ⅩIV あかし



 ここはどこだ。まぶたを開けると焦げ茶の木の板がある。床か? いや、揺れている。

 街道でよく聞いた、がらがらと木造の車輪が荒れた路面を走る音だ。そうか、馬車の中だ。体を起こしてみる。手首にも足にも拘束はされていない。


「起きたか」


 ぼやけたカラツユがいた。隣にはガタイの良い貧相な布をまとう大男メジアが座っている。トウカを連れ去った二人組だ。

 あたりを見回す。扉の窓から微かにうかがえる景色でなんとか現在地を割ろうとする。いや、分からない。分からないというか、こんな街並みは記憶になかった。


「どこに向かっているんですか」

「直にわかる」


 足を組んで外を眺めているカラツユ。こちらを警戒していない。窓から見える流れてゆく光景から馬車の速度を予測する。

 逃げ出せるか? 


 首が裂かれた。


 即座に首元に手を当てるが繋がっている。なんだ今のは、逃げが脳に過ぎ去った瞬間に頭と身体が離れて視界が転がった。

 生きた心地がしない。心臓に剣を突き立てられているみたいだ。猛獣が鋭利な眼を研ぎ澄まし低く唸るごとく圧力。扉の取っ手に触ろうものなら、今度は本当に首元を食いちぎらんばかりの殺意が襲いかかってくる。

 こめかみから汗が滴り落ちるのを感じながら、おそるおそる前を向いた。

 メジアだ。大男がおれを睨んでいた。

 絶対に無理だ。命がいくつあろうが足りやしない。さりげない挙動で実力が垣間見えるカラツユとは逆に、王道とでもいうべき圧倒的な力でねじ伏せてくる。


「お、失神しないのか。偉いじゃねぇか」


 彼は腕を組みつつ、うんうんと首を縦に振っている。ひょうひょうとした物言いのくせしてやっていることは恐ろしい。

 恐怖を笑みで隠し口をひらく。


「やめてくださいよ。怖いです」

「えぇ? なんのことか知らねぇなぁ」


 口笛を軽快に鳴らしてはそっぽを向いた。しかしなんなんだ、おれは拉致されたのか? それにしては扱いが妙だ。縄で口を縛られていない。助けを呼ぼうと思えば呼べる。

 クヤマとハーブは大丈夫だろうか。子供と離れたところで彼らを捕らえるためにおれをこうして隔離しているのなら心配だ。


「あ」

「なんだ小僧。今更ちびったか?」


 しまった、忘れていた。教会からそのまま連れ去られたのなら、家でメアが独りぼっちのままだ。今頃、泣いているに違いない。


「家に帰らせてください!」

「ダメだ」


 見向きもせずに淡々と答えられる。


「妹がひとりなんです!」

「メア、だったか」


 どうして名前を? こいつまさかーー。

 床を思いっきり蹴ってカラツユに飛びかかる。拳を振りあげその高い鼻にぶち込んでやろうと力をこめると急にカラツユが離れた。ちがう、おれが後ろに吹っ飛んだんだ。

 メジアに首根っこを掴まれ投げられたのか。早すぎて何をされたかよく分からない。


「落ち着け。おまえの妹は既に保護した」

「保護ってなんですか」

「文字通りの意味だ。今は俺たちの雇い主の元で面倒をみている」


 体が床に弾かれる。車輪が大きい石でも踏んだのだろう。やはりカラツユは奴隷ということで合っていたらしい。雇い主がどうかは分からないが、彼を信用することにした。

 おれに真正面から対等に話してくれているからだ。顔は合わせてくれないが。

 加えて保護したというのが嘘だろうが主導権は彼らが有しているのは決定的だ。ハッキリと言えば人質を取られた。


「保護した証拠を見せてください」


 場違いな笑い声がひびいた。メジアが腹を抱えている。なにがおかしい。


「俺の殺意を喰らってカラツユに殴りかかり、妹が攫われてなお気丈に振る舞う」

「やめろメジア」

「優れた知能に驕らず、両親の犯罪を察しながらも己を貫き通す。いつでも家族のことを想い行動できるその精神力!」

「やめろって言ってんだろ」


 視線だけ、カラツユはメジアに向けた。呆れの混じった凍てつく黒目。怒りを多分に含んで釘を打ち込むように大男を止めようと言葉を紡ぐが、メジアは蚊ほども気にせずに両腕を広げて叫んだ。


