第2話

旅行ぶる二人


後ろに並んだ男女ふたりの会話を聞くに、姪っ子が先輩と結婚したのだが家事の配分が上手くいかず姪っ子さんにばかり負担がかかっているらしい。

とん、とん、と無意味に踵を上下させた。列の進むスピードは遅くはないが如何せん人数が多い。もう鼻がこの世界の匂いにすっかり慣れてしまった。あと一人でボクの番なのだが、その老婆は世間話を大いに盛り上げているようで、まだかかりそうだ。

「はい、はい。それではどうか楽しんで。次の方どうぞ」

ようやくボクの番だ。夫へのストレスから人形を作っては口に含むことが日課になっている姪っ子さんの話が最後まで聞けないのは残念だが。

「貴方は何故王都に?」

「舞闘大会を見に来ました」

その後も滞在日数など、質問は続く。

「最後に念のため顔を見せてください。この頃王都は治安が良くないのです」

「顔……ですか」

「見せられませんか? 顔を見せたくないと言うのなら相応の理由があると判断致します」

「そういった訳ではないのですが……」

ボクは少し躊躇ってから、素早くフードを脱いだ。

「……それは」

「ええ、実は王都に来たのもこれを治す為なんです。ごめんなさい、醜いものをお見せして」

ボクは潰れた"左目"をさすった。

「失礼しました。どうかお大事に。王都には腕のいい技師がいますから、きっと直りますよ」

「ありがとうございます」

関所を出てボクは急いでフードを被り直した。同じく検問を終えた人達の流れから逸れて、ボクは横道へ入った。先に関所を通ったイタルくんと合流した。

「お疲れ。問題なかったろ」

「すごいねコレ。ボクに本当の目や口があるみたいだ」

ボクは顔に手を伸ばしてをソレを外した。手の上に人の顔が乗っている。これはイタルくんの作った仮面だ。とにかく精巧で、ボクの顔面をすりおろそうとでもしない限り偽物だとはわからないだろう。しかも自由自在に表情を作ることができる。

「ここの住人はパーツが欠けることを特に厭うからな、博士と協力して作っておいたんだ」

「クオリティは問題ないんだけどさ、何でこのマスク片目がないの?」

「その方がなんか……イイだろ」

「イタルくんの性癖にボクを付き合わせないでくれるかなあ!」

この欠損性愛者め。

「というか大丈夫なのかここにいて。お前調査活動は禁止されてたんじゃなかったのか」

「やだなあイタルくん、これは多世界旅行だよ。局長が言ったんだよ、調査は旅行じゃないって。つまり旅行ならば調査じゃない。Q.E.D。」

「すごいな、きちんと対偶が取れてる」

「それにイタルくんはまだひとりじゃ他の世界に行けないし、ボクは大切な親友に協力してるだけだよQED!」

「Q.E.Dって言いたいだけだろ」

「あーもうボクらはこんな裏通りで議論交わしに来たんじゃないんだよ。早く中央広場に行こうぜ」

イタルくんの手を取り、大通りへ踊り出た。

心地よい喧騒が肌を震わせた。活気歓気が往来を支配している。

その場で買った真鍮の眼球を嵌め変える紳士。喉にスピーカーを付けたお姉さんがオイルを売り歩く。子供たちは球体関節の手足を振って走る。出店のおばさんの売り文句によると、中枢機関にハスバ歯車を埋めるのが流行っているらしい。

ボクらは今、機械仕掛けの世界に観光に来ている。




数日前の話。

「ねえイタルくん、ボクと一緒に旅行に行かない?」

「断る」

イタルくんはドライバーを回す手も止めずに言った。

「ひーまーなーんーだーよー。もう一週間も何もしてないんだ。資料閲覧くらいしかすることないし、シーラに頼んでゲート使おうとしたけど既に局長の息がかかってて無理だったし」

「自業自得だろう」

白月しらつきイタル。ボクのもうひとりの親友。

瞳は青の三白眼、長い睫毛が丸眼鏡のレンズ越しに見える。さらさらの黒髪。さらにメッシュか体質かわからない金の毛束が頭頂部から伸び、左右の耳に一本づつ垂れている。

まとめると、美少年サイコエンジニアだ。

「ちぇー、昔はもっとかわいげあったのに」

幼少期のイタルくんは可愛かった。近所のお姉様方に「イタルちゃんはお人形さんみたいねえ」と言わせしめる程に。年齢とともに風変わりしたけれど。

腹いせにソファに座っていた脚のない熊のぬいぐるみをもふもふする。

「キムンをあんまり揉むな綿が寄るだろ」

自分の隣に熊を置く。上手く座らせれない、寝転がせた。

「投げるな。きちんと元の場所に置いてくれ」

「このごちゃごちゃした部屋に定位置なんて存在するの?」

用途不明の工具や完成品になり損ねた金属の塊達を、どうにか踏まないようにしながらイタルくんの机に辿り着く。

「とにかく話を聴いてってば。ボクが行こうとしてるのはBSE306、通称『機械仕掛けの世界』だよ」

イタルくんの手が止まる。ようやくこっちを見た。

「機械仕掛けの世界?」

「文字通りだよ。生きる機械人形、オートマタが住む、偉赫然歯車機構で構成された世界」

「生きる機械だと? イカれてるとしか思えないな。義脳や人工知英とは違うのか」

「ボクはその辺り詳しくないけど、少なくとも機関の見解では違うものだって。似て非なるもの、と言ったところかな」

「興味は唆られるが、わざわざ本物に触れなくても博士に教えてもらえばいい……」

「えー」

ボクはイタルくんにダラりともたれた。

「ねーねーイタルくーん行こうよー」

「お前の誘いに乗って俺にメリットがあったことが今までにあるか?」

「そこまで言う!?」

ボクはちょっと息を吸った。さてここからが殺し文句だ。

「そんなイタルくんに食指から涎が垂れるような耳寄り情報です」

イタルくんから体を離した。ただ手は肩に置いたまま。

「機械仕掛けの世界ではさ、当たり前のように体のパーツを売買してるんだよね」

噛んで含めるように言う。

「拠点では手に入らない部品や素材が買えるかもよ?」

イタルくんは手を口に寄せ黙っていたが、既に身が前のめりになっている。ボクは余計なっことは言わず、にやけが漏れないよう努めながら待った。

「……行く」

「グラッツェ。ボクがイタルくんをエスコートするから、イタルくんはボクにドアノブを貸して」

「準備するものは普通の旅行と一緒でいいんだろ?」

「うん。お金は多めにね。三日後に発とう」

早々に支度をすべく、部屋を出ようとしたボクは設計図だった物を踏んですっ転んだ。




「清掃は真昼に、モーニングコールが必要ならドアにボードをかけといてください」

頭からボルトが飛び出た主人が案内した部屋は二人で泊まるには申し分ない広さだった。年季は入ってるが丁寧に使われていたことが見てとれる。木の板張りの床がギイギイ鳴るのは愛嬌。掃除も行き届いている。不快ではない古い物の匂いがした。

ベットにうつ伏せで転がった。やっぱり眠る床は柔らかい方がいい。

「寝床が見つかって良かったよ。ここまで宿がないとはな」

「オートマタ達はあまり休息を取らないからね、盲点だった」

日は沈み人気は消えてゆく中、方々駆け回って見つけたのがこの宿「ファザー・ダック」だ。たしかに主人はアヒルみたいな声をしている。女将はガチョウに似てる。

「まずい。サニタリーナップを忘れた」

「じゃじゃーん、実はナップ持ってきてまーす」

モノタリス社の「あさぬのらいふ」が入った紙袋をイタルくんに投げてよこす。

「カルロにも生理があるのか?」

「ないよ。中性だからね。子宮も精嚢も一応あるけど未発達だからねえ、出る物もなければ出口もないよ」

「羨ましいな。まったく不便だよ両性具有ってのは」

そう言ってボクの投げたナップをリュックに突っ込んだ。

「というか生理がないなら何でナップを持ってるんだ」

「んー、下血したときとか漏らしそうなときの為とか」

「ねえよ」

「そういやイタルくんは何買ったの? すごいたくさんのお店を周ってたよね」

イタルくんのリュックの中から一山築けるくらい大量のネジやら歯車やら名称不詳な部品やらが出てきた。

「うっわ大漁大量」

「俺としてはまだ足りないくらいだ」

「何に使うの? この渦巻きの形してるのとか」

「ほとんどは予備だが、それは一足歩行型自律運搬装置の膝部回転軸に、それから次に作ろうとしてる電気猫の制御盤用だ」

「あー、ボクにもわかる言葉で話して」

「……一本足で歩く機械と猫のロボットに使うんだ」

イタルくんの買って来たパーツ達は再びリュックの中に吸い込まれた。

「博士の開発した超過容量リュックホントに便利だよねー」

ボクも自分のリュックに手を入れる。目当ての物が見つからない、肩まで突っ込んだ。

このリュックは見た目と比べて容量がとても大きい。お泊まり道具一式から人間一人まで入る。中で空間が圧縮されているそうだ。クソデカい鞄を中身ごと圧縮したものだと思えばいい。

