哀沢里穂と霧島



「どうして……どうして母さんの名前を知ってんだ!?」



「お母さん!?」



 “哀沢里穂”。

 妃鈴が告げたその名前は俺の母親の名前だ。

 それが敵対組織のイーヴァのメンバーから出されたとなったら、冷静でいられるはずがない。

 取り乱す俺の様子に、妃鈴は確信を得たようにほくそ笑む。



「あっはは! やっぱり! あなた里穂さんの息子だったのね? じゃぁそのスキルは"遺伝子"からきてるわけだぁ」



 ケラケラと笑って、こちらを引き寄せるように少しずつ餌をまいてくる。

 唐突に出た母親の名前、そして遺伝子。答えを得られぬまま、妃鈴に言葉で振り回され、沸々と怒りが湧いてくる。



「質問に答えろよ!! どうして名前を知ってるのかって」



 直後、怒りのまま答えを急かせば、妃鈴の顔から笑みが消えた。

 そんなに答えが欲しいのなら教えてあげる。そう言わんばかりに、冷たい声で、簡潔に。俺を惑わせるトドメの一言が放たれる。



「里穂さんは私と同じ"イーヴァの一員"だったから――」



「……は?」



 妃鈴の言葉が理解できず、思考が、身体が、凍りついた。

 ――母さんが……イーヴァだった?

 ――どうして? あの優しかった母さんがイーヴァの一員?

 そんなはずはない、と頭の中に残る母親の記憶がぐちゃぐちゃになっていく。



 あの人はいつも笑顔を絶やすことのない優しい人だった。

 事故に遭って死ぬその日まで、その姿は変わることはなかった。

 母親に暗い影を見たことなんて一度もない。だとすれば、これは妃鈴の罠だ。精神的にこちらを揺さぶって、混乱させようとしているに違いない。



「そんな揺さぶりには乗らない! 母さんがお前等みたいな組織にいたわけないだろ!!」



 できるだけ妃鈴に弱みを見せないように声を張り上げた。けれど、そんな誤魔化しを見透かすように妃鈴は黒い笑みを浮かべる。



「フフッ、嘘じゃないわよ? あなたのスキルの存在そのものが証拠じゃない?」



 そう言ってしなやかな細い指で妃鈴は俺を指した。

 スキルの存在そのものが証拠。

 その言葉に、得体のしれない恐怖がまとわりつてくる。

 

 これ以上踏み込んだら、知ってしまったら、後には引けないという感情がそう思わせているのだろう。

 けれど、逃げられない。

 母親の情報という言葉に絡めとられた今、知らぬまま引き下がることなんてできるはずもなかった。

 それを見越して妃鈴は告げる。

 暗い暗い真実を、容赦なくナイフで突き立てるように――



「だってそのシャドー吸収能力は、私たち"イーヴァが作り出した"スキルだからよ」



「なっ……」



 クラクラとめまいがするような気分だった。

 激しく動いたわけでも、暑いわけでもないのに、冷汗が止まらない。

 バクバクとうるさいくらいに心臓も鼓動を打ち鳴らす。



「あっははは! 驚いた? 長い間シャドーを研究し続け生まれたのがそのシャドー吸収能力。そのスキルに唯一適合したのが哀沢 里穂、あなたの母親よ」



「そうか……!! だから琉斗くんのスキルは……」



「そこの女の子は気づいたようね? そう、スキルは親から子へ遺伝することがある。哀沢 里穂のシャドー吸収能力が坊や……あなたに遺伝してスキルが目覚めたのよ」



「そんな……こと……が」



 突き付けられた信じがたい事実に、膝から崩れ落ちた。

 最初はこちらを惑わせるための虚言だと思っていた。

 けれど、このスキルが証拠だというのなら疑いようがない。

 こんなアンダーグラウンドでしか機能しない能力が自然発生するはずもないのだから――



「それじゃぁ、本当に母さんは……」



「フフッ、どうやら信じてもらえたようね?」



 抗うのをやめ、真実と認めた俺を見下げて妃鈴は満足げに笑った。

 認めはしたものの、この真実は受け入れがたい代物だ。

 俺の母親が、あんな奴等と同じ組織のメンバーだったなんて……。



「やぁね、そんなに睨みつけなくてもいいじゃない。ねぇ? 坊やは何故さっきから私達を悪者扱いするのかしら? どうして悪いと決めつけているの?」



「……え? それはリリーヴの」



「敵だから? 坊やもまだリリーヴに入ったばかりなんでしょう? 今はそっちに属しているだけであって、どっちが悪いかだなんてよく分かってないんじゃない?」



「それは……」



 俺は……反論できなかった。

 イーヴァが敵だと認識したのは幟季さんの話を聞いたからだ。

 イーヴァは敵だと、信じてはいけないモノだと教え込まれたからだ。

 

 