「これで両親が裏切ってんだもんなぁ! そりゃ浮かばれねぇーー」

「メジアっ!」


 カラツユが吼えた。いつの間にかメジアが横を向いていて、その頬が真っ赤になっている。なにも見えなかった。なにも聞こえなかった。ただ、カラツユが殴りを入れたのだろうという事実だけが浮き彫りになる。

 殴られたメジアは口端を上げたままクックックと肩を震わせていた。


「小僧、いいことを教えてやる」

「そのまえに裏切ったとはなんですか」


 教会でのカラツユも遠回しにそう供述した。なんでどいつもこいつもクヤマとハーブがおれを裏切ったと決めつけているんだ。今の二人とロクに関わってもないくせに。

 さきほどまで心底楽しそうに振舞っていたメジアだったが、退屈そうに唇を曲げる。


「あーそれはな、俺の口からは言えねぇ。というか言いたくねぇ」

「どういうことですか」


 彼は後ろ髪をぼさぼさと掻いた。


「カラツユほどじゃねぇけど、俺も仁義? みたいなものは大切だと思ってる。まぁ俺なりの誠意だよ」


 誠意? わけが分からない。不満だけが溜まっていく。聞きたいことは山ほどある。なによりおれを攫う意味が分からない。窓から入ってくる光量は日没後のものだ。教会で気を失ってから時間が経っている。

 歯ぎしりするおれを見たのか、カラツユが外の景色に目線を戻してから口を開いた。


「心配しなくても伝える。すべてだ」

「いつの話ですか」


 また馬車が大きく揺れた。


「目的地に着いたらだ」


 すべては今向かっている場所に着いたら、ということなのだろう。胸のうちで騒いでいた不服を飲み込んで座り直す。

 やることもない。考えるのも疲れた。

 ひと眠りしよう。狭い椅子のうえで体を転がそうとしたときメジアが立ち上がっておれの隣に腰を下ろした。男臭さが鼻の穴の奥に突っ込んでくる。

 身を屈めて耳元に顔をちかづけ、小さい声でしゃべりだした。


「いいことを教えてやる、小僧」


 さっき話したがっていたことか。口に出すのも面倒なので、てきとうに顎を引く。


「おまえの母親はな、カラツユの友を殺したんだ」


 殺した? ハーブは盗みしかしていなかったんじゃないのか? 疑念をこめて睨むと、まぁ聞けと耳打ちされる。


「直接的にじゃねぇ。ただ盗んだものがカラツユの友人の大事な商売道具でな。これを失ったせいで、そいつは仕事できなくなって奴隷に身を落としちまったんだ」


 ここでも奴隷が出てくるのか。借金返済のための労働と考えれば異世界に深く根付いているのだろう。


「その雇い主がクソみてぇな奴でなぁ。五日経ってボロ雑巾になって見つかったそうだ」

「余計なことを喋るな、メジア」

「聞いてたのかよ。男同士の秘密の談話に聞き耳を立てるな。女々しくて吐き気がする」


 やれやれと首を横に振る大男に、カラツユは眉間にシワを寄せた。


「なにが秘密の談話だよ。誰の話だ」

「悪いな小僧。このおっさんは器量が小さいんだよ」


 メジアとカラツユの会話をとおくで耳に入れながら、思考の海に潜り込んだ。

 話を付けるつもりだった。

 家業を継ぐ日にふたりと話し合って、止めるべきだと説得するつもりだった。

 おれは、間違えていたのだろうか。

 もし説得がうまくいかなかったら殺されてしまうかもしれないと、見ないふりをしていたのだろうか。輝いていた両親の汚れた手を認めたくなかったのだろうか。

 きっと、ちがう。


 家族という住処を失いたくなかったんだ。


 この温もりを失うのが怖くて、無意識のうちに遠くに押しやっていたんだ。気づいていたのに甘えていたんだ。

 もしかしたら、クヤマとハーブが打ち明けてくれるかもしれないと。


「シグレ」


 名前を呼ばれた。カラツユの方を見る。


「法は、人を幸せにするためにあるんだよ」


 今ばかりにこだわっていた。

 おれの知っているハーブが正しければそれでいいんだと錯覚していた。彼女のために奪われた命は、返ってこないのだ。














 がくんと、大きく体が跳ねてから床の揺れが止まった。目的地に着いたのだと察する。

 カラツユとメジアに続いて馬車を降りる。久々に大地に足をつけて顔を上げると、暗闇のなかに木造の小屋が浮かびあがっていた。


「着いてこい」


 音もなく扉のまえまで足を運ぶと、扉をゆっくりと開けた。

 界隈を舐めるように見回す。壁に沿ってたたずむ棚の数々に、膨らんだ麻袋が並んでいる。その数は三桁を優に越している。これが稼業の正体なのだろうか。

 視線を小屋の中央に落とした。

 少年だ。

 おれの少し上くらいの歳だろうか、茶色の肌にどこかで目にしたような顔立ち、俯いた目元も既視感があった。彼は正座をしながら重ねた両手に焔を灯している。明かりが少年の足元に横たわる麻袋を照らしていた。