「今夜は久しぶりのふたりお泊まりですし、豪勢にやっちゃおうよ」

ミートパイ、カプレーゼ、ワインを取り出した。パイは熱々、ワインはキンキンに冷えている。この世界に来てから何も口にしていない。唾液が込み上げた。

「お前……外で酒飲むの辞めろよ」

「いーじゃんここは拠点じゃないんだし。治外法権だよ」

「それに食べ物の臭いが残ったら怪しまれる。ゼリーにしとけ」

多世界調査機関の医療チームが制作した不健全完全栄養食、俗称「ヤク中ゼリー」。クラッシュタイプでちゅるりと吸えば手早く栄養が摂取できる。味は薬品臭いナシ味。

「嫌だよ! ヤク中ゼリーなんて大味も大味、クソデカ味じゃん。」

「別に不味くはないだろ」

「ボクは美味しいもの以外食べたくない」

腕を組み、脚を開き、胸を張って宣言した。

「俺は今ここで拠点に帰ってもいいんだぞ」

ボクは腕をほどき、渋々渋ゼリーに口を付けた。美味しくない。

「なんでボクは旅行に来てまで栄養ゼリー啜ってるんだろう」

「じゃあオイル飲むか? 専門店で買った高級品だ、きっとリッチなカルロの口に合うぞ」

「ゼリー美味しい!」

気になったのでモーニングコールを頼んだ。案の定、がらがらガチョウの一声で飛び起きることになった。

朝ごはんはシリアルで妥協した。絶対にこぼすな、と散々言われてからイタルくんに許可をもらった。ヤク中ゼリーを吸うイタルくんの視線と交渉しながら、ヨーグルト、マーマレード、ブルーベリー、イチゴをかけて食べた。

女将の勧めで、王が住む「ヘディメトゥラ城」を観光することにした。街の中心に建つ城に近づくにつれ、やはり人通りは増えていく。途中で売り子に三回も捕まれた。

安くない入場料さえ払えば、プライベートな区画以外は自由に見学していいそうだ。

塀が高くて、敷地が広くて、高い塔みたいなのがあって、とにかく大きい石造りの城だ。機関と比べると見劣りするがかなり巨大なものだろう。ただ他に特徴もなく、特に意匠も感じられない。

「立派な城でしょう」

老爺が傍らに立って話しかけてきた。

「火事で前の城が壊れてから、僅か七日で建てられたのですよ」

「七日でこの城を? そんなことが可能なのですか?」

「今代の女王様は皆を導く特別な力を持っておりますからな」

「特別な力って?」

ボクに疑問だけ残して、老爺は次の観光客にターゲットを変えてしまった。なんだ、ただの女王様フリークか?

他の人の流れに従って城内を散策するが、視線は石の隙間に滑っていく。指先はもう耳を弄り初めている。歩いてたらばったり女王と会ったりしないだろうか。

「こら以上見るものは無さそうだな」

イタルくんはもう門へ戻ろうとしている。

たしかに期待外れの感が拭えないがそれよりも、

「ボク、前のお城が見たい」

「何故わざわざ火事現場なんかに行くんだ……」

「気になるから!」

「まあ、だろうな。いいよ見に行こう」

イタルくんが素直に食い下がった! これは吉兆だ。紅茶の雨が降るぞ。

「ただ」

ただ? イタルくんはニヤリと笑った。長い睫毛の下瞼が弧を描く。前言撤回。

「俺の買い物が終わってから、な」

ボクは市中引きずり回された。

錫色銀色鉛色、ブロンズ錆色赤銅色、光沢が視界に焼き付いてうざったい。しばらく金属製のものは見たくない。建物は石材で作られているのが救いだ。

「歯車何個買えば気が済むのさ」

「金と歯車は何個あってもいいもんだぜ。昔から言うだろ」

「誰が最初に言ったの。少なくともボクの辞書には書いてないよ」

「安心しろ、さっきの店で最後だ。」

前のお城の場所は店員に尋ねておいた。店員さんには道端のマネキンを見るような顔で見られた。旧城跡は街の奥まったところにあるそうだ。

現ヘディメトゥラ城とうって変わって、目的地に近づくほど不自然なくらい人が減ってゆく。民家と住宅の狭間を蛇行し抜けると、急に開けた場所に着いた。

黒い。奇妙な形に捻くれ、くっついた金属塊がいくつも転がっている。水溜まりのようにぽつぽつと黒い塊が地面にへばりついている。油臭い、ジャギーちゃんだったら耐えられないだろう。

「ひどいな。全焼してら」

「片付けとか誰もしないの?」

この壊れたまま放っておかれている感じがあの終末世界のそれと似ていた。

地面に真っ平らな場所がほとんどない。ふらふらとバランスを取りながら、凸の部分に足を乗せる。一歩ごとにお気に入りのスニーカーが汚れていく。

ついに足を踏み外した。右足を支点に倒れる。

「いったァ……頭ぶつけた」

転んで視界が一転したのだろう、おかげでボクはそれを見つけた。黒く焼け焦げた瓦礫の中に、白い手を見つけた。

心臓が強く拍動する。

ボクはバネのように飛び起きた。手の元まで駆け寄り、周りの残骸を除ける。ベタベタと腕や服に付く汚れも気にならない。腕が見えてきた。ひときわ大きな鉄板を持ち上げた。

少女の機械人形がいた。


いきなり宿泊客が増えても主人は眉を吊り上げはしなかった。宿泊代を三人分払ってくれれば構わないと言ってくれた。それどころかボクが担いで来た少女を見て技師を呼んでくれた。

「様子は?」

「まだ眠ってる。お医者さんはオイル飲ませとけばそのうち目覚めるって言ってたけどー」

ベットの上の少女を改めて検分する。

胴や腕は細い、とても小柄だ。顔つきも幼い。オレンジ色の髪があちこちクルクル跳ねている。裸だったのでボクの服を着せたがダボダボだ。

「よくできてるなあ、この子。お人形さんみたいとは言うけれどこの場合はお人間さんみたいだ」

腕を持ち上げてみる。ツヤツヤとして細かな傷もない 。爪まで綺麗な形に仕上がっている。

少女の指がピクリと動いた。思わず少女の腕を落とした。

上半身を前のめりに自分の膝を掴む。逸る鼓動に反して、少女はゆっくり目を開いた。

「……ここは」

ぽっかりと空いた眼窩を晒して、そう言った。

「宿屋ファザー・ダック。気分はどうかな?」

少女は体を起こした。セーターの襟が肩口から落ちそうになっている。

「技師には見せた。眼球が無いこと以外は何の異常もないそうだ」

少女は体をピクリと跳ねさせ、長い睫毛をパチパチさせた。

「誰?」

「ボクはカルロッタ・ヴィルガ。カルロって呼んで」

「白月イタル。白月が名字、イタルが名前」

かるろ、いたる、少女は口の中で呟いた。

「何があったの」

「ボクらもよくわかんないだけど、お城の焼け跡で倒れてたんだよキミ」

「ああ。最初は壊れているかと思った。だけど綺麗すぎたからな」

少女は黙った。何か思い出そうとしてるようでもあった。

「キミの名前は?」

さくっと本題に入ろう。人を知るにはまず名前から。

「オイラの名前?」

顔が固まった。視線が上に行き、今度は俯いてうんうんと唸る。そしてようやく口を開いた。

「……オイラは誰?」

そうきたか。思わぬお預けをくらった気分だ。

「自分の名前もわからないのか」

少女は頷いた。

「他に覚えてることは?」

「えー? うーん」

少女は髪をワシャワシャと揉み、脚をバタつかせ、最後にベットに倒れた。そしてその結果は、

「オイラ自分のことも昔のことも思い出せないみたい」

「まさか記憶喪失?」

ファンタジーだと思ってた。名前すら覚えてないとは。こういうときって名前だけは覚えてるもんじゃない?

