カンザシメ

佐倉島こみかん

カンザシメ

 この村では、月の明るい晩に竹林に入ると「カンザシメ」という化け物に食われる、と小さい頃に大人から脅かされるんです。

 「カンザシメ」は、漢字で書くと「簪女」。

 カンザシメは紫色の着物に長い白髪、背中に木箱を背負っていて、竹林へ迷い込んだ者にこの世のものとは思えないほど美しい簪をいくつも見せて、『お一ついかが』と聞いてくるのです。そして、そこで簪を貰ってしまうと、カンザシメに食べられて、もう竹林から帰って来られなくなってしまうのです。もしも出会ってしまったら絶対に簪を受け取ってはならない――そういう怪談です。

 この村は、昔は鉱山として栄え、今は廃鉱になっている山に囲まれた小さな村です。山の麓、村を囲うように広がっている竹林の中には街灯もありません。

 要は夜中に竹林に入ると、足元が見えなくて怪我したり、蛇や猪が出るかもしれなかったりして危ないから入るな、知らない人に話しかけられてもついていくなという教訓について、教訓として実感しにくい子ども達を脅かすための怪談なのです。

 とにかく、この辺りの子どもは皆、『カンザシメが出るから、月の明るい晩には竹林に近づくな』と言い聞かされて育つのでした。


 私は小さい頃から細かいことが気にかかる性分で、ある時ふと、この話がおかしいことに気付きました。

『どうして帰ってこなかった人達が、カンザシメから簪をもらったせいで食べられてしまったと分かるのだろう?』という素朴な疑問が浮かんだのです。

『簪を貰った人が誰も帰ってこなかったのなら、簪をもらったかどうか、食べられたかどうかなんて分からないのに』と話の矛盾に気付いてしまったのです。

 だからこそ、子供を脅かすための作り話なのだと解釈したのですが、その疑問について、小学校高学年の頃、同居している祖母に尋ねてみたことがありました。

「これはおばあちゃんのおばあちゃんが、さらにそのひいおばあちゃんから聞いたって話なんだけどね。月夜に竹林に行って、翌朝、竹林の中で腹を食い荒らされた死体になって見つかった娘がいたんだと。その娘の手にはそれはそれは美しい簪が握られていたもんだから、カンザシメから簪をもらって食われちまったって話になったんだとさ。裕子ちゃんの言う通り、本当のところは分からないけど、当時の人達はカンザシメのせいだと思ったんだと」

 なるほど確かに、子供にそのまま話すにはいささかグロテスクな話です。

 もしかしたらカンザシメと呼ばれる化け物ではなく、野犬や狼のせいかもしれませんが、一応、疑問へ筋が通った答えをもらえて、当時の私は背筋が薄ら寒くなりながらも、納得したのでした。

 

 そういう怪談があるため、夏になると毎年、竹林に肝試しに行こうという若者が出てきます。

 高校を卒業した年のお盆に同級生で集まって竹林に肝試しに行くのが、私の世代ではもう一種の通過儀礼のようなものになっていました。

 怪談の教訓からすると完全に逆効果なわけですが、このくらいの年齢になると、怪談なんて馬鹿馬鹿しい、そんなお化けいるわけがない、と粋がる人もいるわけです。

 進学の際に村を出たり、県外に働きに出たりしている子がお盆に帰って来るのに合わせて、中学校の同窓会をやることが多く、その際に皆で話題作りに行ってみようとなりがちなのでした。

 竹林に行って帰ってこなかった人がいるという話は、少なくとも私は聞いたことがありません。

 そんなわけで、例にもれず、私が大学1年生の時の夏の同窓会でも、二次会のような扱いで肝試し参加の希望が取られました。

 私は東京の大学に進学したこともあり、迷信など馬鹿馬鹿しくて行く気がなかったのですが、一番仲の良い幼馴染の美晴が、大学で郷土史について調べている関係でどうしても行ってみたい、でも怖いからついてきてほしい、と言って聞かなかったので、仕方なくついて行くことにしました。


