ⅩⅢ それぞれの叫び②
今日はクヤマもハーブも帰りが遅くなるそうで、ひとりで教会に行くことになった。
メアを家に残すことになるが、往復に十分もかからないため大丈夫だろうと判断した。まだ幼い妹を祈りの場に連れていくのは気が引ける。とはいえ不安なので早歩きだ。
もちろん道は覚えているので迷うことなく最短でたどり着く。豪勢なステンドガラスにも慣れたものだ。まったく気後れすることなく、自室に入るの同様におごそかな扉を開くと色彩豊かな日差しが目を刺してくる。敷かれた赤のローブに視線を落として教壇まで歩く。いつもより人が少なくカラツユという例の男しかいなかった。
話すことも無い。膝を着いてイズチカへ恨み節を語ろうと両手を重ね合わせた。
重ね合わせたはずだ。
視界が暗い。なんかいか瞬きをして赤いローブであることに気がつく。距離が近すぎて影しか見えなかったのだろう。
体を起こそうとするが身動きがとれない。手首がなにかに固定されている。鉄か? いや、わずかに熱を感じる。人の手だ。そこでようやく気づいた。
組み伏せられていた。
力を微塵も感じなかった。音どころか衣服がこすれる振動さえも息を止めていた。噴水の広場でトウカを起こした術を思い出す。こいつは隠密行動に凄まじく優れている。
しかしなんの真似だ。拉致監禁? 目的は不明。叫ぶべきか? いや、喋ることはできるが大きい声はおそらく出せない。肺が圧迫されるようにわずかに力を入れている。叫ぶ気配を見せれば間違いなく阻止される。
バクバクとけたたましく鼓動が鳴く。落ち着け、だいじょうぶだ。異世界といっても人を殺せば犯罪になる。
「何の用ですか、カラツユさん」
私は平静を保っていますよ、とアピールするように尋ねてみる。背後にいるだろう彼を捉えることはできない。声色で判断しよう。
なかなか返答がこない。答えあぐねているのか? 逡巡していると低重音が響く。
「いくつか聞きたいことがある」
だめだ、探れない。流暢に言葉を手繰るロボットかよ。感情が一切感じ取れない。
耐えるんだ。いずれ、必ずだれか来る。それまで耐えてしまえばおれの勝ちだ。この男は衛兵に追われる身となる。
「しばらく人は来ない。人払いを頼んだ」
はぁ? どういうことだ。
教会への立ち入りを制限するだけの権限をこいつが有しているということか。だが奴隷であるメジアと対等に喋っていた彼もまた奴隷と考えるのが自然だ。とすると……。
雇い主の意向か。
相当のお偉いさんらしいな。ストラスキュールの領主サイウンである可能性もある。ただ生憎、おれは何かの罪を冒してはいない。無罪放免となったらそれなりの借りができるだろう。これを使えば奴隷解放もーー。
「お前はこの世界のルールを知ってるか?」
言ってる意味が分からなかった。
ルール? 法律のことか?
「どういうことですか」
カラツユはすぐには何も返さなかった。ただため息のようなものをついた気がする。
「お前は親から大切なことを教わっていないらしいな。クヤマとハーブか、まぁあいつらが子育てなんて無理がある」
「おい」
頭に血が上っていくのが分かる。理性では分かっているのに逆らえない。
「おれの親を馬鹿にするな」
今度は明確にわかった。カラツユはたしかに驚いた。おれを拘束している手が僅かに揺れたからだ。
「クヤマとハーブは親としてどうだった?」
「少し親バカが過ぎていましたが、立派な人達ですよ。なんですか『だった』って」
「余計なことを聞くな」
胸を圧迫される。うまく酸素を取り込めない。身を捩ってなんとか息を吸い込もうとするが動けない。
「分かったらうなずけ」
おれは素直にうなずいた。力が弱まり呼吸を再開する。手馴れているが、こういう尋問はお手の物だったりするのだろうか。
聞かれてまずいことは何一つないが。
「親バカと立派。そう言ったな、具体的に」
「やたら持ち上げてくるしかわいがってくるから親バカです。そういうところと、お金を稼いでぼくに選択肢を多く与えようとしてくれているところが立派です」
「それは誰のことだ」
「……両親のことですが」
もしかしてこいつは、まえのハーブを知っているのか?
