初任務?



「ごちそうさまでした!」



「はぁい。そう言えば琉斗、昨日は帰りが遅かったわね? 今日も遅くなるの?」



 朝食を食べ終わり、いつものように片付けを始めようとしていたところだった。

 不意に投げかけられた祖母の質問に反応して思わず手が止まる。

 昨日の出来事は祖父母に話していない。というか話せるわけがない。



 実は俺の能力には超人的な能力があった、だとか。実はイーヴァっていう悪い組織に狙われていて、その組織と対立しているリリーヴに所属した、だとか。

 そんな突飛も無い話をしたところで、信じてもらえるはずないだろう。

 それにできるだけ祖父母を危険な目に合わせたくない。

 だから、昨日俺に起こった出来事は二人に秘密にしたいんだ。



「あぁー、うん。今日も学校で講習会開いてくれるみたいだから遅くなるよ。だから先に夕ご飯食べてて。」



「そう、わかったわ。」



 疑う素振りもなく、祖母はニコリと笑って居間に戻っていった。

 何だか悪いことをしているようで気が引けるけど、仕方がない。

 今日は学校が終わったらもう一度詩音と一緒にリリーヴの本部に行く予定になっている。



「……俺、これからどうなっちゃうのかな」



「琉斗ぉ、琉斗やー」



 片付けも終わり身支度を整えていると、ふいに祖父の声が聞こえてきた。



「じーちゃん呼んだ?」



 カバンを持って祖父のところへ行けば、何やらニヤニヤと怪しい笑みを浮かべている。



「琉斗。友達が外で待ってるぞ? 可愛らしい女の子だったが……」



「女の子? ……まさか!!」



 女の子、それに心当たりがある人物を引き当てて、ぎゅっと胸が締め付けられた。

 祖父がニヤニヤしている理由もこれで検討が付く。



「いつの間に彼女ができたんだ琉斗」



「ちっがーう! そんなんじゃないってば! じ、じゃ学校行ってくる!」



 祖父の言葉を全力で否定し、恥ずかしさを隠すため慌てて玄関から飛び出した。

 慌てた俺を見て、祖父はまたニヤニヤと笑みをこぼしているに違いない。



「おはよう、琉斗くん。昨日は大変だったね」



 外に出ると案の定、制服を着た詩音がそこにいた。

 俺の家を知っていて待ち伏せをする女の子だなんて詩音以外にあり得ない。

 それにしてもどうして詩音がここにいるのだろう?



「お、おはよう。なんで詩音がここに?」



「あ! そのことなんだけど、これからは私とギートは琉斗くんと一緒に通学することになりましたー! 今はギートいないけどね」



「一緒に通学ぅ!?」



 想いもよらなかった詩音の言葉に思わず声が裏返る。

 詩音とギートの家は分からないが、この付近で見かけたことが無いことを鑑みるに、わざわざ俺の家に寄ってくれるということなのだろう。

 どうしてそんな面倒なことを? と疑問に思ったが、昨日起きた出来事を考えればその理由はすぐに察することができた。



「それってイーヴァと関係……あるよな。」



「やっぱり分かる? 廃墟になってるビルって琉斗くんの通学路だよね? あの場所を通ることは狂也にバレちゃってるだろうから、ルートを変えつつ私たちが琉斗くんの護衛をするって感じなの」



「なるほどな……」



 イーヴァが俺を簡単に連れ去りたいと狙うならきっと俺が一人になる通学時間だろう。

 実際に昨日狂也に狙われているし、当然の対処と言える。

 二人が一緒にいてくれるなら俺も心強い。



「じゃ、そろそろ行こう? 学校に遅刻しちゃうしね?」



「あぁ」



 詩音に促されるまま彼女の隣に並んで歩き始めた。

 こうして間近で見る詩音はどこにでもいる普通の女子高生にしか見えない。

 それにあの祇石棟馬だって周りでは不良扱いだが、話してみれば年相応の高校生男子だ。

 本当に人の裏側は分からないモノだと実感する。



 ――そんな二人とこれから通学だなんて何だか不思議だ

 ――ギートはまだだけど、それまでは詩音と二人で通学することになるんだよな……あれ? 二人っきりで? 通学?



