幕間 五歳の青年
カラツユがここまで困惑したのはこれが初めてだった。自分は冷淡で、感情をあまり動かさない質であるという自覚があった。拷問でも隠密行動でも、この性格こそが強みとなって猛威を奮った。
それがどうだ。
あの少年が関わると、鎧が朽ちて内面が誰からでも分かるようになる。肌が露わになって、空気に触れただけで騒ぐようになる。
なによりもあの手紙だった。
ハーブは屑だった。平気で物を盗んでは人を殺めることさえ気にしていなかった。街を血だらけにして、カラツユの友人さえも歯牙にかけられた。
そんな彼女があんな字を書けるだろうか。
あれは母親の字で、紛れもなく真っ当なーーいや、愛に溢れた人間の字だった。ずっとあの賢い少年をどう騙していたのか疑問に抱いていたが、もはやシグレの言い分は当然のようにカラツユには思えてきた。
少年に視線を移す。
彼は子供相応に揺れる椅子のうえで横たわっていた。目端が赤く首には鉄の輪がかかっている。奴隷である印だ。
「メジア」
「お、カラツユから話しかけてくるなんて珍しいな。なんだよカラツユさんよぉ」
寝ている子供を起こさないように、という配慮がないのかこいつは。こめかみに青筋を浮かばせながら、おどけているメジアの後頭部を勢いよく叩いた。音はない。
悲鳴をあげるまえに「静かにしろ」と釘を刺す。理不尽だと顔を歪ませたメジアに氷が溶けていくように言葉をかけていく。
「俺にはわからない」
「なにがだ?」
メジアは首を傾げる。
「なにが正しいのか」
それを聞いて拳のうえにあごを置くと天井を仰いでは俯いてをくりかえし、やがて、がはははと笑った。
「俺だって分からねぇよ」
こいつに聞いた俺が馬鹿だった。見かけで人を判断しないとよく言われるが、メジアに関してはその類の人間ではない。見た感じのごりごり脳筋であり頭が悪い。
馬鹿だが、しかし無能ではなくものを考える力だけはある。違いはどこだと指摘されれば待ったをかけるが、強いて言うなればこういった『正しさとはなにか』を議論するだけの知能はあるとカラツユは信じていた。
後悔していたカラツユだったが、どうやら先があるようでメジアは「だかな」と付け加える。
「クヤマとハーブを捕まえたのは、絶対に正しいと俺は思うぜ。結果、あいつらが死ぬことになろうがな」
たしかに、それはそうなのだろう。彼らが人を苦しめたことは何があっても変わらず、それ相応の罰を受けるべきだ。
指定された物を売ってはいけない。
それだけのことだったが、日本に比べて医療が発達していない異世界では麻薬中毒者に対する治療のノウハウなどない。治ればラッキーだが、ほとんど治らずに麻薬を吸うだけの廃人になる。そうなれば殺すしかない。
極論、買い手は死ぬと言ってもいい。言い換えれば売り手が買い手を殺していることになる。こう考えれば、死刑はむしろ当然の報いなのだろう。カラツユはそう理解しているが、納得はいってなかった。
頬杖をついて大男は馬車の外を見やる。
「過去は変わらねぇからな」
極めて正論だった。よしんば彼らが今は善人だから許してやろうとなったとしても、麻薬を売っている事実は何も変わらない。どっちにしろ殺すしかなかった。
善人だろうが悪人だろうが、変わらない。
カラツユは悩んでいた。変わらないのだろうがそれは俺らにとってであり、彼らの子供であるミストやメア、そしてシグレには大きなことだっただろう。
特にミストはクヤマとハーブが守ろうと隠し通した存在でだったが、衛兵がついぞ見つけてしまった。ミストは奴隷になって働くのだろう。それでもシグレやメアも奴隷になるので一生働くことはない。十年は奴隷として働くことになるだろうが。
『法は、人を幸せにするためにあるんだよ』
少年に言ったはずの言葉が、カラツユに重くのしかかってくる。本当にそうか? 彼にはどうしても断言できなかった。ある条件が真っ向からそれを否定してくるのだから。
例えば、そう。例えば。