この子が何者なのか、真実は本人すらあずかり知らぬ場所に消えたらしい。ならばやることはひとつ。

「じゃあボク達がキミの記憶を取り戻す手伝いをするよ」


盲リング


昔からそうだ。カルロが事を起こすときは何故か高確率で俺も巻き込まれる。例えば怪談の真相を明かそうと夜の学校に不法侵入したとき、例えば謎の生き物を拾ったとき。これは何かの予定調和か? それとも運命なのだろうか。それでも俺は抗議する。

「なんだよ『達』ってなんで俺も含まれてんだよ」

「ホントに? カルロ兄が助けてくれるの?」

「もちろん」

ボクは胸を叩いた。

「キミの記憶はボクが取り戻す。絶対に。保証する」

「おいまて、できない約束をするな」

「早速探しに行きたいところだけどキミはまだ本調子じゃないだろうし休んでてよ」

カルロは再び少女を寝かせ、ご丁寧に顎の下まで布団をかけた。

「聞け! 俺の話を」

つい大きな声を出してしまった。まあまあまあと窘められた。マスクがある分普段より表情豊かなのが腹立つ。

「落ち着きたまえよイタルくん。ちょっと話でもしようではないか」

部屋の外に出された。廊下にふたりきりになる。

「神でも魔法使いでもない俺たちが、他の世界の見知らぬ子供の記憶を戻せる訳ないだろ」

「なんとかなるって。いや、なんとかする」

と、カルロは豪語する。その姿に不安はなく、自分が実現できると疑っていなかった。

「どうしてそこまで言えるんだよ……」

握った指に力がこもる。

「だって気になるからね」

またしてもカルロはさらりと言ってのける。

俺が直立の姿勢を保てていたのは幸運だった。おかけでどうにか次の言葉を紡げたんだから。揺れた脳に浮かんだ言葉を引き攣る舌で発音した。

「カルロの好奇心に俺を付き合わせないでくれ」

カルロは目を閉じ、息を吐いた。

「それは申し訳ないと思っているよ」

だけど、とカルロは言う。

「今回はイタルくんにとっても悪い話じゃないぜ?」

俺の肩を引っ張って耳に口を寄せて来た。

「オートマタを近くでまじまじと観察できるいい機会だよ」

カルロは囁いた。

「わざわざ本物を見なくてもいいなんて言ってたけど、実物を目にしたら気が変わっただろ? しかもただのオートマタじゃない、火事場から発見された記憶を失くしたオートマタだぜ」

俺は考える。カルロの言葉を咀嚼する。

どうしてあのオートマタだけ無事だった。どうして記憶を失くした。ボディは何でできている。どうやって動いてる。どうやってものを考えている。どんな構造をしてる?