 それに気付いた瞬間、カッと喉と頬が熱くなった。

 親し気に二人っきりで隣を並んで歩いていたら誰だって変な勘違いをするだろう。

 それがもし、噂にでもなったりしたら……



「琉斗くんどうかした? 顔赤いけど……」



「えっ!?」



 ふいに詩音に声をかけられ、自分の顔が赤くなっていることに気づいた。

 今まで女の子と一緒に居る機会なんてなかったし、それこそ彼女だっていた経験もない。

 そんな俺が平常心なんて保てるはずもなく、慌てて詩音と逆方向に顔を向けて、何とか冷静を装う。



「何でもない! 何でもないから大丈夫!」



「そう?」



 ――うわぁぁ!! 恥ずかしぃぃ!! ギート早く戻ってきてくれぇぇ!!




―――――――




 詩音との通学イベントに心を振り回されながらもなんとか教室に辿り着くことができた。

 すでにへとへとになりながらも、いつもと同じように授業を受ける。



 いつもと同じ? いや、それには語弊があるかもしれない。

 いつもなら授業中はもっとつまらないものだった。



 学校にだって行く足はいつも重くて、早く一日が終わってほしいと呪詛を吐く毎日だったはずなのに……。

 今日は何だか心が軽く、気分がいい。

 いつもは適当に聞き逃す授業もすんなり集中できた。



 ――これも詩音たちのおかげだろうか……?



 自身の心境の変化に戸惑いつつも、俺はそれを心地よく受け入れる。

 この変化はきっと俺にとって大切な一歩だろうから……。




――――――



 授業が終わり、待ち合わせをしていた体育館裏に行けば、すでに詩音の姿があった。



「悪い! 待たせたか?」



「大丈夫だよ。私も今来たところだから。じゃ、誰か来ない内に行こう?」



 そういって詩音は左手に取り付けてある腕時計をいじって、赤い電流を発生させる。

 空間に向かって赤い電流が弾けると、そこを中心に赤黒い渦巻く空間が広がっていった。

 狂也に襲われたときにリリーヴへ飛んだあの空間と同じものだ。



「琉斗くん!飛び込んで!」



「分かった!」



 二回目なら俺だって心構えは多少できている。

 緊張を振り払うように息を吐いて、歪んだ空間めがけて飛び込んだ。

 赤と黒が渦巻く気味の悪い空間。渦が擦れあう音が悲鳴のように聞こえて気味が悪い。



 そんな恐怖も一瞬で終わり、空気の渦を抜けて、白い部屋に飛び出す。

 少し躓いたものの、転ぶこと無く何とか着地することができた。

 俺に続いて詩音も手慣れた様子で部屋に飛び出したところで、



「お帰りなさーい。2人とも!」



 聞き覚えのある声にそちらを見れば、陽気に手を振る幟季さんが現れた。



「ただいま!幟季さん!」



「お! 詩音は今日も元気だねー。その調子で任務頑張ってね。それと琉斗くん、君も詩音と一緒に任務に行ってもらうことにしたから、よろしく!」



「……はい?」



 いや、きっと聞き間違いだろう。

 そんなまさか、リリーヴに入って一日しかたっていない新米の俺が、詩音と一緒に任務だなんてそんなはずはない。

 流石に、俺だって心の準備というものが……!



「はい? じゃないでしょー? 聞こえてるくせにー。任務ね、任務。ささ! 琉斗くんこっちに来て。着替えるよー」



「やっぱり聞き間違いじゃなかったぁぁっ!! それに着替えるって何!?」



「何ってリリーヴ専用の戦闘服に決まってるでしょ! 戦闘服なんてかっこいい響きだよねー」



「戦闘服!?」



 聞き間違いでは無かったうえに、戦闘服に着替える時点で明らかに戦闘が想定されている。

 まだリリーヴに所属してから1日しかたっていないというのに……!!



 拒否する間もなく、幟季さんに引っ張らながら男子更衣室へと連れてこられた。

 それにしても何故実践?

