ここはチョコ砂漠。
コノハナ ヨル
ここはチョコ砂漠。
かわいそうに。
ゴミ袋に次々と突っ込みながら、私は小さくため息をついた。薄黄色の袋内にひしめくのは、飛び切り美しく装われたチョコ達。だが、彼らはその本来の目的を達することなく、その生涯を終えようとしている。
*
バレンタインデーは何かとエンタメ好きな日本人にとって、もはや外すことのできない一大行事だ。この日が近づくと、あらゆる場所に売場が出現し、ここぞとばかりにチョコは売られ、買われる。私が勤める、この志摩丹百貨店においても、それは同様だ。2月の一日から7階の催事場がバレンタインフェアの特設会場に変わり、有名菓子ブランドのものから著名パティシエがプロデュースしたものまで、国内外の多種多様なチョコが所狭しと並べられる。宝石であるかのごとく、それを求めてひしめく客、飛び交う金と嬌声。
――だが、そんなわが世の春を謳歌するチョコたちの扱われ様は、2月14日を境に一変する。
売れ残ったチョコ達は、山積みにされて叩き売られ、それでも残ったものは更に大幅な値引きをされて従業員たちに引き取られていく。そして、このような一応の努力のかいもなく売れ残ってしまったものは、残念ながら廃棄処分とならざるをえない。私が手に持つゴミ袋のなかのチョコ達も、過酷な競争に敗れた、いわば落伍者だ。
ゴミ袋をサンタクロースよろしく持ち、私は従業員用エレベータを使って地下2階へと向かった。手元のチョコをなるべく見ず、エレベータ内に表示される数値が7、6、5、と小さくなっていくのに意識を集中させることで、これを今から捨てるという罪悪感から目を背けようとする。ここで社員として働くようになって5年。毎年のようにこの作業を行ってはいるが、やはり気分の良い行為ではなかった。
B2。
ガゴン、と身を震わせながらエレベータは止まり、不快な金属音とともにドアが開いた。何かがいつもと違う気が一瞬した。が、目の前に広がる光景は今まで幾度となく見てきたものと寸分たがうものではなく、その違和感の出所がどこなのか自分自身よくわからない。ともかく、目的はこの階のエレベータとは対角線上の位置にある巨大コンテナである。同階にとめられている百貨店の所有車両や従業員たちの車を横目に、私はそそくさとソレを目指した。
薄暗いなかにあって、コンテナ横にでかでかと印字された「飲食物廃棄用」という文字は、明瞭かつ燦然と輝いている。その重いステンレス製の扉を開け、さっさと袋を放り込もうとして、私はそれが不可能であることに気づいた。中はすでにいっぱいだったのだ。
上から下までびっちりと、ゴミ袋が少しの隙間もなく詰め込まれている。こんなことは、ここに勤めて以来初めてだ。
一体どうしたら。私は途方にくれた。食料品はコンテナ内に捨てなければいけない決まりになっている。ひっそりと扉の前に捨て置くことも頭をかすめたが、中身で誰が置いたか容易に特定できるであろうコレを放置するのは賢明だとは思えなかった。
もう少し押し込んでみようか。そう思って淡黄色の壁に手をかけた、その時。
キキ―――ッ。
けたたましいブレーキ音が背後からする。驚いて振り返ると、そこには一台の清掃車がとまっていた。
バンッ、と助手席側のドアを勢いよく開けて出てきたのは、水色のつなぎ、そしてそれと同じ色のつば付き帽をかぶった若い男だった。男は私の横をついっと通りすぎ、コンテナの中からゴミ袋をひっつかんでポンポンと放り投げていく。袋達は、きれいな放物線を描いて清掃車の投入口へと吸い込まれていき、それらをかみ砕き圧縮するプレス機の音が静まり返った地下階にバリバリと響きわたった。
と、男はここではじめて、私がいることに気づいたようだ。帽子のつばに片手をやって軽く会釈したあと、私の持つゴミ袋をすっと指さし「ああ、それも回収していいやつですか」と聞いてくる。無言で頷き、ゴミ袋を渡しながら、私は衝動的に聞いてみたくなった。「これは、どこにいくんですか」
男は一瞬怪訝そうな顔をしたものの、すぐに答えてくる。
「品川です。こいつらは、品川の清掃工場で焼却されるんですよ。新宿区には清掃工場がないもんで」
「……まあ。そう、なんですね」
私はなにか合点がいかず口ごもった。聞きたかったのは、果たしてこういうことだったのだろうか。
おい、と清掃車の運転席側の窓から、年かさの男が身を乗り出し不機嫌そうな声を浴びせてくる。いいかげん無駄話はやめろ、ということなのだろう。
「ごめんなさい」
一歩足を引いて謝る私に、いえいえと返しながら、若い男は助手席に乗り込もうとする。が、途中でピタと動きを止めた。不自然なほどゆっくりと、こちらを振り返った。
「もしかして、アナタが言っているのは、心の方ですか?」
「えっ」
一体この男は何を言い出すのだろう。
「いやね、バレンタインデーに食われなかったチョコの体は、このとおり焼却場行きですけど、その心は別の場所に行くみたいなんで。聞きたかったのは、そっちの方だったかなと」