運命でも予定調和でもない、カルロのせいだ。ああ、やはりこいつの口車に乗せられてしまうのだ。

顔を抑えて俯いた。

「イカれてる……」

たっぷり嘆息を吐いた後、顔を上げた。

「わかった。俺も協力する」

ついでとばかりに両手を上げてみせる。

「ありがとう! イタルくん、やっぱりキミはボクの親友だ」

カルロは両手で俺の手を掴んでブンブン振る。

「どっちにしろ今の俺はお前から離れられないしな」

規則と技術、ふたつの理由でだ。俺が協力しようがしまいが、市中引き回されることには変わりないだろう。

「でも、少なくとも今日は休ませてくれ」

カルロがいつまでも手を離さないので無理矢理ほどく。

「ベネベネ。調査は明日からにしよう。ボクもちょっと疲れたし」

ドアがギイと音をたてた。音のした方へ顔を向ける。少女がスボンの裾を引き摺り立っていた。

「やっぱり寝てるの、退屈」

と、目を擦りながら言った。

俺はその日のうちに雑踏に身を投じることになった。

「んで、街中に出たけども、アテはあるのかよ」

「ないね、まったくのノープラン」

こいつの無計画さには慣れきったつもりでいたが、やはり苛立ちが込み上げる。

「んんー、やっぱりここは定番の聞き込みがいいとは思うけども」

カルロは腰を曲げて少女に顔を寄せた。

「どう、この街に見覚えはある?」

「あるような〜ないような〜?」

少女は頭をわし、と抱えた。まったく曖昧な。

オートマタの記憶というものはどう保存されているのだろう。メモリーチップやハードディスクか? その頭の奥にいったい何が詰まっているのか。

「大体なんで今回に限ってジャギーを連れて来ないんだ。あいつがいれば痕跡を追跡したりできたのに」

「旅行なんか行ったら食費に回す金がなくなるってさ」

「菓子しか買わないだろ」

「イタルがお守りをするならアタシが行く必要ないとも言ってたねー。逆じゃない? ボクがイタルくんの面倒見る側なんだけどな。ボク信用なくない?」

「俺が信用されてるんだ」

この街のオートマタに体温があったら蒸し風呂状態になっていただろう。とにかく人が多すぎる。カルロははぐれないように手を繋ごう、だのふざけたことを言っていた。

急にカルロが立ち止まった。

「どうした。靴紐でも解けたか」

「ボク認めたくない事実に気づいちゃったんだけど。それとも認めなければ事実にはならないのかな」

「何言ってんだ。何が言いたいんだ」

「あの子がいないんだよね」

カルロのその言葉を聞いて、俺はハッとして周囲を見た。さっきまで俺達の一歩前を歩いてはずなのに、今はどこにもいない。

「二手に………は拙いか。遠くに行ったとは思えないし。聞き込みしながら探そう」

オートマタに埋もれそうなカルロの背を視界に留めおくのに必死だった。肩に行商が、脚に子供がぶつかる。

特徴的な癖毛の子供を見ていないか聞いて周った。呼びかけをしようとしたところで名前を知らないことに気づいた。

結論から言うと、少女は見つかった。

少女は喧騒から少し外れた路地で出店の焼き菓子を眺めていた。

「ああ〜よかった、ここにいたんだね。迷子か誘拐かと思ったよ」

「あっ、カルロ兄イタル兄。よく見つけられたね。」

「勝手に……消えといて………何、言ってんだ……」

走ったせいで息切れがして切れ切れとしか言葉が紡げない。

「だってお腹空いてたんだもん! あとで戻ってくるつもりだったんだよ!」

「あのな……」

むちゃくちゃな論理を振りかざすガキに正論を浴びせてやろうとしたら、カルロが間に手刀で割り入ってきた。

「はいはいはい、静かに静かに、ボクから提案があります」

「なんだよ畏まって。さぞや素晴らしいアイデアなんだろうな」

怪訝に思いつつも俺は矛を収めることにした。

「キミ」

カルロはビシっと両手ピストルでローリンを指す。

「おいら?」

「そうキミ。キミはいま名無しだよね」

「うん、そだよ。名前くらいは覚えてても良かったよね」

「まったくその通り。記憶喪失でも名前くらいは覚えてるのが定石ってもんだよね」

腕を組み、ふんす、と鼻を鳴らすカルロ。

「名前がないと不便だし。キミにとりあえずの名前を付けてあげよう」

出た。カルロの名付け癖。

ちょっと待ってね今から考えるから、とカルロはその場で回り出した。よく回る。これもカルロの癖だ。

「……ローリン」

俺は耳を疑った。イヤホンで音楽を聞くときは音量を控えめに、休憩も挟んでいるのだが。

「キミはしばらくの間ローリンだー!」

まさかあの渦巻き状の髪型から名付けたのではないよな。怖くて聞けない。

「…………」

少女は声も出せずプルプル震えている。

「ふざけた名前付けるから怒って震えてるぞ」

「すこぶる真剣に考えたよ。もしかしてグルーチョの方がよかったかな」

「……素敵な名前! 気に入ったよカルロ兄」

ローリンはキラッキラに目を輝かせた。嘘だろ。

「喜んでもらえると思ってたよローリン」

「ろーりん、オイラはローリン!」

二人はローリンローリンと跳ねながら連呼する。阿呆なのだろうか。

「今度は見失わないよローリン」

カルロはローリンの手を引いたが、ローリンはその場から動こうとしなかった。

「ん? どしたの」

カルロはしゃがんでローリンの顔を覗く。

ローリンの視線の先には先刻も見ていた屋台があった。

「買ってやる」

「え……」

「いいなー、ボクにもボクにも」

「自分で買え」

そもそもお前は食えないだろうが。

十種類ちかくある中からアルマイト味を選んだ。店主いわく、明日は舞闘大会だからと、ひとつおまけしてもらった。

ローリンの額の前に差し出す。そっと受け取るなりローリンは頬張った。

「おいしい!」

ローリンはあっという間に口の周りをベトベトにした。

「ローリン、ほらこっち向け」

食べカスと泥で汚れた頬を拭ってやる。

「くすぐったいよ。イタル兄」

「ハハハ、イタルくんお兄ちゃんみたいだね」

頬がカッと熱くなった。

「違う。断じて違う。これはアレだ、手のかかる幼なじみを世話するようなもんだ」

カルロはニヤニヤしながらこちらを見ている。これ以上は何を言っても勘違いされそうだ。何も反論できず、カルロを睨んだ。

「もういいだろ。いつまで油を売るつもりだ」

「そうだね、次はまたお城にでも行こうか、な……」

急にカルロは思案顔になり、

「あーー!」

派手に頭を抱え叫んだ。さっき焼き菓子を買った屋台の親父がこちらを見る。

「叫ぶな。目立つだろ」

「チケット買わなきゃ」

「なんのチケットだ」

「舞闘大会のだよ」

街で幾度となくその単語を聞いた。

「それが本命で王都に来たことになってるから、見に行かないのはまずい」

カルロはダラダラと汗をかき始め、パタパタとそれをハンカチで拭った。

「大丈夫大丈夫いまからならギリギリギリ間に合うはず。闘技場の券売所が閉まるのは夕暮れまでだから、つまり」

「つまり?」

「ダッシュです」



「っはあー……はあー……よかったギリ買えた」

カルロは石畳に膝を付き肩で息をしている。脚の早くない俺と歩幅の小さいローリンを置きざりにして、走り去った結果だ。

「でもやっぱり良い席は買えなかったな。外側の方だ。」

残念だなあ、とカルロは呟く。

「舞闘大会ってなんだ?」

「文字通り舞の闘いだよ。最後まで壇上で踊ってた人が勝ち。」

今の説明だけなら優雅そうな行事だが、武器さえ使わなければなんでもありの過激な祭りらしい。

「さらに面白いのがさ、優勝した人は女王になんでも願いをひとつ叶えてもらえるんだって」

「願いをなんでも……」

「うん。マジでなんでも。過去には王位を貰った人がいたとかいないとか」

ボクだったら紅茶が欲しいな〜、とカルロは言う。

「ローリンだったら何をお願いする?」

「記憶を戻してもらう」

即答。そりゃそうだろう。

「あ! いいこと思いついた」

俺は嫌な予感がした。俺とジャギーの間での常識、カルロが何かを閃くのは凶兆。

「キミ舞闘大会に出なよ!」

「えっなんで?」

「優勝して女王に願いを叶えてもらうんだよ。妙案でしょ」

「いや怪案だよ。優勝なんて簡単に言ってるけど、こいつ踊れるのか?」

「あーそれは盲点だった。下手なクオリティだと観客からのブーイングとゴミが降り注いじゃうんだよね」

なんつー競技に子供を参加させようとしてるんだよ。

「ローリン、こいつの言うことは聞かなくていい」

「できるよ」

ローリンは俄にステップを踏み始めた。踵の鳴る音が軽快なリズムを刻む。腕を大きく振って回る。あちこちに飛び回り、最後に宙返りをきめた。

俺にダンスの知識はない。だけど、ローリンのそれはかなり上等なものだと感じられた。動きのひとつひとつにひどく惹き付けられた。一本の作品として完成しているようだった。

「すっごーい。ローリン・グレイトダンサーだ」

「これぐらい簡単だよ」

「マジでえ? じゃあ宿までダッシュしながらピルエットでも行ける?」

カルロの無理難題をローリンはマジで達成した。

「カルロ兄、聞いてる?」

「んー……あー……」

宿に戻ってからずっとローリンのおしゃべりや遊びに付き合わされている。

俺達が真に見えていなかったのはオートマタは眠らないということだった。

「カルロもう寝ろ。俺が見ておくから」

「ありがとー……一時間たったら起こして」

ふらふらとベットまで歩き、倒れた。しばらくすると寝息が聞こえ出した。

「お前、字は読めるだろ」

カルロのリュックから取り出した文庫本をローリンに渡す。

「読める、けどイタル兄が読んで」

「ファンタジー小説三百ページ読み聞かせとかイカれてるな」

本を開いた。



「おはようイタルくん。ボクは一晩ぐっすり寝てしまったよ。どうして起こしてくれなかったのかな」

「おはようカルロ。別に俺は一晩すっかり寝なくても平気だ」

「寝覚めが悪いんだよ。友人が起きてるのに自分だけのうのうと寝ているのはさ」

「お前に罪悪感とかあったんだな」

「ヒド!」

朝食をゼリーで済ませていると、ローリンにそれは何かと聞かれ、燃料補給だと誤魔化す。するとローリンも食事をねだったので先日買った高いオイルを開けることになった。

円形闘技場につく。俺とカルロは観客席に、ローリンは控え室に別れる。

「マジで外側の席だな……ステージがよく見えない」

「そんなこともあろうかと。ほい」

双眼鏡を手渡される。

「なんで持ってんだよ」

「調査員の必須アイテムだと思うけど」

「俺が言いたいのは旅行には必要なのかってことだよ」

参加者の相貌は踊りとの親和性が低そうな大男から、しなりのある娘までおり、それなりに多様だった。最後のひとり、ようやくローリンが登場した。

「いたいた。ローリンー、おーい」

「この歓声の中じゃ聞こえないだろ」

「うるさいなあ。こういうのはパッションに従うのが大切なのさ」

カルロはローリンの名をわあわあと呼び続けた。

「本大会を開催するにあたって、女王様からお言葉を承る」

さっきまでとは別の種類のざわめきが上がる。

俺達の対角線上の一番内側の席にそいつはいた。

王冠、マント、明らかに権力者然とした佇まいだ。光沢のある肌、シルクのように棚引く髪、何より特徴的なのは藍色の目だ。

「傾注せよ」

女王の一言で観客は一斉に静かになった。衣擦れの音すらしない。双眼鏡を外して周りを見た。カルロはひたすら向こう側を見ている。俺達以外の者は膝に手を置いて女王に注目を向けている。

不気味だ。オートマタはここまで統率の取れるような種族なのか?