 そんなに急ぐ必要がどこにあるのだろうか?

 そんな疑問を巡らせている内に話はどんどん進んでいく。



「ここ琉斗くんのロッカーね。中に戦闘服入ってるから。じゃ! 僕は外で待ってるよ。着替えたら出てきてね」



「あっ! 幟季さんちょっと待っ」



 俺の呼び止めも虚しく、扉の締まる音に掻き消され幟季さんは更衣室の外へ行ってしまった。

 


 ――え? 何、本当に着替えなきゃダメなのか……!?



 更衣室に連れてこられた手前、何も着ずに出るのもはばかられる。

 渋々幟季さんが指をさしたロッカーを開けると、黒い装束の服が出てきた。

 前にギートが着ていた黒いコートと同じ服だ。

 鏡の前で合わせてみるとサイズはぴったり。

 ギートが着ると様になっていたが、小さくて細身の俺にはあまり似合わない気がする。



 ――何か恥ずかしいなコレ……ちょっとかっこいい、けど……

 


 もたもたしている内に俺を呼ぶ幟季さんの声が聞こえて慌てて更衣室の外に飛び出した。



「おぉ! 似合ってるじゃないか!サイズもぴったり」



「わぁー! 琉斗くんかっこいいよ!」



 更衣室から出ると、待ってましたとばかりにはしゃぎまわる幟季さんとすでに戦闘服に着替え、銃まで装備した詩音がいた。



「それにしても幟季さんすごいですね。またサイズぴったりじゃないですか!」



「フッフッフ……僕の秘密特技No.15"ぴったり当てます服のサイズ!" だからね!」



「秘密特技No.15って……一体いくつあるんだよ」



「私の服のサイズもぴったりだったし」



「当然! バスト、ウエスト、ヒップのサイズまで完ぺ……」



「いやいや、女の人に対してやったら変態以外の何者でもないからな!」



 この人はいつもこんなことしてるのだろうか。

 リーダーというには威厳もないし、自由奔放な人過ぎて……正直リリーヴの未来が心配だ。

 適当にはしゃぎ回った後、二人に案内されて連れてこられたのはゲート呼ばれている出入口。

 どうやら冗談抜きで本当に任務に行くらしい。



「というわけで、今回の任務は毎度おなじみシャドー討伐です! 主に詩音が討伐して琉斗くんは見学っと」



「……俺ついていく意味あるのか?」



「あるある。任務は主にシャドーの討伐だからね。シャドーの倒し方を学べるし、これからの訓練にもなる。というわけで詩音頼んだよ?」



「任せてください! 頑張っちゃいますよー!!」



 と、詩音は大げさに腕を振り回しながら調子の良さをアピールしていた。

 子どもっぽく張り切っている姿が何だか可愛らしくて、クスリと口端が緩む。



「じゃぁ、僕は色々とパー……仕事があるから討伐頑張ってね!」



 ――なんだ今の一瞬の間は……



「よし、琉斗くん! いこっ!」



「うわぁぁっ!?」



 幟季さんの不自然すぎる会話の間を指摘する時間もなく、詩音に連れられてゲートから外へ飛び出した。

 


 赤い空に赤い大地、黒いビルが立ち並ぶ異世界。

 アンダーグラウンド。



 またこの異世界の土を踏むことになるなんて、現世に戻った頃は考えもつかなかった。

 一度来たことがあるとはいえ、世界の終末を体現したような不気味な世界には圧倒されてしまう。



 恐怖と不安で小心者の俺の心は潰れてしまいそうだが、対して詩音は鼻歌まじりで元気よく歩いている。

 まるで晴れた日の公園にピクニックにでも来てるみたいなテンションだ。

 これが慣れという物だろうか?