「初めまして」


 少年はこちらを覗いていた。その声すらもどこか聞き覚えがあった。


「僕の名前はミストといいます」


 ああ、やっと分かった。なんで気づかなかったのだろう。転生してから散々目にしたはずのものだ。忘れるわけもない。

 クヤマとハーブ、ふたりに似ているんだ。

 メアはハーブから多くの特徴を遺伝したのに対して、ミストはクヤマの風貌に酷似している。彼の育ってきた道を沿って、ミストは大きくなっていくのが手に取るように分かった。

 少年は麻袋をつかむと中身を床に広げた。白い粉がさらさらと溢れていく。


「これは麻薬です。僕の親……クヤマとハーブが扱っていた商品です」


 違法薬物の密売。

 保健の授業でいくども扱った。道すがらポスターでもよく目にした。たしか日本では三年以下の懲役か三百万以下の罰金だったか。クヤマから法律を教わっていたとき、随分と甘かったんだなと実感した。

 死刑。

 この世界の違法薬物取り扱い違反における立ち位置である。いったいお前はどんな気持ちでおれにこれを教えていたのか。

 やはり、という気持ちはどこかにある。それでも疑いが胸のうちから溢れ出てきて止められない。嘘だと叫び回りたくなる。ここまでとは想像していなかった。ずっと、人を不幸にする仕事で彼らは金を稼いでいた。

 その金で、おれは笑顔を振りまいていた。

 分かっている。ここに連れられたということは、既にクヤマとハーブはーー。


「シグレさん」


 少年が消え入りそうな声で呼んできた。ズボンの衣嚢から小包を引き抜いて、ひたいのまえでそれを掲げる。


「これを読んでください」

「さっきからなんで敬語なんですか」


 問いかけるとミストは肩を震わせる。鼻をすすりながら、こぼれてくる涙を必死に拭ってパクパクと唇を動かした。


「ごめんなさい」

「ええと、聞いてました?」


 あの日のハーブのようにミストは泣き崩れた。おい、やめろよ。泣くなよ。まだなんかありますみたいな泣き方すんなよ。仕事で犯罪を犯してました、ってだけで限界なんだ。

 ひとまず封筒を受け取り、口を開ける。指を突っ込んで折りたたまれた紙を抜き出す。ああ、いつも触れている藁半紙だ。

 おぼつかない手でそれを広げた。


『この手紙を読んでいるということは、すでに俺とハーブは死んでいるか死のうとしているところだろう。言うなればこれは遺書になるが、覚悟がなければここから先は読まなくていい。これを閉じて直ぐに焼け。』


 天を仰いでから、ふたたび手紙をみた。


『そうだろうな。おまえのことだ、覚悟なんて聞く必要もないだろう。まったく、強い子に育ったものだ。嬉しい限りだよ。

 さて、ここにすべてを綴る。

 

 俺は麻薬を扱う家に生まれた。親には選択肢さえ与えられず、当然のように家業を継ぐことになった。前に言った“大きい罪”とはこういうことだ。

 麻薬の密売は死刑だ。どうせバレたら死ぬんだから変わらないよな、という気持ちでハーブを匿った。あのときの質問に答えるのが遅れて申し訳ない。

 二人で過ごしているうちに惹かれあって結婚した。ハーブは俺の仕事を手伝うようになっていた。ちょうどその頃だろうか、両親が亡くなった。これで麻薬から手を引けると思っていたが、無理だった。他に職に就いて稼げる未来がどうしても想像できなかった。