「母さんは変わったと父さんから聞きました。必ずしもあなたが想像しているクヤマとハーブに一致するとは思いません」
「だまれ、余計なことを喋るな」
床の軋む音がひびいた。また肺を圧迫される。酸素の足りない脳で思考をめぐらす。
紡がれた言葉には感情が数多く潜んでいた。驚愕、疑心、不安、そして迷い。凛とした自信と冷淡な雰囲気は影もない。教会で幾度となく目にし、トウカの隣で話したときよりも余程、不安定な状態にある。
証拠はさっき鳴った木板の軋む音だ。
九割方の確率でカラツユは悩んでいる。もしくは動転している。おれから聞いたふたりの話が予想外だったからだろう。
残り一割方は困惑しているふりをしているという線だが、それにしては演技がうますぎる。加えて道化を演じるメリットが見当たらない。淡々と尋問をすればいい。
きっとクヤマとハーブを誤解しているだけだ。昔のことだけで決めつけている。
「逆におまえは昔のあいつらをどれだけ知っているんだ?」
「知りません」
「知らないならどうしてそんな口が聞けるんだ。まるで『あいつらが変わった』とでも言いたげに話してるが」
「今のぼくの両親は、あなたにとやかく言われるような人間ではないからです」
カラツユはしばらく押し黙ると、押さえ込んでいた手の力を緩め「立て」と命令してきた。床に足裏をつけてはよろよろと身体を起こす。ふり返ってカラツユを見た。
ロボットだったり忍者だという印象を抱いていたが、今は彼が人間に見える。少しシワのついた頑固な男。
悪い人じゃないんだ、この人。
「お前は五歳にしては頭が良すぎる」
「そうみたいですね」
「頭脳に関しては既に平均水準を大きく上回っている。俺より優れているかもしれない」
「それは分かりませんが」
さすがに買いかぶりだ。カラツユの頭の良さは知らないが明らかに馬鹿ではない。彼はじぃっとおれを見つめ問いかけてきた。
「気づいていたんだろう?」
「なにをでしょうか」
「とぼけるな」
「言っている意味が分かりません」
彼は今度は心底理解できないとでも言うように顔をしかめた。尋問するのも無駄だと判断したようで、直接、その言葉を吐いた。
「ふたりは犯罪者だ」
「ぼくはなにも知りません」
ハーブの窃盗にクヤマの……おそらくは家業。おれは鈍感じゃない、そりゃ気づいていた。異変だって多くあった。
「もし罪を犯しているとしたら、ぼくを育てるためだって言われると責められません。だから合法な範囲でやってもらうよう頼みます。説得すれば、聞いてくれそうですから」
これがおれの出した答えだった。約六年間ともに過ごして捻出した決断だった。クヤマもハーブもおれの頼みなら聞いてくれる。
上ずった声が鼓膜を轟かせた。
「お前は世界のルールを知らないから、そんなことが言えるんだっ!」
頬に落雷が落ちた。両腕が交互になんどか床に叩きつけられて、壁にぶつかって静止する。あとから痛みが押し寄せてくる。
なんだこれ。痛い痛い痛い痛い痛い。
ほほを抑えているとカラツユは唾を飛ばして叫んだ。
「この世界ではなぁ、犯した罪がそいつだけで背負いきれないときになぁ!」
慟哭がステンドガラスを震わせた。震えた光がカラツユの界隈を照らす。宙に舞うクズの奥に佇む男はーー訴えていた。
「その子供まで罪をかぶるんだよ!」
はぁ、はぁとカラツユの息が遠くで響いている。鼓膜が悲鳴をあげ高鳴りが止まらない。脳に“もや”がかかったようだ。
朧げな意識のなかで、彼の言葉の意味を探る。クヤマとハーブ、ふたりは隠していた罪が子供に及ぶことを知っていておれやメアを産んだって言いたいのか?
「それがどうしたんですか」
関係ない、いまおれが幸せなんだから。家族と幸せに過ごせているのだから。
「どんな形であれ。おれは両親を信じてます」
随分と毒されたのかもしれない。自覚している。おれはもう、赤木 時雨ではないのかもしれない。
それでも意志だけは変わらない。
「そうか」
カラツユは短くそう残した。
それを最後に意識が途切れた。
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