 それにしては、これから任務だというのに元気すぎる気がする。



「詩音、どうしてそんなに楽しそうなんだ?」



「ん? それはもちろん、この任務が終わったら琉斗くんの"か"……」



「"か"?」



「え、えっとね! か……かに食べ放題! そう、昨日かに食べ放題のお店見つけたんだよ! あ…ははは」



「……へ、へぇ」



 あからさまに怪しい、不自然すぎる。

 詩音の下手すぎる誤魔化しは気になるが、ここはあえてスルーすることにした。

 重要なことなら彼女はきっと話してくれるはずだ。

 言いたくないことを掘り返すのも、なんだか気が引ける。



「はい! とうちゃーく!!」



 気付いたら黒いビルの並ぶ通りを抜け、開けた場所に出ていた。

 周囲を確認すれば、黒く崩れかけたブランコや滑り台のような遊具がそこかしこに設置されている。

 確か現世ではこのあたりに公園があったはずだ。



「ここはシャドーの出現率が高いの。私達に惹かれてシャドーが出てくると思うから気をつけて!」



 注意を促しながら詩音は足に取り付けてあった二丁拳銃を手に取り、構えた。

 いつもは優し気な大きな瞳も、周囲を警戒して、鋭く研ぎ澄まされたものに変わっている。



「……右方向シャドー確認! 琉斗くん来るよ!」



「うっ!?」



 詩音が拳銃を構えた方向の地面が隆起し始めた。

 黒い液状の塊が獣の形に変形し、金色の丸い瞳が二つ浮かび上がる。

 大きさは2メートルぐらいだろうか。

 前に見たシャドーよりはサイズは小さい。

 獣らしい唸り声を上げて牙を剥き出し、一気に距離を詰めてくる。



「下級シャドーだね! これなら余裕!」



 照準を合わせ、二丁拳銃で的確に弾をシャドーに打ち込む。

 シャドーの牙が詩音に届くことなく、三メートル手前で溶けるようにして消えていった。



「流石だ。やっぱり凄いな詩音は」



「まだまだ! これからもっと出てくるよ! ……左右方向2体確認!」



 すぐさま詩音は二体のシャドーに銃器を構えて打ち込む。

 これが詩音の銃を扱うスキル能力なんだろう。

 命中率も高く、対応も早い……まさしく銃器を扱うプロだ。



 スキル能力の影響もあると思うが、迷いのない詩音の動きは随分と戦い慣れているように見える。

 俺が思っているよりもずっと長い間シャドーと戦ってきたのかもしれない。

 出現するシャドーを次々と倒し、三十体倒したところでようやくシャドーの気配が消えた。



「ふぅ、とりあえずこんなところかな」



「一瞬だったなぁ。俺もこんな風に戦えるか自身ないよ……」



「大丈夫! 私もそんな感じだったから! 今日の琉斗くんは見学だから無理しなくてもいいんだよ?」



 笑顔でそう言うと拳銃を元の場所にしまい、次いってみようと再び元気に歩き出した。

 今にもスキップしそうな詩音の明るさで不安でいっぱいの俺の心にも余裕が生まれてくる。

 何だか不思議な気分だ。

 そんな詩音につられて俺も大きく足を踏み込んだ……その時だった。



「琉斗くん!? 後ろぉぉっ!!」



 何かを感じ取ったように詩音が血相を変えて俺の方に振り返ったのだ。

 鬼気迫るその声に驚いて慌てて後ろを振り向くと、シャドーが牙を剥き出し襲いかかろうとしている最中だった。



「――――ッッ!!??」



 いつの間にこんなに近くに!?

 詩音が銃を構える音が聞こえるが、俺とシャドーが一直線上に並んだこの状態じゃ彼女も銃を撃ち込むことができない。

 俺自身もシャドーの牙を避けられる時間は無い。



 ――もう、駄目だッッ!!!!



 防衛本能が働き、とっさに身を守るように両腕をかぶせる。

 シャドーのギラリとした牙が俺の腕をズブリ貫く覚悟を決めたが……そんな結末が訪れることはなかった。

 シャドーが俺の手前で渦を巻くように歪み、吸い込まれるようにして消えていったからだ。



 ――これが……シャドー吸収能力!?