意味が分からず、男の顔をまじまじと見るも、その表情はいたって真面目なもので、とてもふざけているようには見えない。
「すいませんね、俺はそっち方面はさっぱりなもんで。でも、ほら、アナタらはあれを使えば大体わかるらしいじゃないですか。えーっと、なんていったっけな、ええっと――」
男はちょっと上に目線をやったあと、ふっとその目を三ケ月のように細めて言った。
「Google」
トン。底なしの穴に落とされたような気がした。
固まったままの私を残し、稲光のように男は清掃車に乗り込む。車は来た時と同じように猛スピードで走り去っていった。
唖然としてそれを見送りながら、私はほぼ無意識にポケットに忍ばせていたスマホを取り出していた。
Googleアプリを立ち上げる。指の乾きのせいか、なかなか画面が反応しない。得体のしれない焦燥に駆られながら、チョコの心の行き場について、思いつく限りのワードを打ち込んでいった。
——果たして、男の言ったとおりだった。
Googleはものの数秒で、一つの答えを示してきたのだ。
私はその足でチーフの所に行き、しばらく休むことを伝えた。怒った口調で何事かを言われた気もしたが、あまりよく聞こえなかった。
身に着けていた濃紺色の三角巾とエプロンをロッカーにたたきつけ、小走りで百貨店から出た私は、新宿駅横のバスターミナルに向かい、成田空港行のリムジンバスに乗り込んだ。
隣だって座るGoogleが矢継ぎ早に指示を飛ばしてくる。言われるがままに、私はインドネシア行きの航空チケットをとった。
ほどなく到着した成田空港の免税店で、モバイルバッテリーを7個買い、飛行機の中でそれを順に充電していく。なにせ、スマホの電池はGoogleの生命線なのだ。
数時間ほどのフライトを経てインドネシアはスカルノ・ハッタ空港に降り立った私は、Googleに手を引かれるままに長距離バスに乗り換えた。
バスの走る道は、はじめこそ舗装されたコンクリート道だったが、すぐに土を固めただけの粗暴なものへと変わり、私は壮絶な吐き気との闘いに身を投じなくてはならなかった。
車中黙りこくる私の代わりに、Googleは地元ドライバー——胡散臭いほどこんがりと日焼けしている——と会話を楽しんでいる。インドネシア語と英語と、そして何かよくわからない言語を混ぜ、流ちょうに会話するさまは、彼がGoogleであることをまざまざと見せつけるものであった。
険しい山脈を越え、海を渡り、いくつもの国境を越えた。
『検索を続けますか』
私が目的地を確認するたびに、Googleはやや気ぜわしげに聞いてきた。それは此方を少々不安な気持ちにさせたが、そのたびに「はい」と答え続けた。行かなくてはならない。それは、もう決まっている。
7日7晩の移動の果て。
ついに、私たちはその場所にたどり着いた。
目の前に広がるのは、チョコ色をした広大な砂漠。満天の星空のもと、濃褐色の砂は艶々とし、誘うように波打っている。
一歩、二歩。私は歩みを進めた。
いつのまにか靴も靴下も失った足裏に、チクチクと砂粒が突き刺さる。その一粒一粒が、打ち捨てられたチョコの心が結晶化したものだということを、私はいつしか理解していた。
酸化したチョコの強烈なすえた香りにえずきながら、それでも砂漠の深淵へと歩き続ける。
吹きすさぶ風に乗って、悲痛な嘆きが聞こえた。
ああ、私たちは食べてもらいたかった。
ああ、舌でとろけたかった。
ああ、我々は至福をもたらすはずだった。
だのに。
ああ、ああ、ああ、ああ――。
何千、何億ものチョコの慟哭。
体は、大量の砂によって抱きすくめられていく。砂が嗚咽を漏らしながら、足先からふくらはぎ、太もも、その上へとずらずらずらずらと舐めるように這っていく。それは皮膚上の間隙という間隙から入り込み、体と思考の自由を喰らっていった。
ざわり、ざわり。
視線を頬に感じてそちらを見やれば、満ち引きする潮のように蠢く砂漠のはざまに、ぽつんと一人立っているモノがいる。
Googleだ。
目が、合う。
——あ。
私は、夢から醒めた心地がした。
ここに来てはいけなかったのだ。
冷え冷えとする脳を必死に回転させ、必死で助けを求める。けれども、すでに砂に犯された喉から吐き出せたのは「ぐぅ……た……」という溺れかけの獣のようなくぐもった声だけ。
Googleは少し悲しそうに微笑み、目を伏せる。
『すいません。よくわかりません』
無機質な声で囁くその白い指先が、チョコ色に染まる視界の端で、サヨナラというように細かに揺れる。
私はそれを静かな後悔とともに、見つめることしかできなかった。
ここはチョコ砂漠。 コノハナ ヨル @KONOHANA_YORU
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