「なあ、変じゃないか?」

「んー? 綺麗な人だけど特に変わったところは」

「違う、他を見てみろ」

カルロは身を捻った。

「たしかにちょっと不思議だね」

カルロはあろうことか隣の観客の頬をつついている。

「おい! やめ」

こちらを見ている、女王が。心臓がひと拍大きく鳴った。

「傾注せよ」

カルロを座らせ、自分も女王に視線を送る。汗ばんだ体を風が冷やす。

女王は満足そうに頷き、ゆっくりと口を開いた。

「クギガラスの錆が取れる時期になったな。この伝統ある祭事を私の世でも開けるのは僥倖だ。皆々、善く踊れ」

観客達は再びワラワラと動き、騒ぎ出す。

「これより、舞闘大会を開催する。挑戦者位置に付け」

汽笛が鳴った。演奏が始まる。

参加者たちは互いに肘や脚をぶつけ出す、それと共に音楽も激しいものになって行く。

ローリンは不敵に笑った。ひらりひらりと避けたかと思えば、肩を押し足払いをかけ、他の挑戦者を壇上から突き落としていった。

ステージに立つ者は減っていき、ついにローリンひとりになった。

闘技場の外でローリンと合流する。満面の笑みでこちらに走って来た。

「やったー! 勝ったよ。カルロ兄イタル兄」

「おめでとう!」

カルロはローリンを持ち上げてぐるぐるぐると回った。

「かっこよかったよね? オイラ」

抱きついて額をゴシゴシと押し付けてくる。

「まあ、かっこよかったぞ」

五分経っても離れないローリンを剥がした。

「それでー、景品についてはどうなったの? もう記憶が戻ってたりする?」

「明日お城に来いだって、そしたら女王様が直接オイラの記憶を治してくれるって」

「へぇー楽しみだね」

「うん、全部元通りにな……る……」

ローリンはふらふらと揺れ、後ろに倒れた。カルロが腕を伸ばしてローリンを支える。

「気絶しちゃった」

「エネルギー切れだろ」

リュックを前側にかけ、空いた背でローリンをおんぶする。ローリンの体は人肌のように熱を持っていた。


夜間ショウタイム


暗い。街灯のない夜道をランタンを灯けて走る。冷めた空気が頬を掠める。

イタルくんがシャワー浴びてる合間に宿を抜け出した。メモは残して置いたから大丈夫だろう。

ずっと違和感があった、どうしてこの街の夜はこうも静かなのだろう。オートマタなら昼夜活動できるはずだ。なのに宿屋を出てから一度も人とすれ違っていない。

ボクの足音だけがよく聞こえる。闇の中石壁の凹凸に生じる影が不気味だった。

ある一角が騒がしい。扉の隙間から漏れる騒然とした声が、閑散とした路地の空気を僅かに揺らしていた。看板を見る。

酒場「アカヒゲ殺し」

オートマタ達も酒を飲むのか。ドアを開けた。

男達の力強い笑い声が鼓膜に打撃を与えた。客入りは上々のようでテーブルはほとんど埋まっていた。

香辛料と油の匂いを掻き分け、カウンターに座った。

「お水をひとつ」

「珍しいね、あんた蒸気機関かい」

隣の男が言った。

「見ねえ顔だな、お嬢ちゃん。旅人さんかい?」

マスターがコップをボクの前に置いた。

「ええ、舞闘大会を見に立ち寄ったんです。やはり王の膝元、いい街ですね王都は」

舌を濡らす程度に水を飲む、今更だけどこの水は安全かな。

「嬢ちゃんの片目もいいのが見つかったんじゃねえか?」

「そうですね、貴方の小指が欠けてるのがわかるくらいにはよく見えそうですよ」

ボクを揶揄った男はきょとんとし、他の者は爆笑した。

「しかしなぜ、夜はこんなに静かなんですか」

男達の表情は一転して苦々しいものになった。

「城から供給される電気が年々値上がりしてな。夜に回す余裕がねェんだ」

「それに税が重くて飯も買えねえから、働きたくても動けねえ」

「今の女王が戴冠してから、いろいろおかしくなってる。先代が良かったとは決して言えねえけどよ」

「儲かるのはうちみてえな夜の店だけさ」

マスターがボクのところにボトルを持ってきた。

「お嬢ちゃんはいけるクチかい? うちの名品、よかったら一杯飲んできな」

「いや、やめておきます。ボクはあまり得意じゃないんで」

彼らが酒のように煽っていたそれは粘度の高い重油だった。


「ただいマッ」

「おかえり」

帰るなり顔に枕が直撃した。

「なにすんだよ! 痛いじゃないか。ここの枕の中身わかってる? ナットだよナット」

「てめえカルロこんな時間にどこ行ってやがった! 」

「そんなに怒るなよ! メモ残しておいたでしょ」

「具体的な目的と行先を記してないメモは意味をなさないんだよ!」

イタルくんは「気になることがあったから出かけます」と書いたメモを突きつけた。簡潔で明瞭な完璧なメモじゃないか。

「ボク、シャワー浴びるねー」

さっさとシャワールームに避難だ。

「人の! 話は! 最後まで、聞け!」

「ぐェ!」

後ろから思い切り襟首を引っ張られる。そのまま床に転がされ、馬乗りされた。イタルくんが実力行使に出るなんて相当キレてるねこれ。

「ボクだってェー悪いとはー思ってるんだよ」

「解ってんなら行動に反映させろよ」

「もーイタルくん、そんなに大きい声だすとローリンが起きちゃうぜ」

イタルくんが手を出すならボクは舌を出すぞ。

「いやーホントに可愛い寝顔だァよね」

抑える力が少し弱くなった。もう少し動揺させて抜け出そう。

「ボクに妹がいたらこんな感じかもね、なんて」

「ローリンにはまだオイルを飲ませてないからしばらく目は覚まさないんだ」

首を掴まれ、後ろに引き上げられた。喉が締まり腰が警報を発する。

「ギブギブギブ」

ローリンのことで話を逸らす作戦失敗。

散々説教と愚痴と昔の恨み言を浴びせられて、ようやくボクはシャワーが許された。

どうしてシャワーが完備されているのか。お湯まで出る。オートマタは汗も垢も出ないだろう。機体によっては廃棄物が出るのだろうか。外からの汚れを落とす為かもしれない。

考察もそこそこにシャワーを切り上げた。さっと体を拭いて下着を取り替える。タオル越しに髪を揉みもみ、脱衣場のドアを開けた。

裸の足がひんやりとした床に触れる。イタルくんはローリンの傍らで椅子に座り、眺めていた。顔に影がかかって表情はよく見えない。ゆっくりと後ろ手にドアを閉めた。

「なにしてるの?」

イタルくんの顔を覗きこむ。

「中身が気になって、な」

ローリンの頬を人差し指で撫でた。

「コイツといると目的を忘れるな。いま眼前にいるのは人間じゃないかと錯覚させられる。この世界の奴らはすごいよ」

イタルくんは力なく微笑んだ。

「機械が普通の女の子みたいに笑ったり動いたりしてるんだ。俺には手の届かない領域だよ」

そう言って、腕をシャツの上から握りしめた。

「こいつが記憶を取り戻したらどうなると思う?」

ボクは数秒唸った。

「今のローリンとはお別れかもね。ワクワクするなあ本当のローリンはどんな子なのか」

「お別れか……たしかにそうだな」

「寂しい?」

「いや清々する」


ごうぬまぼれん


カルロ兄とイタル兄に城まで送ってもらった。

「またねローリン。終わったら今度こそキミが何者なのか教えてね」

「じゃあな」

二人に思いっきり抱きついてから背を向けた。

謁見を待っている時間は体に残った僅かな記憶を回顧していた。

恐ろしく長い時間が経って、ようやく玉座の間に通された。

「オイラの記憶を戻してください」

「その願いで誤りないな?」

「はい」

「こちらに寄れ」

女王の手がオイラの頭に触れる。髪に指が絡む。つるりとした手のひらが頂部を覆う。

「始めるぞ」

鈍重な潮流が流れ込むような感覚。ずんとした痛みが頭の底から浮き上がる。瞼が壊れそうなほどギュっと閉じた。何も映らないはずの視界に、見たことも無い景色が断片のように見えた。