奴隷という法で、俺たちは幸せになっているのだろうかと。
がらがらと音を立てる馬車が小さくなっていく。ストラスキュールの外れの森で木の枝が入り組んで天幕を作っている。そのしたの、さきほど少年が泣き叫んだ小屋のまえで佇む眼鏡をかけた男が馬車を見つめていた。
「あー行っちゃった」
間抜けた声を発する男。眠たげな目元に首にかけたエプロン、男はシグレと図書館で話した司書だった。彼が欠伸をしつつ、帰るかと呟いたそのときだった。
刹那、天地が割れる。
大地に衝撃が走った。大地が轟き爆音が空気を舐めていく。閃光がはじけ空を穿つと思えば、一気に姿を消し去った。どれもわずか一秒での出来事、しかし圧倒的な力が振り下ろされる。
クレーターのできた地面の中央、砂埃のなかに柄の長い帽子をかぶった女が立っていた。
「あらあら、どうしたのこんなところで」
さきほど超常現象を起こしたとは思えないほどなんてことないように男に話しかける女に、司書もまた友人と話すように気軽に言葉を投げ返す。
「イズチカじゃん。こっちのセリフだよ」
イズチカと呼ばれた女は、ひみつぅとくちびるに人差し指を当てた。コツコツとハイヒールを鳴らしながら傾斜をあがり、司書に近づいていく。月明かりが魔女の帽子の先を照らすかと思えば、月光は帽子を貫通し地面に落ちては広がっていった。
男は顔を歪ませながら返答した。
「そうか、じゃあ俺も言わない」
「えええええ。意地悪しないでよ」
彼はなにも言わずにイズチカに背中を向けて、去ろうと足を動かした。焦った女は司書のエプロンを掴みなんとか阻止する。
「まって、言うから言うから。私が見定めた男がどうしてるのかなって確認したくてね」
「奇遇だね。俺もだよ」
うわぁ、運命的だね! とはしゃぐイズチカの後頭部を男は叩いた。
こんなのが時空を司る魔女とはいったいなんの冗談なのだろうか。有した力はまさしく神にも及ぶが、心は少女と変わらない。気分ひとつで時空を超え、体調ひとつで雷を轟かせる。魔女というよりは災厄だ。
「痛いっ、なにすんの!」
「君が運命的とか言うと洒落にならない。しかしそうか、あの青年はイズチカの差し金か」
見かけは少年だが、見た目は若い女で心は幼い女の子なイズチカとは裏腹にシグレの中身は青年のように司書には思えた。四歳と言っていたがそんなはずはない。
四歳で魔物の生態学について、教会の前で人にものを教えられるはずがない。だがイズチカの答えは予想と異なっていた。
「あー差し金とは違うかも」
「ちがうの?」
男が問いかけると彼女はうなずいた。転生する前のあの生意気な顔を思い出しながら。
「彼は好きにやるよ」
「へぇ、洗脳しなかったの?」
女はおおげさにため息をつくと、肩をすくめて両手を天に見せた。あのランプの光りそのものが洗脳道具のひとつだったが、効果なし。あの質問も洗脳の一環だが、これもまったく影響が確認できず。
仕方が無いので彼の過去を覗いて、その記憶から説得を試みた。事実上、シグレは二度もイズチカの洗脳を退けたことになる。
「したんだけどさ、無理だった」
「無理?」
「効かなかったんだよ」
男はへぇ、と眉間に指をかまえ眼鏡をくいっと動かす。かけていたエプロンが勝手に巻き上がり、側面の螺旋の中央に集っては消えていく。やがえエプロンそのものが消えたと思えば、下に隠れていたシワひとつないスーツが姿を見せた。
なにか悪巧みかな? イズチカが尋ねると男は首を横に振った。
「慈善活動だよ」
その言葉を聞いて、イズチカはうはははとおおげさに笑ってみせた。月明かりが魔女を文字通り透かして、司書の顔を照らした。
「カンダチ様は嘘つきね」
ふたりのうしろで小屋が燃え盛っていた。黒煙は天に昇り、月明かりに透かされては宙に消えていった。
魔女とシグレ 須々木 逡雪 @41264126
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