 子供が生まれた。

 ミストと名付けた。お前の兄にあたる。

 初めは俺とハーブとミストの三人で暮らしていた。しかし商売に足跡を残しかけたときがあって、一時期、衛兵に目をつけられたことがあった。

 教えてなかったが、この世界にはルールがある。万国共通の魔女が定めたルールだ。


【背負った罪は子孫代々が受け継いででも濯ぐべし】


 このままだと俺らが死ぬだけではなく、ミストが一生奴隷として過ごすことになる。それだけはどうしても避けたくて、遠くに隔離することにした。

 しかし俺に子供がいるのは周知の事実だった。ともに暮らしていたのを恥じた。幸せで弛んでいたのだと。頭を抱えていた。


 そんなときにおまえと出会った。


 礼拝の日、たまたま誰もいないときに教壇の裏でおまえが泣いていた。肌が俺と似て茶色がかっていて、魔女の導きだと悟った。

 おまえを身代わりにすることにした。

 幸いミストという名はバレていなかったので、新しくシグレと名付けた。おまえと出会ったときに外で小雨が降っていたからだ。

 企みは成功した。おまえが俺らの子供なのだと周囲の人々も思い込んでくれた。これで俺らが死んだとしても、奴隷に身を落とすのはお前だけで済む。そう安堵していた。

 ひとつ、誤算があった。

 シグレ、おまえだ。

 おまえは俺にもハーブにも似ずに頭の良すぎる奴だった。みるみるうちに言葉を覚えたと思えば、人の心を解するようになった。さすが魔女が用意した子供だ、天才としか言いようがなかった。

 ただ、それだけじゃなかった。

 よく愛想笑いをつかしては俺とハーブに体を預けて、沈むように眠っていた。喧嘩をすればすかさず仲裁し、間違いがあっても優しく指摘してくれた。

 なにより俺らを親だと思ってくれた。

 「自分は俺とハーブの実子ではない」とおまえが気づいていたことに、俺もまた気づいていた。本当に俺の子か? と聞くたびに分かりやすく話を変えるもんな。そこだけ年相応な気がして、よくからかった。

 おまえだけが誤算だった。

 いつしかシグレを、身代わりとして見れなくなっていた。

 ハーブなんかもう呆れるほどだった。おそらくあいつは、ミストよりもおまえの方が好きになっていったんだと思う。毎晩のように泣いていたよ、本当の子ならいいのにって。

 誤算だったんだ、本当に。

 メアだって産む予定なんかなかった。おまえが身代わりじゃないって言い訳したくなくて、弟か妹が欲しかったんだ。

 そしてメアが生まれた。天使のような子供だった。おまえもかわいがってくれた。

 充実していた。幸せだったよ。

 まあ、俺はすでに死んでいる。おまえは奴隷に落とされるだろう。当初の計画通り、身代わりとして。

 すまなかった。本当に。

 許してくれるとは思っていない。俺を恨め。ハーブは巻き込まれただけで元凶は俺だ。すべて俺が悪いんだ。

 ただ、これだけは綴る。


 シグレは俺の子だ。

 それだけは変わらない。


 バカ親(父の方)より』


 落ちていく涙もいとわずに、ていねいにていねいに手紙を畳んでいく。すると一枚の紙切れがひらひらと落ちた。

 かがんで拾い、ひっくり返した。



『あいしてる


 バカ親(母の方)より』



 崩れ落ちた。胸が張り裂けて、思いのまま叫んで。流れてくる涙が止まらなくて。何度も文字を読み返しては、紙がぐちゃぐちゃになるほど握りしめる。

 俺は間違っていたんだ

 もっと早く言うべきだった。向き合うべきだったんだ。ふたりに、もっと早く。


「分かっただろ?」


 背後から声かけられた。


「お前はずっと二人から裏切られていたんだ。人間はそう変わらないんだ」


 カラツユは俺の肩に手を置いた。諭すように言葉を投げかけてきた。


「お前は被害者だ。クヤマとハーブの子供ではないし、お前が『俺はふたりの子供じゃない』とだけ言えば奴隷にならなくていい」


 ーーシグレ。お前は、クヤマとハーブとはなんの関係もなかっただろ?


 そう、聞いてきた。カラツユの手を拭い彼を睨む。カラツユは目を見開いていた。


「おまえは……この手紙を読んだのか?」

「読んでいない」

「読めよ。これがおまえの知っているふたりか?」


 カラツユは手紙を受け取ると、広げて読み始めた。最初は嘘だとなんだと唸り声をあげていたが、しばらくすると何も言わなくなった。

 息がうるさい。俺の息だ。何度も嗚咽をくりかえしては、鼻をすすっている。


「シグレ、これはなんなんだ」


 カラツユは信じられないものを見るような目でこちらを覗いていた。


「証だよ」


 なんの? 決まってる。


「俺は、クヤマとハーブの息子だ」


 ありがとう。父さん、母さん。

 奴隷になろうとも関係ない。たとえきっかけがどうであれーー。

 他所の子供ではないのだから。

 あなたたちの分まで生きよう。

 うずくまったミストの側に膝をついて、身体を起こしてハーブがそうしたように優しく抱いた。背中をさすり、ふたたび彼の泣く声をしばらくのあいだ聞いていた。

 

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