苦痛のせいで永遠にまで引き伸ばされた短い時間が終わる。

「これで………記憶は帰ってきたんですか……」

腹から胸にかけて湧く吐き気にえずきながら喋る。

「いいや、すぐには想起されない。少し休め。寝室に案内しろ。」

そう命令する女王の姿は二重に見えた。

メイドの肩を借りてどうにかベットまで辿りつく。

布団もかけず、枕に頭を押し付けた。途端に、意識が微睡んでいき、落ちた。

全ての人がそうであるように、オイラも土の中から生まれた。最初のオイラは一本のネジだった。

「何よこの子、注文と違うじゃない! 盲目の子を作れとは言ってないわ」

このヒステリックな声はオイラの親になる予定だった女のものだ。隣から平謝りする技師の声が聞こえる。

いつまでも貰い手が現れず、追い出された。行き着いたのがこの町はずれのスラム。

子供たちの笑い声や時々流れる喧嘩の音を聞きながら、壁にもたれてただ過ごしていた。

「よっ何してるのロンリ」

「ヘディ姉」

「ほらご飯持ってきたわよ」

欠けた椀を渡される。

「あんた今日も髪の毛ボサボサねえ」

ヘディ姉の指がオイラの髪を梳く。

スラムに来てからずっと古顔のヘディ姉に世話されている。ロンリという名前もヘディ姉が付けてくれた。

ある日、偉そうなおじさんと綺麗なおばさんがオイラの前にやって来た。気づくと車に乗せられて、城にいた。

おじさんからは輸油パイプを、おばさんからは肢駆歯車を、オイラの体に移植した。

その日から、おじさんとおばさんは父上と母上になった。

ロンリはジクァンダになった。廃油はオイルに、ボロ布はドレスに、オイラは私になった。

そして、私は初めて色と光というものを知った。

「見て見て、お花をつんできたの。綺麗でしょ」

「ジッカ様! 庭で遊んだあとは手足を洗ってください」

この侍女はいつもうるさく私の世話を焼く。

「髪もクシャクシャじゃないですか、ほらここに座ってください」

渋々ドレッサーの前に座る。

「ジッカ様の髪はさらさらで絹のようでずっと梳いていたくなります」

櫛が私の髪を通る。

「もう止めてよー。座ってるの飽きた。」

降ってくるはずの小言が来ない。鏡越しに後ろを見る。侍女が直立不動の姿勢で立っていた。

そして私は自分を見た。私の眼が青い。否、藍色をしている。

「右手挙げて」

侍女は命令した通り、右手を挙げた。

「私を抱いて走り回って」

私を抱っこしてあちこちをドタバタと走った。

「このまま父上の元へ直行しろ!」

私の藍色の瞳を見たとき、父上は冠を脱いだ。母上は私に跪いた。

父上は言った、「どうかその力で皆を導いてくれ」と。

戴冠式を控えた夜。ベットで休んでいると、焦げ臭い匂いがした。ドアを叩く音もする。

ドアを開けると、侍女と炎に覆われた廊下があった。

「ジッカ様! こちらです逃げましょう」

侍女に腕を掴まれて走る。

「父上は、母上は無事なの?」

「陛下と王妃様は既に安全な場所に避難しています。私たちも早く行きましょう」

走る。走るが、依然として火の中だ。

「ねえ……本当にこちらに出口があるの?」

止まった。ぬらりと振り向く。その顔はまったくの無表情だった。

壁に押し付けられた。

「え……」

首を通る油管が締まり、体に力が入らなくなる。

侍女は口を弧状に歪めた。

「さよならジクァンダ」

眼前に指が近づいていく。左の眼孔に人差し指が入った。ぐるりぐるりと指が中を掻き回す。ブチッという音とともに視界が半分なった。

「あ……ぁ……」

右目にも同じように指を突っ込まれ、目の前は真っ暗になった。

首が離され、床に倒れ伏す。身体が上手く動かない。手探りで這って進む。燃え殻が喉に入る。

やっと侍女の足首に指が触れた。出せるだけの力で握る。

「あはは、私にもぴったり嵌るのね」

顔を蹴られた。掴んだ足はたやすく手から離れ、足音が遠ざかっていった。

何も見えず、ただ這いずる。炎が髪を服を焼いていく。体内機構が熱っされていき、ついに意識が落ちた。

飛び起きた。部屋の中は暗く、しばらく自分がどこにいるのか分からなかった。

全部思い出した。

油圧ポンプの音が耳に障る。

ドアを殴り開けた。私の寝室へ走る。奪われたものを取り戻すために。


女将が興奮ぎみに話してくれた。昨夜、女王が襲われたと、しかも襲撃犯は舞闘大会の優勝者だと。

夜になるのを待った。城の警備はザルで裏から塀を登れば簡単に侵入できた。

「お前鍵開けなんて技術いつの間にか身に付けてたのか」

「いや、針金つっこんでテキトーに回してたら開いた。相当拙い作りだったよ」

ボクらの話し声が湿った石壁に跳ね返る。暗くてひんやりとして、こんなベタな牢屋がよく存在したものだ。

「脱獄幇助しにきたよー」

一番奥の牢でローリンは項垂れていた。

「……ローリン?」

鉄格子を覗き込む。

「ローリンじゃない」

低く唸る様に言った。

「私はジッカ! ジクァンダ・デウス・エクスマキナよ!」

拳で床を叩いた音と叫びがわんわんと反響した。

「どうしたのロ……ジッカ。何があったの」

「全部、全部思い出した。私は女王」

「は……?」

「え?」

「今の女王は私の玉座に乗ってるだけの偽物よ」

「ちょっと把握しきれないな。事が終わったら全部話すという約束だったよね。詳しく教えてくれる?」

ボクはローリンの生い立ちから今に至るまでの一部始終を聴いた。

「あの火事の日、あいつに、ヘディに私は藍眼を盗まれた」

「どうして女王はそんなことを」

知らないわよ……とローリンは吐き出すように言った。

「あいつから藍眼を取り戻そうとしたの。でも敵わなくて」

ローリンは肩口から落ちそうな襟を引き上げた。。

「カルロッタ、イタル、手を貸して」

鉄格子を掴む。

「私をまたヘディの元へ連れて行って」

「ヘディと会ってどうするの」

「壊す」

握り拳に力を込めた。

「壊して目を奪い返す。私がまた女王に返る為に」

できるか、とローリンは言った。

ボクは考える。ローリンのことを考え、それからヘディのことを思い浮かべた。

イタルくんと視線を合わせる。

「カルロ、決まったか」

うん、とボクは頷く。

「だったら、ボクが手を貸せるのはこの城を脱出するまでだ」

は、と誰かが息を漏らした。

「なんで……」

と、イタルくんがポツリと言った。

「キミをヘディに会わせたくない」

ローリンは目を開いた。暗い空っぽの眼窩が晒される。

「ふざけてるの、カルロッタ」

「いつだってボクは真剣さ。ボクは誰を傷つけるようなことに助力するのは御免だよ」

ローリンは再び、拳で床を叩いた。

まずボクが塀に登り、ロープをかける。ローリンにある程度まで登ってもらい残りはボクが引き上げた。ローリンの手はひんやりとしていた。

「じゃあね。幸運を祈ってるよ」

ローリンは険しい顔で歯噛みをした。

「本当に、よかったのか……」

「これ以上は局長に怒られそうだからね、楽しい旅行で終わらせたいんだ」

就寝。

明朝。

「起きてイタルくん。起きろー」

毛布の上からバシバシと叩く。イタルくんは布団により深く潜り、固く丸まった。

「教官直伝オッソ式ヒップドロップをくらいたくなかったら起きるんだ」

イタルくんはようやく顔だけ出した。目はほとんど開いておらず眉間に皺が寄りまくっている。

「まだ空が黒い時間だぞ、わざわざ起こして何がしたいんだ。俺たちはもう二人でトイレに行くような歳じゃないぞ」

「ボクはそもそもおしっこで起きない。根回しだよ」

イタルくんはちょっとだけ瞼を開いた。

「このまま帰ったらきっとよくないことになる」

「ローリンが接触する前にボクが女王を説得する」

「できるだけ平和な結果になるようにしたいね。機関に引き込むことも視野にいれよう」

イタルくんは仏頂面でボクの話を聴いていた。

「はあ……」

布団から腕だけ伸ばして眼鏡をかけた。

「お前って本当にイカれてるよな」

と言って、ベットから跳ね起きた。


にせい


玉座の間。採光窓から差す日が体を温める。人形達の姿はなく自分ひとりだ。

女王になったばかりのときは城を隅々まで周り、権力を堪能したものだが、近頃は終日玉座で過ごしている。

眼を閉じ、身体の力を抜いた。

小さな爆発音がした。恐る恐る上を見る。天井に穴が空いている。

その穴から縄ばしごが垂れてきた。理解が追いつかずただ注視していると、誰かが梯子を降りて来た。

そいつはするすると淀みなく下る。高さ半ばで梯子から離れ、ダンと盛大な音をたてて、着地した。

「いったー!」

その間の抜けた声は玉座の間の隅々に響き渡り、私の元まで届いた。

「おい大丈夫か」

「平気平気。降りていいよー」

上げていた顔を戻し、私の方へ振り向く。ドレスの裾を握り締めた。

「こんにちはー」

顔に大穴の空いた男か女かも分からない者が現れた。




「……けっこう、ゆれるんだな……」

「落ち着いて、下を見ずに、手足の感覚に集中するんだ」

イタルくんって高いとこ苦手だったんだなあ。

「誰なの、どこから入って来てるのよ」

「ごめんごめん。屋根壊しちゃった」

ボクは服に付いた粉塵を払った。

「ボクはカルロッタ・ヴィルガだよ」

女王は何も言わずボクを睨みつけている。うーんトークで間を持たせた方がいいかな。

「のうのうと自己紹介してる場合なのかよ……」

無事に梯子を降り終えたイタルくんが言う。

「お互いを知るには名前から、だよ。ほらほらさあ」

「……白月イタルです」

女王はボクらを見てふるふると震えていた。

「衛兵!」

どこからか甲冑をつけた人形が現れ、ボクらを取り押さえた。

「ボクらは貴方と話がしたいんです」

「こちらに顔を向けないで頂戴、不快よ」

もう仮面は付けていない。ボクの穴ぼこ顔は彼女からはどう見えているのだろう。

「やめようよ」

ボクは身を捩った。人形たちがいとも簡単に脱げる。自由になった身で、ついでにイタルくんに乗っかった人形を剥がす。

ヘディに歩み寄る。彼女は後ずさった。

「どうしてジッカの目を奪って女王に成り代わったの」

「だっておかしいじゃない。同じスラムで育って、あの子が王族私は小間使い」

ヘディは髪の毛をグシャリと掴み、ブチブチと引き抜いた。

「ずっと昔から私が世話してきたのに、独りぼっちのグズロンリのくせに」

床に膝をついた。半身を玉座に寄りかける。

「藍眼が使えるようになったら私だけがみじめじゃない……」

顔に手をあて項垂れた。指の隙間から微かに嗚咽が漏れる。

「小間使いが嫌なら新しい職場を紹介するよ」

ヘディは僅かに頭を上げた。

「多世界調査機関で働かない?」

「調査員に絶対なる必要はないんだ。あんたに出来ることをやればいい」

「そうだね。なんせ業務は腐るほどある。ひとつだけでもタスクがこなせれば機関に所属するには充分だよ」

ヘディはボクを見ていた。

「多世界調査機関はみんな楽しくて優しいよ。みじめな思いは絶対にさせない」

ボクは一歩近づいた。ヘディは半身を起こし、手を。

ハッとした。煙の臭いがする。

玉座の反対側にある大きなドアが開いた。黒い煙が中に入ってくる。炎を背に小さな人影が歩いて来た。

「久しぶりね」

「ロンリ……」

「ガラクタで作った人形でよく遊んだね、お前が侍女になってからもよく付き合ってもらった」

ローリンはフッと笑った。

「今は民で人形遊びをしているの?」

ヘディは立ち上がった。

「どうやってここまで……衛兵は!」

「スラムの奴らを焚き付けてクーデターを起こさせた。今ごろ城内は快適になっているでしょうね」

火を着けられたのは計算外だったわ、とローリンは続けた。

「図に乗るなよ」

ヘディが噛み付くように言った。ローリンがバキリと奇妙な音を立てて浮き上がった。

ローリンは捻れていた。ローリンの体が、関節が、捻れてギチギチと鳴る。

「止めろ!」

イタルくんが叫ぶ。

拠点での火事の件数は年間六十件程度。その内のほとんどは一般家庭が被災している。死傷者も少なくはない。木造家屋が燃え尽きるまでに二十分かかるそうだ。つまり炎が建物全体に広がるのは意外と早い。

天井が落ちた。ヘディの上に燃える木材が積み上がった。

グシャリとローリンが床に落ちる。イタルくんはローリンの元へ駆け寄った。

ヘディに近づく。熱気と煙の中、もやのように揺らめく腕が見えた。

右手で手首を、左手で腕の根元側を掴む。手が炎にあてられ痛みで離しそうになる。

「ぐっ……あっつ」

「炎の中に手を入れる奴がいるか!」

「イタルくんも手伝って。ボクごと引っ張ってくれ」

イタルくんはローリンを見たが、ボクのお腹に腕を回した。「せーの」の掛け声で一気に引く。煙を吸ってしまい喉が痛み、涙が出る。

上半身まで引き出せた。より全身に力を込めた。音がした。

腰から下が千切れた。余った勢いのまま尻もちを付く。

ボクの上に乗ったヘディの体は恐ろしく軽い。

「あ……」

触れることが出来なかった。

いつの間にかローリンが傍らに立っていた。徐ろにヘディを拾う。毛髪を掴み、顔の元まで掲げる。

ヘディは笑って、片目に親指を突っ込んだ。ローリンは意に介さず片方の藍眼を埋め込んだ。

ローリンは目を開いた。

「壊れろ」

ヘディの体は関節ごとに散り散りになった。頭がボクの足元にまで転がってきた。ボクと目が合い、つま先にコツリと当たりばらばらに砕けた。頭蓋が開き、歯車の小山がさらさらと零れた。