 肝試しのルートとしては、中学校の裏に位置する竹林の中を通る林道の、その先にある神社まで行って帰って来るというものです。

 竹藪をむやみやたらに歩き回るような危険な行程ではなかったので、私も渋々ながらついて行きました。

 もともと20人程度の同窓会参加者が、最終的に8人ほどになって、肝試しに行くことになりました。

 準備のいい幹事が懐中電灯を5本ほど持って来ていたので、私は懐中電灯を持った美晴と並んで、他の人達について歩いていきました。

 熱帯夜と言って差し支えない暑い夜でした。

 林道は一応、均されて申し訳程度に砂利が敷かれていますが、アスファルトで舗装されているわけでもなく、街灯もありません。ただ、煌々と照る月の光のおかげで、歩くだけなら懐中電灯でも十分な明るさでした。

 皆、不気味な気持ちもあるでしょうが、人数もそこそこいるので、中学時代の話や近況などの話をしながら、明るく振る舞って歩いていきました。

 そして神社まであと少しのところまで来たときです。

 不意に、前だけでなく林道の両脇に生えている竹林も照らしたりしながら歩いていた美晴が、急に私の腕にしがみついてきました。

「どうしたの、美晴?」

「後で話すから、今は何も聞かずに正面だけ向いて歩いて。もし将来の話題になったら、この村に戻ってくるつもりだと言って」

 他の人にも聞かれたくないのか、震える小さな声で美晴は私に言いました。

 訳が分からず、私もなんだか恐ろしくなったのですが、美晴が他の人に気取られないようにしているのに、私がそれをぶち壊すわけにも行きません。

 そのまま、何事もなかったかのように皆で神社の前まで行き、『何もなかったな~!』『やっぱり迷信だよねえ』と呑気に笑っている人達に話を合わせ、また林道の入り口まで帰ってきました。


 そうして、中学校前で解散し、私と美晴は家が近いので、美晴の車に乗せてもらって一緒に帰ることにしました。

「ねえ美晴、何があったの?」

 車に乗ってすぐ、私は美晴に尋ねました。

「いたんだよ、カンザシメが!」

 美晴は真っ青な顔で答えました。

「私、懐中電灯を竹林にも向けたりしていたじゃない? そしたら、何かがいた気がしたの。よく目を凝らしたら、人影があって、着物で長い白髪だったと思う」

 美晴はすっかり信じ込んでいる様子でした。

「あの暗い中でそこまで見える? 何か見間違えたんじゃない?」

 私はにわかには信じられずに言いましたが、美晴は首を振りました。

「けっこう近い距離にいたんだよ。しかもたぶんアレ、村長だと思う」

「はあ? 村長? 仮装して脅かそうとしてたってこと? それじゃあカンザシメじゃないじゃん」

 私は拍子抜けして笑いました。

 村長と言えば、卒業式や入学式で年2回は顔を見ましたし、村の行事ごとには必ず出てくるので、顔を知っているおじいちゃんです。

 同窓会があると知って、肝試しの若者を脅かそうスタンバイしていたのでしょうか。

「村長だからヤバイんじゃん! カンザシメの逸話は本当だったんだよ!」

 大声で否定した美晴はハッとして怯えたように辺りを見回しました。

「とりえず、車を出すね。走りながら話そう」

 美晴はそう言って、車を走らせました。

「私、郷土史を調べて古い文献を漁っていくうちに、ある仮説にたどり着いたの」

 美晴は、深呼吸してから言いました。

「前に、裕子がおばあちゃんから聞いたっていうカンザシメの話があったじゃん。昔、若い娘が月夜に竹林に行って、翌朝、腹を食い荒らされて簪を握り締めた死体が見つかった、だから、カンザシメから簪をも貰うと食われて竹林から帰れなくなるって話になったって」

 確かにそれは祖母から聞いた話でした。昔、何かの折に美晴にも話したことがあったのです。

「あの話、なんで娘が夜中に竹林に行ったか考えたことある?」

 美晴に聞かれて首を振りました。

 確かに言われてみれば変な話です。今よりももっと暗く、おそらく道も整備されてないであろう昔に、娘と呼ばれる年頃の女性が夜中に竹林に行く用事はちょっと思い付きません。

「古い文献や草紙に、たまにカンザシメの話が出てくるんだけど、亡くなるのって、大概、若い娘なの。そして、状況的に娘は他の村の男と駆け落ちしようとしていたみたい。少しでも目が利くよう月の明るい晩を選んで、村の入り口から出るわけにはいかないから、竹林を突っ切って村を出ようとしていた――そう考えると夜中に竹林に行く理由になるでしょう」