 けれど、俺が属したリリーヴは、悪い組織だとは思えない。

 危ないところを助けてくれた詩音や、ギートは信頼できると強く信じているからだ。

 でも、リリーヴの敵対組織というだけで、俺はイーヴァという組織を詳しく知っているわけじゃない。

 イーヴァが本当に悪いかなんて――



「答えられないでしょう? どうせならお母さんと同じ組織にいたいとは思わ」



「悪いに決まってるじゃないッッ!!!!」



 そこへ、妃鈴の声を掻き消す怒号が響いた。

 怒りと憎悪に満ちた尖りのある声――

 


「し、詩音……?」



 見たことが無い詩音の一面に戸惑い唖然としてしまう。

 いつもは柔らかい琥珀の瞳も、妃鈴を射抜くような鋭さを秘めている。

 その怒りに対抗心を燃やすように、妃鈴もまた、怒りを宿して瞳を細めた。



「私は坊やに聞いているのよ? あなたは黙っててくれないかしら?」



 気に食わないと言わんばかりの低く重い声。

 けれど、詩音はまったく怯む様子を見せない。




「世界を変えるためなら何をしたっていいって言うの!? シャドーを使って罪のない人を襲って、今は琉斗くんを自分たちのいいように利用しようとしている! そんなの……絶対私が許さない!!」



「詩音……」



 詩音はこれまでずっとリリーヴの一員としてイーヴァと戦って来たのだろう。

 彼らが起こす凶行に心を痛め、怒りを覚え、ずっとずっと不満を溜め込んできたんだ。

 それを爆発させるように叫ぶ詩音に呆気に取られながら、俺は冷静さを取り戻していた。

 確かに俺は新参者で、正直リリーヴとイーヴァがどんな組織なのか分からない。

 けれど、信じられるものは、ずっと前に決めている――



「……っ、世界を変えるにはそれだけのことをしなくちゃ駄目ってことなの。わかる? ねぇ、坊やもそうは思わない?」



「悪いけど、母さんがイーヴァに属してたからって、俺がそっちに行く必要性はないよな? 俺はリリーヴで自分の出来ることをやるって決めたんだよ!! だから、俺の居場所はこっち側だ!!」



「琉斗くん!!」



 焦燥し、動揺する妃鈴に叩きつけるように俺の答えを示した。

 もう迷いはない。

 詩音とギートが居るリリーヴが俺にとっての居場所なんだ。



「――っ!!」



 まずい、予定が狂った、と言いたげなそんな表情だった。

 恐らく母親の話を持ってくることで俺を混乱させ、正常な思考を奪うことが妃鈴の狙いだったのだろう。

 詩音が居なかったら危うく罠にかかるところだったかもしれない。



「あ゛ーぁ。失敗しちゃった。本当に"霧島"っていうのはどこまで恐昂様を困らせれば気が済むのかしら」



 話し方にも品がなくなり、優し気な表情も鋭いものへと変わっていく。

 もう“優しいお姉さん”の演技が必要なくなり、本性がでてきたのだろう。

 イライラと不機嫌そうに長い髪をかき乱して、妃鈴は怒りを剥き出しにし始める。



「そうよ! あの時だって、哀沢 里穂のスキルが完成形に近づいて恐昂様の計画まで少しというところに……"霧島 源治"! あいつが里穂をさらって姿を眩ませなければ……!!」



「は……? 霧島 源治って……」



 唐突に、前触れもなく。

 聞き覚えのある名前がもう一人飛び出した。

 ようやく冷静になった思考が、あらぬ人物のお陰で乱れ始める。



「なんでここで父さんの名前が出てくるんだよぉっ!?」



「琉斗くんのお父さん!? って、ちょっと待って!! 確か"霧島 源治"さんって……じゃぁ"幟季"さんは琉斗くんの……!!」



 今度はまごまごと詩音が取り乱し始めた。

 俺の父親を知っている風な口ぶりが気になる上に、何故そこで幟季さんの名前まで出てくるのだろう。



「詩音? 何か知ってるのか?」



「ふぇっ!? え、えーっと……」



 気まずそうに、気まずそうに。

 人差し指を合わせて目をそらし悩んでいる様子だったが、俺の視線に耐え兼ねたのか、ポツリとつぶやくようにその答えを口にした。



「えっと、源治さんは確か"リリーヴ創立者の一人"って聞いてるんだけど……」



「…………」



 ひとまず、自分を落ち着かせるために大きく深呼吸をした。

 ――あれだよな、リリーヴの創立者ってことはリリーヴを作り上げた人ってことで……

 ――言いたいことはつまり……



「うそぉぉぉ!? どうなってんだよ!? 父さんがリリーヴ!? ってか、なんでうちの両親が絡んでるんだぁぁぁぁ!?」



 母親がイーヴァで、父親がリリーヴ。

 二人が敵対組織に属していたなんてそんな作り話みたいな話があるだろうか?