「……」

小山の内のひとつを拾う。金色の小さな歯車だった。ボクはそれをポケットにしまった。

皆が無言だった。梁の燃える音がやけによく聞こえた。

異変が起きた。

轟という字がぴったりな地鳴りのような音がする。城全体が揺れている。地震が起きているみたいだ。

「逃げよう」

窓が視界に入った。

「イタルくん、ボクの背中に乗って」

「え、何でだ?」

「いいからボクに任せて」

イタルくんをおんぶし、ローリンを脇に抱える。

窓から身を乗り出す。

「おいお前まさか……」

「下に降りたらイタルくんがおぶる番ね」

地面はそんなに遠くない。足が折れる程度で済むだろう。ボクは飛び降りた。

何秒たっても覚悟していた痛みは訪れなかった。

全てが壊れていた。建物も空さえも、そして地面も。天球にヒビが入って黒い裂傷のようになっていた。

浮きながら落ちているような感覚。落ちた先があるのかもわからない。

何かが口の中に入った。取り出すと指の形をした陶器だった。オートマタ達が崩れながら落ちていく。

「枠を探して! 早く」

建材の欠片やら金属片やらがそこかしこに浮いている。ギリギリ人ひとり通れそうな木枠を掴む。

ドアノブを取り付け、IDを入力した。

ローリンを押し込み、イタルくんを蹴り入れた。ボクはぐるりと世界を一瞥し、ゲートに飛び込んだ。


優厳なる大人たち


ふわふわ、いつもの感覚。

視界が明るくなった。急に発現した重力に耐え切れず倒れた。

この頬に刺さるチクチクとしたものは芝生だ。起き上がる。青い空、白い柱。メインゲートだ。

「ここは機関だよな……」

「そうだね。イタルくん、五体満足かい?」

「ああ、平穏無事だ」

ボクも手足の本数は変わっていない。

「ローリンはどう?」

ローリンはボクらの間に横たわっていた。返事がない。肩を揺らしたが反応なし。背に腕を回してそっと起こした。

だらりと首は垂れ下がり、表情は虚ろ。本当の人形のように目は虚ろだった。

ボクとイタルくんは顔を見合わせた。

「……医務室に行こうか」

ローリンの手を引いて本舍まで歩いた。

医師在中のコルクボードがかかった横引き戸。三回叩き、戸を開ける。

ヨウ素液の臭いがする。看護士の服と帽子を着た緑色の塊が出迎えた。

「カルロさんにイタルさん。お疲れ様です」

彼女はソウイ、医者だ 。ケミカルグリーンぷるぷるボディのスライムの娘さんだ。

「お怪我ですか、ご病気ですか。些細な違和感でも構いません」

「いや、ボクらじゃなくてさ、この子検査してよ」

「わわ、オートマタの診察は初めてですが、なんとかしてみせましょう」

終始ローリンは何も喋らず、聴診器を当てられても、鼻から中にソウイが入っても無反応だった。

「内にも外にも大きな問題はありません。左の眼球がないことを除けばですが。」

ほっとした。もしかしたらどこか壊れたのかもしれないと思ってたから。

「ローリンさんのご様子を見るに、中枢回路に障害があると踏んでいたのですが違いました。おそらく精神、心の作用によるものでしょう。これは私には治せません」

ソウイは首を横に振った。

「精神医療は私の専門外です。しかし、ここには心療内科医もカウンセラーもいません。やはり調査員のメンタルケアにもっと予算を割くべきなんです……ああっすみません愚痴らしくなってしまいました」

「いいや大丈夫だよ。ありがとうソウイ」

「このままミス・バルチェに紹介してもいいのか」

ローリンは患者の座るくるくる回る椅子でただ呆けている。

「博士さんに相談してみてはいかかでしょう」

「やはり頼りにすべきは年長者かな」

戸に左手をかける。そしてようやく思い出した。

「あ、ついでにボクの火傷を診てくれない?」


素っ気ない扉だ。ただ油性ペンで、「labo」とだけ書かれている。

ノック、インターホン。

「カルロでーす。カルロッタ・ヴィルガです」

ついでにまたノック。

「入れ」

やたら重たい金属製の扉を体重をかけて開ける。

この部屋には謎の設備が築かれている。銀色のオブジェ、液体の詰まった筒、黒い箱。それらはイタルくん曰く、拠点よりも遥かに高度な技術で成り立っているそうだ。かと思えば、やたらと針金クリップが落ちていたり、飲みかけのコーヒーが放置されていたり、日常生活と超文明とが同居させられていた。

ケーブルやらコードやら何かの管に混じって紅色の髪がひと房あった。よく見ればあちらこちらに髪の毛が散在しおりそれらはある一点に向かって伸びていた。

「坊ども、息災か?」

大きな頭、幼い顔、短い手足、小さい身長、つまり子供。

「おっす博士」

「こんにちは」

ひび割れ模様の頬、金色の慧眼、恐ろしく長い紅色の髪、それが多世界調査機関の科学研究員「博士」だ。ドアノブの開発者その人でもある。

「なんだイタ坊もいたのか」

余った白衣の裾と髪を引きづらせこちらにやって来た。

「擬似相形マスクの調子はどうだ?」

「博士のおかげで問題なく運用することができました。ありがとうございます」

「うむ、小生は意見をくれてやっただけだ。イタ坊の努力の結果だろう」

イタルくんの手に飴を握らせた。

「で、カル坊は小生に何の用件だ? 多世界移送装置のロック解除なら受け付けんぞお前は謹慎中だろう」

博士は冷めたコーヒーに口を付けた。

「今回は別口。ちょーっと聞いて欲しい話があるんだけど」

背後に隠していたローリンを見せる。博士はコーヒーを飲みこぼした。

「カル坊お前、少年までは飽き足らずついに幼児に手を出したか」

「その言い方には語弊があるなあ」

ボクとイタルくんは機械仕掛けの世界で起こったことを話した。普段なら多少の誇張とジョークを交えて語るところを忍んで、 事実のみを簡潔にまとめた。

「と、いう訳なんだけどー。この子どうしよう博士」

「ま〜たお前は派手にやったな、カル坊。若い者は突飛な不始末を起こすのが当たり前だが、限度があるぞ」

「すいません」

博士はしゃがんで、ローリンの顔を覗いた。

「ローリンと言ったな。坊の歳はいくつだ」

ローリンは瞬きひとつしない。博士が肩を揺らしても、首がガクガクと前後するばかり。

博士は額を抑えた。

「難儀な坊だ」

内線の受話器を取った。誰かを呼び出しているらしい。

博士にゼリー寒天を食べさせられていると、件の人物はやって来た。

「こんにちは、博士。カルロッタにイタルもいるじゃねえか」

彼はオディロン。首が無く、頭の位置に大きな本が浮いている。本人が語ることには生まれつき無かった為、本で代用しているそうだ。

「おはようオディ坊」

「もう昼時ですよ。いい加減そのズレた生活リズム治しましょうよ」

この二人が話すときは概してオディロンが膝を折る。オディロンはボクでも首が痛くなる程に背が高い。彼女への敬意も含まれているだろうが。

「他の者たちとは異なる時間帯で活動しているのは認めるが、規則正しくはある。ソイ坊からはこれといった苦言を受け取っていない」

「はいはい。それで話ってなんです?」

「オディ坊に頼みがある。この坊を養育してくれ」

そう言って博士はローリンの頭に手を置いた。

「誰の隠し子だよ」

「カル坊が機械仕掛けの世界から連れてきたんだ」

オディロンがこっちを見たので顔を逸らしておいた。

「て、ことはこいつオートマタか」

「引き受けてくれるな?」

「断ります。なんでカルロッタのケツを俺が拭かにゃあいけないんだ」

「部下の責任を負うのも上司の仕事だ」

博士は新しいコーヒーをカップに注いだ。

「お前新しい司書を欲しがっていただろう。多世界調査機関におけるビックデータ管理の有用性および重要性を一から教育すれば、右腕になってくれるかもしれないぞ」

オディロンは革靴のつま先で床を叩いた。

「だがよお、こんガキの意思はどうなんだ。コイツが世話してくれと頼んだかよ」

「本人が生意気に自分はひとりで生きるだのなんだの言おうと、子供は保護されるべきだ。オディ坊、当時のお前みたいにな」

オディロンはぐっ、と変な声を出した。

「わかったよ、わかりましたよ」

ローリンの前にしゃがんで顔を合わせる。

「嬢ちゃん、名前は?」

「ローリン、というそうだ」

「よろしくなローリン。ったく、この歳でガキの面倒見ることになるとはなあ」

そう言ってローリンを抱っこした。

「だけど、カルロ! お前は反省しろよ。他の世界からやたらとモノ拾ってくんじゃねえ」

クソ不味いスープ缶のこと忘れてねえからな、と付け加える。

「はい! ありがとうございます」

「局長には小生から伝えておく。あやつが了知したら、きっとおかんむりだろうからな」

ボクらはメインゲートに戻った。

「オディロンさんのとこなら安心だね」

「……ん、ああ」

拠点のIDを入力する。ふと手を止めた。

「あれでいいの? ローリンのこと」

「ああ」

ゆっくりと頷いた。

ゲートが発現する。

「俺の部屋はごちゃついてるからな」

イタルくんは弱々しく微笑んだ。


終始の出会い


管理塔から出ると夕方だった。空は既に紫色に焼けている。

イタルくんとは別れるまであまり会話はなかった。「またね」と言葉を交わし、それからは己の影を眺めながら重い足を動かす。

重いのは足だけではない、頭もだ。

視界にボク以外の足が見えた。慌てて止まる。

「やあ」

斜め上から声が降る。顔をあげた。

「キミはカルロくんだっけ」

アシンメトリーの角、顔を覆う包帯。伏せられた左目。

「アナタは……シーラの御友人」

「ははは、ある種正解」

御友人は何が面白いのか愉快そうに笑う。

「何の御用で拠点へ? シーラなら管理塔にいませんよ」

「いや、ただの散歩だよ。最近この世界でも仕事を始めたんだ。だけど全然お客が来なくて退屈でね、よかったらお茶だけでも飲んで行ってくれないかな」

ボクは前に彼と会ったときのことを思い出していた。初対面の相手に見せる態度にしては少し素っ気ないくらいだった、対して今は仲の良い友人と会ったかのようだ。違和感はある。少し怪しいんじゃないかこの人。どうしようか。