 美晴は淡々と話しました。

「カンザシメに食われたんじゃなくて、村から出て、他の村の者と結婚しようとしたから、腹を裂かれて殺されたんだよ――もしかしたら、お腹にいた赤ちゃんを取り出したのかも」

 美晴の仮説の残酷さに、私はゾッとしました。

「簪はカンザシメに貰ったんじゃなくて、婚約のプレゼントとして男からもらった物だと思う。それを握らせることで、見せしめにしたんだよ。『村から出ようとするとこうなるぞ』って。」

「何それ、駆け落ちってそこまでするほど悪いことなの?」

 私が尋ねれば、美晴は声を落としました。

「うちの村、江戸時代末くらいまで、男女比で言うと圧倒的に女が少ないんだよ。鉱山をこの村が仕切ってたから、余所者に鉱山の情報を渡すわけにはいかなくて小さな村の中で婚姻を繰り返してたせいなのか、鉱山から出た鉱毒のせいなのか、廃鉱になった今は分からないけど。だから、娘を外に出すわけにはいかなかったんだと思う」

 美晴の説明で、確かに辻褄が合ってしまいます。

「昔の話とはいえ、人を殺すのが簡単なわけがない。だから『カンザシメ』という怪談を作ったんだと思う。そして、殺しの秘密が漏れるわけにはいかないから、特定の誰かが、逃げようとする娘にカンザシメの姿で駆け落ちを取りやめるか否か選択を迫ったんじゃないかな。『簪をもらってはいけない』ってことは、貰わなければ助かるってことでしょう。村を出るのをやめて、命を取られなかった人が居るんだと思う」

「まさかその選択を迫ったのが、村長ってこと?」

 美晴の言葉に驚いて尋ねました。

「恐らくね。カンザシメの着物は紫色だと言われているでしょう。紫ってそもそも高貴な色なの。江戸時代まで、この村で紫色を身に纏うことが許されていたのは、村長だけだったみたい。だから村長=カンザシメってのはちょっと早計かもしれないけど……でも、あり得る話でしょう?」

 美晴は青ざめたまま言いました。

「でも、だからって、この現代でも村長が殺しなんてさすがにしないよね?だって、村を出たせいで死んだ人の話なんて、聞いたことないし」

 美晴がカンザシメの格好をしていたのが村長だと思って怯えた理由が、ようやく分かりました。

 美晴は県内在住ですが、村を出て大学の近くにアパートを借りて住んでいますし、私は県外に出ています。他の面子は、村から専門学校や職場に通っている人ばかりでした。

 もし、美晴の仮説が正しくて、村から出ようとする者が殺されるのだとしたら、私か美晴が対象になります。

「でもさ、?」

「え?」

 美晴の意見に、私は聞き返しました。誰それが死んだなんていう話は、この小さな村ではあっという間に広がります。分からないないわけがありません。

「もしも、この村の外で死んで、この村の外で葬儀をしたら? もし死に方のせいで遺族が村八分にされかねないとしたら? 都会に行って帰ってこない若者ということにしてしまえば、どうにでも取り繕えるよね? だって、村長はカンザシメの姿で私達を見張ってたし、あの表情は常軌を逸してた――まるで本当に『カンザシメ』と呼ばれる人食いの化け物に取り憑かれたみたいな……いや、あくまでも、私が見間違えていないことを前提とした、例えばの話なんだけど」

 美晴はすっかり怯え切っているようでした。

「いや、さすがにそれは……考えすぎじゃない? やっぱり怖い気持ちで何か見間違えたんだと思うよ。だって懐中電灯と月明かりだけで、竹藪の中の人がはっきり見えるわけないし」

「そう、だよね。ごめんね、怖がらせちゃって」

 すっかり自分の仮説に怯え切っている美晴を落ちつけたくて、苦笑いして私がなだめれば、美晴も苦笑して言いました。

 ――結局、私も美晴も、その後の帰省中は特に何事もなく過ごし、『やっぱり杞憂だったね』と笑い合って、それぞれの大学生活に戻りました。


 大学卒業後、私は県内に戻って教員になりました。今はこの村の小学校で教鞭を取っています。

 私の世代でもこの村に住み続ける人は多く、少子化と呼ばれる中でも小学校は各学年1クラスずつあります。

 教員生活が忙しく、美晴とは卒業後すっかり連絡を取らなくなりましたが、美晴の親御さんの話だと、隣県で学芸員として忙しく働いているそうです。

 美晴本人には、もう何年も会っていません。


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