ヤーブス・アーカのある日の災難
ゆうすけ
古びたナイフは運命を知っている
ヤーブスはそろそろ中年に差し掛かろうとしている。最近の彼の悩み事は薄くなってきた頭頂部だった。
「そろそろ俺もリアップの世話にならんといけないな」
夜勤明けの外の世界は嫌味なほど青い太陽がきらめいていた。がさがさと帰り支度をする彼の動きはいつもにも増して重い。
ヤーブスが理想の正義を目指して就いた職業、それはポリスだった。しかし、現実の世の中で一介のポリスができることは限られていた。「俺一人が正義ぶっても、世の中なんざなんにも変わりゃしねえんだ」それが最近の彼の口癖だった。彼は禿げ隠しに最近愛用しているハットをかぶると、同僚に声をかける。
「それじゃ、俺は帰るぜ。報告書、あとは適当に書いといてくれよ」
「ほいよ、ヤーブス、今日もご苦労だったな。だいたい夜の巡回で頭上から古いナイフ落ちて来て頭怪我する奴なんてそうそういねーぜ。名誉の負傷で二階級特進なんじゃねーのか? まあ、監察医のねーちゃんのいうとおり今日はゆっくり休んでくれよ」
「うるせーよ、ホントとんだ災難だったぜ」
ヤーブスは包帯を巻いた後頭部を撫でた。
昨夜、夜勤中に巡回していたところで彼の頭上から落ちて来た古びたナイフが、彼の禿げかかった頭頂部に突き刺さって、血みどろになって署に戻ってきたヤーブス。それを見た同僚は大層心配して、当直の監察医ミカンサ・クーラのところに彼を連れて行ったのだった。事件らしい事件なんて、三年前に徘徊した老人が通りの真ん中でうんこを大量にまき散らかして以来のこの平和な街に、顔面血まみれとなったヤーブス・アーカの姿は同僚を驚かせるに十分以上のインパクトがある。ただ、ヤーブス・アーカの傷は浅く、「こりゃ剃刀で切ったみたいなもんよ。心配いらないわ。ワセリンでも塗っとけば?」と監察医のミカンサ・クーラに冷たくあしらわれていた。
「まったく、もうちょいやさしくしてくれてもいーじゃねーかよ。二階級特進はともかく、こりゃ立派な公傷だぜ? せめてワセリンをやさしく塗ってくれるとかしてくれてもいいじゃねーか」
「それぐらいでやめといた方がいいぜ、ヤーブス。あのミカンサねーちゃん、地獄耳だぜ。どこからともなくメスが飛んできても俺は関与しねーからな」
「へ、耳年増かよ。せめてその十分の一でも乳に回ってればな」
その時、ひゅっと切り裂く音がヤーブスの鼻先をかすめた。壁には古びたナイフがばすんと突き刺さっている。
「ほーら、余計なこと言うから。あと二センチ動いていたら、お前、死んでたぜ? ヤーブス」
同僚は壁に突き刺さった古びたナイフを何事もなく抜いて、ヤーブスにぽいっと投げかけた。
「しかし、そのナイフ、変わったナイフだな。なんとなく妖気を感じるぜ。ま、せっかく天からの贈りもんなんだ。大事にしとけよ。いつかお前さんのこと、助けてくれるかもしれねーぜ」
同僚はにやりと笑った。
ああ、監察医のねーちゃんのところに忘れて行ったのか。ヤーブスは古びたナイフをつかむと、まじまじと見つめる。不思議な模様が彫られたナイフ。それは、遠い異国の地ではるか昔から存在する圧倒的な歴史と歴戦のオーラを放っていた。
「これは俺がもらっていいもんなのか?」
「何言ってんだ、ヤーブス。お前さんの拾得物扱いにしといてやったよ。捨てるのも果物ナイフにするのも若い女の下着を切り裂くのも、使い方はお前さん次第だろ」
なんとなく縁を感じてヤーブス・アーカはその古びたナイフを懐にしまった。じゃあな、と声をかけて職場を後にした。
早春のなんでもない一日、彼のこの行動がこの街の平穏な毎日を大きく変える運命となることを、まだ誰も知らなかった。
ヤーブス・アーカのある日の災難 ゆうすけ @Hasahina214
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