 あまりにも突然に発動した自身のスキル能力に驚いて、無様に地面に腰を打った。



「び、びっくりした……これが俺の力……」



 運よく発動したからよかったものの、一歩間違えれば腕の一本は持っていかれていただろう。

 その恐怖が遅れてやって来て、俺の心をざわつかせてくる。



「大丈夫琉斗くん!? 怪我してない!? おかしいな……さっきまでは確かにシャドーの気配はなかったのに……」



 そこへ、慌てた様子で詩音が俺の元へ駆け寄ってくれた。

 詩音のいう通り、彼女はシャドーの気配を感じ取って事前に銃を構えていたはずだ。

 なのに、どうしてこのシャドーを感知することができなかったのだろう?

 ――確かに不自然だ。



「フフッ、それはそうよ。私がシャドーを呼び出したんだから……」



 直後、第三者の声が耳朶を打った。

 


 カツ、カツと地を蹴って近づいてきたのは一人の女性。

 赤みがかった茶髪の長い髪に翡翠の瞳。

 胸元が空いた色気のある赤いトップスと黒く短いスカートを身にまとった綺麗な女性。



 ――あれ? おかしいな……俺、この人を知ってる?



 会うのは初めてのはずなのに、どこか脳裏にひっかかる。



「どうしてあなたがここに……!? やっぱり狙いは琉斗くんなんでしょう? 欲塚 妃鈴!!」



「よくづか ひすず……?」



 詩音が叫んだ名前も初めて聞いたものではない。

 やはり俺はこの女性の正体を知っている。



「そうよ。さっきのシャドーは坊やがシャドー吸収能力なのかを調べるため。当たりだったみたいだけどね。それと無駄な攻撃はしないことよ? あなた達の行動は全部"見えてる"んだから」



「全部見えてる? どういうことだ……?」



「気を付けて琉斗くん! 妃鈴はスキルで相手の未来を予知することができるの!」



 綺麗な女性、欲塚妃鈴、未来の予知――

 頭の中でキーワードをパズルのように繋げていく。

 そこから導かれる情報を元に記憶の引き出しを開いていけば――



「ああああああぁぁぁぁぁぁッッ!!??」



 ある一人の人物に辿り着いた。

 俺の声に驚いて、詩音と妃鈴は驚いて肩を跳ね上げる。



「な、なに!? どうしたの琉斗くん!?」



「思い出した! シンデレラの占い師だ! 深夜に突然現れて、0時になったら颯爽と帰っていく有名な美人占い師ッ!! そういえば確か神隠しになってるってて……」



「わああああっ!? ちょっと! その名前は出さないでよ! 今の私はイーヴァの欲塚妃鈴なんだから!」



「イーヴァ!?」



 初めて有名人を見ただとか、噂通り綺麗な人だとか、そんな感想は“イーヴァ”という不穏な言葉に全て掻き消された。



「イーヴァって……まさかあの狂也と同じ」



「ちょっと! あんな単細胞と一緒にしないで! バカで脳筋な狂也とは違って、私は争うつもりはないの。お姉さんは坊やとお話に来ただぁけぇ」



「そんなの信じられないわ! さっきだって琉斗くんをシャドーで襲ったくせに!」



 怒りに表情を歪め、詩音は拳銃を握った。

 しかし、妃鈴は堂々としたままその余裕を崩さない。



「そんなに警戒しなくてもいいじゃない? これは坊やにとって大事な、大事なお話なのよ?」



「大事な話?」



「フフッ、そうよ」



 怪し気に、ゆったりと、欲塚妃鈴は獲物を狙う目線を向けたまま俺に話しかける。

 イーヴァの話なんて耳を傾ける必要はない。狂也には散々ひどい目に遭わされたんだ。

 この欲塚妃鈴だって、ろくでもない人間に違いない。



「悪いけど、俺はイーヴァの話なんて聞くつもりは」



「"哀沢 里穂"について。"霧島 里穂"って言った方が分かりやすいかしら? ね、気になるでしょう?」



 拒絶を示すその前に、先手を打たれた。

 無視できないその名前に、俺の意識が釘付けにされる。

 拒絶なんてできるはずがない、興味がないなんて言えるはずもない。

 戸惑う俺を見て、ほくそ笑む妃鈴に問う。

 例えそれが罠であっても、無視なんてできるはずがないのだから――



「なんで……、なんで"母さん"の名前を知っているんだ……!?」

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