無言だ。

 やがて、車両が来て、ドアが開く。

 二つ目のドアに、腰丈くらいの四角い影。

 キャリーバッグ?観光客?

 いや、扉だ。

 出遅れたけどダッシュ。とにかくダッシュ。

 できれば無傷で、最低でも一箇所くらいの傷で回収したい。

 ギョバァンッ。

 扉は妙な音を立てて落下。

 間に合わなかった。

 けど、ワンバンでキャッチ。

 なめらかで冷たい手触り。

 ハズレの感触。

 急ブレーキを掛けて、黄色い線の内側で停止。

 嘆息して、手にした扉を確かめる。

 縦横比の小さな、ステンレス製の戸だ。業務用キッチンの下にくっつくようなやつ。

 ウチの会社の守備範囲外だ。

「おつかれー。速いねー」

 潤野氏が余裕綽々で歩いてくる。

「ワシがもらっちゃっていいよね」

 ウチはうなだれるように頷く。

 オッサンはにんまり笑うと、扉を小脇に抱えて、駐車場へと歩いていった。


 続いてやってきた昼の下りは空振りだった。

 バックパッカーみたいな若者が下りただけだ。去り際にこっちを見てきた気がする。

 ウチらは四人とも無言だ。寒い。

 スマホが震えた。通知だ。

 急ぐこともないのに、指が勝手に動く。

 後輩が戦利品を獲得したらしい。頼んでもないのにCCにウチを入れている。

 アンティーク調のドア、本当のマホガニー製。傷一つ付けずに回収したそうだ。

 どうしてウチのところには、いいのがやってこない?

 潤野氏は、三本目の缶コーヒーを開けて、掲示板にある色あせた時刻表を眺める。

 みんな押し黙ったままだ。

「ゴドーみたいですね」

 不意に鉄オタ青年が口を開いた。

「え?」

「え、いや、その…」

 青年は顔を赤くして下を向く。

 教授がくすりと笑った気がする。

 潤野氏も吹いたようだ。

 なに、ウチだけ仲間はずれ?


 日が沈む頃、上りの終列車がやってきた。

 止まる。ドア開く。何も出てこない。

 教授が苦笑いしながら乗り込む。

「では、お気をつけて」

 微笑をたたえて、ウチのほうを見てくる。

 悪意がないのは分かってるが、大きなお世話だ。

「品物はお取り置きしときますからぁ。よろしくー」

 潤野氏が指で長四角を作って、教授に呼びかけた。

「はい。よろしくおねがいします」

 別れの挨拶が終わるのを待っていたかのようにドアが閉まる。

 列車が去っていき、ホームに寒風が渦巻く。

 見送るように、青年がシャッターを切る。

「お車なんですか?」

「下りに乗ります。鉄道旅行なんです」

 笑顔で答えが返ってきた。

「なるほど」

 ウチが相槌を打つと、会話が途切れる。

 潤野氏がラジオ体操を始めたから、便乗させてもらう。


 とうとう下りの最終便がやってきた。

 ドアが開く。数名の学生がガヤガヤいいながら降りてくる。

「僕はこれで」

「キミも達者でな」

 鉄オタ青年と潤野氏が別れの挨拶をかわす。

 構うことなく、ウチは足踏みしながら左右を見渡す。

 最後尾のドア、人間よりも背が高くて四角い影。

 ダーーッシュ!

 日が暮れても、飛び出してくるのがカラープラスチックや金属じゃないことは分かる。

 大物だもの。電車のドア枠をかすめるようなやつだ。

 ノーバンでキャッチ。体をのけぞらせながらも、なんとか重みを支える。

 指先に伝わる木のぬくもり。吸い付くようでいて僅かにざらつく木目の感触。

「フンッ!」

 周りの目なんて知ったことか。

 気合を入れて扉を持ち上げ、駅のベンチと壁に、音を立てずにもたせかけた。

 駅の蛍光灯に、戦利品が照り映える。

 この輝き、この手触り。紛れもないビルマ産天然チークの扉だ。普通ならまず手に入らない一品。マホガニーの扉にだって、十分並び立つ。

 降りてきた学生たちが「うわっ」とか「やべぇ」とかいいながら、スマホを向けてきた。

 せっかくなのでガッツボーズをしてやる。

 学生たちがおずおずと近づいてくる。

「じ、自撮りいいっすか?」

「もちろん!」

 その場のノリで全員と一枚ずつツーショット。

 撮影が終わっても、心臓の鼓動は激しいままだ。

「あざっしたー」

 学生たちは笑顔を返して、家路についた。

 原付のアンサンブルが始まり、すぐに遠くなってゆく。

 入れ替わるようにして、潤野氏が小走りで近づいてくる。鉄オタ青年も、車両の中を速歩きして近づいてくる。

「おめっとさん」

「おめでとうございます」

 二人とも、拍手してくれた。車掌と運転手も、小さく手を振ってくれる。

 束の間のお祝いタイムを終えると、列車は出発した。


 ウチと潤野氏は駐車場で別れた。

「そんじゃお元気でなー」

 オッサンの軽トラが公道へ去っていく。

 エンジン音まで、お祝いのドラムロールに聞こえる。

 ウチも、戦利品の固定を確かめて、社用のバンに乗り込む。

 キーを捻ってダッシュボードに明かりが灯る。

「さむっ」

 吐き出した息越しにみた温度計は、うんと低い値をさしている。

 隣のメーターも、似たような値。

 隣の?

 燃料がほとんど空だ。スタンドまでならセーフのはず。

 急いで財布を見る。

 残金五百円。給料日前だもの。

 詰んだ。凍死コースまっしぐら。

 慌てて会社スマホを取り出す。

 画面が薄暗い。バッテリー、残り十パーセント。氷みたいに冷たい。

 私物のスマホも取り出す。

 真っ暗だ。

 レスキュー呼ぶか、そしたら評価が、迷ってるうちにバッテリー減るぞ、アイドリングでガソリンだってやばい、レスキュー呼ぶか、そしたら…。

 堂々巡りの思考を、駐車場に滑り込んできた車のヘッドライトが横薙ぎに断ち切った。

 顔をあげると、「リサイクルショップ とっとい亭ウル」の軽トラが見えた。

 車のドアが開く。

「良かった。まだいたいた」

 ガラスをノックしながら、オッサンが呼びかけてくる。

「なんですか?」

 窓を締め切ったまま、ウチは声を張る。

「忘れてたからさ」

 潤野氏は上着の中をもぞもぞやると、何かを差し出してきた。

 五千円札だ。

「お代だよ。ドア、譲ってもらったでしょ」

 たしかに、昼間のステンレス扉は、ウチが先に手を付けたんだ。代金を貰う権利はある。

 暗くておじさんの表情はうかがえない。

「領収書、要ります?」

「あるの?じゃあ頼むよ」

「はいはい」

 小物入れから備品を取り出し、凍える指先をこすり合わせてから一筆したためる。

 ウチはガラスを下げて、領収書と五千円札を交換した。

「ほんじゃあよろしくー」

 潤野氏が笑ってくる。

「よろしく」

 ウチもつられて笑い返す。

 どうにか首はつながった。

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飛び出す扉 糸賀 太(いとが ふとし) @F_Itoga

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