「是非、いただきます」

ボクは好奇心に負けた。

御友人の仕事場まで歩く道中こんな話をした。

「いやー、この前はごめんね? あのシーラの友人だっていうから警戒しちゃったんだ」

シーラとだと言うとみんな変な顔をする。ボクとシーラが友達なのはそんなに特殊な事象なのだろうか。

「多世界調査員だったんだね。それなら納得したよ」

拠点と機関との移動のため必然的にしょっちゅう管理塔を訪れることになる。ボクからすればシーラと仲良くなるのは自明だ。

「はい、ここが僕の事務所」

オクトパダ通り、並立するアパートメントの隙間に建てられた細長い建物。紺色の背の高いドア。目を引くのは金に塗られた羊のレリーフ。

御友人がノブを握るとガチャリと音がした。

「ささ、入って」

「お邪魔します」

想像していたよりは細くなかった廊下を通り、部屋に案内される。

客間として使っているのだろう、インテリアには、意匠を凝らしているようだ。ローデスクを挟んでソファがふたつ、勧められるまま上座に座った。

「コーヒーと紅茶どっちがいい?」

「紅茶が飲みたいです」

「敬語使わなくていいよ。堅苦しくなる」

御友人は盆にティーセットとカヌレを乗せて戻って来た。

ボクの前に置かれたカップに紅茶が注がれる。

「……美味しい」

「よかった。今日買ったばかりのジョイエルの製品なんだ」

「結構いいとこのじゃないか」

客用にに出すにもはばかられる程いい値段だったと思うのだが。

「自己紹介をしないとね。まずは名前からだ」

御友人はソファに座り直して、服と髪を軽く整えた。

「僕はキルーケロ。長いからキルケって呼んでよ」

「ボクはカルロッタ・ヴィルガ。カルロと呼んで」

握手を交わす。黒い皮越しに細い指がボクの手を掴んだ。

「ごめんね、この手袋には外せない理由があるんだ」

と、言ってそっと手を離した。

「それを聞いたら教えてくれる?」

「ストレートでいい質問だね。だけど答えはいいえ。秘密だよ」

何故か嬉しそうに目を細く開けて笑う。

「気になるんだったら無理矢理剥いでもいいんだよ」

ボクの顔の前でキルケは掌をひらひら揺らす。指先から引っ張ろうと手を伸ばした。キルケはひらりと避け、届かないところまで腕を挙げた。わかったぞ、この人ちょっとイジワルだ。

拗ねたフリでソファに体を戻しカヌレにかぶりついた。

「ははは、ごめんごめん。代わりに他の質問なら受け付けるからさ」

「この『拠点』で仕事を始めたと言ってたよね。ここってなんの事務所なの?」

「相談屋だよ」

と妙に勿体と抑揚をつけて言った。

「依頼人の抱えている問題や悩みを傾聴したり解決法を導いたり、はたまた力を貸してあげたり」

キルケは身振り手振りを加えて話す。

「楽しそう。どんな相談が来るの? ジャムの瓶を開けて欲しいとか?」

「残念、今度は僕が質問する番だよ。」

後でもう一度聞こう。答えるまで聞いてやろう。

「多世界調査員ってさぁー……どんな活動をしてるのか詳しくは知らないんだよねぇ。具体的には何を行ってるの?」

「世界を個人から社会、ミクロからマクロまで調査する、それが多世界調査機関の目的であり活動だよ。」

多世界調査員の心得、巻頭2ページより抜粋。

「今日は調査の帰り?」

「いや、旅行に行ってたんだよ。機械仕掛けの世界に」

「いいところだよね、活気があって。オートマタは面白いし。また行きたいなあ」

「もうできないと思うよ」

カヌレに手を伸ばす。

「壊れたから」

カヌレを齧る。

「世界ごと」

数秒の沈黙の後、キルケの空砲のような笑い声がそれを破った。ついカヌレを落とした。

「その話詳しく聴かせてくれる?」

と、キルケは涙を拭きながら言った。

ボクは話した。何もかも。冗談と誇張は混ぜたが、情報の不足はないはずだ。

「機械仕掛けの世界だから、機械を操る力によって壊されたってことなのかな」

「おそらく」

「それはそれは、随分と有意義な旅行だったね」

「……」

「あれ違うの? つまらなかった?」

「トイレを借りても?」

「いいよ。廊下に出て左奥」

ドアを開ける。…………口を拭いた。

客間に戻り、再びソファに腰を据える。紅茶を口の中に流した。

「さっきの続きだけど、楽しかったよ。貴重な、とてもいいものを見たと思う」

でも、と呟く。

「初めてなんだ……世界の崩壊を体験したのは」

天災の渦中にいるようだった。

「凄絶だった。感銘さえ受けた。だけど少し怖くなった」

「もしかしたら、ボクのせいじゃないかって思ったんだ」

「ボクのやり方は間違っていた……それともボクは何もしない方が良かったのかな」

舌が乾いていたが紅茶には口を付けなかった。

「世界が壊れたのは人形ちゃんが力を使ったからでしょ」

一瞬さっきまで何を考えていたのか忘れた。

「それはそうだけど、ローリンが力を使うまでの過程にボクが関わっているというか……」

「もしもの話は好きではないんだけど、カルロくんが人形ちゃんを発見できずに、普通の旅行で終わっていたらどうなってたと思う?」

ボクは黙って、続きを促した。

「別の誰かが人形ちゃんを見つけるんだよ。カルロくんじゃなくても記憶を取り戻したし、女王に牙を向いた」

「それに壊そうと救わまいと、いつか世界は終わるよ。今回はそれが少し早かったんだ。」

「僕らが何もしなくても世界や人は勝手に変わっていく。だから」

キルケはボクを見た。目を開いてボクを見た。

「どんな結果が付き纏おうと『したい』と思ったのならそれを貫くべきだよ」

ボクはキルケから視線が離せなかった。

「そうか、そうだよね」

キルケの言葉はボクを強く肯定した。恐怖や後悔は隅に追いやられた。ボクの中の好奇心というものはより力を増した。

「ありがとう。すっきりした」

紅茶を飲み干した。カヌレを掴む。

「さっきから食べ過ぎじゃない?」

「大好きなんだよ、カヌレ」

「それならもっと買っておくべきだったな」

ボクらはティーポットの紅茶が無くなるまでくだらないことを話し続けた。

「家まで送るよ」

「いらないよ。一日のうちキミと接する時間がもう飽和してる」

「じゃあ玄関まで」

ボクは去り際に最後のカヌレを口に入れた。

「お邪魔しました」

ぺこりとお辞儀をする。

「また会いたくなったら羊のドアを探して」

ボクの耳元で囁いた。その声を言葉として理解し終わったとき、ドアは閉じていた。

日は落ちて光は街灯の幽かな明かりの他なく、空は青く暗く成っていた。




家に着いた。ジャギーちゃん曰く「大ごーてー」らしいが、ヴィルガ家の居宅より大きい建物なんて拠点にいくらでもある。

ポストを確認すると、手紙がいくつか届いていた。数枚のダイレクトメールとフィギムからの手紙が一通。門を通り、玄関まで歩き、見慣れたドアを開ける。

「ベントルナーツ、カルロ〜」

帰るなりママが抱きついてきた。

「ただいま、ママ」

ボクはやんわりとママを押し返した。

「今日はアラビアータよ」

トマトとチーズの匂いが中から漂ってくる。唾液がじゅわりと込み上げた。

「お風呂沸いてるわ、先に入ってね」

だがまず、この体の汚れは落とさないといけない。

機械仕掛けの世界では、温かいシャワーが浴びれただけ御の字だったが、やはり湯船に浸かれるのが最良だ。

火傷で爛れた左手に視線が止まる。ソウイは痕が残るかもしれないと言っていた。

風呂から上がると既に食事の用意がされていた。ハウスキーパーのいない時間なのにひとりでよく頑張るなあ。

ママと二人きりの食卓だ。パパは仕事のためこの時間は家にいない。

「ブオナペティート〜」

「グラッツェ。いただきます」

器ごと口に入れたい気持ちを抑える。何日ぶりのまともな食事だろう。涙すら出てきそうだ。

ママはボクをニコニコしながら見ている。

「旅行はどうだった?」

ボクはスプーンを口に運ぶ手を止めた。

「……刺激的だったよ」

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多世界世界調査記 @mamimumumo

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