「あぁぁ駄目だ……頭がパンクしそうだ。一旦状況整理を……」



「そ、それだけじゃないの!! むしろこっちのほうが驚きというか……話して大丈夫なのかな。幟季さんも話してないみたいだし……」



 そう言えばさっきも詩音は幟季さんの名前を出していた。ということは決して無関係ではないのだろう。

 あきらかな爆弾投下だと分かっていても、ここまで来て聞かないという選択肢はない。

 ここは意を決して、潔く――



「頼む、遠慮せずに話してくれ、詩音」



「う、うん。あのね、幟季さん、霧島 幟季さんは源治さんの……"弟"なの」



「…………え?」



 確かに初めて出会った時に父さんに似ているとは思っていた。

 けれど、まさかあの幟季さんが父さんの弟だったなんて。

 つまり幟季さんは、俺にとっての……



「叔父ぃぃぃぃッッ!?」



 絶叫して、頭を抱えて座り込んだ。

 もう何が何だか分からない。

 どうして俺の身内がこんなにアンダーグラウンドを中心に関わっているのだろう。

 付いていけない、整理する時間が欲しい。



「あっは! 意外ねぇ? 幟季が自分のことを話していなかったなんて。こぉんなに大事なことなのに……フフッ」



 俺の反応で状況を理解した妃鈴はこれは面白いと言わんばかりにクスクスと笑った。

 確かに妃鈴の言う通りだ。どうして幟季さんは自分のことを話してくれなかったのだろう。

 何か話せなかった理由があるのだろうか?



「……まぁ、そんなことはどうでもいいわ。坊やが来てくれないというなら手加減はしないわよ。」



 そういうと妃鈴の影が揺らぎだし、黒い塊が隆起し始めた。

 凶悪な爪と牙、そして浮かび上がる金色の丸い瞳。



「おい、さっきは襲ったりしないって言ってたよな?」



「フフッ……私にそうさせた坊やが悪いのよ? さぁ! 潰してしまいなさいシャドー!!」



 妃鈴の掛け声とともに、一斉にシャドーが襲いかかる。



「琉斗くん伏せて! 一気に決めるよ!!」



 そう言って詩音が手早く構えたのは小型ミサイルを発射するランチャー。

 俺が初めてシャドーに襲われたときに使っていた物だ。

 あの時の破壊力と爆風を思い出し、慌てて低い姿勢を取る。



「いくよ! 発射ぁぁぁぁぁッッ!!!!」

「うわぁぁぁぁっ!!??」



 爆音と同時に小型ミサイルがシャドー目掛けて飛んでいく。



「わっ!? 私を守りなさい! シャドー!」



 ミサイルに気づいた妃鈴は慌てて自分の前にシャドーを集め、大きな壁を作り出す。

 直後、ミサイルが着弾し、凄まじい爆音と爆風が辺り一面に広がった。

 その威力は妃鈴の前にあったシャドーの壁が消し飛ぶほどの威力だ。



「……っ! このぉっ……!!」



「へっへーん! シャドー討伐完了!!」



「相変わらず凄い威力だな。はは……」



 妃鈴の出現させたシャドーは一瞬で全滅。

 爆風を受けたのか、どうやら妃鈴も少しダメージを負ったようだ。



「さぁ、まだシャドーを使うつもり?」



 重々しい音を立てて、銃口を妃鈴に向けて牽制する。

 いくら未来が見えて、どのようにミサイルが飛んでくるのかわかったとしても、ミサイルの爆発をすべて防ぐのは厳しいだろう。



「……っ。悔しいけど、やっぱりあなたとは相性が悪いわね。今日はこれくらいにしといてあげる」



 苦虫を嚙み潰したような顔で捨て台詞を吐くと、妃鈴は自身の背後に手をかざして空間を歪ませた。

 詩音たちが使っている腕時計と同じ空間だ。



「じゃぁね坊や、いつか必ずあなたをイーヴァに連れて行くわ。その時を楽しみに待っていなさい」



 そう言って不敵な笑みを浮かべ、その場から消え去っていった。



「へっへーん! 勝利ぃー!」



 妃鈴が姿を消すところを見届けて、詩音は拳を突き上げて勝利を喜んでいた。

 結果的に今回も詩音に助けてもらった。

 まだリリーヴに属したばかりとはいえ、いつまでも詩音に守ってもらうわけにはいかない。

 俺も強くならなければ――



「ありがとう詩音。やっぱり流石だ」



「えへへ。まぁ、妃鈴の場合はシャドーさえ倒しちゃえば勝ちみたいなものなの。妃鈴自身は攻撃スキルを持っていないからね。だからといって油断も出来ないけど」



 今回もなんとかイーヴァを退かせることができたが、昨日は狂也に襲われ、今日は妃鈴という新たな敵。

 今後もイーヴァのメンバーが立ちはだかると思うと、本当この先が思いやられる。

 そんな不安をよそに詩音はクルリと踵を返すと、本部のある方向を指さした。



「じゃ! そろそろ本部に戻ろっか? 幟季さんも待ってるだろうし」



「幟季さん……」



 先程の妃鈴との会話が脳裏をよぎる。

 母親がイーヴァでシャドー吸収能力の持ち主、父親はリリーヴの創設者。

 そして幟季さんは父さんの弟。

 どちらにしても確かめなければいけない。

 この話が真実なのかどうかを――


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アンダーグラウンド 未架佐 @mikasa_novel

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